あ、あああ…!

と思ったのだ。
花冷えの木曜日、学校帰りのいつもの道、霧雨を遮るビニール傘の、水滴に曇った透明の向こうにそれを見つけて。

ああああ!これは…!

と思ったのだ。




僕は彼女が欲しかった。普通に欲しかった。女の子とお付き合いがしたかった。
お付き合いをし、ミスドとかで一緒にドーナツを食べ、ライブとか映画とかに行って、手をつないで河原を歩いて、いろんな話をして笑ったりし、最終的にはエッチをしたかった。
しかし、なかなか彼女は出来なかった。
なぜならば、僕は女の子が微妙に怖かったからだ。
女の子のかわいい服を剥いたら、中からバラモスみたいなものが出てくるような気がして怖かったからだ。
『ふははは…。か弱き人間よ、よくぞここまで辿り着いた。褒美に永遠の絶望を与えてやろう…!』
とか言って、いきなりイオナズンを唱えてくるような気がして怖かった。

僕は悩んだ。
僕は女の子とお付き合いをしたいが、もし付き合ったとしても今の僕のレベルではすぐに全滅する。かと言って、地道にレベル上げなどをしていたら、時間がかかりすぎて、ついには30歳を越えてしまって、本当の意味で伝説の勇者になってしまうと思われた。

一体どうしたらいいのだろう。
バラモスじゃない女の子はどこかにいないだろうか。
もしくは、イオナズンを唱えてこない、優しく弱々しいバラモスはどこかにいないだろうか。




そんな僕の前に現れたのが彼女だ。
学校帰りの僕の前で、彼女はまるで傷付いた子猫のように、イオナズンどころかメラすら唱えるMPももう残っていない弱りきったバラモスのように、雨に打たれていたのだ。
僕は、
あああああ!
と思い、

「だ…だだ、大丈夫ですか…?」

と、自販機の陰で踞る彼女に震える手で傘をさしかけた。

「………」

振り返った彼女に僕は息を飲んだ。
気の強そうな目もとを長い睫毛がまばらに飾っていて、ちょっと緩んでだらしない感じの肉厚な唇は少し血の気の失せたピンク色で、飾り気のないTシャツの右胸を物凄い丸くてゴージャスな膨らみが押し上げていた。そのてっぺんはちょびっと尖っていた。左胸は、曲げた脚に押し潰され、むっちりと平べったくなっていた。

僕は死ぬかと思った。
バラモス…、いや、ゾーマ降臨。間違いなくラスボス。しかも、すでにイオナズンもマヒャドも唱えられない、瀕死の弱々しいラスボスがここに。

「どっ、!どうしたんですか!かかか、風邪ひきますよ!」

大丈夫だ。このゾーマは既に瀕死だ。大丈夫だ。
僕はびびる自分を叱咤しながら、彼女に努めて優しい言葉を投げ掛けた。
彼女は、

「うるせえよ…」

と掠れた声でイオナズンを唱えた。
しかしMPが足りない。

「あのえっと、ぐ…具合が、悪いんですか」

弱々しいゾーマを、勇者・レベル16の僕は労らずにいられなかった。
しかしゾーマは、僕のような取るにたらない者に哀れまれた事がプライドに障ったのか、そっぽを向いてしまった。
いけない。
いくら弱っていたとしても、これは死と破壊を司る魔王なのだ。そのプライドは守らなくてはならない。

「あああ、あの!お気に障ったのならごめんなさい!でもっ、こんな、なんか雨の中でどうしたのかと思ったんです!」

「………」

「あの、えっと、あの!差し支えなかったら、これ使って下さい!」

僕は彼女にビニール傘を差し出した。

「…いいよ。ほっとけよ」

彼女は傘を拒んだ。
が、僕は構わずに受け取られなかった傘を地面に置き、

「安物だから!貰って下さいっ!」

と言って駆け出した。

「おい、」

「い、いいんです!貰って下さいっっ!」

「…ちょ」

ゾーマがなんか言っていたが、僕はその声を背中に受けて、すんごいテンパッた、しかしすんごいいい気持ちで、逃げるようにその場を離れた。




馬鹿!僕の馬鹿!童貞!
帰宅した僕は、布団に潜り込んで自分を罵った。

なんでだ!
なんで携帯番号を聞かなかった!せっかく出会った理想のゾーマを、なぜリリースしてしまった!あんなゾーマにはもう二度と出会えないだろうに、僕はなんて迂闊な奴なんだ!
枕に顔を埋めて、僕は己の愚かさを嘆いて布団の上でバタ足をした。

