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最近は暖かい日が続いていたのに、急に冷え込む雨が降る、そんな月曜日。
訪れていたのは、東京の外れのアパートだった。

日下部先生からやってみればと言われた任務は、四級かそれ以下の呪いを祓う内容だった。
アパートの空き部屋に呪霊が住み着いてしまい、物音のせいでポルターガイストだと近隣の住民から声が上がっているそうな。

このままだと瑕疵がついてしまうので、その前に一掃するように、と言われている。
先生からは祓った後も賃貸物件として使われるため、家屋に傷を付けないよう何重にも注意された。
たぶん、先生本人はそこに気をつけないといけないのがめんどくさかったのだろうなと思う。



チラ、と右隣を見ると傘の向こうに狗巻くんが見えた。
他の人に頼むくらいなら自分が行く、と結局ついてきてくれたのだけれど、あれ以来任務の話はしていないので、彼が今どういう気持ちなのかはわからない。
ただ、機嫌が良くないということだけはわかる。

そしてその原因もわかっている。左隣の白い塊。
さっきからずっとわたしに話しかけているけれど、無視を決め込んでいる。
外だし、他の人に見えてないのに会話してたら怪しまれてしまうし。

わたしが何も言わないのをいいことに、神様はずっとわたしのことで狗巻くんにマウントを取っていた。
狗巻くんも無視しているが、絶対絶対イラついている。
ただでさえこの任務のことで若干ギクシャクしてしまったというのに余計なことを。
左側に目配せして黙らせようと思うのに何にも伝わらない。わたしのことは何でもわかるんじゃなかったのか。

いい加減うるさいと思ったタイミングで、アパートの大家さんがやってくる。
今しかない。狗巻くんの気が逸れたので、その隙に肘でこれでもかと突いた。


「い"、って!」
「マジで黙って、狗巻くん怒らせないで、今ただでさえちょっとピリピリしてるんだから」
「えっ、別れそう!?ヤッター!」
「最悪!バカ!」
「痛ッ!ちょっ、抓らないで、」
「……高菜」

揉みあっていると鍵を受け取った狗巻くんが、それはそれは冷たい顔でこちらを見ていた。
サ、と血の気が失せて勢いよく神様から手を離すけれど、彼の表情は変わらない。

いろんな意味を含めて、ごめんなさい、と言いながら鍵を受け取る。
狗巻くんはわたしに文句を言うでもなく、神様に怒るでもなく静かなままで、それが逆に怖い。
目線でお先にどうぞ、と促されるので、階段に足をかけた。
今日の狗巻くんは完全に付き添いで、任務をこなすのはわたし、もとい神様だ。



目的の部屋に辿り着く。3階の角部屋、2Kの間取りは、一人暮らしをするには広く贅沢な印象だった。

霊感も何もないけれど、玄関から既に嫌な感じがして、制服のスカートを握る。
正直なところ、お化けと呪霊で何が違うのか、勉強はしていても体感で区別などついていなかった。
もともとホラー系は苦手だし、ビビりな自覚もある。こういうところで突然現れたりしたら、それが呪霊だろうがなんだろうがめちゃくちゃ怖い。


「お、お邪魔します、」

中に入ると廊下兼キッチンが見えて、その奥に部屋がある。
またその奥に部屋がある作りで、今はリノベーションされているが、そこは昔和室だったらしい。

自分でドア開けるのやだな、と思いながら廊下の突き当たり、ドアノブに手をかけた。
神様はすぐ隣にいるけれど、狗巻くんは少し後ろから様子を伺っているだけだ。

恐る恐る開いたドアの向こう、ひとつ目の六畳間は至って普通の部屋で、心霊番組で見るような変なシミも怪しいお札も何もない。
なんだか拍子抜けして、ホッと息をつく。
この部屋に呪霊がいることに変わりはないのだけれど、いきなり襲い掛かられたりしなくて一先ずは安心した。


