煙が目に染みぬもので | ナノ




「煙草喫いてえ」

大きく長く息を吐き、そう呟くや傍らの斉藤が首を傾げた。土方を見、視線はその儘口許に移動させ、次に行く道先の方向へ、その次にはまたも首を傾けて土方を見た。二度見されるのも仕方あるまい、失言も失言だ。沖田にでも聞かれようものなら散々馬鹿にした挙句妙な勘繰りをもって根掘り葉掘りとしてくるだろう。斉藤でよかった――否、斉藤が、よかったのか。

「別にボケたわけじゃねえからな。あー、天然ってわけでもねえが」

全く解らぬだろう土方の言動の原動が気にならぬわけではなかろう、だが斉藤は追及しない。してはならぬと解ればそれでいいらしい――と、いう誤解があるぶん土方は楽観的であり、かたや斉藤は規律と感情の間で自身に下した決断に時折思い悩んでいる。あの匂い、は徹底的に反応しないようにする――土方が前々から漂わせていた、土方一個人が真選組にひた隠しにしている何か、おそらくは相当危険な、本来ならば斉藤という名の隊が動かねばならぬほどの匂いを嗅ぎ取って仕舞った斉藤一個人が決めて仕舞った、この人を詮索してはならないという判断。今となっては真選組など散り散り、その危険とやらも自分達と同様去り消えただろうが――久々のこの警鐘足り得た匂いを嗅ぐことになろうとは。

「忘れろ。……いや、違うな」
「?」
「忘れてくれ。頼むから総悟には言うな、今後一切」

ばつの悪そうに付加したのもやむなし、斉藤は心の中で失笑する。――今現在絶賛喫煙中にあってあの科白、沖田が喜ぶのは違いない。土方の指先から唇に戻された紙巻は、ほんの数ミリ程度しか焦げていないのだ。





ゆるりたゆたうまどろみは、時折いたずらをする。このところ浅い眠りがずっと続いている所為だろう。逆賊に堕す以前のほうがずっと忙しい日々だったはず、しかし今になってあの頃は意外とよく眠れていたのだと毎夜、思い知る。悪夢ほどではないが、よく解らない夢を多々見るようになった。
おそらくは昼間漏らした失言が脳味噌に影響を与えたのだろう。あまりに自業自得、しかし土方は――本当に久し振りの、安堵とわずかな幸いを感じた。

「よォ」

まさに夢の世界だ。安い廓、反して楼主に言い含めて一室借り続けている大籬、いずこへ向かうとも知れぬ船、屯所の土方の自室――どこも高杉と忍んで逢っていた場所の部分部分を継ぎ接ぎした、異様なれど懐かしく愛おしかった記憶を背景に高杉がぽつねんと佇んでいる。返答を忘れて色々な記憶を手繰ろうとする土方を、目の前に立っている高杉は笑った。

「挨拶くらいして欲しいモンだ。拗ねちまうぞ」
「……。――ああ、悪い。久し振り」
「夢の中でも眠るつもりか?」

高杉が歩み寄って来たところでやっと、土方も一歩踏み出した。この食えぬ笑みに、何を考えているのか読み取ることさえ拒ませるこの表情を作り出せる高杉に、土方はいつか落ちていた。まあそろそろ、心中察しの許しは欲しいところだが、残念ながら高杉が今どこにいるのか知れない。何より――これは土方が見ている、ただの願望が作った夢だ。高杉では、決して、ない。
そろりと頬を撫ぜる感触と体温が、泣きたいくらいに懐かしい。その手の上にみずからの手を重ねると、頼むより先に口づけが重ねた手の指先へひとつ、目をうっすら伏せると期待通りに唇へひとつ、ふたつ。

「……お前の煙草を喫いに来た」

顔が離れて先に口を開いたのは土方、所詮夢なのだから何をしたっていいだろう、だからまず、昼からの願いを伝える。すると高杉はさも愉快とくつくつ笑い、奇遇だな俺もだ、などとこれまた都合の好いことを言ってくれる。

