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最果ては何処





ガチャリ。
廊下の向こうから鍵の開く音がして、調理の手を止めた。手を洗って音のした方へ顔を出すと、靴を脱いでネクタイを緩めている最愛の人。


「おかえりなさい」
「ただいま帰りました」

声をかけるといつも通り、けれど外で聞くよりほんの少し優しい声が返ってくる。
外はすっかり秋の顔をしているが、腕まくりをしている七海さんは今日もハードなお仕事だったのだろう。先にお風呂入りますか、と尋ねると、頷いてそのまま浴室の方へ消える。


それを見届けてから再びキッチンへ戻ると、盛り付けの途中だったカプレーゼに取り掛かった。今日のメニューは白身魚のムニエルにキノコ多めのアヒージョ、根野菜のスープ、フルーツトマトを使ったカプレーゼと昨日の残りのジャーマンポテトが少し。この間、七海さんが買ってきてくれた白ワインに合わせて用意したそれらを、テーブルに並べる。

ふたりとも明日は休日なので、久しぶりにゆっくり過ごす約束をしていた。週末くらいしかこういう時間は取れないけれど、この日のために日々の労働は耐えられる。まあ、呪術師である七海さんは高専事務員のわたしと違って、緊急の呼び出しがあれば応じなければならないのだけれど。



「美味しいです、とても」
「ホントですか?よかった、ジャーマンポテトもカレーみたいに一晩置くと良いんですかね?」
「それはきっと昨日から美味しかったんだと思いますよ」

お風呂上がりで髪を下ろした七海さんは、普段の姿より幼く見える。自惚かもしれないけれど、彼がわたしとふたりでいる時にだけ見せる、この幼い見た目と一緒に、柔らかさを増す目元が好きだった。
最初はお仕事をしている姿に惹かれたのだけれど、今は好きなところがそれ以外にもたくさん増えて、気を抜いていると瞬きの隙間からでも零れ落ちてしまいそうなくらい、わたしの体をいっぱいにしている。

満ち足りた気持ちでワインを口に運ぶ。辛すぎるものはわたしが苦手だからと、きっと七海さんの好みとは少し違うであろうフルーティなものを何も言わずに選んできてくれた。そういう優しいところも、さりげなくそれが出来るところもたまらなく好き。

わたしは欲しがりだ。優しさを受けるたびに、好きだと思うたびに、この人とずっと居られたらなと考えてしまう。けれど、それを口に出すのはタブーだと知っている。わたしも事務員とはいえ高専に身を置く立場、七海さんは呪術師だ。明日の保証なんてどこにもない。今日みたいな週末の約束をひっそりと、少しずつ繋げていくのが精一杯。病める時も健やかなる時も、なんて誓ったところで神に背く結果は見えている。


「そういえば七海さん、虎杖くんにずいぶん懐かれてるんですね」
「……そう見えますか」
「今日もナナミーン!って、声が聞こえて」
「呼ぶのを許可した覚えはないんですがね」

姉妹校交流戦が終わってから、死んでいたはずの虎杖くんは戻ってきた。わたしはそれまで文字の上でしか彼の死を認識していなかったので「やっぱ生き返ったことにして」と五条さんに言われ、その通りに提出書類の変更を受理したが、普通に考えて意味のわからないことである。
けれど別にどうだってよかった。お金をもらうことと、七海さんと繋がりを持つこと以外で高専の仕事に執着はない。子供も嫌いではないけれど特別好きではないし、進んで関わろうとは思わない。それはきっと七海さんもそうだろうと思っていたのだが、最近の彼を見るにそうでもないらしい。虎杖くんに懐かれている時の七海さんは、わたしにだけ見せるあの顔に近い柔らかさを持っていた。

「わたしも呼んでいいですか?ナナミンって」
「ダメです」
「じゃあケンティー」
「怒りますよ」

ふ、と息を漏らして笑うその顔が大好きだった。細身だけれどがっしりとした体も、脳髄を痺れさせるような低い声も、わたしに触れる指先も、冷静な普段からは想像できないような甘い体温も、深夜に覗き見る瞼も、全部。七海健人を形作る全てのものが大好き。いい大人が、高校生のそれも男の子に嫉妬してしまうくらいには。

ねえ七海さん。わたしきっと貴方の未来まで愛せるの。たとえ神に背いてもわたしだけは貴方を愛し続けるし、愛したことを悔いたりもしない。保証なんていらないから、貴方と一緒になりたい。貴方の子供がほしい。そのためなら高専の仕事だって明日にでも辞められる。特別好きじゃない子供だって、貴方の血を継いでいると思ったらこの世で一番の宝物になるわ。
ねえ七海さん。


「七海さん」
「……、……なんですか?」

カーテンの隙間から朝日が差し込んで、彼の色素の薄い髪を光らせる。思考のままに口から出た声は、眠っていた彼を起こしてしまったようだ。おはようございます、と掠れた声で伝えると、おはようございます、とまだ少し眠そうな顔が近づいて唇が一瞬触れる。
困るだろうな。応えられない期待も好意も、受け取る人間を疲れさせてしまう。もしわたしがこれを口にしたら、真面目な彼はそれを叶えてくれる人間のところへと、わたしを離してしまうだろう。


「……来週、何しましょうか」

だからやっぱり、これが精一杯。少し先のことだけを繋いで繋げて、か細い未来を離さないように、指から血が出るくらいに握りしめる。
もう次の話ですか、と目を細める彼に、またひとつ好きが募る。

「来週……少し遅れますがハロウィンのある週ですし、甘いものでも用意しますよ」
「ほんとですか?嬉しい。じゃあ良さげな茶葉を探しておきます」


ねえ七海さん。将来を誓えないのなら、せめて貴方より先に死にたいわ。好きに溺れて死んでしまえば、感情の行き場を無くして苦しむこともないのだから。こんなにも知ってしまったら、文字の上ですら、貴方の死を受け止めることなんてきっと出来ない。わたし、貴方の前では控えめで聡明な女を演じているけれど、ほんとうはただの欲しがりで寂しがりな、弱い女なの。

珍しく、七海さんから擦り寄るようにしてわたしの胸元に顔を埋める。これまた珍しく、二度寝をするようだ。無防備なその頭を撫でながら、わたしも目を閉じる。
ねえ七海さん、大好きよ。来週も、その次も、半年先だって、大好き。神になんて誓わなくて良いから、出来うる限りで離さないで。

わたしたちが繋いでいける週末は、あと何回残っているんだろう。




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リクエストありがとうございました!
リクエスト:七海のお話