( 読書感想文 )
持ち合わせのない文系の参考書を借りに図書館に来たのだが、そこにあるはずのないものの後ろ姿を見つけて俺はしばし当初の目的を忘れた。俺が奴を見紛うはずもないのでまちがいない。しかし…あろうことか勉強用の机の前に座っているだなんて…俄かには信じ難い光景だった。背を丸めて黙々となにかを読んでいる。あまりの出来事に声を掛けそこなった俺は、とりあえずようすを伺おうと、そっと背後から近付いてみる。机の上には筆記用具と…400字詰めの原稿用紙が用意されていた。原稿用紙…。あまりに奴から遠い状況すぎて、やはり別人なのではないかと疑う。しかし図書館で本を読むときにまでサングラスを外さないような人間を他には知らない。人間、あまりに不可解な状況下に置かれると、こんなにも不安になれるものなのか…俺は知らず唾を飲み込んだ。おまえは一体どうしてしまったんだ? 勢いに任せて声をかけそこなったことを後悔しながら、もっと詳しくようすを窺う。…兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。……遠い記憶に覚えのある話だ。これは….ごんぎつね…ではないだろうか。男はかつてないほど真面目な顔つきをして、食い入るようにごんぎつねを読んでいる。俺はなんだかとても安心して、静かにその場を離れた。おわり
prev next