真夜中を掻き乱す | ナノ




言葉は人を縛る。

本当に馬鹿だ、冗談めかして笑ったただ一言それだけで、言われた相手が死を選ぶ場合があることを常に念頭に置くことが出来ないのが、人間の欠陥であり、言葉を扱う上での利点である。死ね、その一言で喜ぶ人間もいたりするのだから、自分達が言葉というものに束縛され隷属していることを知らないほうが、人間として生き易い。

しかしながら人間以上に言葉に束縛され隷属し、かつそれを自覚している生き物がいるとすれば果たして彼らは人間より賢いだろうか愚かだろうか。人間から見放されたと思い込んでいる、子供よりは幼く大人よりは聡い――実際は逆なのだが、そもそも人間とは子供でも大人でもない中途半端な時期に、人間というものから離れたがる。彼らふたりはその時期に確固たる意味を欲しがった。人間に限らず生きとし生けるものの生に意味などあるはずがない。誰しもがその事実を認めないか、認めて諦めているかいずれかだ。そして、おそらく皆が赤子の折に言われる愛の結晶という比喩、いつかの自分達もそう呼ばれたはずが、そう言ったはずの大人達とその矛盾を憎みあるいは憐れみ、同時に嘲るが為に、ふたりはちょっとした遊びに興じた。――自分達が人間以外の、人間以上の生き物であったなら。

「天使と悪魔、どっちが馬鹿だと思う」
「――。天使」
「その心は」
「天の使いなんだから神様とやらの駒だし、よくあるだろ、心の中の天使と悪魔が、って」
「ああ」
「誘惑に突き落とすのが悪魔の仕事だ。立派な牙が見えたら研いでやる。それを留める為にいるのなら、天使は研がれる前に牙をへし折るくらいの役割があったっていい。なのにただ引き留めるだけっていうのは――無責任ってモンだろ」
「悪くない屁理屈だ。――付加するなら、天使は悪魔とほぼ同義ってとこだな」
「同義」
「人間、駄目だ駄目だと言われりゃ尚更、反発したくなる」
「ますます最低だな、天使とやらは」
「堕天使なんて呼び方もあるくらいだ。悪辣だろうよ」

無意味な語らいはしかし彼らを縛りに掛かっていた。近しくあるべき人間達から疎まれたふたりはどうしても、自分達を放棄した者どもと同じ種でありたくなかったのである。そしてこの語らいは、人を救う素振りしか見せない天使を蔑み、良くも悪くも素直である悪魔に彼らを引き寄せる。煙草から描かれる白線が絡み合って空へ消えてゆく間、沈黙でさえもが彼らを縛り、形を変えてゆきつつあった。彼らが望む、人間以外の、人間以上のものへ。
ふたりは窓の桟に座っていた。足許は重力に任せて浮いている。一頻り煙草を味わった片方が、吸い殻を地面へ向けて投げ棄てた。その癖、もう片方が未だ呑んでいる煙草を持つ手を引き寄せて一口喫う。顰められた顔へ向けられる笑顔の、なんとわざとらしいこと。

「オイ」
「天使の分け前、ってやつだ」
「それは酒だろ」
「いい表現だと思うが。くだらなくて」
「ということは、お前は少なくとも悪魔じゃねえってわけだ」
「だとしたら何とする」
「願い事はありますか」
「……そうか、お前が悪魔の役か」
「――人間なんて高尚なものには、俺らは不向きなんだろう」
「そうだな。みんな、俺らを放棄する」

――高杉なんかに惚れるなんて、本当に馬鹿だ、あんた。
――よりによってお前が土方を絆した? まったく、死ね、お前。

さわりと撫ぜる冷たい風が、互いの首筋を嘲笑う。残っていたもう一本の煙草がほろりと灰を落とし、それを追うように未だ煙たゆたう紙巻も地面へ落ちていった。視線を下げてそれを追うと、キシリ、金属が痛そうに鳴る。カーテンのレールの音であることは解っている。少しばかり息苦しくもなった、そこに彼らはわずかな救済を見つけて高揚した。片方が笑い出せば、つられてもう片方も笑う。苦笑が少し織り交ぜられた、それでも楽しそうな笑い方をした。

「じゃあひとつ、願いを叶えて貰おう」
「何なりと。ご主人様」
「――。この先何があってもどうなっても、生きていても死んでいてもお前という意思があるなら、必ず俺を見つけて自分のものにしろ。その為になら魂なんて惜しくない」
「……そうか」
「無理だと?」
「簡単すぎる」

彼らは手を繋ぐ。言葉に縛られた彼らは同時、ロープに首を縛られていた。輪の中に首を収めたロープは二本、カーテンのレールに結びつけてある。窓の桟に座った足許は遠い。しかしながら、集まり始めた人間、おおよそ大人と子供の間を生きる曖昧かつ無責任な生き物達だが、その表情が認識出来る距離ではある。ふたりを縛った科白を考えなしに吐いた者どもも混じっていた。片やそれを鼻で嗤い、片や不機嫌そうに息を吐いた。煙の匂いは薄れている。

「そろそろ人を辞めてみるか」
「一緒に?」
「疑ってるのか」
「試しただけさ」

強く手を握り、中空にあった脚で外壁を蹴った。夥しかったはずの悲鳴はしかし昼休み終了のチャイムに掻き消され、そして彼らにはどうでもよかった。





夜半、どうにも眠れずに外へ出て風に当たろうとしたところ、どこからか煙い匂いが漂った。直に嗅いだことはなかったが、正体の解る匂いを追う一歩一歩に今まで生きて来た以上の記憶が断片的に絵として浮かび、徐々に動き始め、すべてがフィルムひと巻きに納まった頃にはすでに、煙が生まれ吹かれている場にたどり着いていた。あの頃とさほども変わらぬ、変わっていたとしても気に留めるほどのものでもない姿が空を見上げ、煙管を呑んでいる。目が合うや、互いに苦笑を交わした。

「……見事願いを叶えたとみえる」
「戦にまみれた世の中に、やっと朗報に巡り会えた」
「有能な悪魔で何よりだ」

あの時と同様に隣り合わせに座る。煙管と陣羽織の血糊がすぐ互いに馴染んだ。

「出会えてよかった」
「見つかってよかった」
「これからどうする」
「より面白いほうに身を置いてみるか。敵味方があるこの時代はまだ、あの頃より生温い」
「さて、どう出るかね」

煙管を持つ手を握られ引き寄せられ、唇に留まっていた煙を呑みながら久し振りの口づけをする。あれから何年経ったかなど考える意味などもはやない、出会えたのだから。

「その煙管俺に寄越せ」
「やなこった」
「今だけだ。天使の取り分」
「今度は俺が悪魔の番か」
「多少は賢くなったからな。願いはしばらく考える」
「好きにしろ。どうせまた簡単すぎる」

笑い合った彼らは何度死に生まれようと、普通の人間こそが正常であり、何を仕出かそうとその範囲から抜け出すことは出来ないという事実を知ろうとしない。ただ、幸せならばそれでいい――生きとし生けるものすべてが乞うことを、回りくどく味わっているだけだ。

人より劣る生き物は、言葉に縛られすぎた彼ら、ただふたり。





お題:天使と悪魔・前世の記憶持ちからの再会
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