私は、世で言う潔癖症ってやつだ。それも、割と拗らせた方の。 机に落とした食べ物はもちろん、床に転がった箸を水洗いだけで再度使うなんて絶対に無理。公共の交通機関など誰がどこを触っているか分からないというのに、平気な顔して乗る人の気が知れない。 何度手を洗っても汚い気がする。人と何かを回し飲みするなんて絶対に出来ない。 一種の精神失調らしいけれど、別に人との交友関係に支障があるわけでもなかった。だから、まあ特別な治療とかは必要ないのかなぁと思っている。自分が相当変わっている事は百も承知だけど。 「前回のテストを返すぞ。このクラスの最高点は96点、みょうじだ」 自分の名を読み上げられ、席を立つ。名前を公表する必要性は分からないが、まあ、士気を高めるためってやつだろう。 学力にせよ何にせよ、甲乙つけたがるのはあまり好きじゃない。明確に差を表してしまえば、逆にやる気そのものが無くなる人も少なくないだろうから。 まあ、私には関係ないか。 「さっすがなまえ!」などと一番前の席に位置している友人に声をかけられ、曖昧な笑顔だけで返しておく。 手渡された答案は、どこに保管されていたのか誰が触れたのか分からないので、あまり手にしたくなかった。しかし、こんな紙きれどうしようもない。 目の前で捨て置いていくのも感じが悪いので、自分の席まで持ち帰るしか方法は無い。後で処分しよう。 こういう事を考えてしまうあたり、やっぱり病気なのかなぁと思う。 「なまえ、みんなでカラオケ行こうと思ってるんだけどどう?」 「ああ……えと、ごめん、今日はパスで」 「了解!じゃあまた明日ね」 笑顔で手を振る彼女に、こちらも手を振り返した。 情けない話だが、カラオケボックスとやら本当に受け付けられない。一度みんなに誘われて同行したことがあるものの、気分が悪くなり早々に帰ってしまって以来は足を運んでいない。勿論、みんなに事情が話せるわけでもなく、ただただ断るだけになってしまっているのだが。 それでも、笑顔でまたねと言ってもらえるのには救われる。私は環境に恵まれているんだな、とつくづく思った。 読みかけの本を開き、帰りの時間まで待つ事にする。帰ろうと思えば今すぐにでも出て行けるのだが、放課後の教室という空間が何となく好きだった。 それに、この本の続きがずっと気になっていたのだ。栞を抜き取り、黙々と読み進める。 遠くで聞こえる喧騒も、窓を揺らす風の音すらも心地よい。 ふいに、がたんと音がした。 「あっ」 音を立てるつもりはなかったのか、慌てたように声を出した。声の主は、部活で揃えたジャージを羽織ったクラスメイト。 無言で一瞥するのも感じが悪いような気がした。 「菅原くん、忘れ物?」 「あ、うん。課題を忘れてて。みょうじさんは何してるの?」 「少し読みたい本があって残ってただけ。意外だな、菅原くんって私の名前覚えてたんだ」 ぱたんと本を閉じ、体ごと彼の方へ向ける。私の言葉に目を丸くして、「どういう事?」と聞き返した。 困ったような表情をしつつも、笑顔は保ったままである。 「菅原くんってあんまり女子と話すイメージ無かったから。どちらかと言うと、横で聞いてるだけに見えてね。女の子と話すのが苦手なのかと思ってた」 「はは、そんな風に見えてたのかぁ。苦手ってわけじゃないけど、あながち間違ってないかも。さすがみょうじさんはよく見てるね」 「いや、そんな大した事は何も。あ、気を悪くさせてしまったならごめん」 「ううん全然。気にしないで」 いつになっても褒められるのは慣れないもので、視線を逸らしてしまった。 直接的表現は除いたけれど、菅原くんは親しくならない限り一定の線引きをしてるように見える。しかし話してみたところ、見た目に相応して優しく性格も良さそうだから、単に人見知りしてしまう部分があるのかもしれない。あるいは、女子と接する方法を掴んでいないか。 私もその口であるため、進んで異性と話す事はあまりない。だから、気持ちは分からなくもなかった。 「みょうじさんも割と物静かなイメージあるけど、すごく話しやすいんだね。それに俺は、みょうじさんはよく気がつく人だと思うよ。いつもこまめに掃除とかもしてるでしょ?」 「え、ああ、いや……それは、ただ潔癖なだけだから。勝手に自己満足でしてるだけ」 「潔癖なの?」 驚いたような声を出される。まあ、無理もない。一般の人には理解が無い事だろうし。 細かい事ですら、私には我慢ならない時があるのだ。菅原くんも、よく周りを見てるなぁ。 「じゃあ、色々と苦労する事があるんじゃない?困った時とか言ってくれれば、出来る事はサポートするから」 「え、あ……ありがとう……」 「うん、じゃあ俺部活だから」 優しい微笑みを浮かべて、彼は教室を後にした。そんな風に言われたの、初めてだな。思っていたよりもずっと、彼は優しい人だったのかもしれない。私も何でだか安心して自分の事を話してしまった。 きっと明日からは何でもない顔をして、ただのクラスメイトに戻る。二人だけの空間だったからこそ親しげに話す事が出来たが、明日になればそれもきっと無かった事のように他人みたいな素ぶりをするんだろう。私も、菅原くんも。 それでも、私は彼がどういう人なのか知っているから、十分なのだ。 貴方は一体どんな人? (もっと知りたいなぁ、なんて) |