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ラブ&デストロイ


「お前、いらねーよ」


それはわたしが物心ついてすぐ、五条悟からもらった最初の言葉だった。

わたしの生家、ミョウジの家は、一部の界隈の一部の層では有名だった。
生まれつき呪力量がとても多く、そして何の術式も持たない。そんな子供が定期的に生まれるからだ。

呪術の世界というのは、その古くから続くデントーだとかホコリだとか、そんなもののために酷く前時代的な部分がある。例に漏れずミョウジ家もその文化の一端だった。
生まれた特殊な赤子を、稀有な術式や名門の家に嫁がせる。要はゲームにおける強化カード。バフ要員。ミョウジの呪力量と掛け合わせた稀有な術式の子供を産むためだけに駆り出されるただの胎。

ミョウジナマエという女が誰のものでもなかったのは、15年前、五条悟という男が生まれるまでのほんの数週間だけだった。



「おせーよ、マジで。てか来る意味ねーから家にいれば?」
「…………」
「なんか言えよ」
「……、っ山道しんどくて、喋れない、っ」
「ザコ」

山奥にある、東京都立呪術高等専門学校。
今日からわたしと五条悟はここの生徒になる。といっても呪術師になるのは彼だけで、わたしはただの名目上。
ただの人形に学ぶ必要もなければ、術式を得ないわたしが実際に呪術師になれる未来もない。
家に閉じ込めていると外聞が悪いから、とそれだけの理由だった。

わたしは、五条悟という男のことを好きではなかった。
敢えてそういう言い方をするのは、わたしに五条悟のことを「嫌い」と言う権利がないからだ。いや権利ならあるのか。自分の存在意義を犠牲にすれば。

わたしは五条悟の為にあった。それはわたしの意思ではなく決まったことで、幼い頃から絶えずそう言い続けられてきたこの一種の「呪い」は、わたしの脳の奥深くをずっと蝕んでいる。
ほんとうは違うのかもしれない。けれど、それを確かめる術もわからない。
どんなに腹が立っても、憎いと思っても、五条悟という男から離れた途端に、わたしは自分の存在意義も家族も人権も、あらゆるものを同時に失ってしまう。
だから、好きではない。



「でも悟は君のことが好きだろう?」
「夏油くんって目悪いの?」

失礼だな、と笑いながら答える目の前の男の子……男の子というにはかなり大人っぽいけれど……夏油傑くんは、わたしがこの年まで生きてきて初めて接した、家族と五条悟以外の男性だった。ちなみに家入硝子は、生まれて初めて出来た唯一の友達だ。
今までの生活がほぼ実家に軟禁されているようなものだったので、高専に来てから初めてのことがたくさんあった。同級生と机を並べて授業を受けるのも、好きなご飯を選んで食べるのも、こうして放課後に談笑するのも。

五条悟がわたしのことを好きなんて、まさか。夏油くんは生まれた時から一緒にいるわたしよりもずっとアレと仲が良く、お互い分かり合っているのだと思っていたけれどそういうわけでもないのかもしれない。まあまだ一年生だもん、それもそうか。
五条悟がわたしを好くどころか必要とすることはたぶんない。「いらない」とは、もう何年も前から言われているのだ。

「本当に興味がないんだね、悟に……ああ、いや、なんだっけ……旦那様に?」
「やめてそれ。ほんとに呼びたくなくて頑張ってるんだから」

許嫁、とは綺麗な言い方で、その実わたしと五条悟……もといミョウジ家と五条家の関係は対等ではない。五条家はうちの目玉商品をお買い上げいただいた上顧客だ。
だから「あなたは悟さんのことを旦那様と呼ぶのよ」と小さな頃に教えられたけれど、わたしのことを「いらねー」と吐き捨てる男をどうしてもそう呼ぶ気にはなれなくて、「アンタ」とか「ねぇ」とか細々とした抵抗を今でも続けている。
夏油くんと硝子にその話をした時は、ふたりとも涙が出るほど笑っていた。笑ってくれた方が気が楽だとは思ったが、そこまで面白がられると何とも言えない気分になる。

「……すこし、面白いことを思いついたんだけれど」
「やだよ」
「まだ何も言ってないだろう」
「夏油くんがその顔する時はほんとうに良くないからね」




「そんで夏油のこと名前で呼ぶことになったんだ」
「うん……硝子のことは硝子って呼ぶでしょ、って言われたら返し方がわからなかった」
「ナマエは将来変な壺買うんだろうね」

