「なまえさん、これ何ですか」


孝支が好きなコーヒー。豆は少し粗めに挽いて、多すぎず少なすぎずマグカップの八分目まで、ミルクも砂糖もつけないまま。一方の俺は、豆を細かく挽いてから、ミルクたっぷりのコーヒーを八分目まで。漂う匂いに包まれていく。
自室に入るや否や、孝支が差し出してきたのは再生紙の封筒だった。少し膨らんでいるそれは、若干黄ばみを帯びている。


「何だそれぇ、どっから出してきた?」

「出してきたなんて人聞き悪いなぁ、机と本棚の隙間に挟まってたんですよ」


ほら、と目の前に押し付けられた。うわ、ほんとだ埃っぽい。分厚くなっているけれど、葉書よりは小さそうだ。
コーヒーを机に置いて、封筒をひっくり返す。ばさばさと出てきたのは、写真だった。


「うっわ、懐かしい」

「写真……ですね?」

「そうそう、俺が高校の時の写真」


大学生になり、そろそろ成人する。そう思えば時間が経つのは早い。付き合い始めた頃は中学生だったこいつも、もう高校三年生なのだから。
あっという間におっさんに成り果てそうだ。時の流れは怖い。


「なまえさんが烏野のユニフォーム着てる」

「そりゃあもちろん、お前と同じバレー部だったんだからな」

「昔はそう思わなかったけど、自分が着るようになってから見ると違和感あるなぁ」


楽しげに写真を眺めている孝支に、コーヒー冷めるぞ、と声をかけたが聞こえていなかった。やれやれ。ぐいっと一口だけ飲み、背後から擦り寄った。
両肩を掴むと、驚いたように背筋を伸ばす。随分と筋肉がついたもんだ、昔はひょろっひょろだったのに。


「やっぱりいいよな、高校生。どうだよ現役」

「ふはっ、おっさんみたいなこと言わないでくださいよ」

「んなこと言ってると、お前もすぐおっさんだぞ。いやぁ、聞くまでもないよな。高校生楽しいだろ、おっさんなんかより」


からかい気味に笑うと、まだ若いでしょ、なんて返してくるもんだから可愛らしいやつだ。
大学ともなると講義の時間はバラバラだし、やれ飲み会だの合コンだのと忙しい。朝から遅刻だ遅刻だと慌てながら、夕方まで勉強してた高校時代の方がよっぽど愛しくてたまらない。ばれないように居眠りすることですら、楽しくて仕方なかった。


「俺のバレー覚えてるか」

「覚えてますよ、だってなまえさんが高校生の時、俺は中学生でしたから。さすがに記憶に新しいですよ」

「だよなぁ、何だかんだで孝支とは家も近いし、その前から仲は良かったもんな」


ご近所さんのお兄ちゃんというポジションだったはずが、少し世間離れした関係の恋人に成り代わったのはほんの数年前だったか。
どちら先に恋愛感情を抱いたかなんて未だに分からない。俺が先だったのか、それよりも前から孝支が俺のことをそう思っていたのか。
歪だと思う。決して美しく綺麗なだけの関係ではないだろう、少なくとも世間一般的には。


「格好良かった。俺もバレーしてたけど、高校生は世界が違うんだって思いました。今の自分がそんな世界に立てているのかは分からないですけどね」

「多分、違う世界だよ」

「そう、ですよね」

「悪い意味じゃないよ」


俯きかけた孝支の頭を撫でる。ふわりとした髪を梳きながら、たまらなく愛おしいと思った。


「俺には俺が見てきたものがあるように、孝支には孝支にしか見られないものがあるよ。誰かと同じ世界に立つことだけが幸せじゃない」

「でも、こうしてちょっとでも共有出来るのは幸せなことですよね」

「うん、そう。さっすが分かってるよ」


見てきた世界も立っている世界も、きっと違う。場所が同じでも、世界は立つ者によって一変するだろう。俺の世界と孝支の世界があるのは当然だ。
俺が見ていた世界はどんなものだっただろうか。あまり記憶に無い。先ほど孝支は、記憶に新しい、と言っていたが俺にとっては随分と前のことのように思えて、断片的な記憶しか辿れないのだ。
それでも、そんな世界を共有出来ることが何よりも幸せなんだろう。分かっている。分かっているくせに、望まずにはいられない。


「もしも願いが一つ叶うなら、やっぱり高校生に戻りたい。孝支と一緒に、バレーしてみたいよ」

「ふはっ、俺もですよ」


世間一般では、歪かもしれない。いつ崩れるか分からない関係かもしれない。それでも、俺は無邪気に笑う彼が好きなのだ。特別で、大切なのだ。
それに正答なんて無い。きっと、誰にも決めることは出来ないから。


「俺、ほんと孝支のこと好きだなぁ」

「急に何ですか」


照れ隠しなのか、笑いながら背を向ける。そして、すっかり時間が経ったコーヒーに口をつけ、温い、とひとこと漏らすのだった。




愛に正しさなどあるものか
(必要なのは君を愛している事実だけ)