銀土 | ナノ



休日にもかかわらず早い時間に目が覚めたのはこれから始まる一日が楽しみで仕方なかったからではないと思いたい、のだが、覚醒して幾らもないうちに枕辺の携帯がメールの受信を告げた。開くや俺がそうではないと否定したばかりのことを明け透けに、それも早く逢いたい、だなんて付加を絵文字とともに貼りつけた文面に虚勢を張っていた自分が情けなくなる。馬鹿か俺は乙女かいや乙男というやつか、ともあれ無精無精というふうを装って、駅前のカフェで、と返信する。うるさい諾のメールが来る前に携帯をバッグに突っ込んで支度を整え家を出た。――いいか、朝なんだ、おとなしくしてろよ。おはよう、の挨拶より先に俺は、店内に入っていればいいものを律儀に外で待っていた(見た感じ寝起きにその儘服を着た体である)彼にそう言いつけた。何しろ一旦喋り出すと手に負えなくなる――しかしさすがに、好きにしてていい、は条件として緩すぎたかも解らない。俺がメニューを選ぶ間も、到着した珈琲のソーサーを手元に寄せる時も、ペーパーナフキンで手を拭く時も、一緒に頼んだサンドウィッチに噛みつく時も、――俺の一挙手一投足を彼は、ただただ笑顔で眺めているのである。これは流石に気恥ずかしい。確かにおとなしくしているが好きにしてていい、をこういう手で利用されるとは思いもしなかった。サンドウィッチをちょうど半分食べ終えるのをきっかけに俺は視線から逃れようとたいして用もないトイレへ向かうことを告げて立ち上がった。これでついて来られたら堪ったものではないが、彼はチョコレートチャンクたっぷりのスコーンをもごもご食べながらひらひら手を振っただけだったのでなんとなく安堵する。
トイレにて数分無意味に時間を潰し、手を洗って席へ戻ろうとした。席には相変わらず彼が座っている。だが、その目は俺を追うことなく伏せられていた。皿の上のスコーンも食べかけの儘、ミルクとガムシロップで色の薄まったアイスコーヒーはただグラスに汗を掻く。眠っているのか――そう思い少し近づいて、俺は息を飲んだ。彼は眠っていない、まして死んでいるわけでもない。面伏せ腕を組んだ姿は、一切を拒絶しているのだ。店内に流れるジャズも、他の客の話し声も、――俺の気配、をも。
――嗚呼、眠れなかったのは楽しみだったからだなんてきっと嘘だったのだ。彼には俺の知らぬ、哀しい、或いは憤ろしい何かが降り掛かっていて、それが偶然俺と逢う日と重なって仕舞った、そういうことなのだ、きっと。
近づいて遠慮がちに名を呼ぶや彼は先程と同様の笑みで以て俺を見上げる。俺はもうその笑顔が嘘であると知っている。問い質したかった。俺、に話して欲しかった。だけれど彼は笑顔を向けるばかりで、おとなしくしてろとは言ったが一言も喋るなだなんて言っていない、のに、無言の儘俺を見つめる。切り出せばきっと彼はその笑顔の上に泣き出すか怒りを露わにするか、を面倒臭そうなふうの仮面を貼りつけて、しかしきっと本当のことを話してくれるだろう。だがそれは多分、彼にとっての平穏無事な時間を壊すこととなる。迷いながら冷めた珈琲を一口啜る。――いつまで嘘の笑顔を作らせなければならないんだ、俺は。
なあ、とまるで防御するように袖を指の第二関節まで伸ばしてその指を組み、彼の嘘の眼を見る。今日一日、楽しませろよ。――精一杯の干渉に彼は親指を立ててみせた。笑顔は少しだけ、崩れていた。





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