銀高 | ナノ



練習室には既に高杉がチェロを抱へて顎を乗せてゐた。指慣らしくらいしてゐれば好ひものを――然し約束通り来てゐたことにほくそ笑んだ。硝子の向かうに朧な輪郭を暫し眺めてから扉を開く。遅え、右目の視線とともに投げられた言葉尻を捕らへて、待ってて呉れたんだ、と笑ふ。飯奢るって云ったからだらう、憮然としたふうの口振りの中に照れが混ぢってゐることを俺は見逃さない。其れで、書いたんだらうな、弓に松脂を塗り乍ら訊く辺り期待はして呉れてゐるらしい。勿論完璧よ、渡したのは今朝方書き終へた譜面だ。――事の発端は三日前、チェロが主役の譜面が欲しい、と高杉がカフェーにて呟ひたことだった。探せば幾らでもあるだらう、云へば、俺が気に入るものがねェんだ、とのこと。なら書いてやらうか、と酔ひの廻った頭はそんなことを口走った。――そしてあれから三日、だ。俺の努力を理解して欲しいもんだよ、大仰に云へば高杉は鼻で笑ふ。さうして譜面を覗き込み――眉根を寄せる。まあ予想の範疇だ。――ピアノは? うん? 伴奏なしかよ? 不機嫌を露わにした高杉に俺は笑ひ乍らアップライトの椅子に腰掛ける。あるよ、今から付ける。はァ? だからお前は其れ通りに弾いて、俺今から考へ乍ら弾くから。高杉は呆れたふうに嘆息、本当に出来るんだらうな、譜面を置いて俺を見る。厭だなあ高杉、俺だよ? お前を一番解ってゐる俺がお前だけの為に書いたんだよ、間違ひない。……本当だらうな。嘘ついて如何すんの、ま、出来次第でお酒付き合って? ……そもそも飯奢る約束だらう。酒は奢るだなんて云ってません。暫し黙し視線を合はせ数秒、高杉は弓を構へた。――自信がないわけない、俺はお前を、誰よりも世界一理解していなければ成らないのだ。人を好くのは、好き合ふのは大層な努力と根性が要る、彼と知り合ひ俺は其れを識った。其の感謝と率直で愚直なる愛を、五線譜と此の指に込める。嗚呼さう云へば題名決めてないや、まあ好い、後で彼と麦酒を交はし乍ら決めやうではないか。弓が弦に載り、指が鍵盤に載る。四の弦と八十八の鍵盤で、俺達ふたりの世界が始まった。





ついったろぐいきおいだけの銀高。高杉君にチェロ弾かせたかっただけ
明治時代くらいのいめーじ

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