02 ンドゥールのゲブ神


シャワーを浴び終え、ンドゥールが湯を止めようとコックをひねった時、人の気配を感じる。1人でゆっくりしたかったから時間帯をずらしたというのに誰か来たのか。

タオルを腰に巻いて手探りでシャワー室の入り口まで壁伝いに歩いていると、パチッと音がした。誰かが脱衣所の電気をつけたのだろう。光があってもなくても関係ないンドゥールは自分がいつもの癖で電気をつけずにバスルームを利用していたことに気づいた。

その内にガラガラッと無遠慮にドアが開けられる音がした。そして次にパチッと音がした時、周りが少し明るくなったような気がする。ぺたぺたと足音が聞こえ、誰かがバスルームに入って来たのだ。


「ッ…!きゃああああッ!」

ンドゥールが冷静に考えていると、耳がキーンとするような高い悲鳴が目の前から聞こえ、バスルームに響く。声からして女だろう。誰だ。

そんなことを考えていると、今の状態にパニックになって慌てた様子の女がまだタイルの上に残っていたシャンプーの泡で滑ったのだろうか、ツルッと音がして彼は押し倒されてまった。

「!?」

驚いたンドゥールは上手く受け身をとりつつ、つい身構えてゲブ神を自分の周りに忍ばせる。相手は敵意がなさそうだとはいえ、つい臨戦態勢を取ってしまう。

「ひいいい、ごめんなさい…!びっくりしてしまって……」

ンドゥールが顔をしかめてピリピリしているのが伝わったのか、おどおどしながら震える声で謝る女。―――この声、情けない口調からしてナマエだろうか。

ンドゥールは目の前の存在を確かめるために、慌てて自分の上から退こうとする女の身体を逃さないように抱き寄せる。そして腰を抱いたまま空いている方の手を伸ばして顔に触れれば、ビクッと目の前の女の身体が震えた。

「大丈……ひゃ!」
「…ナマエか」
「う、うん。ンドゥール、ごめんなさい。まさかこんな時間にバスルームを使っている人がいると思わなくて……」

部屋も真っ暗だったし誰もいないと思ってたの、と申し訳なさそうにしゅんとした声でナマエは付け加える。どうやらバスルームの清掃をしようとしてやってきたところに、偶然はち合わせてしまったようだった。


「ンドゥール、あの…」
「ん?」
「そろそろ、は、離して」

局部はタオルでかろうじて隠れているとはいえ、裸の男の上に乗っかっている状態だ。ナマエは恥ずかしさが限界に達していた。

先程までシャワーを浴びていたせいかしっとりと濡れている鍛え上げられた筋肉質な身体、石鹸の匂いに混じってすぐ近くで香るンドゥールの香り……男慣れしていないナマエにとっては刺激が強すぎるのだ。

誰だったかが言っていた―――ナマエは美人ではないがいじめたくなる愛嬌があると。恥じらう彼女の様子に、なるほど確かにこれは少しいじめたくなるとンドゥールは思った。

「ああ……そうだな」
「きゃッ!」

そう返事しつつも、ゲブ神で彼女の脚を撫でる。すると面白いくらいにビクビクと身体を震わせて自分にもたれかかってくる。いじりがいのある人間だ。

「どうした?」
「ううん、なんでもない」

何食わぬ顔で尋ねれば、ナマエは赤い顔のまま首を横に振って立ち上がろうとする。もう少し遊んでいたいとンドゥールが思った時、遠くの方からバタバタと人が走ってくる音が彼には聞こえた。身長・体重・走り方からしてダービー弟か……。ナマエの悲鳴を聞きつけてわざわざ走って来ているのだろうか、こっちに向かってくるようだ。

面白いとンドゥールは立ち上がりながら口元に笑みを浮かべた。同時にゲブ神で彼女の足首をつかむ。

「ぅわッ…!」

勿論、そんな彼の思惑など全く知らないナマエはそのまま転びそうになる。ンドゥールはそんな彼女の腰を抱き寄せて支えた。その時、ちょうどいいタイミングでこの館の執事が現れた。