この間ふたりで買ったポテトチップス用の箸とやらでポテトチップスをつまみながら、机の上にダラリとした硝子はこちらを見ながらそう言った。

世間知らずな自覚はあるけれど、夏油くん……今となっては傑くんのことを名前で呼ぶのはそんなに変なのだろうか。わたしだって、壺で運気が変わらないことくらい知っているし。この壺を買ったら五条悟と関わりのない世界に生まれ変われますよ、と言われたらちょっとだけ迷うけれど。

「見ものだな」
「なんも変わんないよ、絶対」



「げ、ッス……ぐるくん」
「何だって?」

結論から言うと、硝子や傑くんが期待するようなことは起こらなかった。
ふたりはきっと、わたしが傑くんを名前で呼ぶことで五条悟が何らかのリアクションを起こすだろうと、それはもうニヤニヤしていたわけだが。そもそもあの男はわたしの存在に興味なんてないのだ。
「お前如きが傑を名前で呼ぶな」と言われる可能性はあれど、他の感情なんてきっとない。
今だって、こちらのことなんて見向きもしないで机に突っ伏しているに違いない。元よりわたしが五条悟の方をあまり見ないから、実際のところは知らないけれど。

「傑」
「ああ、もうそんな時間か」

少し離れたところから、五条悟が傑くんを呼ぶ声がした。どうやら寝てはいなかったみたいだ。ほら、想像ですら、五条悟のことを理解できていない。

「ごめんね、ナマエ。今から悟と任務なんだ」
「あ、ううん。頑張ってね」
「……もう一声、誰宛?」
「え?……あ……頑張って、す、すぐる、くん?」
「ありがとう」

笑って立ち去る傑くんの背中越しに、五条悟の姿が見えた。サングラスで見えない目線のその先がこちらに向いているような気がして、咄嗟に顔を伏せる。
なにか、責められているような気になってしまった。なにも疚しいことなんかしていないのに、なんでこんな気持ちにならなければいけないのか。自分の反射的な行動に一抹の悔しさを覚え、反骨の意味を込めて持ち上げた顔の先には、もう誰もいなかった。



「え、怪我?」
「ん。なんか調子乗ったらしい。五条はほぼ無傷らしいけど夏油が血どばーって」
「え、え、」

夕方。珍しく廊下を急ぐ硝子に声をかけると、傑くんと五条悟が任務で怪我をしたと返ってきた。
あの2人が揃って出ておいてヘマをするなんてそれこそ珍しい。と思いきや、詳しく聞くと任務自体はしっかりと終わっていて、別のことでいつものように言い合いになり、怪我をしたらしかった。
なんで仕事絡みじゃない治療をしなきゃいけないんだと悪態をつく硝子を見ながら、そわそわとシャツの胸元を握った。
任務だって補助監督の人と同じような程度のものをたまに行う程度のわたしにとって、あの2人の持つ力は未知の領域だ。たとえちょっとした喧嘩の延長だとしても、その様を想像して少し怖くなる。

「とりあえず呼ばれてるから私先行くけど、ナマエも後で来なよ」
「うん……」
「そんな心配そうな顔しなくても」

去っていく硝子の背中を見つめている脳裏に、昼間の傑くんの姿を思い出す。
わたしが未だに夏油くんと呼ぼうとしてしまい、その度に喉から出てしまう変な音に毎回笑ってくれる傑くんは、優しい人だと思う。
優しいからたぶん、五条悟とわたしの仲をどうにかしようなんて思うのだ。半分は面白がっているのだとしても。
五条悟が、彼のようであったなら。わたしも幾らかはこの人生を前向きに見つめることができたのだろうか。


「どこ行くんだよ」

硝子の処置が終わってから訪ねた方がいい気がして、一度自室に戻った後医務室へ向かおうとしたところだった。
あまり見ないようにしていても、耳に音は届いてしまう。降りていく階段の先、聞こえた声は、下手をすると家族よりも聞き馴染んだものかもしれなかった。
踊り場からこちらを見るその青に、何故か苛立ちのようなものを感じて目線を逸らし足を止める。ああ、また逃げてしまった。

「……傑くんの、お見舞いに」
「ふーん……」

階段の途中で立ち止まったままのわたしに、カツ、と男が一段のぼる音が届く。

「お前ら、付き合ってんの?」
「……は?」

思わず顔を上げた先、いつのまにか目の前にまで来ていた五条悟と視線がかち合う。わたしより二段ほど下で歩みを止めた彼の双眸は、日頃とは違いわたしのそれと同じくらいの高さにある。
これまでこんなに近くでこの男の顔を眺めたことはなかった。尋常でなく整った綺麗な顔をしているのだろうが、そんなことより放たれた言葉の方が思考を占拠して退かない。

