「私、夜久くんのことが好きです」



初めて見た時、なんて綺麗な人なんだろうと思った。
多分それって男の人が女の人に対して使う言葉なんだろうけど、私は彼を見てそう思ったんだ。おひさまの光をきらきら反射させながら揺れる髪、軽やかにコートを駆けるその姿は、綺麗以外に言葉が見つからなかった。
多分、もっと色んな言葉で表現出来る人は居るんだろうけど、私にはこれが精一杯。それにこれくらい単純な方が、ぴったり当てはまる気がした。

夜久くんとは偶然ながらも一年生の頃から同じクラスだった。これといって会話をすることも無かったけれど、確かにずっと同じ教室で過ごしていたのだ。
教室で見る彼がどんな風に映っていたかなんて、全く覚えが無い。本当に、それくらい薄っぺらな仲だったのは確かだ。
そんな私が、偶然体育館でバレーをしている彼を見かけたのは二年生の春休み。部活でたまたま学校に来ていた私と、部活でたまたま体育館に居た彼。気づいていたのは多分私だけだ、彼は真剣な眼差しでボールを追いかけていたから。


「きれい」


ぽつりと口から漏れた言葉は、率直な感想。バレーをしているのはみんな同じなのに、何故か彼だけが私の視線を奪った。
あの人は夜久衛輔くんだったっけ、とぼんやり思い出す。名前と顔が一致したものの、どんな人だっけなぁと空を仰いだ。話したことないもんね、仕方ない。それにしたって、あの人あんなに真剣な顔するんだな。
誰に聞かせる訳でも無く、心の中で独り言を反芻する。体育館から離れた後も、しばらくそんなことを続けていた。

新学期が始まると、またもや彼は同じ教室に居て、偶然とは恐ろしいものだと思った。今まで一度だってそんな思いを抱いたことは無かったが、春休みの一瞬が脳裏を掠めるから、いつもは感じないようなことすら気になってしまう。
こうして見ると、彼はよく笑う人だ。決して大人びた笑い方ではない。どちらかと言うと、子どもみたいな無邪気な笑い方。それがまた、バレーをしている時と全然違うんだ。本当に同じ人?って思うくらい。


「みょうじさん、また同じクラスだよね」


とある日の朝、玄関で鉢合わせした夜久くんが不意に声をかけてきた。別に私がクラスメイトだから彼に会釈をしたなんてことも無い。何もコンタクトが無かったのに、彼が声をかけてきたのだ。
だから、驚いてすぐに返事をすることが出来なかった。顔を上げて目を丸くさせた後に、ようやく「ほんと、偶然だね」とありきたりな言葉を返したのだ。今思えば、もう少し会話を続けられるよう配慮が出来たんじゃないかと悔やむ。

その日以来、徐々に夜久くんは私に声をかけてくるようになった。何というか、一旦話せた相手には声をかけやすいっていうのがあるのかも。私からも声をかけやすかったのは事実だし、三年目にしてようやく会話をする仲になった。
放課後すれ違う時に「お疲れ様」と言ってくれる。だから、私は「また明日」と返事をするのだ。朝には「今日の課題終わった?」と他愛もない話をほんの少し交わしたり。
さりげなく接するのが上手い人だな、と思う。今まで交流の無かった男女が突然仲良くし始めたら、茶化されることなどほとんどだ。それなのに、夜久くんはまるでずっと前から仲良しだったよ、とでも言うように自然に話しかけてくれる。私としても、その方が話しやすいし気兼ねもしなくていいから嬉しかった。


「みょうじ」


いつしか彼が私のことを、そう呼び捨てにするようになった。私もその流れで、夜久って呼べないかなと思ったけれど気恥ずかしくて無理だった。夜久くん、と声をかけるだけで精一杯なのだから。
彼の笑顔は不思議だ。ふんわりした甘い気持ちを起こさせる。綿飴みたいだ、と思ったけれどやっぱり私は語彙力が足りないのかもしれない。でも、その煌めきは彼の髪に似ている。きらきらして、ふわふわして。
下手すると、女の人より綺麗で柔らかい存在かもしれない。なんて、言い過ぎだろうか。


「夜久くんは、バレー楽しい?」


いつだったか、そう問いかけたことがある。大方、話題が見つからなくて思わず聞いてしまったとかそういうのだろう。本当はずっと聞いてみたかったけど「何で俺がバレー部だって知ってるの」って思われたら嫌だなと思って聞けなかったんだ。
でも、夜久くんは全くそんな素振りを見せずに笑った。何か、ちょっとだけ、見たこともないような大人びた笑い方だった。


「楽しいよ、俺、バレーが大好きなんだ」

「そっか。いいなあ」


私はそう答えた。そんなに好きになれるものがあるって「いいな」と言いたかったのか、君にそんな顔をさせるバレーに対して「いいな」と思ったのかは分からない。私が見たこともさせたことも無いような表情をさせるバレーが、ほんの少し羨ましかったというのはある。
いいな、いいな。

私は昔から、何かに鋭い方ではなかった。どちらかと言うと、鈍い方だったのかも。それでも鈍感ってわけじゃなくて、単に鈍い時もあるよってこと。
でも今回ばかりは、私が鈍かったのだ。何も知らなかった彼の真剣な表情に惹かれて、気づけば同じ空間で時間を過ごしていて、それをきっかけに話が出来るようになったのだ嬉しくて。綺麗だな、きらきらした笑顔だな、そんな表情もするんだ、って彼の一挙一動が気になって仕方なくて。私の名前を呼ぶ声が愛しい、今日はどんな風に声をかけようかってどぎまぎして。
これを恋と呼ばないわけがない。

だから私は、今日、伝えるのだ。


「私、夜久くんのことが好きです」


理由なんて山ほどある。きっかけなんていつの事だったか明言は出来ない。
それでも、この気持ちだけは、はっきりと言葉に出来るから。


「三年間同じクラスだったけど」


夜久くんが口を開いた。


「本当はもっと前に声をかけようかなと思ったんだ。みょうじはよく笑う人だなって初めて見た時から思っててさ。でも、自然にするにはどうすればいいのかなあって思ってたらもう三年生だよ」


ははは、と笑ってから、息を吐き出す。


「多分、みょうじが俺を好きになるもっと前から、俺はみょうじのこと好きだったんだよ」




わたしがきみを好きな理由
(実に単純で、大切なこと)