君は薔薇より美しい | ナノ



止せ、と、土方という男にしては珍しいであろう懇願を含んだ一言の意味を俺が知ったのは、初めて事を進めた途中であった。斬り合いから派生したいわゆる初会はただの強姦、隊服のスカーフを剥いでより露わになった首筋を喰らうように舐めて吸った、すぐに浮かんだ赤い痕は俺の唇や歯がそうした形にしては妙にいびつであった。だがまあ構わぬと欲に従ってワイシャツの前を開いて胸元を練り鎖骨を舐めようとしたところで――気づいた。俺がまだ舐めてはいない鎖骨の、そして先程の首筋の痕も、ゆるゆると赤く線を描くふうに白い肌をうねり始めたのだ。だから、やめろ、本当に、言う土方の顔を見れば首筋からじわりじわり、顎から頬に鼻筋額――赤い曲線は土方の身体中を侵食し始めていた。弄っていた左胸を見ればそこ、がいっとう濃く模様を、ああこれは、薔薇の花、そこから身体を絡め取る曲線はところどころ尖りを持っている、だからこれは茨なのだろう。もう寄る、な、ぎりと睨みつける土方の眼には薄い涙の膜があった。事を把握した頭は心臓の上で蠢く花の色以上に真っ赤になった――真っ赤になった、その理由をその時の俺は解っていなかった。今から思えばそれは明確な嫉妬であった。それ、はいわゆる白粉彫りというやつで、土方の身体中に刻み込んだ何処かの誰かの審美眼と才へ嫉妬を――白い身体を縛り上げる赤い茨はそれはそれは、ぞっとするほど、美しかったのだ。その美しさが俺の頭に伝播したのやも解らぬ、ともあれ真っ赤に染まってなにも考えられなくなった頭と裏腹己が身体は随分器用で、茨をより濃く、より多く浮かび上がらせる為に手段を、普段は相手の意など忖度せず女どもを抱く様からは考えられぬほどの繊細さでその身体を的確に責め立てたのだった。ぎりと噛み締められた唇から次第に色艶が浮かんで来れば来るほどに茨は身体を縛り上げ、そうして遂に絶頂を迎え気を失った肌から現れた時と同様緩慢に消えていった。体温の上昇で皮膚に浮かぶという、噂でしか聞かなかった刺青。ぐちゃぐちゃに犯した彼の肛門の中で精液を吐いた俺の陰茎はすぐに硬度を持とうとした、しかし茨が消えるごとに結局萎えた。――そこで俺はこの、茨を隠し持っていた土方という男に絡め取られて仕舞った事を自覚したのだった。棘は心身に、深く深く。
それから幾ら経ったか、奇妙な初会から今はお互い身を潜めてはの逢瀬を気まぐれに繰り返している。土方が本気で拒絶することはもうない。寧ろ俺に犯されて安堵したのだと、猪口を覗き込みながら予想し得なかった本音を土方は笑んで語った。昔、江戸に上がる少し前、刺青師にとっ捕まったんだ、俺に惚れてた奴だった、ずっと無視し続けてたんだが、永劫会えないかもしれねえと思って焦ったんだろう、攫われて、麻酔もない儘全身にだ、ああいうのを強姦って言うんだろう、あれほどの痛みを俺は他に知らない。……その男とは、どうなった。訊くと土方は一瞬、何故か悪戯を企むふうの笑みを唇に走らせてはすぐに引っ込めて猪口を呷った。その目許は酔いで赤味を帯びている、しかしあの刺青は未だ現れていない。体温が上がると浮かぶのではなかったか、訝る俺を知ってか知らずか、この間会って来た、とこれまた予想外の事を口にした。思わず手の煙管を落とし掛けると愉快そうに土方は笑みを深める。……あいつは刺青こそ彫れたが、俺に浮かび上がらせることは出来なかったんだ、俺もお前に犯されるまで、危惧はしてたが浮かぶことはねえと思ってた――だがお前の手に掛かって初めて刺青の形を見たんだ、あの時気を失ったのは、得体の知れねえ傷跡の正体をようやく目に出来たのと、それをお前が綺麗だと思ったらしいことに、安心したんだ、だからお前をこうして、俺は許容してる――お前は俺に惚れたんだろう? そう訊かれて俺はとうとう取り乱し、ぽろり煙管を取り落とす。土方はなお笑った。あいつは悔しがってたぜ高杉、刺青を引き出すことが出来たお前に。……そうかよ、それで、――その男とは? 馬ァ鹿、妙な勘繰りは止せよ見苦しい。くいと再び猪口を呷った土方はふらりと、俺へ凭れ掛かる。着流しから覗けた左胸、そこには緩やかに花がほころび始めていた。乗り気だなァ、かろうじて笑ってやった俺は畳にその身体を倒す。しつこいほどに唇を食み合い舌と唾液を絡め合い、そうして俺は絡め取られてゆく。
薔薇を舐めようとして左胸に顔を近づける。と、以前に見たそれと異なる形を血潮が描いていることに気づく。呼吸を乱した儘に土方が笑って、成程俺は本当に絡め取られて仕舞ったのだと呆れ、笑い、顔も知らぬ刺青師の腕に嫉妬する。
胸の赤い薔薇、そこにひっそりくちづける、赤い蝶が一匹。蠢く翅に俺はひとつ喉を鳴らして、舌をゆうるりと這わせた。





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そんな刺青はこの世に存在しないとかまさかハハッ
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