傑くんのことをそんな風に思ったことはなかった。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだし、人として尊敬もしている。話していると楽しいし、きっとわたしの中では硝子と同じ、特別な位置づけだろう。
けれどそれは色恋の類ではないのだ。何故ならひとえに、わたしにその感情が許されていないから。ただひとりの男に向けて、それ以外は。

怒りで体温が上がる感覚を、初めて知った。
この男は、わたしの人生を組み敷いている自覚がないのだろうか。お前以外の男と「付き合っているのか」なんて。それを、あったかもしれないひと時を、若い女の淡く柔い桃色の瞬間を、根刮ぎ奪った張本人はお前だろう。

「なんか言えよ」

自らの生の惨めさと、弱者であることを再認識したやるせ無さで立ち尽くすままのわたしに、さらに苛立ったような声が降る。
優しい傑くんを当たり前に好きになれていたらどれだけよかったか。そんな感情を持つことも叶わないくらい、わたしはお前に呪われているというのに。
そう思っても、口を開くと感情に押し出されて涙が出そうだった。こんな男のせいで泣きたくなどないし、その涙を誤解されるのも嫌だった。


「……どいて、」

無理矢理絞り出した声は、きっと震えてしまっていただろう。はっきり言い切れないのは、自分の声を認識するより先に、何かがわたしの口を塞いでしまったから。

「……っ」

胸ぐらを引き寄せるようにされて、そのまま前に倒れてしまいそうなのを、皮肉にも触れた唇が支えてくれているかのようだった。
呼吸の隙間、ほんの少し唇が離れたと思ったら頬を包まれて、今度は上を向かされる。どうやら階段を一段詰めたらしい。生まれた身長差の分だけ屈み込んで、五条悟はまたわたしにキスをする。

最悪だ。そう思うのに、抵抗のために体を動かす気にはならなかった。いつかこういう風に扱われる日が来るのだと、刻みつけていた諦念が、脳の奥底にこびりついた呪いが、五条悟に抗わないように、わたしの四肢を縛っている。

空間に不釣り合いな可愛らしいリップ音と共に口元が解放され、目が合う。
きっとこの場面で傷ついたと泣き喚くべきはわたしであろうに、何故だか目の前の男の方が泣きそうな顔でこちらを見ていた。まるでわたしが嫌がらないことに、傷ついているかのような顔だった。それが無性に腹立たしくて、滑稽で、笑いそうになる。

高レートのSSRカードには、バフ要員の気持ちなど一生わからない。わたしの価値は、このキスを拒まないことにしか見出せない。泣いて抵抗して、世の女のように振る舞って、わたしに残るものは何もない。
男を受け入れることにしか存在理由がないなんて。こんな屈辱、想像もできないだろう。

「……満足ですか、旦那様」

口をついて出た声は、今度は震えてなどいなかった。むしろ自分で思う以上に冷たい音がして、少し驚く。許嫁と口づけを交わした後にしてはあまりにも心が凪いでいて、あまりにも冷静だった。

わたしの言葉で泣きそうな、傷ついたような顔がさらに歪む。舌を打つ音が聞こえたと思った時には、また唇を塞がれていた。
先よりずっと乱暴で、先よりあまり屈んでくれないせいで、つま先に力を入れて背伸びをしないと苦しかった。
あんな顔するならキスなんかしなきゃいいのに。あなたが何をしたってわたしは受け入れるしかないんだから。感情のある何かが欲しいなら、家が用意した人形ではなく他の女にやるべきだ。

「口開けろ」
「ん、ぅ」

口内を犯す舌へ、歯を立てないように気を遣う自分が憐れだった。
唾液の混ざる音に混じって足音がしたような気がして薄く目を開くと、五条悟の向こう側で傑くんが驚いた顔をしてこちらを見ていた。もう部屋に戻るということは、怪我はたいしたことなかったんだ、よかった。
そう意識を逸らしたわたしの後頭部に手が回り、より深く口づけが与えられる。きっとわざとだ。五条悟が背後の傑くんの気配に気づいていないわけがないのに。
ああ、ほんとうに最悪だ。この状況も、背後に気づいているくせに止めないこの男も、家も親も、なにもかも。

黙ったままのわたしも、全部。