結城さまへ | ナノ




世の中冷たい人ばかりだ。血まみれと言わないまでもこの時代のこの国に於けば俺は今満身創痍なのにコンビニの店員(俺と歳もそう離れてねえだろうに、畜生)は絆創膏を買い求める俺を怪訝な目で見こそすれ何にもしなかった。ありがとうございましたー、と語尾を無駄に伸ばした業務の一環を背後に、俺はもはや真っ暗な外へ出る。日付も変わっているだろう。道路に車は少ない。横断歩道は遠いが信号など気にするまでもなかった。ポケットに手を突っ込んだ儘のろのろと道路を渡る。ふと、遠くから光。車が一台こちらに向かって走って来る。俺とあの車双方が今の速度を保って道路をゆけばあの車は間違いなく俺を轢く。知るか。轢きたきゃ轢けばいい。これ以上ぼろぼろになる様を想像すると面白いっちゃあ面白いし、どうでもよかった。

迫る車をちらと見る。ライトが目映い所為で運転席の顔は窺い知れない。俺を轢く奴がどんな奴か確認しておきたかったが不可能のようだ。ふいと顔を逸らした、と同時、何故か車は減速。夜間を配慮したような小さなクラクションが鳴り、車は路肩に寄る。恐らく俺を呼び止めたらしい一連の車の動きに、俺は道を渡り切らない儘立ち止まる。誰だよ。店員の兄ちゃんに怪我を無視された挙句何処の誰とも知れぬ運転手に怒られでもするのかな、俺は。何それ厄日でしかないじゃん。ただでさえ今日は碌な事なかったのに。
運転席のドアが開く。出て来たのが誰か、光に目を焼かれた所為でよく見えない。そいつはやはり怒っているのかドアを殴り飛ばすような勢いで閉め、足音荒く俺に近寄って来る。そいつは予想通り俺に向けてオイ、と大声を上げた。
が、

「……何、してんだよ馬鹿野郎!」

それはどこか単なる罵声とは違う色を孕んでいた。あまつさえ聞いた事のある声でもある、気がする。近寄って来たそいつ、は俺の手首をぐいと引いて、そこで漸くそいつ、が誰なのか気づいた。

「――先生、」

そいつはそいつ、だなんて邪険に呼べやしないひと、で。しかし見た事もない鬼の形相とばかりの顔。そのひとの登場とそのひとのそんな顔ふたつに驚いて仕舞った俺はただ目を瞠る。

「何、してんの」
「こっちの科白だ馬鹿、危ねえだろうが――何だまた喧嘩かよ。止せっつったろ」

こっち来い、と手首を引っ張られる。痛い。なすが儘に車の後部座席の縁に座らされた。エアコンが効いていたらしくあたたかい、そしてひどく煙草臭くて少しだけ酒臭い車内。先生、はバッグを漁ってティッシュやら絆創膏の箱やら散らかしている。

「ホラこっち向け。顔」
「あ、うん」
「唇切れてんじゃねえか。……消毒の類今持ってねえから血ィ拭くだけで勘弁しろよ」
「……せんせ」
「あ?」
「なに、してんの」

舐めて治して、だなんていつもの軽口が少しも出て来ない。ただ状況の把握が出来ないゆえ再度問う。だからそれはこっちの科白だ、と返された。程近い顔がちらと睨む。

「昼間は用もねえのに押し掛ける癖に。馬鹿か」
「……あ、うん、そうね」

先生、は厳密には学校の保健医。実は俺のすきなひと。ゆえ、俺は毎日毎回彼の許を訪れていて何度も口説きに掛かっているのだが、一向に成功しない。――それもその筈、と思い知ったのは今日の放課後、だから俺は柄になく自棄になって何処かの誰か達と派手に喧嘩、結果現在手負いの身。

「ったく、何箇月ぶりだよ」
「……そ、か。俺が先生に惚れた時もこんなかんじだった、ね」
「……覚えてんじゃねえか」

数箇月前、のある日。屋上で殴り合いした後の俺を先生が見つけた。煙草を吸いに来たらしいところに頬腫らした俺。――先生はすこし嫌そうな顔をしてから俺を保健室へ引っ張っていったのだ。やはり今のように至近距離で手当てをされた俺は瞬間的に、このひと、に恋をした。恋をした、と思ったのは、気がついたら頬に触れていたその手を取って先生にキスしていたから。先生は俺がぶん殴られ且つ先生が手当てを終えた片頬を全力で張った。信じられないくらい痛かった。が、それに対する怒りはない。なにしろ、恋、をして仕舞っていたから。

(まあそれ、も、今日やぶれたわけだけど)

