ハイエナ的観念 | ナノ



行動の振れ幅が極端だな、などと頭の片隅で思う。それを察したのか何なのか、更にそれが俺の持つ余裕とでも勘違いしたか、この唇を食いちぎらんばかりの口づけが手荒さを増す。どん、壁に押しつけられたせいで背骨が悲鳴を上げる。執拗に舌がこちらの舌をからめとろうとするのをどうにか抗った。流されるわけには、いかない。きっと食い違ってしまう。それほど、俺はこの関係が危なっかしいのだと思い込んでいる。つまりは何もかも肚の底から信用していない。そこがまた、こいつは気に食わないのだろう。

乱れた息を整える間もなく、程近い眼が俺を射抜いた。恋人に向けるものとは言い難い視線である。まるで俺が憎いかのようだった。対して俺はどんな顔をしているだろう。どうせ愛想のない、かといって追い詰められているでもない、可愛げのない表情をしているはずだ。これも気に食わないのだろうな、だったらお前は今、俺のどこを、何を、好いてくれているのだ。殴り飛ばす、なんて手段じゃなしにちょっとでも愛情の類を感じてしまうような暴力で、いったい何を伝えようとしているのだ。問うことも何もできずにいるのは臆病だからか、それとも――単なる怠慢、か。何を怒っているのか、原因となる非は俺にあるのか否か、どう謝るべきなのか。そう質せば原因は解る。この男は俺より直情的だが滅多と間違うことはない。しかし、俺を誰よりも解っていると豪語するのなら、俺が自らこういうこと、を、問うということが出来ない奴だと知っているはずだ。なあ、解っているなら何か言えよ。言ってくれなきゃ答えられないんだ、俺がそういう奴だってことはとっくに解り切っていることだろう。

(……。いや、違う)

俺は間違っている。訊いて貰えるものだと思い込んでいるところがそもそもおかしい。いったい何を甘えているのだ。こいつが俺を解っていると豪語しては俺に寄り添うように、俺もこいつを解っていなければ寄り添う資格などない。悟って欲しいときだってあるだろう――何たる鈍さ、愚かさ。
自分に幻滅して思わず溜息を零した。その溜息を誤解したらしい唇がまたも俺を襲う。同時、肩を押さえつけていた片手が着流しを剥がしに(およそ脱がせると表現するには乱暴すぎる手だった)掛かったところで俺はやっと、ちょっと待て、と伝えるために痛む肩から繋がる手を持ち上げて目の前の頬に触れてやんわりと押し戻す力を与える。抵抗でも拒否でもない旨がどうにか伝わったらしく、身体を拘束していた一切の力が離れた。口内に溜まった唾液が喉の中に流れて噎せる。咳き込んでいる間も、一言だって俺に声は掛からなかった。

咳も早い呼吸も収まったところで、俺はようやく顔を上げた。目の前の顔はやはり、怒っている。どう訊けばいい、考えたが巧い言葉は見つからなかった。語彙の乏しさが忌々しいが――すべてを紐解いてゆかねばならない。

「……、さっきの溜息。あれ、は俺に対してだから。お前にじゃない。自己嫌悪」
「何で。何が」
「お前を――お前は、俺の望むように動いてくれるもんだと、思ってた。きっと」
「……」
「悪かった」

言うと、顔は少しだけ怒気を収めた。次は、――訊かねばならないこと、だ。

「なんで怒ってんだ。俺が悪いってのはわかるけど、原因が解らねえと謝るに謝れない」
「自覚ねェのかよ」
「……解らねえから訊いてる。――悪いけど」

正直、途方に暮れた。ここ最近、主に昨日今日の記憶を手繰ってみても、どこが彼の怒りに触れたのかは皆目。――だが、諦めてはならない。怠慢は食い違いを助長させるだけだ。そう思えただけで俺は少しなりとも、この男との関係を保っていたいと思えたのかもしれない。どうせ、いずれは、そう思い続けてきていた俺にしては随分な進歩だ。

「なあ、」
「……俺も、自己嫌悪。多分」
「え?」
「半分くらい、だけどな」

怒気が徐々に弱まって、代わりと気まずげな色がじわりじわり滲み出した。

「……つまり何、俺に八つ当たりってか?」
「だから、半分だっつってンだろが」
「もう半分は」
「嫉妬」
「何に」
「色々」

返答はおそらく、故意に濁された。俺に悟られたくないのだろう――それは俺のどこかを傷つけた、が、追及はできない。食えない、時に直情的な顔がただただ、訊いてくれるなと言っている。仕方ないが追及は止すとして、八つ当たりのほうへ話を向けることにした。これもまた、語りたくはないことだろうが。

「噎せた詫びに教えろ」
「命令かよ」
「嫉妬を説明する気はねえんだろ」
「あれはお前が悪い」
「その原因を訊いてやらねえ代わりだよ。――謝れない代わりだよ。何だったんだよ、八つ当たりって」

その八つ当たりだって突き詰めれば俺に非があったりするんだろう。訊くと、その顔は少し自嘲気味に歪んで、その後痛みを堪えるようなそれへ変わる。珍しく感情の語り方が正直だ。

「お前、全部信用してねェから」
「……否定はしない」
「そんなモン今更だとはわかってるがな、――急に虚しくなることもあるんだよ。さっきお前が言ったのと一緒だ、……コイツはこう動く、だから俺は――、」

こんなモンは単なる操縦だ、そう吐き捨てた彼の抱えるもの、に俺は納得する。少なくともこいつは俺を、一番に据えることはできない。傲然と隣を独占できない、最後に選ぶ手は俺の手ではない――今更も今更であったが、それだけ見て見ぬふり、をしてきたという事実がようやく輪郭を確固とさせた。互いを引き寄せようとしながらも、様々な都合から必死に逃げている。

「――。馬鹿は馬鹿なりに悩むんだな」
「……オイ」

事実だろ、と言えば悲壮を湛えた表情が少し笑った。俺が故意に、この男の笑顔を引き出すことができる間はまだ、危なっかしかろうが何だろうが、この関係が瓦解することはないのだろうと思う。ただ、互いの間に見えない底なしの谷があるだけで――そこ、を飛び越えることは永劫なかろう。落ちずに巧く立ち続ければいい、だがもし俺か彼のどちらかが足を踏み外した時、この手は――運命の赤い糸だなんてもので俺達が互いを捕らえ続けているならば、おそらく繋がり絡まってほどけようもなかったそれを平然と断ち切るのだろう。その瞬間は哀しいのだろうか、或いは憑き物の落ちた感覚を味わうのだろうか――。

(後者なのだろう、どうせ)
(ああまた俺は、諦めた)

「さっきので口ン中切っちまったんだけど」
「……悪かった」
「――。舐めたら治る、かも、な」

言って見ると、正面の顔は嗤っていた。俺にか自分にか現実にかはわからないが、まだ、俺はこの顔を笑わせられる。脆い今をなるべく憂うことないよう、俺もどうにか笑んだ。いずれは笑わせることすらできなくなる日が来る、なら今はこいつが誤魔化した何かや都合の悪い現実を見ずに、そしてたまに目を向けてやったりして、そう、狡猾に、目に見えない谷を挟んで笑い合えばいい。

「――面白ェ発想だ」

――食い合うような、口づけをした。





(ハイエナは敵の前で食事をしない、のだったか)
(……まあ、誰だってそうだろうが)



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