「煙管は」
「さてどこにやったか――ああ、袖に入っててくれたか」
「お前が煙管なしで来るのも珍しいな」
「ここんところ味わって喫う暇がなくってよ。身体にゃいいがその他がきつい」
「忙しいこって」
「お前――」
「あ?」
「いや、何でもねえ。……座るか」

互いに煙の用意をしながらどことも知れぬその場に座り込む。途端、景色が一変した。土方はもちろんのこと、高杉もどうやら驚いているらしい。しばらく手を止めぽかんと周囲を眺め――同時に、顔色を変えた。かたや高杉は声を上げて笑い、こなた土方は恥ずかしさに顔を顰めてなお伏せた。

「俺がお前に惚れた場所だ」
「……俺にはそれなりにトラウマがある」
「お前にとっちゃ俺に惚れたというより掘ら」
「言わせねえよ」
「古い」
「うるせえ馬鹿」
「――。結局、俺らは、ここなんだ」

軽妙に土方を茶化していた高杉が、ふと声色を静かなものに変える。言いたいことは察したが、何とも都合好く出来ている高杉である。深層心理を暴かれるのはさすがに居た堪れないところ、それでも高杉は土方の忘れかけていた初会、さらには課せられて、否、課していた、罪の隠匿。露見されてはならぬ、隠れなければならぬ。その隠れ場所といえば――どこでもない、だがどこにもある、似通った仄暗い、土埃がざらつく狭い狭い、路地裏。

「言っちまえよ土方、どうせ夢だ。俺が何したしねえにかかわらず、野良猫一匹通る程度のこんな薄汚い脇道で、俺に惚れたんだろ」
「なお恥ずかしいわボケ」
「煙管貸さねえぞ」
「……あーはいはいそうだよ間違いねえよテメーの人舐めてる悪人面のクソ凶悪な笑顔に絆されたんだよどうせ俺はきっと」
「そうかよ。有難えこった」

一頻りの長科白を土方がますます恥ずかしくなるほどに高杉は喜んだようだった。今の一連は忘れることにして、土方は一服の準備を始める。高杉も倣い、火種あるか、との問いに土方がライターを差し出す。世界の日陰の許、小さな火がゆらりと光る。高杉が咥える煙管の雁首が近づくので、土方もまた同じ火種に加えた煙草を近づける。ふたり俯く恰好になった、と気づいてちらりと高杉を見上げると、高杉は葉を炙りながらもどこか遠くを見ているような眼差しをしていた。どこか、まだまだ知らされていない高杉の一端についてだろう――こういう目を高杉は、よくやっていた。双方火が点いたところで体勢を戻しひと喫い、ふう、揃って細くいつかの空へ向けて煙を吹き上げた。

「お前と喫う煙が、一番旨い」
「そりゃどうも」
「ただ一つ忠告してやる。火を扱う時には、別のモンに見蕩れるのは止したほうがいい」
「……性格悪いんだよテメーは」

気づかれていた。わざと見られてやる、という手段も高杉はよく使っていた。今考えれば土方の性格を熟考した上での策だったのでは、だとすると自分は情けないし高杉の執着は恐ろしい。

――惚れたことを後悔する日は、来ないのだろうが、どうせ。

「交換」

しばらく味わってのち、高杉が言う。元よりそのつもり、昼の願いが夢で成就されるらしい。土方と高杉、互いの唇に形の違う煙を挟ませる。先程と同様、ひと喫いして長く吐く。――ああ、これだ。この味だ。

