「奇策とは邪道だ。
戦の趨勢を委ねる策など用いるべきではない。
定石を重ね勝利を絡め取る。ひとつの策の成功・不成功で得る勝利など幸運が降ってくるのを待つのに等しい。そのうえ失敗すれば敗北しか得られない策ならば論ずるまでもない。
失敗すれば愚行とされるそんな策が成功した時、奇策と呼ばれるのだ。
力押しといえば聞こえが悪いが、数量で圧倒出来るならそれが良いに決まっている。では数を支えるのは何か。都市国家[くに]の力だ。善政を敷き、民を富ませ、交易を推奨し、常に自らを刷新し続けて得る力だ。それがあってこそ戦に臨む事が出来る。勝つ事が出来る。勝てない戦などするべきではない。
敵国も強大といえど、其方らも充分に強く豊かな国の王達だ。戦士は強く、兵士は彼の国の数倍。神々に護られた海路の兵站線からくる豊かな物資も周辺都市を落し更に豊かになったろう。だのに永きに亘って陥落なしえず遂には綱渡りの如き策に頼らねばならぬとはな。
私がこんな教本めいた事をお前に言わねばならぬ歎きの深きを、解ってくれような? オデュッセウス」
「推察致します。我が女神よ」
オデュッセウスは立ったまま頭を下げた。平伏しないのは女が武装した彼にそれを許したからだった。
オデュッセウスが年若い女に頭を下げる奇矯な光景を見咎める者はいない。すぐ近くでエペイオスをはじめ大工の仕事の心得がある者達が、伐採してきた木と不足分を補う為に解体された船の木材とを合わせて女が言った奇策の要を造っていたのだが。
側を通ってもオデュッセウスと女がそこにいるのに全く目に入っていない。またオデュッセウスと女の周りから音が絶えていた。まるでふたりだけ世界から存在を切り取られているようかのに。
オデュッセウスが女神と呼んだ女は、血か炎のように朱い髪と灰味がかった蒼い目が印象的な美貌である。鱗を模した黄金の胸当てを鎧い、臙脂色の鞘の豪奢な剣を佩いた麗人はそれだけで常人ならざる気配を醸し出していた。
そして事実、女は不死なる神だった。
「顔を上げよ。そして申し開きがあるのなら申せ、オデュッセウス」
オデュッセウスが再び正面から捉えた女の表情に瞋恚はない。何処までも透徹でそれ故に畏れを呼び起こす眼がそこにあった。
「これまでの事については何も申し上げることはありません。しかし私はただ“幸運”待ったりはしません。勝利を手繰り寄せる為に更なる策を弄し、貴女が我等に御加護を賜らんことを祈りましょう、不敗の女神」
オデュッセウスが少し笑みを含んで言った。
「かくの如き愚策の成功を手助けするのはお嫌いではないでしょう?」
「いかにも。嫌いではないな」
女は破顔した。
「まったく、相変わらず小賢しい口の利き方をする男だ。そこが私の気に入る所だがね。
宜しい。ならば成功させて狡知なることを世に知らしめ、その名を歴史に残せよオデュッセウス」
言って女が踵を返す。それだけでふつりと女の姿が見えなくなる。気配の余韻すら感じられない。
ざわめきが戻ってきて、漸くオデュッセウスは息を吐いた。
「おや、オデュッセウス。いたのか」
声に振り返るとエペイオスが拳闘を好む者に似つかわしい額の汗を拭っていた。
それを見たオデュッセウスは笑って答える。
「いたとも。気にせず続けてくれ」
やがて神話となる謀
<2009/11/18>