何だこれは、と呟くと、文化祭用らしいぜよ、そう答えた坂本は教卓の上に屈んで掃除用の大きなバケツを恐らく絵筆で混ぜている。美術室の床からは机の類がすべて退けられ奥の端で不安定な山を築いていて、その残った面積に真っ白な紙が敷かれていた。がりがり、響く音はその紙の上に裸足で這う高杉の手許から聞こえてきている。こういう時の高杉は何を言おうが聞く耳を持たぬ。邪魔にならぬよう坂本同様教卓に登り、美術部の展示はこれだけだな、と持参したノートにメモを走らせる。これ展示したら他に展示する場所ないからねえ、とは、積み上げられた机の山の上で何とか均衡を保っている銀時であった。見ればカメラを覗き込んでいる。レンズの先には、紙にコンテをがりがりと刻み込むように何かを描き続ける高杉だ。貴様は何をしているのだ。ん、俺は短篇フィルム、モノクロで撮って隣の準備室借りて暗室にして、エンドレスで流すの。高杉には？ 下準備手伝ってくれたらおっけーだって、大変だったんだよ見てこれ、こんなでかい紙あるわけないじゃん、だから俺印刷室でパクれるだけパクって糊で貼り繋げたの、セロテープ使ったらぶっ殺すって言うしさあ。その声は幾らか弾んでいる。愉しいのだろう。カメラはずっと高杉を、顔や手許やその手許ががりがりと生み出している線を追っている。それはご苦労、と他人事に呟いて、隣室の短篇上映をもノートに記しておく。二人ともまっこと面白いのー、坂本は笑いながらバケツをかき混ぜている。いつからやっているのだ、これらは。んー、ワシが来た時にちょうどコントの何本目かが駄目んなった言うてのー、ほんでワシも手伝うことになって、……いつからかのー？ 言い間違いは敢えて指摘せずに、何はともあれ昼飯はまだなのだな、と呆れを通り越した感慨で以て室内を見渡す。白い紙に黒い線が充満してゆく、充満させる手、それらをフィルムに焼く手、バケツの中に渦を巻かせる手、――俺は友の生み出すひとつの世界を俯瞰している。構築される芸術、という芸術。そこ、へ加われない自分が何となく寂しかった。紙に描かれ続けるそれが何なのか解らぬばかりか手伝うことも叶わぬ。しかし去るのも勿体ない気がして教卓に座り直した。と、ヅラ一番いいポジションだよね、とカメラを構えた儘机の山から降りる銀時が言った。純然たるオーディエンスじゃないお前、見る人いなけりゃ高杉も俺もやってるすべてが無意味だからね、辰馬は勝手に手伝ってるから別として。がりがり、コンテの線と紙に蹲る高杉が移動すれば銀時も移動して、坂本の視線も移動して俺はそれらを見て、いる。これは贅沢――なのか。鬼気迫る線を追う三者と俺――時の流れが、ひどく遅く重く、感じた。呼吸の仕方を忘れそうだ。気づけば三者全員、額に汗を浮かべている。高杉に至ってはシャツが背中にべったり貼りついている。なあヅラ、俺のフィルムに流す音楽なんかないかな。暫くして後銀時が問う。音楽には疎いが、――無声でいいのではないか、と返した。やっぱそうだよねさんきゅ、言う声に俺は少しばかり苛ついた。今の問いは、俺が参加したい、ことを読んでのアシストだろう。要らぬ世話だ、とひと睨みしようとしたところで高杉が初めて立ち上がった。終わったがか、問いに無言の儘高杉は短くなったコンテをポケットに突っ込んで俺達の座る教卓に登り、坂本がかき混ぜ続けていたバケツを一瞥、真っ黒な手でそれをひっ掴み、――黒い線がうねる紙の上へ、バケツの中身をぶちまけた。空を浮いて、やがてけたたましい音で紙を打ったのは、朱色の液体。――ああ、紅葉だったんだ。放心したふうの銀時の声が聞こえた。朱色の水は紙に染み込み或いは皺やコンテの線に弾かれ、紅葉を描いてゆく。水の流れがすべて止まったところで漸く高杉が、煙草吸いてェ、と呟いた。出来上がりらしい。随分な大作だね俺もお前も、一面の紅葉にレンズを向けていた銀時がそう笑って、すい、と高杉の顔へレンズを移動させる。嫌そうに顔を歪めた高杉が真っ黒な手でレンズを覆うと、よしオチ着いた、と銀時はしたり顔でカメラを切った。舌打ちをする高杉に坂本が笑う。俺は改めて高杉の作品、を見た。ところどころ深く水溜まりを作っている赤色に、――天国と地獄はどうだ銀時、そう呟いていた。え、何？ 黒澤明の天国と地獄、だっただろう、モノクロに赤だけ色を着けるやつ。……え、俺にそれをやれと？ 引き攣った銀時に、それはえいのう！ と坂本が続く。調子に乗った俺は、何なら無声で俺達の会話を字幕で載せればいい、と無茶なことを言ってやる。銀時は頭を掻き毟り、あーあこれだからオーディエンスはやなんだよ好き勝手ズケズケ言いやがって、と大声で駄々を捏ねるふうに喚いた。俺はにやり笑んで、坂本は相変わらず笑って、高杉は我関せずと窓辺で旨そうに煙草を吸っていた。背後、窓の外の紅葉はいまだ青々と、秋の入り口に差し掛かった陽光に輝いている。 ついろぐでhさんのお題・紅葉/美術室/映画。美術関連はわかりませんのでニュアンスで… | |