愛すべき銃創 | ナノ




――この手はこいつを殺せない。

それはほんの僅かな安堵を混ぜた、心地好き底なしの絶望。言い訳も建て前も飲み込む、本能の沼。





それ何だ、と訊くのも躊躇われたし、かと言って気がつかないふりをすることなど出来はしなかった。高杉も高杉、これ見よがしに、土方の気を引くように懐からそれを取り出しては矯めつ眇めつするのだ。言葉で訊ねるには高杉の領域に――己の領域に踏み込ませないようにしているのだから自分ばかりそこを侵すのは筋違いだ、と何度目かの言い訳を声に出さぬ儘繰り返しながら土方は、結局視線を寸時投げかけることで僅か、高杉の領域を覗き込んでやった。答えは欲しかったけれど貰えるものでもないだろうと予想していた通り、高杉はちらと笑んだだけで何も言わなかった。それ、が、昨日の夜――数時間前、のことだ。

散々好きなようにされた、或いは時に好きなようにさせて貰った身体は一眠りから冷めた時には睡魔同様冷めていて、――だけれどその数時間前、耳元に吹き込まれた声、集中しろ、そう微か嗤う一言を思い出すだにぞくり鳥肌、同時に上気をも覚える。皮膚のあちこちに刻まれた赤い痕が疼くのを、嘆息でもってやり過ごした。――気を散らせたその口が言う科白か、傍らで未だ眠る男を見やり――次いで渋々、枕辺を見やる。煙管盆にぞんざいに置かれた煙管、投げ込まれた吸い殻、二人で飲むには珍しい洋酒の瓶とグラス、――拳銃、一丁。

この暗闇のどこから光源を拾い集めたのか、銀色のリボルバーは淡く光っていた。愉しげに、洋酒を飲み飲み着流しの袖で銃身を磨いては、弾をシリンダーへひとつずつ装填していた数時間前の姿が暗闇に――厳密には土方の脳裏にのみ蘇る。どこで手に入れた誰から手に入れた、誰が使う誰に使わせる、――何、に使う。いずれも重要であり愚問すぎる問いである。解り切っているがゆえに訊けなかったのか、敵に足を開いている己に残ったなけなしの矜持に勝てなかったのか、恐らくどちらも正解なのだろうが、更に理由を付加するならば、高杉が刀ではなく銃を持つ様がどうにも土方の目に不均衡に映って、その所為かずっと落ち着かなかったのである。

重い身体をようよう起こし、足元に蹴られていた着流しを肩に羽織りながら、銃と高杉と、双方を順繰りに見た。真っ白な胸板は緩やかな呼吸を示している。――真っ白な、胸板。今まで、そう長い付き合いでもないが、土方は一度だって高杉のようにその身体へ自分と時を共にした痕を残したことはなかった。今夜もまた同様、求められたことがないという言い訳を心中繰り返しながらも、頑なに意固地に、いわゆる所有印というものを残すことを拒否している。かと言って自分も高杉に許した覚えはないから自分も遠慮する意味などまるでないのだけれど、でもそれでも、躊躇われていた。残したところで、誰かに見られただろうかだとか、もう消えて仕舞っただろうかだとか、そんな幼稚な焦がれに囚われるのが嫌だった。

再び目を向けた先の銃は無機質ながら矢鱈と生々しく見えた。――そこで土方は愚かにも今更ながら、に、双方の領域を自覚したのだった。扱ったことなど一度とないが、使い方は武器の何より単純で、目的に忠実だろうことは解る。我知らず唾を呑んだ。――もしも。

(……消えない、痕、)

更に愚かしいことに、銃を手に取ってみた瞬間に土方の裡から領域云々の葛藤が、どうしたことか呆気ないほど、奇麗さっぱり消え失せた。

銃創ひとつ――消えない痕。
刻むなら今が絶好。誰にも渡さない、どこへも行かせない、最初で最後の――永遠の、所有の証。

移動の衣擦れも撃鉄の押し上げも、それは丁寧に器用に、土方にしては不思議なほどに音ひとつ立てず、眠る男の胸に銃口を宛てがった。引き鉄に指を掛けてグリップを強く握った。この指先をもうあと僅か震わせるだけで、この男は自分だけのものになる――。

「もう少し上だ」

不意に静かな声が響いた。それに酷く、情けないほどに驚愕すれば、向けた銃身がやんわりと掴まれて引き寄せられる。

「左――ここだ」

ぐ、と引かれた銃口はおそらく心臓の真上。伝わりもしないのに、鼓動が銃身からグリップを握り締める指先にまで伝播する錯覚を覚える。

「よく狙え」

言う声音は穏やかで、つられて見た顔は優しい色を湛え、声音同様穏やかな眼差しが土方を見上げていた。途端、真っ当な、己の立場からすれば大いに間違っていよう感情が身体中に押し寄せ渦巻いて、自分のしようとしていた事実にがたがた震え始めた。口からは声にならぬ声がぼろぼろと、目からは堰を切った涙がぼろぼろと、真っ白な胸板に落ちてゆく。勿論痕など残りはしない。

「土方」
「……俺、は――」
「いい」
「――、」
「そう、望むなら悪くない」

驕りに近い馬鹿げたそれ、を高杉は正確に把握しているようだった。折るほどの力でグリップを握り締めている土方の手を空いた片手で押さえてから、引き鉄に掛かる指に親指を当てる。――高杉の思うところをとうとう捉えた土方は抗おうと身を捩るも、銃身を握る力には勝てなかった。

ぐ、と引き鉄が――土方の指が掛かる引き鉄が、高杉の指で押される。

「駄目だ、!」

――かちり。

響くと言うにはあまりにおとなしい、空の銃声が高杉の胸板に落ちた。

「……え、」

発砲で手に返るはずの衝撃も、硝煙の匂いも血腥さもない。胸板に――心臓に刻まれるはずだった痕など、尚更。
わけも解らず高杉を見れば、優しかった面差しが僅か情けないそれへとかたちを変えていた。

「……俺も大概、底意地が悪ィよな」

――弾は一発目だけ、装填されていなかったのだ。

「……か、ばか、やろう、」

まったく本当に底意地が悪い、何考えてるんだこの俺を試しやがって、悪態は泉がごとく湧き出たが、思考はそれどころではなくぐちゃぐちゃに混乱していた。
二発目からは装填されているのかもしれないが、土方はもはや痕を残すという行為そのものが恐ろしかった。固く銃身を握っていた手が離れて土方の頬を拭う。そこでようやく、土方の銃を握っていた手も頭もくたり、力なく垂れた。手から銃を外して元通り枕辺に置いた高杉はその腕で土方を抱き寄せる。身体は従順と囲い込まれた。

「どうやら、揃って悪酔いしちまったみてェだな」
「……慣れねえ酒、飲ますから、だ」
「あれと――銃と一緒に、押し付けられたンだよ」
「……」
「あれは、部下にやろうと思ってた。貰いモンだ」
「……、そう、かよ」
「何なら出処も吐いてやってもいい。――どうする」
「……話したいなら、好きにしろ」

その後、高杉は土方を抱き締めながら気まぐれにぽつりぽつりと己のことから関係ないことまで語り続けた。土方は真っ白な胸板に身を預け、ただ黙ってそれらを聞いていた。
――互いに捕らえ捕らえられていることにやっとのことで気づいた夜から、朝はまだ、遠い。




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