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そして、人になる




季節は何度も移り変わって、わたしは高専の補助監督として職についていた。
自分の将来なんて真剣に考えていたわけではないが、五条悟が高専の教職に就くという話が出た折に実家からの信じられない圧を感じて、気がついたらこうなっている。なってから知ったが、わたしは存外子供が好きらしい。校庭を駆け回る若い少年少女の声を遠くに聞きながら教室の窓辺に立ち、冷たい冬の風を浴びた。

世の中はすっかり年の瀬だが、高専は先日の百鬼夜行と同時に行われた襲撃への対応で、そんなムードは綺麗に意識の外だった。視界の遠くには半壊した建物や抉れた土地が見えていて、いつぞやの天内理子の件を彷彿とさせた。

あれから、変わったことはあまりない。
変わったことといえば、五条悟がわたしの部屋にくる頻度が減ったこと。その代わりにあの夜以降はわたしが起きている時間からやってくるようになったこと。それと、少しだけ、普通に会話をするようになったこと。



「何やってんの」

声がして振り返ると、サングラスではなくついに布で目元を隠すようになったせいで日中はどこを見ているのかすらわからない男が、教室の入り口からこちらを覗き込んでいた。

「涼んでる」
「12月にその単語使うか?」

言いながらこちらに近づいてくる様は、数日前に親友をその手で殺した人間とは思えなかった。全てが終わった後でことの顛末をわたしや硝子に伝える五条悟は、その時にはもう既にいつも通りで、遺体の対処も事務的な片付けもわたしたちには回ってこなかった。それはきっと五条悟の優しさなのだろうと理解していたし、実際教壇に立つ彼は学生の頃が嘘のように刺々しさをなくしていた。

「寒くね?」
「寒いけど、頭がスッキリする」
「ふーん」

聞いたくせに興味のなさそうな相槌を打つ男は、窓辺に立つわたしからいちばん近い席の椅子を音を立てて引くと、座って机にだらりと上半身を垂れた。

「……傑も、言いそう」
「え?」
「今のお前みたいなこと、言いそう」

「その名前って出してよかったんだ」と「ほんとに言いそうか?」とで一瞬固まってから、曖昧な音で返事をした。どうもこの男は、昔からわたしが傑くんのことを好いているとぼんやり思い違いをしているようで、傑くんを殺めたと話した時もわたしに向かって小さく「ごめん」と言ってきた。
確かに友人として好いてはいたし、いなくなってしまった今もどこか現実味がなくて、寂しい気持ちは持っている。けれどそれは五条悟が思うようなものではなく、勝手に三角関係を描いてセンチメンタルに浸るのはやめて欲しかった。他の男を想いながら違う男の腕の中で眠っているなんて、そんなメロドラマみたいなことはしていないし、する余裕もない。わたしは、目の前のお前の心臓の音にすら、やっと慣れたところなのに。

校庭の生徒たちから笑い声がして、ふたり同時にそちらへ視線を向けた。みんなかなりの怪我をしていたはずなのに、元気に組手をしているのだから若さとは素晴らしい。
傑くんがあの子達に手を出したのは、昔の彼しか知らないわたしからすると些か衝撃ではあった。五条悟曰く命は取らない目算があったというけれど、あんなに優しかった彼が高専の一部を更地にするような攻防を乙骨くんたちと繰り広げていたという事実が既に恐ろしく、自分の無力さを改めて突きつけられた気になった。


「傑くんはさ、」
「うん?」

視線は戻さないままに、ずっと気になっていたことを小さく呟く。

「わたしに会ったら、わたしのこと殺すかな」

呪力はある。けれど術式はもっていないし、祓除もできない。呪術師しかいない世界を作るなら、わたしは消される側だろうか。あの日、わたしは高専にいながら傑くんを見ることはなかったけれど、鉢合わせていたらどうなっていただろうかとつい考えてしまうのだ。

椅子と机が動く音がして、わたしの手に何かが触れた。目線を戻すと、机に突っ伏していた五条悟が少し身を上げて、わたしの方へ手を伸ばし指先を握っていた。

「死にてえの」
「今は、死にたくないよ」
「……傑に殺されたい?」

きゅ、と子供のように指先を握る手へ力が入る。何でもないように振る舞っていながらどことなく不安げなのがわかって、呆れのため息を飲み込んだ。

「……傑くんに殺されるなら、あんたに殺された方がいいかな」
「…………」
「なんか言ってよ」
「はは、初めて俺のこと選んだな、お前」

そんなことない、と言いかけてそれもまた飲み込んだ。選んではいたけれど、わたしの意思ではないかもしれないし、それをこの男が好んでいないこともわかってはいたから。
やたらと嬉しそうな男の様子に、もうひとつ、疑問に思っていたことが口から溢れ出た。

「わたし、「いらない」んじゃないの」
「は?」
「……昔、あんたが言ったんだよ。いらないって」
「……ああ、」

いらないと言いながら、人を安心毛布のように扱って。いらないと言いながら、他の男を見ることを許さなくて。いらないと言いながら、昔からなんだかんだで傍にいた。
指先をくいと引かれて、窓際から少し机に近づいた。五条悟は立ち上がって、わたしを見下ろす。

「いらねーよ、何にも。だからここにいて」
「……意味わかんない」
「うん」

わたしが怪訝な顔をしているのに、返ってきた相槌は酷く甘えた響きをしていた。握られていた指先に五条悟の指先が絡んで、顔を見やれば口元は柔く笑んでいる。

「俺が死ぬまで、俺のこと見てて。それ以外しなくていい」

目を合わせるように言ってから、五条悟は片腕でわたしを抱き寄せると首筋に顔を埋めた。思えば、眠る時以外でこの男に抱きしめられるのは初めてだった。
まるでデカい赤子だ。わがままで、勝手で、無意識にまたわたしを縛り付けている。けれど繋がれた手を離せないのは、きっともう呪いのせいではない。

冷たい風が吹いて、頭がスッキリする。
彼を自分で選んで初めて、わたしは人形ではなく人間になれた気がした。