帝都東京猿芝居 | ナノ




玉体お隠れあそばし、同日大日本帝國大将が妻とともに殉ぢた其の半年前、つまりは明治の晩期に、高杉は拾ひ物をした。いつからか學生の者どもの間にて流行してゐた、お國の礼讃と其れに相反す穢れた街を否定し乍ら声高く行進する、軍人を、といふよりは――偉い大人の真似事をしつゝ勉學への鬱憤を晴らすが為の叫びだった。こは同胞を滅びより、救わむ為の戦なり、退くな進めよ救世軍、進め進めハレルヤ。高杉はといへば元々乗り気ではなかったしそもそも関心さへ持たなかったから、彼ら學徒が何を云ってゐるのか理解せぬ儘行進の列の最後尾をふらふらと着いて行った。

場所は吉原である。彼らは女郎が如何に穢れてゐるかを主張する口実に憂さ晴らしをしに来たわけだ。しかし乍らに高杉もまた、口実だけは共有してゐた。何、要はいゝ女が見られるやもしれぬ、其れだけである。衣紋坂をうねうね登った甲斐があればいゝのだが――予想を外れた大門の頼りなさに拍子抜け、和の古と洋の新折り混ぢった仲ノ町通りの二階に揃って干されてゐる赤く厚い布団の並び、小洒落た喫茶店に質素な甘味処、木の格子にステンド・グラス。――化粧っ気のない、如何にも生に疲れた風の顔で往来をゆく女達。高杉にとって収穫はなさそうだった。
帰るか、さう決めて踵を返し――其処で高杉は大通りから垂直に細い道が幾筋か延べられてゐることに気がついた。ちらり覗くも、奥はこちら側の晴天が嘘のやうに暗く、明瞭に見へぬ。たゞ、人が潜んでゐる気配は察した。其処からは興味本位だ。高杉は大通りから逸れ、泥と腐爛した空気を感じ乍ら進み――やがて、出会ふ。

――ナア姉さん、俺を買ってくれないか。

後から聞けば、高杉を女だと思ったらしい。彼曰く、其れ迄円外套やフライパン帽など見たことがなく、且つ高杉の衣服の生地が其処いらの着物とは段違ひに上等なものだと目を奪はれたらしい。
結局高杉は彼を買った。厳密には、髪を梳かして自分の円外套を羽織らせ、途中で見つけた喫茶店で一緒にカウヒイを飲みつゝ話をした。互いの境遇があまりに違ひ過ぎたゆへ、会話は長々と続いた。親亡くし身を売られた男、かたや學費を手切れ金に家を追い出された學生だ。互いに嘆きも憐れみもしなかった。たゞたゞ楽しかった――語弊が生ぢるだらうが、楽しかったと云ふ他ない。カウヒイは酷い味だったが、喋る口を潤すが為に何杯も飲み続けた。
吉原が焦土と化したのは翌日のことだ。

たった一日、喫茶店で話をしただけの間柄である。高杉は名を訊くことすら忘れてゐた。鎮火迄時間が掛かったゆへ、思はず駆けつけたはいゝが人捜しには数日待たされた。やがて病院にてあの男を見つけた時、彼は高杉を覚えてゐなかった。火事の衝撃、更にお歯黒溝に飛び込んだものゝ彼と同様飛び込んだ人々に揉まれ溺れたさうだ。が――高杉は自分を忘れた彼に益々興味を抱くことになった。記憶の障碍、裏腹後生大事に手放さぬ円外套。高杉が与へたものである。大切なのか其れは、訊くと、多分記憶よりは、と人間味を失した答へがあった。なら其の円外套の元々の持ち主について言及は野暮だらう。

姉さんは此れで退散するよ。

さう云ひ残しいざ去らうとした高杉の背に、待ってくれ、と制止の声が掛かった。振り向く気はなかったが――待ってるさ、弁天さんの辺りで、いつでも。そんなことを口走ったのは我乍ら驚いたものだった。お陰で毎日、上埜の不忍池へ足繁く通ふ生活が始まった。弁財天は男女の仲を妬んで裂くといふ。ならば男二人ならだうだらう、去る高杉を留めた声に対し咄嗟に浮かんで此の始末。愛だの戀だのはない。罪悪だとはよく云ったものだ。

あれから二年だ。拾ひ物は未だ、円外套を持ってゐるだらうか。蓮揺れる水面を一瞥し、高杉は歩き慣れた道へ戻る。カウヒイを飲みたい。






わんらいお題『大正浪漫』
一時間で全部書ききれなかったのでそのうち続きをどうにかするやもしれませぬ


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