小説 | ナノ
今日の仕事もキリの良いところまで片付いたのでエネドラットをいつもの位置に戻して、雷蔵と二人でさて帰ろうかねえなんて話していると「おお、まだ居た」と言いながら諏訪がやってきた。

「言っとくけど今日の仕事はもう終了だからね」
「なんだよ、オサノがお前が落ち込んでるっつーからわざわざ来てやったのに」
「えっ、そうだったの。なんかわざわざありがとう」

ちょっと心が荒む出来事があったので少し棘のある言い方をしてしまった。どうやら諏訪は落ち込んでると人づてに聞いた私の様子を見に来てくれたらしく悪いことしたなと思いつつお礼を言うと「思ったより元気じゃねーか」と返される。
確かにオサノちゃんと会った時は事が起こった直後だったのでめちゃくちゃ落ち込んだ顔をしていた。だけどこの数時間でちょっとずつ回復してきたというか。いや、ショックはショックなんだけど諏訪の顔見たら安心したというか。

「いつもんとこ取ってあるけど」
「行く」

自分の中で消化しつつあるもののやっぱり人に話は聞いて欲しい訳で。今日も今諏訪が私を訪ねて来なかったら私から諏訪に会いに行っていた、というくらい毎度私の愚痴やら何やらを聞いてくれる諏訪の提案に即飛びついた。
雷蔵にまた明日ね、次は雷蔵も一緒に行こうね、と手を振ると諏訪と並んで歩き出す。
今日おろしたてのパンプスは微妙に歩きにくくてもたもたしているとそれに気付いた諏訪が歩調を合わせてくれる。こういうところが諏訪は優しい。
警戒区域を抜けて少ししたところにある、いつもの居酒屋に入ると顔を見ただけで気付いた店員さんが案内してくれる。ここの居酒屋は個室があるのが良いところで、諏訪だけじゃなく木崎、風間、雷蔵、同学年で集まる際は大抵ここなので店員さんとも顔見知りなのだ。

「何食う」
「寒いから鍋が良い」
「分かった」

諏訪が店員さんを呼んで生二つと鍋を注文した。
しばらくデザート食べたいけど今日ダイエットしようと決めたばかりだしな、とデザートメニューを眺めていると店員さんが生を持ってやってきた。ありがたく受け取って諏訪に回す。

「で、何にそんな落ち込んでたんだよ」
「いや、本当しょうもない話っていうか今となっては笑い話かなって感じなんだけどさ」
「おう」

とりあえず乾杯をしてから、順を追って話すことにした。

「今日さ、本部に烏丸くんが来たんだよ」
「ああ、お前の好きな」
「そう、私がファンの烏丸くん」
「だから今日そんな気合入った格好してんのか」
「えっ、嘘、分かる?」
「普通に分かるだろ」

私の上から下までを見て言った諏訪。指摘されるとそれはそれで若干恥ずかしい。
諏訪に言われた通り前日に烏丸くんが本部に来るという情報をキャッチした私は早起きして色々頑張った。今日新しいパンプスを履いていたのもその頑張った結果だ。しかし、ちょっと頑張りすぎたのが良くなかった。普段私は中に色々着込む為にワンサイズ上の制服を着ている。しかし烏丸くんの前で着ぶくれた姿を見せる訳にはいかないと今日はクローゼットに仕舞ってあったピッタリサイズの制服を引っ張りだした。
……着た時に思ったんだ。若干サイズきついかなって。そういえば正月に餅食べまくってからほんのちょっとだけど、太ったかなって。でもまあそんなパンパンってことはないし下に着るのシャツだけにしたらいつもよりシュッとして見えるからこれで行こうってなったんだ。それがよくなかった。

「昼ごはん食べたらお腹は張る訳じゃん?」
「まあそうだな」
「廊下歩いてたらさ、パンッて音したの。なんだと思う?」
「誰かの発砲音か?」
「違う、私のスカートのホックが吹っ飛んだ音」
「マジか」

