桜色の記憶
01
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※本編「始まり」以降のお話
――――――

 三月の終わり頃――優哉の店の定休日に二人で予定を入れた。平日は仕事がある僕だが、学校が春休みの最中だったので一日だけ予定を合わせて休暇を取ることができた。新学期を迎えてしまうと僕は三年生を受け持つので、忙しくなってあまり休みを取っていられなくなる。だからその前に二人でゆっくりしようと決めた。
 予定は二週間前くらいから決めていて、テレビのニュースを二人で確認しながらその日を楽しみにしていた。二人で花見をするなんて初めての経験だから、待ち遠しくて指折り数えるほどだ。
 前の日から優哉は弁当の用意をしてくれて、遠足前の子供みたいにウキウキした。

「佐樹さんご機嫌だね」

「だって、お前とこうして出かけられるのは貴重なんだぞ」

「そうですね。でも今日は晴れてよかったです。絶好のお花見日和だ」

 二人で電車に乗って、四つ先の駅へ向かう。そこは広い公園があって、花見スポットとして有名だった。何度も行ったことのある場所だけれど、優哉と一緒というレアなシチュエーションが気持ちを高鳴らせる。
 隣でやんわりと微笑んでいる優哉は、今日は休みなのでコンタクトではなく眼鏡をかけている。銀フレームの学生時代かけていたものと似た眼鏡。いまは昔と比べると少し雰囲気は変わってしまったけれど、眼鏡姿の優哉を見るとひどく懐かしい気持ちになる。それはくすぐったさを覚えるが嬉しくもある。
 休日になると優哉が眼鏡をかけるようになったのは、そんな僕の呟きを聞いてからだ。して欲しいって言ったわけじゃないのに、さりげなく僕の声を受け止めてくれる。相変わらず気遣いができる男で惚れ惚れしてしまう。

「あ、佐樹さん外見て、桜がすごいよ」

「わぁ、結構満開だな」

 目的の駅に近づくと窓の外からも桜が見えた。テレビでは五分か八分と言っていたが、ここ数日の天気でかなり花が開いたようだ。綺麗な桜色に見とれているうちに電車は駅に滑り込む。
 待ちきれない気持ちで開いた扉から足を踏み出し、二人で手を繋いで公園へと向かって歩く。平日と言うこともあって人はたくさんいるものの、そこまで混雑した感じではない。あちこちでシートを広げて花見をしている先客たちに目を向けながら、空いたスペースはないかと公園の奥へと足を進める。

「佐樹さん、こっち」

「ん?」

 ふいに足を止めた優哉が道をそれた方向へ指先を向ける。それにつられてその先を見ると、微かに草が折れて細い道になっているところがあった。二人で顔を見合わせて方向転換をすると、その道を辿ってみることにする。
 しばらく草地を進んで、生い茂った木々をかき分けてみれば、急に目の前が開けた。

「うわっ、すごい眺め」

「隠れた穴場ですね」

 目の前に現れたのは開けた空き地。ぐるりと草木に覆われたそこはぽっかりと半径二、三メートルくらいの空間が広がっていた。そしてそこには大きな桜の木が一本。こぼれ落ちそうなくらい花をつけている。
 二人でその桜を見つめしばらくぼんやりとしてしまった。

「佐樹さん、ここで花見にしましょう」

「ああ、うん」

 手にしていた荷物を置いて、広いそこへレジャーシートを広げる。四隅を小石で抑えると、僕たちはそこに腰を下ろしてまた柔らかな桜色を見上げた。

「ここなら、ゆっくりできるな」

「そうですね。ここなら、こうしていても周りを気にしなくていいですよね」

「え! わ、優哉?」

 隣に座っていたはずの優哉がふいに僕の膝の上に頭を乗せてごろりと横になる。急に膝の上に重みを感じて、そのぬくもりに頬が熱くなった。けれどそれを押しのけることはできそうもなくて、僕は赤くなっているだろう顔を俯けながら優哉の髪を撫でる。

「佐樹さんはこれから忙しくなるから、あまりゆっくりできないですよね。だから少し充電させてください」

「……うん。優哉も毎日ご苦労様。店が順調でよかったな」

「はい、おかげさまで。スタッフを路頭に迷わせなくて済んでます」

 少人数で回している優哉の店は開店から評判がよくてずっと忙しい。何度も店に食事をしに行ったことがあるけれど、みんなすごく生き生きと仕事をしていた。その顔を見ているだけで僕は自分のことのように嬉しいと感じる。

「なあ、優哉」

「なんですか?」

「来年もまたこうして花見をしよう」

「いいですね。春は、俺たちのはじまりの日だから、桜を見るたびに告白をした日を思い出します」

「うん、僕も」

 あの日、優哉が好きだと言ってくれなければ、いまの僕たちはなかった。それを思うと本当に特別な季節だ。あの時はもう葉桜だったけれど、季節がこうして巡ってくるたびに思い出す。まっすぐな優哉の眼差しと真剣な声。
 あの瞬間から、僕の止まっていた心は動き始めた。

「優哉、ウトウトしてる?」

「ちょっと、だけ」

「いいよ。昨日も忙しかったんだろ。朝早くからありがとうな。起きたら弁当食べよう」

 春の陽気に誘われる優哉のまぶたが重たげに瞬きをする。それに小さく笑ってあやすみたいに髪をすくって撫でた。するとそっと伸ばされた優哉の手が僕の空いた手を握る。指を絡ませてぎゅっと強く握れば、優哉はゆっくりとまぶたを閉じて口を綻ばせた。

 桜色に染まる――それは僕たちのはじまりの記憶。いつまで経ってもそれはきっと色褪せない。



[桜色の記憶/end]



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