19.入り組んだ感情の先は

 おめでとう――そんな言葉はいままで何度も口にしたことがある。けれどあの瞬間、なぜか光喜は胸がひどくドキドキとした。それはこれまで感じたことのない高鳴りだった。照れくさかった、それもある。しかしそれだけではない感情もあった。
 じわじわと染み込んでくるような温かさ。それを感じてベッドに潜り込んでも光喜はなかなか眠りにつくことができなかった。

「時原、どうした? さっきからあくび連発じゃん」

「んー、ちょっと寝付けなくて」

 春休み中で普段より少し静かなキャンパス内のカフェテラス。図書館を利用したり、ゼミに顔を出したりしている学生たちが集まっている。その一角、一番隅のテーブルに上半身を預けていた光喜は、自分をのぞき込む視線に顔を持ち上げた。視線が合うと見慣れた友人が片手を上げ、向かい側の椅子を引いてそこに腰を下ろす。

「あー、もしかして噂のタンポポちゃん? なんか進展あったの?」

「なにその噂って」

 いつものように好奇心旺盛な目で見つめられ、光喜の眉がほんの少しひそめられる。けれど目の前の顔は急にニヤニヤしたものに変わった。

「このあいだ近藤が飲み会で、いま時原は片想い中らしいぞってみんなに言い回ってた」

「はあ、もう。勝手に噂を広めないでよ」

 ため息交じりに光喜が身体を起こすと、目の前の男は肩をすくめて笑う。彼の言う近藤とは頻繁に光喜を飲みに誘ってくる男だ。悪いやつではないが噂好きなのが本当に玉に瑕。

「でも時原が片想いとか意外だな。愛しのタンポポちゃんはそんなに難攻不落なの?」

「んー、いまはタンポポちゃんより森のクマさんかな」

「え? なにそれ、どういう意味?」

「俺もよくわかんない」

 あの瞬間はドキドキとしたけれど、いま小津のことを考えてもまったくドキドキしない。勝利の時は離れているだけでそわそわするくらいだった。バカみたいにメッセージを送って、夜になると必ず電話をかけた。
 もちろんその時とは状況が違う。鶴橋という恋敵がいたから躍起になったと言うのもある。少しでも振り向いて欲しくて必死になっていた。
 誰かに想いを寄せられていた時、いままでの自分はどうしていただろう。ふとそんなことを考えて光喜は小さく唸った。

「人を好きになる時ってどんな時だろう」

「ちょっと待った! 時原それ問題発言! いままでの彼女、好きだったんじゃないの?」

「えー、好きではあったよ。可愛いなぁとか愛おしいなぁとか感じたし」

「じゃあ、その問いはなに?」

「わかんない。全然わかんない」

「おいおい、大丈夫かよ。片想いこじらせすぎたんじゃねぇの?」

 好きになると相手が可愛く思えてくるものだ。ふとそんな言葉を思い出したが、光喜はそれがしっくりとこず頭を抱えた。確かに小津のことを可愛いと思ったことも言葉にしたこともある。けれどそれは愛情から来るものではなく、人となりを見て形容したに過ぎない。
 可愛い、愛おしい、好きだ、と言う感情と直結にはならない。それでも小津に向き合ってみたいという気持ちがある。

「俺、結局どうしたいんだろう」

 自分で自分の気持ちが見えない、それは光喜にとって初めての経験だ。いままで恋というものは至極シンプルなものだった。ふとした瞬間にその想いに落ちて、一気に燃え上がる。そして燃え上がった想いは灰となって鎮火した。
 こんなに迷路みたいに複雑な感情は生まれて初めてだった。

「あ、時原、電話」

「ん? ああ、ありがと」

 光喜が俯いていた顔を上げると、テーブルに置いていた携帯電話が震えている。なかなか鳴り止まないそれを手に取って画面を見れば、着信は実家からだった。普段は滅多に電話はかかってこない。不思議に思いながら耳を寄せると明るい声が聞こえてきた。

「光喜! 元気にしてる?」

「……ああ、姉さんか。どうしたの? 家に帰ってるの?」

「そうそう、親孝行しに来たの」

「ふぅん」

「その反応は忘れてるな。今日はこっちに帰ってくる約束だったでしょ」

「……あ、そっか。ごめんごめん。いまから行くよ」

「もう、電話かけて良かった。待ってるからね!」

 呆れたため息と共に切れた着信に、光喜は一ヶ月前の約束をようやく思い出す。正直言うと気持ちはそれどころではなかったが、まだ見ぬ甥っ子の顔を拝むためにのんびりと立ち上がった。

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