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最悪な日だと思った。
秋になり寒くなり始めた時期のこと。突然雨に降られて、傘を持っていない私は呆然と立ち尽くした。天気予報では夕方から雨だって言ってたよ、と友人に言われたがいまいち信用出来なかった朝。だって、あんなに晴れていたのに。
とにかく、バスが来るまでの我慢だ。何でここのバス停は屋根が無いの。今更どこかへ引き返すわけにもいかないし、我慢して待つしかなさそうだ。
風が容赦無く吹きつけ、冷たい雨が私の肌を叩きつける。寒い、冷たい、最悪。バスが見えず苛立ちが募る。


「傘忘れたの?」


俯いて立っていた私に、声がかけられた。慌てて顔を上げると、黒い傘を差した男の人がこちらを見ている。制服を見る限り、うちの生徒だ。
見たことない人だったので、どういう口調で喋ればいいか分からず「はい」と、か細い声で答えた。すると、バッグの中を探り始める。


「はい、使って。バスもうすぐ来るよね?」


目の前に差し出されたのは、真っ白なタオル。言われた意味が分からず、何度もタオルとその人を見比べていると、何を勘違いしたのか笑いながら「心配しないで、使ってないから」と言う。


「すみません、ありがとうございます」

「うん、帰ったらちゃんと温かくした方がいいよ。気をつけてね」


にっこりと笑って、彼はどこかへ歩いていってしまう。受け取ったタオルは柔らかく、気のせいかもしれないけど温もりを帯びていた。
濡れた腕、髪の毛を拭い、制服の肩に染み込んだ雨をぽんぽんと叩きながら吸い取る。ぽたりと前髪から落ちる雫が頬を伝い、それを拭った時、ようやくバスが目の前に停まった。
その時にはもう、最悪だという思いはどこかへ消えていた。


「これ、どうしよう」


あれから一週間ほど経った今、空は雲一つなく快晴だ。風も緩やかで涼しい。
よく考えるとあの人の名前も学年も知らぬまま、タオルを受け取ってしまったのだ。返さなくちゃいけないのに、どう返せばよいものか。頭を抱えていると、友人が「タオルに名前書いてないの?」と聞いてきた。


「書いてるよ、タグみたいなところに。何て読むのかな、よるひさ?よひさ?」

「どれ?」


覗き込む彼女にタオルを手渡すと、ばしっと小気味よい音をさせて叩かれた。そこを押さえながら、何するのと反論しようとしたが物凄い形相で迫ってくるので声は引っ込んでしまった。


「あんた、これ三年生の夜久先輩じゃないの!」

「やく?ああ、そうやって読むの」

「夜久先輩っていうと、男バレのかっこいい先輩って有名じゃん!」

「し、知らない……」


たじろぐ私を他所に、ぺらぺらと喋る。聞いた限りでは、特徴があの人と一致しているから本人のものなんだろう。二つも上の先輩のことなんて、よく知らない。みんなそういう話題に敏感だからなぁ。
夜久先輩って本当に優しいんだ。かっこよくて優しくてスポーツ万能だなんて、理想だよね。などと、うっとりした顔で話すあたりミーハーだなと苦笑する。

とにかく持ち主が分かったのだ。一刻も早く返さなくちゃ。運動部ならタオルとか必要だよね。
さらに聞いてみると、五組の人らしい。すごい情報網だ。


「ありがとう、三年生の教室とか行ったことないけど頑張るよ」


ついていこうか、とそわそわしていたが遠慮しておく。変にきゃっきゃっと騒がれたら私が恥ずかしいから。
人でごった返す昼休みの廊下は、物凄く騒がしい。三年生ともなると、みんな大きく見えて体が強張った。
出直そうか、バレー部らしいし部活の時にでも。うん、そうしよう。


「あれっ」


教室のドアから顔を出して、声を上げた。紛れもなく、夜久先輩だ。心臓が飛び出るかと思うくらい跳ね上がった。
私のこと、覚えてくれてたのかな。たったあれだけの時間だったのに。


「あ、あのっ、これ、お返ししたくて、遅くなってすみません!」


たどたどしく喋ってしまい、恥ずかしくなる。夜久先輩は気にしているようでも無かった。わざわざごめんね、と笑う始末だ。
いえそんな、こちらこそ。片言のような言葉しか出てこないのが悔しい。変な子だなって思われる。


「よく分かったね、あの日何も言わずに帰っちゃったなあって思ってたんだけど」

「あ、名前書いてあったので、そしたら友達が教えてくれて」

「なるほど!そっか、名前書いといて良かった」


私の手からタオルを受け取り、名前を見つめる。書いてあったことすら忘れていたみたいだ。
挨拶もそこそこにして帰ろうかと思った時、夜久先輩は眉をひそめた。あれ?と呟いて。何だろうかと身構えてしまう。


「もしかして、わざわざ洗濯してくれた?」

「えっ、も、もちろんです。借り物ですから……でも、何で」


何で分かったんですか。と、最後までは言わなかったが、借りた時から目立った汚れがあったわけでもない。洗わずに返すような人も居ないだろうけど、どうして急に。


「何か、いつもと違う匂いするからさ。柔軟剤かな?いい匂いだね」


くらりと目眩がした。無意識のうちにそんな言葉をかけられるなんて。結果的に、私が纏っているこの香りが褒められた気がしなくもない。
いや、そうじゃなくても匂いを嗅がれたような気分で物凄く恥ずかしくなる。


「名前、何て言うの?どこのクラス?」

「えっ、みょうじなまえ……です。一年です」

「一年生!ごめんね、三年のとこ来るの嫌だったんじゃない?うわ、ほんとごめん」


申し訳なさそうに手を合わせるので、ぶんぶんと首を横に振った。緊張したのは事実だが、この人が謝る必要はない。
優しい人だ、いい意味で少年っぽい。気兼ねなく話せるから、きっと後輩にも同級生にも慕われているんだろう。だから、あんなにみんなが噂してるんだ。


「本当に、ありがとうございました」

「いいんだよ、たかがタオルくらいで」

「いえ、本当に助かったんです」

「なら良かった、じゃあまたねみょうじさん」


笑顔で手を振ってくれたので、ぺこりと頭を下げて廊下を走り抜けた。決して、三年生の群れから離れたかったからじゃない。思わず緩む頬を見られたくなかったからだ。
みょうじさんって呼んでくれた。またねって言ってくれた。
何がミーハーだ。私だって変わらない。こんな短時間で、単純だ。

恋をしてしまった、と言うと笑うだろうか。




名も知らぬ香りに誘われて
(ああ、これが君の纏う香りなのだね)