人牢 | ナノ




ひとつ何かを与えるというのは、ひとつ何かから奪わねばならぬということだ。惜しみなく与えようと思える相手なら、同時に赤の他人から奪い続けることも厭わぬと――そして、犠牲になる何かを哀れむことは決してならぬ。奪うのならば慈悲を持つだけ矛盾する。犠牲の責の重さを正しく量り、背負えばいい。卓の上に載る七面鳥を馳走と見ながらも死骸とも見る、それだけを全うすればいい。責負うを躊躇う臆病者には人を想う資格などないのだ。

――そんな屁理屈を拵えているのは自分だけであるといいのだが。

「いい子、の犠牲になってる奴ってのは何なんだろな」

てん、てんててん、ててん、てん、てん。爪弾かれた音の流れに苦笑する。冷え切った空気は鋭利で、映画でたまに見るレーザーセンサーを少しだけ思い起こさせた。張り巡らされた光の網の中で守られているものは相応の価値があり、奪われぬよう仕舞われる意味があるのだろう。閉じ込められた気分というのもなかなかに、悪いものではない。いずれは本物の鉄格子に幽閉されることになりかねない身だ、予行演習ということにして、この寒気を堪える。それに、いい子という生き物は置かれた状況に文句をつけないだろう。

「いい子なあ――今日くらいは殊勝に生きる気になったか」
「俺だってたまには、現実に夢を見たくなる時もあるさ」
「……褒められたいのか?」
「馬鹿言え」

拗ねている。後ろ手に頭を撫でてやると少しだけ笑ったのが解った。幾らか落胆したそれで、大人ってのはこれだから、そう思うや苦く笑むもやむを得ぬ。歳だけ重ねただけで成長しない人間は幾らでもいる。その上自分も彼も人間からかなり離れたものに喩えられることがあるから、余計に歳相応の人間の考え方からずれて仕舞う――そのことに甘んじる自覚もありさえするから、時折我ながら手に負えない。

「……よく考えりゃ、褒められたことなんかねえよ。褒めさせたことは腐るほどあるが」
「鬼と貶めた言葉と対等になることなのか、それは」
「帳尻は合ってるだろ。……愉しかったが、嬉しくはなかった――残念ながら俺は、いい子が何たるか知らねえ」
「いい子の犠牲だな、やっぱり、お前は」
「どうかな」

いい子の例を知らねえからよ、溜息とともにゆるゆる呟いて夜空を仰ぎ、いるわけのない天駆ける姿を見つけようとした。本日限りは残念ながら、流星がひとつきらめいただけだった。ててん、ててん、ててん。またも弦がらしからぬ音階を奏でた。

「流れ星が墜落した先でどこかの世界が滅びますよう」
「最高に悪い子じゃねえか」
「ここに落ちるな、って意味ぐらい天も察するだろ。いい子と悪い子の線引きが得意らしいからよ」
「――素直になんか寄越せって言えばいいのに」
「その気もねェ癖に。おっかながりの人紛い」

それはお前もだ、とは返してやらぬことにする。人紛い、という表現が何だか気に入って仕舞ったからだ。人紛いふたり、合わせてちゃんとした人間になるのかもしれないが、残りの人ではない部分が合わさったならばまず、人間となったほうを喰い殺すだろう。その後は――想像さえつかない。想像の範疇に留まることなどそれこそ殊勝な考えというものだ。――おそらく。

「人紛いは寂しいよ」

きゅるきゅるり、弦を緩めているのだろう音が背後から聴こえる。相変わらず空を見上げ続ける視界にその音は、何を奏でるでもないのに美しく添えられたように感じられた。

「こんなにも臆病な奴が好い相手になるたァ」
「悪かったな」
「何が脅威か把握出来る聡い奴が、こんな馬鹿の側にいるを選ぶたァ、ってね」
「……褒めても何も出さねえぞ、臆病だから」
「もう構わねェさ」

ふ、小さく笑った振動が背中に震える。――互いの生命を奪い、屍を塒に持ち帰って与えれば、いい子になるのは解っている。そうするべきであることも。だが自分達は人紛いで、臆病で、その癖想うものがあるゆえに、結局なんにも出来はしない。与えることも、奪うことも。

「救世主様も酷なこった」

背後の気配が立ち上がり、弦を外した三味線の棹の上部に手を掛ける。三つ折れの棹は実のところは二つ折れ、外した上部はいわゆる柄だった。胴から伸びる残りの棹は鞘。銀色の投身が現れる。あえて振り返らずに、眼前に刃を差し出されるのを静かに見ていた。耳許で風が巻いて鼓膜に響いている。そうしてしばらく互いに黙し、やがて背後から苦笑が漏れた。刀身がゆるりと下がる。

「次、座敷に呼ぶ。それまでにお囃子さんに弟子入りしな」
「……。本当に馬鹿か」
「その馬鹿の気まぐれだ。付き合えよ」

刀はその儘膝にそっと置かれる。傍らに三味線の本体もまた。これを練習して仲間内の密会に芸者として招く算段は、本当にただの気まぐれだろうか。少し考えようとしたものの、髪を撫でられ唇さえ落とされたことで中断を余儀なくされる。仕方なく受け取り、鞘に刀を収める。三味線の出来上がりだ。

「寒い。中戻るぞ」
「こんな長い前置きの為に冷えさせたのか、テメーは」
「さてね」
「悪たれ」
「埋め合わせはする」
「……何を」
「そうだなまずは――哀れな一匹の猫の、弔い酒か」
「――。やっぱり拗ねてやがる」

そのうちな、曖昧な約束をして立ち上がる。手脚は冷え切っていた。もろびとこぞらず、ただ馬鹿二人。





高杉さまが三味線でクリスマスソング弾いたら最高にシュールだと思ってこの始末
高土やっぱり書いててたのしいですメリークリスマス
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