それを幸福と呼ぶにはあまりに殺伐としていた。 それを奇禍と呼ぶにはあまりに生温かった。 だがしかし、総括して禍福と呼ぶのも違う気がした。 なら何なのだ、と問われれば土方は返答に窮する。別段誰が質すことでもない、むしろ質される日が来てはならないのだが――逢いたいと思いそれが叶った日は必ず、嗚呼やはり逢いたくはなかった、と後々に悔やむのである。しかしそれも束の間、離れて気づけばあの男を考える。情けないが今まさに頭の中はただひとりに占められていた。煙草吸い吸い黙々と歩く。まったく、うら若き乙女ならばこれを愛だ恋だと比喩出来よう。だが自分はそれほど単純化出来る身分ではない。――想う相手が、本来己の命を賭して殺さねばならない立場にあるという乙女などいてたまるものか。煙草の煙を溜め息という形で吐き出す。空はそろそろ昏い。 今尚鬼のいぬ間とばかりに豆撒きやら恵方巻やらにうつつを抜かしているであろう仲間に内心苦笑して(今朝の目覚まし時計はアラーム音ではなく渾身ストレート炒り豆の飛礫であった。犯人は語るまでもない)、ならいっそ職務放棄して羽を伸ばしてみようか、どうせ今日もそろそろ終わる――しかしそう思った途端、無理だな、と確信した。今度こそ顔に出して苦笑する。恵方巻の方角は南南東だったか、しかし今自分が向いている方向は生憎判然としない。あまつさえ――終始無言であったとはいえ口にしていたのは紙巻煙草、幸福が来たるはずもない。 あーあ、逢って仕舞った。 「……まったく、何で来るんだ馬鹿」 「さて、何でだと思う」 「暇だったんだろ」 「お前はどうなんだ」 「……。忙しくて頭おかしくなりそうだ。お前と俺のせいで」 「そうか。なら俺もだ」 背に掛かる、癖のある笑い声。ほら見ろ、幸福でも奇禍でも禍福でもないそれは、方角も悟らせずに唐突とやって来た。 「――逢いたかったぜ、クソ野郎」 それを幸福と呼ぶにはあまりに殺伐としていた。それを奇禍と呼ぶにはあまりに生温かった。だがしかし、総括して禍福と呼ぶのも違う気がした。呼び名がないからいっそ自棄、愛だの恋だのうら若き乙女がごとき比喩をしてみようか、そんなことを思いながら刀の柄に手を置いた。互いに笑っていた。鞘走らせた剣戟数度の後の、焼けつくほどの口づけを早くも期待していることが解って仕舞っていたからだ。 鬼と獣の二月三日 人外の幸は一筋縄ではいかない * * * |