諏訪は思ったより深刻な顔をしていた。いや、笑うところだから。というか笑ってくれないと私が辛い。なんかこう、ホックが飛ぶって相当だぞって言われてるみたいで辛い。

「でさ、そこに居たのが私一人ならショックはショックだけど痩せよう、で終わる話じゃん」
「そうだな」
「……丁度通りかかった烏丸くんにね、見られてたんだよね」
「おお、マジか……」
「言っておくけどこの後更にショックなこと起きるから」

一瞬何の音だと足を止めた私の足元にカランと落ちるホック。そこに丁度通りかかった烏丸くん。先輩、何か落ちましたよ、って拾ってくれた烏丸くんは優しい。すごく優しいんだけど渡されたホックと急に無くなったお腹の締め付けで事態を把握した私はちょっと泣きたかった。
本当はせっかく会えたんだからもっと世間話的なのをしたかったのにそんな状況でできる訳もなく。とりあえずお礼だけ言って立ち去ろうとした私に更なる悲劇が襲いかかった。

「スカート脱げた」
「は?」
「ホック外れてそのまま歩こうとしたらチャックがちょっと開いてたみたいで、そのままストーンって脱げた」

ホックで無理やり締め付けていたらお腹の張りでホックは吹っ飛んだしそのままチャックも開いてスカートが落ちた。烏丸くんはさっと目を逸らして、見てませんからってすごく気を遣ってくれた。ごめん、ありがとう。見たくもないものを見せてしまって本当にごめん。ちなみに今履いているスカートはロッカーに置いてあったいつも履いているワンサイズ上の予備である。

「タイツ履いてたから多分しっかりは見えてないと思うんだけど情けないやら恥ずかしいやらでかなり心を抉られた」
「いや、うん……なんつーか、どんまい」
「しかも今日Tバックだったんだよ、前からだけどもし見えてたら本当恥ずかしいし申し訳ない」
「その情報死ぬほどいらねえ」
「何よ、諏訪だってTバック好きな癖に」
「うるせえ、今コイツTバック履いてんだなって思うとなんか気まずいだろうが!」
「ちょっと何想像してんのやめてよ」
「お前こそ自分から言い出した癖に引くのやめろよ」

二人しておしぼりの袋を弄りながらいつもの応酬をしていると鍋が来た。やったあ、鍋。

「今日初めてTバック履いたんだけどさ」
「その話続けんのかよ」
「なんか落ち着かないし今日こんな事件があったから多分二度と履かないと思う」
「そうかよ」
「ごめんねTバック好きの諏訪くん」
「やかましい」

ん、と手を差し出した諏訪にお椀を渡すとちゃんと私の嫌いなしいたけを避けてよそってくれた。これが風間なら面倒くさがって適当に入れてる。諏訪は本当に優しい。そう言うと「お前しいたけ入れてもどうせ俺んとこに移すだろうが」ご尤もだった。お椀を受け取ってありがとうを言うと短くおう、と返ってきた。

「諏訪に話したら元気出てきた。そして鍋がうまい」
「良かったな、つーかお前今回のはもともとそんな落ち込んでなかったろ」
「そうなんだよ、ショックだったんだけど割と自分の中で消化できてたっていうか。でも諏訪が話聞いてくれるっていうなら諏訪に話した方がなんか安心するし」
「俺は心理カウンセラーか何かかよ」
「そうかもしれない」

私の愚痴とか相談とかに諏訪が相槌を打ってくれるだけで心が落ち着いてちょっと頭が冷静になる。今回も自分の中で6割くらいは消化できていたが、諏訪に話したという謎の安心感によって次烏丸くんに会ったらどうしよう、からまあ会ったとしてもちょっと気まずいくらいだな、向こうに気にさせるのも悪いし普通にしてればいいやというところまで回復した。

「いつもありがとね、諏訪」
「そう思うなら今日の会計お前な」
「私今日四千円しか持ってないんだけど。今日のお礼は私のTバック姿見せてあげるから割り勘にしといて」
「それはマジでいらねえから次回に持ち越しな」
「どっち? 私のTバック?」
「ざっけんな会計の方だっつーの」