雨の中のゾーマは、勝ち気でちょっとわがままそうな顔をしていて、そしてオッパイがでかい上に闇の帝王に相応しくノーブラだった。
黒いシンプルなTシャツのてっぺんの、ちょんってしたとんがり。
あれはきっと魔王の弱点に違いない。どんな物理攻撃も魔法攻撃も効かない魔王だが、あの部分だけはきっとそうではない。
あれをキュッと摘まんでやると、魔王の物理・魔法攻撃無効の能力は途端に打ち消され、
『あ、ヤ…。そんなとこ…』
とか言って、どんな攻撃にも敏感に反応するようになるのだ。
なるに違いない。

そんな魔王をリリースしてしまった。
僕は激しい後悔から、布団の上でバタ足をし続けた。



今朝は遅刻だった。
昨夜、深夜3時まで魔王との激闘をイメトレしてしまったからだ。
睡眠不足で一日中朦朧として過ごした。授業なんか何やったか全く覚えてない。もう夕方なのに、まだなんかフラフラする。
なんて恐ろしいんだ、魔王の魔力は。ただ姿を想像するだけで、これだけ体調が崩れるとは。

僕はぼうっとする頭でフラフラと帰途を辿った。
ああ…、昨日はこの辺にゾーマがいたな…。今日は、当たり前だけどもういないな…。なんで携帯番号聞かなかったんだろう…。
昨日、彼女がしゃがんでいた自販機の前で僕はちょっと立ち止まり、また沸き上がる後悔に軽く溜め息を吐いた。

「…おい」

そんな僕を背後から呼び止める声がする。
反射的に振り返った僕は、

あ…あああああ

ってなった。
振り返った先には、昨日のゾーマが立っていた。
手に、僕が置き去ったビニール傘を持って。



ここはファミレス。
僕の向かいでは、ゾーマがイチゴパフェを食べている。
実に…魔王に相応しい禍々しい食べ物を、魔王に相応しい邪悪な細いスプーンなど使って食べるのだな、と僕は見とれた。

「なんか、悪かったな、昨日は。おかげであんま濡れなくて助かった」

魔王は言った。言いながら、今日は血色の良いピンクの唇に白いクリームがついたのを、舌の先でペロッと舐めた。
あ、あああああ。
僕は魔王の覇気に当てられ、身動きすら出来なかった。

「い、いえ別に…」

僕はそれだけ言うので精一杯で、真っ赤になった顔を俯けて、必要もないのにコーヒーをガチャガチャかき回した。

「き、きのっ…、昨日は、なんであんなとこで、ぬぬぬ濡れてたんですかっ」

「いや、別に大した事じゃねんだけどさ。同居してるやつとケンカしてよ。閉め出されたんだな、これが」

同居してるやつ。
…それはどういう事だ。
まさか、この魔王には既に僕以外の勇者が挑み、既に何回もしっぽりと死闘を繰り広げ、あまつさえ、ど、同棲、みたいな感じに持って行ってやがんのか。

どいつだ。
どこの馬の骨が図々しく勇者ヅラしてやがんだ。

「ひ…、酷いです。あんな寒い、雨の中に…」

「だろ。マジで酷ぇんだよ」

「冷たい雨の中に、あっ、あなたみたいな人を閉め出すなんて!そんな奴、男の、…男の風上にも置けまっせん!」

僕は、見知らぬ勇者への怒りから、思わず大きな声を出していた。
はっと我に帰って顔を上げると、彼女はぽかんとして僕を見ている。
しまった。こんな声なんか出して、粗暴な奴だと思われたらどうしようっていうか、そうやってぽかんとしてると、ちょっとわがままそうな感じの顔が急にあどけなくなるみたいで、すっごくいい。ああああ、いい。

「いや、あなたみたいな人って言われても…。別に、俺みたいな人が閉め出されても誰も何も思わないだろ」

「思います!思わないわけないでしょ!あなたみたいな、カ、カワイイ人…を雨の中にとか…!」

「は?カワイイ?………よくわかんねぇけど。てゆうか、なんで同居してるやつが男だと思うわけ?」

あっ、そうか。もしかしたら仲良し女子同士のルームシェアとか、そういうんかもしんないのに。
僕ったら浅ましい勘繰りを…。

「まあ、野郎なんだけどな」

「え」

「せぇな。俺だって女と暮らしてぇよ」

「ええー」

やっぱ男か。男と暮らしてやがんのか。毎晩毎晩、男のオリハルコンの剣でアレされてやがんのか。
しかしそれでいて、本当は女と暮らしたいのか。

…え?
なにそれ?どういう事?