「隠れてんのかな〜?呪力蔓延しててわかりづらいな、」

備え付けのカーテンの裏、戸棚の引き出しの中、神様はいろんなところを漁って呪霊を探している。
低級だとそんなに小さい可能性もあるんだ、と初めて知る。わたしは呪霊を、神社で見たあの恐ろしい姿しか知らない。

「呪力濃そうなところは俺が見るから、ナマエは安全そうなところ見ててね」
「うん。ありがとう」


ひと部屋目の奥、もう一つの部屋に繋がる引き戸を開くと、家具の類は何もなかった。ぐるりと見回しても呪霊の姿はない。
部屋の奥には押し入れがついていて、とりあえずそこを見てみようと近づく。


「え、待っ、ナマエ!」
「え、」

押し入れの引き戸に手をかけただけなのに、戸が勝手に開いた。

タン、と戸が開き切った音と同時に目に映るのは、何か、大きな生き物を無理やり圧縮して潰したような、グロテスクな異形。
思わず息を呑むのと同時に、こちらに手が伸びていることを認識する。
ヤバいと頭ではわかっても、体はピクリとも動かなかった。
顔に向かって迫る手が、何故かスローモーションに見える。
きっとこれに触れたらわたしは顔をぐちゃぐちゃにされるか、それとも殺されるか、


『ーー消えろ』


引き攣る喉が悲鳴を吐き出すより先に、別の声が響いて身体が後ろに引っ張られる。
腰が抜けて、そのまま倒れ込むわたしを受け止めてくれる体温は、いつも感じているものだった。


「高菜!」
「あ、あ、いぬま、きく、」

混乱してうまく言葉を紡げない。狗巻くんはわたしの顔や体を確認して怪我がないことがわかると、そのままきつく抱きしめた。
そのまま彼が深く息を吐く。耳裏から聞こえる、安堵とも呆れとも取れるような様子に胸がチクリとした。わたしはまた、迷惑をかけてしまったのか。


「ちょっと!呪力が濃いところは俺がやるって言ったじゃん!」
「、え……呪力、いまの、違った……?」
「!」

駆け寄ってきた神様にも呆れたような顔をされる。
先の神様の言葉に、たしかにわたしは頷いてみせたのに、果たして彼の言うその場所がどこなのか、本当にわかっていたのだろうか。
呪力、なんて当たり前のように言っていたけれど、今わたしはあの押し入れとその他の空間に差を感じていただろうか。


「こんぶ、すじこ」
「う、ううん。見えたよ、ちゃんと神様も見えてるし、今あの中にいたやつも見えた」
「……明太子」
「え、」

狗巻くんに言われて背後を振り返ると、そこには小さな呪霊がいた。こちらを見るそれは蠅頭と言ったか、それを神様がつまみ上げるとプギャと変な音をたてて消えてしまった。


「いくら」
「……わ、かんなかっ、た」

たった今消えてしまった蠅頭は、狗巻くんがわたしを抱き止めてくれたその時からそこにいたと言う。
もしかしてわたしは、

「ナマエ、呪霊は見えるけど呪力の感知ができないんじゃない?」
「しゃけ……」

思い出すのは高専に保護されてきてすぐの頃。
狗巻くんや真希ちゃん、乙骨くんともパンダくんとも、距離が少しずつ縮まるごとに感じていた、わたしと彼らとの間にある境界線。

バカなわたしはきっと、一緒にいられるようになった環境に自惚れて、それがなくなったかのように錯覚してしまっていたのだ。
わたしの立場は、結局、あの頃と何も変わってなどいない。ただ守れられるだけ、後ろをついていくだけ。


こちらを見つめる狗巻くんの瞳が「わたしには無理だ」と言っているようで、悔しさと寂しさと悲しさのごちゃ混ぜになった感情が喉の奥に痞える。不思議と涙は出なかった。
わたしはどんなに願っても、彼らをほんとうに理解することなんて、出来ないのだ。