「これをずっと喫いたかった」

土方より先に高杉が呟いた。要は代弁でしかないが、悔しい思いは少しだけある。満足か、訊いてやると、高杉はなぜかわずか、何とも言えない表情――強いて表現するならば、困った時に表れるだろう顔をした。高杉の困った顔など見たことはないが、何となくそう思った。なぜか、は解らない。土方がそう思ったのも、もちろんのこと高杉がそんな顔をした理由も。
煙管からもうひと呑み、どうした、極めて感情を削り落とそうと努めて土方が訊くと、高杉の妙な表情は呆気なく消えた。戻った笑み、しかしそれもまだ、別の感情が混ざった、高杉らしい笑い方ではない。

「久々に逢った所為で、ガラになく感傷的になっちまった。笑えるぜ」
「そういう感情持ち合わせてたんだな」
「これまで人以外のいろんな生き物に喩えられて来たが、残念ながら俺の基盤は人だ。たまにゃ、お前の煙草があと何回喫えるか考えて寂しくなっちまうこともある」
「……高杉?」

ここで土方の中に、疑問という形を取った予感が生まれた。――おかしい。
深層心理を暴かれていると思えば無意識に考えたことも夢の中に現れるのだろう。だがこの高杉は、雄弁だ。逢えずにいた長きを取り戻そうとしているかのような――土方以上に、土方の夢が作った存在が、土方との距離を嘆いている。さらには科白だけならば皮肉に聞こえようが、こんな表情をしての発言ではあまりに、生々しい。老い先短いわけでもあるまい、だが。

「さて、そろそろ戻らなきゃならねえな。一応返しとく。俺の煙管は――まあ、好きにしてくれ」
「おい」
「邪魔したな」
「待て。……お前、どこに、戻る」

立ち上がり掛けた高杉の裾に縋る。思わず睨んでいたやもしれぬ。だが高杉は、戻る、と言った。まるで自発的に土方の許へ来ていたとでもいうような――。

「お家に帰るだけだ。俺が見続けてる、夢の中に」
「何――」
「眠るのも退屈でしょうがねえ。だからってせめて夢で逢いたいなんざ――笑えるぜ、女々しいったらねえ」
「高杉」
「お前、土方。――愛してる。生きろよ」

屈んで近づいた高杉の唇が、土方の額に紙煙草の煙とともに寄せられた。呆然とするのを余所に、指に挟まれた紙巻が細く白糸を世界の空へ向け、さながら線香のように消えてゆく。

ああ。

――誰か、俺の代わりに泣いてくれ。





「悪い、寝過ごした」

随分と酷い隈を残して起きて来た土方に斉藤は、視線で睡眠の不足を問うた。土方はすぐに気づき、寝れはしたんだがな、夢見が悪かった、そう応える。斉藤が用意した茶をさも大切そうに一口二口、ゆっくりと嚥下する。その間に斉藤はそっと土方を注視した。――あの匂いは、もうしない。だが不安が残る。

「終」

ふと呼ばれて、斉藤は固めていた意識を散開させた。目の前の土方は、何か吹っ切れたような、しかし完全に納得はしていないような、ともかく疲れた顔をしていた。視線を逸らして仕舞いたい――が、呼ばれた以上は応えねばならぬ。

「昨日の話だがな。俺が煙草喫いながら言ったあれな」
「……」
「――総悟より先に俺が死んだら、笑い話にしてくれ」

そんなことを、そんな哀しい酷なことを――ひと晩掛けて考えていたのか。何が契機で、何が原因で。叫べるものなら叫びたかった。が、こんな時さえ声が出ない。せめて何か、と思うより早く、斉藤は己が手を土方の頭にぽん、と置いていた。年上の、それも上司にするべきことでは決してない。それでも斉藤の手は、泣く子供をあやすように、泣かぬ大人の頭を撫で続ける。

「難儀な裏切者で、悪かった」

そんなのひどい、ぶつけてやりたい言葉総ての代わりにか、斉藤の両目からぼろぼろと涙が降り出した。その雫を指で拭いながら、ここにいた、土方はやっと嬉しそうに、笑ってみせた。





結果的にオンリーのペーパーになるもの 少し盛りました
ではこれより行ってまいります

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