もしかしてこの魔王は、うちの姉ちゃんの事がアレな感じで好きな九兵衛さん的な感じの人なのか。百合的な世界の人なのか。
『男なんて不潔よ。わたくしが愛するのは美しいものだけ。わかって?』
『ハイ。お姉さま』
みたいな感じなのか。
ど、どうしよう。僕、僕は私にならなきゃいけないのだろうか。
僕はカワイイもののためなら性を捨てられるだろうか。

「ええー、じゃねぇし」

「いや、ええーですよ。…い、いや!でも、性嗜好は個人の自由だと思います!大切なのは愛情です!」

「そうだね。君が何言ってんのか俺にはよくわかんねぇけど、そうだとは思うよ」

ああ。言われてみれば、このカワイイ魔王は自分の事を俺って言ってるし、服装も女の子らしくない。
そうか…。そっちの魔王なのか…。
僕がいくらレベルを上げても、決して太刀打ちできない魔王なのか。

「あの…、女の子が好きなんですか」

「そらそうだ。お前だって好きだろ」

「そりゃ好きですけど…。でも、あの、僕的には、…あ、あ、あ、あなたみたいな人が女の子が好きだなんて…、その、あの、も…勿体ないです!」

「あ?」

「す!すいまっせん!ででででも!正直、男の目から見てあなたみたいなカワイイ人が、お、男を愛さないなんて、たっ宝の持ち腐れみたいな気がするんです!ごめんなさい!すいまっせん!」

「………」

魔王は、怒ったのか黙ってしまった。
言うべき事ではなかったのかと僕は思ったが、本心なのだから仕方がない。

「…なあ、」

「…は、ハイ」

「君、眼鏡してるけどさ。…もしかして相当、目悪い?」

「え?…いや、裸眼だったらそこそこ悪いですけど、眼鏡したら1.5くらいあります」

「…そう」

「あ、あなたの顔も、よ、よよよ、よく見えますっ」

「どんなふうに?」

「えっ…」

「確かめたい。君には俺がどう見えてるの?」

そんな、ダイレクトな。
自慢じゃないが、女の子に告白した事もないのに、そんな、本人を目の前にして
『キレイだぜ。まるで花のようにキレイだ。俺はキレイな花のためなら喜んでその下で土になる。俺がお前を咲かせてやるよ…』
みたいな事が言えるわけがなかった。
僕は

「…あの、その、えっと」

とか、口の中で言いながらモジモジするしかなかった。

と、その時。

「お前、何してんだ」

誰かが、僕らが座るテーブルの横に立った。
見上げると、イケメンがいた。
女が10人いたら、10人がカッコイイと言うだろうと思える、正統派のイケメンが立っていた。
僕がポップだとするならば、こいつは誰憚ることなくヒュンケルだ。

「なんもしてねぇよ。テメーこそ何してんだ」

彼女は、ヒュンケルを素っ気なくあしらった。女が10人いたら10人がカッコイイって言いそうなヒュンケルを前に、その態度。
なんだ。
こいつは彼女のなんなのだ。

ヒュンケルは、僕をチラッと見ると

「なんだ、このガキは。…まさかお前、遂にこんなガキにまで手を…」

「ああ?違ぇよアホ」

彼女が乱暴に吐き捨てる。
僕は、ヒュンケルの物言いと彼女の口調にちょっとムカッとした。

わかったぞ。
こいつだ。こいつが、昨日雨の中に彼女を閉め出した、夜毎彼女にオリハルコン製の王者の剣をアレしてやがるニセ勇者なんだ。
僕はイケメンすぎるニセ勇者を果敢に睨み付けた。そして言った。

「ガキだったら何だっていうんです…」

「あ?」

「確かに僕はガキです。だけど、…ガキだけど、男です!!」

僕はテーブルを両手で強く叩きつけ様立ち上がり、ヒュンケルのイケメンな顔の真っ正面で言ってやった。

「いや…ちょっと待てよ」

「待ちません。何ですかあなたは。雨の中に恋人をほっぽり出すような人にガキとか言われたくないですっ!」

ちょっとイケメンだと思ってふざけんなよ。
魔王を大切にできない奴なんかが勇者を気取るんじゃねぇ。

「おい…。一体何なんだよ」

イケメンは、狼狽した様子で彼女に助けを求める。なんて情けない。勇者のくせに魔王に助けを求めるなんて、マジで勇者失格だ。
あなたはこんな情けないニセ勇者にギガデインさせてるんですか。いくらイケメンだからって、こんな男の王者の剣を毎晩ぶっ刺されてるんですか。
やだ。そんなんやだ。

「確かに僕はガキでイケメンでもないし、女の子と付き合った事もない。だけど心は誰にも負けないくらい真っ直ぐなつもりです!こんな男の事なんか僕がすぐに忘れさせてあげます!女の子が好きなら、僕が男の良さを教えてあげます!だから、だから、……えっと、だから、あの…、その…えと……」

「…何なんだ」

自分でも何言ってんだかわかんなくなってフェイドアウトしていく僕を見て、イケメンが呆然と呟いた。

「いや…俺もよくわかんねぇ」

イケメンの呟きに彼女はそのように答えた。
そして、

「なんかわかんねぇけどよ…。どうも、こいつには俺が女に見えてるらしいんだよ…」

と、言った。








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