「……どうした」
「え、?」
「いつもみたいに軽薄じゃねえな」
「ひどい」
「……。本当に、どうしたんだ」

街灯に淡く照らされたきれいなかお、が、眼前で俺を覗き込んでいる。そのきれいなかお、は、俺だけのものにはならないのでしょう。くやしい、かなしい、つらい、だから俺は、普段あなたがしない心配、をされているんだろうな。俺が恋にやぶれていなかったらあなたは俺を心配してくれなかったのかな。

「誰と」
「あ?」
「だれ、と、お酒飲んできたの」
「……は?」
「誰とどこ行ってたんだって訊いてんの」
「誰、って」

――ああ、好きだよ。

いつものように押し掛けた保健室、扉を開けようとして中から聞こえた、すきなひとの声。どこかやっつけ仕事のようなその声、は、覗き見た室内で携帯電話に向けて放たれていた。俺がすきなその声は、ああ好きだよ好きだから今晩行く、と続いて――その後はわからない。俺がその場から走り去って仕舞った、から。
ばかだ、と思った。今まで保健室に通って何回何十回何百回とすきだあいしてる、と語り掛けていた相手に、必ずしも恋人がいないとも限らない事に思い至らなかった自分が、ばかだ、と。だいすきなひとなのに、その実俺は何にも、そのひとのことを何にも、しらなかった。

しょげた俺に、先生は重く息を吐く。煙草のにおいの息。酒のにおいはしない。

「……何だってんだ今日は。厄日か」

それ俺の科白だよ先生。

「仕事中に電話掛けやがって呼び出されて」

うん、俺それ聞いてた。

「その上酔っ払いの運搬させられて帰ろうと思ったらコレだ」

そう、その酔っ払いって誰よ。

「……俺が馬鹿だった」

俺のがもっと馬鹿だけどね。

「ったく気まぐれに呼び出すんじゃねえよ、人を酒で釣りやがって――あの馬鹿兄貴」

そうそう馬鹿……、って、
え、あれ? 今なんつった?

「兄、貴?」
「え? ああ」
「……」
「呑みたい時に時間構わず呼びやがんだよ、そしたら今日は近藤さんがついて来ちまって――俺飲めなくなった上に送る破目になっちまった。兄貴は目ェ見えなくて車の運転出来ねえからよ」
「……」
「まあ酒に釣られた俺が馬鹿だったんだけど」

お前この酒好きだったよなそうだよな、なんてしつこく言われたら好きだって返す他なかった、と。己を悔いるように。

「……。え、何」
「あ? 何が」
「好きって何。酒、のこと?」
「それが何だよ」
「ほらあの、放課後? 携帯に好きって連呼してたから」
「……聞いてたのかよ。そういや今日お前放課後来なかっ――」

言い掛けて先生は黙った。あ、まずいやばい。俺の勘違いを、この壮大なる恥ずかしい勘違いを悟ろうとしている。徐々に核心に迫るかお、はやっぱりきれいだけれど、も。ああ今俺物凄い情けない顔してる。真っ赤な顔してる。

「……何でもないごめん全部忘れてマジ。すんません今日もう帰ります」
「――お前まさか、」
「だ、から何でもないっつってんだろコンチクショー! 変な誤解させやがって!」
「お……前、が勝手に誤解したんだろうが!」

おもわず、というふうに叫び返した先生のかおは、街灯の淡い光の中でなぜか、でも確実に、赤くなっている。

「……。毎日毎日好きの大安売りして来る癖に、いざ俺が言うとそこまで混乱すんのかお前は」
「……スイマセン」
「そんなんじゃ、当面俺からは好きなんて言えねえ、じゃねえかよ」

そう言って先生、は、運転席へと回って仕舞った。後部座席にのこされた俺は一瞬思考停止。呼吸の仕方さえわすれた。

(……どういう意味、)

「……。え、え? せんせ、」
「ドア閉めろ」
「え、ちょ、まって」
「送る。――今日はそれだけ、だ」

俺はさっき以上に、誤解をしていた時以上に混乱して、ドア閉めろ、と先生にもう二回言わせる破目となる。ようやく思い至って後部座席のドアを閉めた、と同時、頭は混乱をやめた。――これはどうだ、今や俺の脳内はある可能性により舞い上がっている。思わず運転席へ身を乗り出した。

「ねえねえ、さっきのどういう意味?」
「うるせえ黙れシートベルト締めろ俺が捕まる」
「ねーえー」
「やかましい。道どっちだ」

さあどっちだろ、と笑う。明日から保健室入れてやらねえぞ、と返されて慌てて、己が家路を考える。あしたも、このだいすきなひとに逢うために。保健室の利用名簿へ、もはや書き慣れたであろう、坂と田と銀と時という字を、何回も書かせるために。

すき、と、言ってもらうまで。





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結城さまへ。生徒坂田保健医土方。
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