***


「次は私が奢るから」
「なんだよ、珍しいじゃねえか」
「いや、流石に全ゴチは申し訳ない。私の話聞いてもらう為だけに来てもらって更にそれで奢ってもらうとかさ。ていうかお金受け取ってよ」

結局諏訪は伝票を持ってさっさとお会計を済ませてしまった。ありがと、いくら、とお礼と共に聞いた私へ返ってきたのは「今日は別にいい」の一言だ。そういうわけにはいかない、と札を押し付けようとする私を跳ね除け続ける諏訪。一体何をそこまで頑なになるんだ、と問うとそれを言うならてめえこそさっさと札仕舞え。いやいや私はお金を払う理由があるんだよ。

「……札受け取ってくれないなら今ここでスカート脱ぐ」
「テロじゃねえか」
「テロとか言うな」

あまりに諏訪が強情なので半ば冗談でそう言ってやった。返ってきた失礼な発言に脛を軽く蹴っ飛ばそうとしてよろけた。そういえば今日は履きなれないパンプスなんだった。
まぬけにすっころぶ前に諏訪に支えてくれて、ごめんと言ったら短くん、と返される。

「……今日諏訪んち寄ってっていい」
「そこでスカート脱ぐっつーんなら考えてやってもいい」
「いいよ」
「は?」

完全にいつもの冗談の延長だった。まさか肯定されるとは思わなかったのだろう、諏訪の声と表情は心底驚きに溢れていて、なんというかしてやったり。

「拝めばいいじゃん、私の最初で最後のTバック」
「おい、マジで言ってんのか?」
「マジ」

真面目な顔して頷くと諏訪は露骨に顔を歪めた。諏訪とは付き合いも長いから言いたいことは大体わかる。だけど私にも言い訳させてほしい。

「だって烏丸くんにパンツ見せたのに諏訪には見せてないのはおかしい気がして」
「待て、意味分かんねえよ。どういう理由だそれは」
「……烏丸くんが来るっていう口実を作っておしゃれしたら諏訪が手だしてこないかなって思ったんだよ」

烏丸くんが来るという理由でおしゃれをしてみたが、おしゃれした姿を本当に見せたかった相手は目の前のこいつであった。残念なことに途中スカートのホックが飛ぶというアクシデントがあったのですっかり意気消沈して、今日は諏訪に会うのやめとこうかな……と思ったりしたがまあこの話を引っ提げて帰りがけにちょっと話せたらいいなと思っていたら諏訪がひょっこり現れるもんだから。私の話聞くために店を取ってあるとか言うから。
なんというか、風間にいい加減俺も待ちくたびれたと言われるこのもだもだした関係から一歩進めばいいなとか思っちゃったのだ。
ポカンとした顔をした諏訪は数秒そのまぬけ面を晒した後顔を片手で覆った。

「あーっと……とりあえずまず言うことがあるだろ」
「……諏訪、」
「あ、いや待て。俺から言うから待て」

自分から言い出した癖に私の言葉を遮った諏訪は慌てて私の前に片手を出す。あー、だとかうー、だとかひとしきり唸った後少し照れたような顔をした諏訪は、私たちがお互いずっと言えなかった一言を口にした。

***

後日、私たちの雰囲気が変わったのを相変わらずの勘の良さで察知したらしい風間に「やっとか」と肩を叩かれ、その風間から聞いたのか雷蔵からは「おめでとう」とケーキを渡され、木崎からは今度二人で玉狛に顔を見せに来いと電話で言われた。
諏訪も似たようなお祝い攻撃を受けたのか苦い顔をしていたが、今まで散々見守られてきたことを思うと強くは言えないようだ。
ピロン、とスマホがメッセージ通知をお知らせするのでそれを開くと『今度の土曜20時、いつもの店で』差出人は風間で木崎、雷蔵、諏訪、私に一斉送信されていた。
そんな急にと思ったがシフトを確認すると全員が全員狙ったように空いていた。
他人の恋愛にそこまで興味を持たない面子であるが散々発破をかけてきた私と諏訪となれば話は別だろう。諏訪と今更付き合うことになったきっかけとか、そういうのを淡々と、しかし確実に狙って聞いてくるであろう三人の姿が想像できて今から苦笑いした。