「ナマエ!大丈夫ですか!!?」
「え!?」

名を呼ばれた当の本人は驚いて目を丸くしている。裸のンドゥールがナマエを抱き寄せている状況を見てテレンスは一瞬だけ驚いた後すぐに顔をしかめた。彼女に密かに想いを寄せている彼にとっては実におもしろくない状況だ。

「悲鳴が聞こえたから心配して来てみれば…どういう状況ですかこれは」

テレンスは嫉妬でイライラし、弁明するならしてみろと言わんばかりに凄んでくる。そんなテレンスに対してナマエはンドゥールの腕の中から抜け出しつつ言いにくそうに歯切れ悪く、あのとかそのとか言っていた。

そんな中、執事の口調や行動からして、おそらくナマエに気があるなとンドゥールは感じた。

「た、たまたま清掃の時間とかぶっちゃったみたいで……」
「そんなことを聞いているのではありません」

あははと乾いた笑いを添えて説明するナマエにぴしゃりとテレンスは言い放った。自分の戯れのせいで冷たくあしらわれる彼女を少し気の毒に思ってンドゥールは説明を補足する。

「彼女が床に流れていたシャンプーで滑って転んだのを受け止めただけだ」
「……全く、一体何をやっているんですかナマエ」

コイツはまた他の男の前で隙を作ったのか。いい加減にして欲しい。他の男の香りなんかさせやがって…イライラする。ンドゥールの説明を聞いて、言葉にはしないがテレンスの気持ちはもろに表情に出ていた。

ンドゥールが説明すると、一瞬にして空気がピリピリしたものに変わった。しかも変わったのはテレンス側だけだ。ンドゥールはその空気をすぐに察知した。しかしナマエは気づいていない。

鈍感なナマエが相手なだけにテレンスの1人相撲が愉快に思えた。からかうついでに少しだけ協力してやろう――ンドゥールはそう思った。

「全く、気が弛みすぎてるんじゃあないか」

そしてテレンスがブツブツと言いながらシャワーで床に残っているシャンプーを洗い流そうと水を蹴って一歩踏み出したその瞬間、忍ばせたゲブ神を彼の足にひっかける。

「…ッ!」
「わ…!」

当然バランスを崩したテレンスはナマエの方へと倒れ込んだ。今度はテレンスがナマエを押し倒す形になった。互いの状況を理解した2人は耳を真っ赤にしている。

「すみません…!ナマエ、大丈夫ですか?」
「う、うん…大丈夫」

近すぎる互いの距離にドキドキしながらもテレンスはすぐに彼女の上から退いて身を起こした。彼がナマエの背中に手を添え、もう片方の手で彼女の手を取って彼女の身体を優しく抱き起こす。その一連の動作を全て音で感じ取っていたが、ンドゥールは何1つ状況が分からないフリをして尋ねた。

「転んだようだが大丈夫か?」
「うん、びっくりしたけど大丈夫」
「服、濡れてしまいましたね…すみません」

そう言ってテレンスは自身のベルトを外すと、白い上着を脱いで彼女に着せる。何度も床に倒れて水分を吸ったせいかナマエの服はぐっしょり濡れていた。これでは襲ってくれなんて言ってるようなものだとテレンスは感じる。

「着替えてきて下さい」
「ありがとう。でも大丈夫だよ?」
「動きにくいでしょう?ここの清掃はやっておくから着替えろ」
「……分かった」

この危機的状況を理解していないとは、なんて無防備なんだ。裸の男がいて何をするか分からないのにこの鈍感女は……と思ったテレンスは有無を言わさずぴしゃりと言い放った。それに対してナマエは渋々といった感じで了承し、彼の上着を羽織ったままその場を出て行った。




「わざわざ自分の上着を着せたんだな」
「……何か言いたげですね」

ナマエが去った後、着替えながらンドゥールはぽつりと呟く。彼の行動は、自分が彼女に密着していたことへの嫉妬からだということをンドゥールは気づいていた。

「なんでもないさ」

若いな――テレンスに対してそんな感想を持ったンドゥールは笑いをかみ殺して答えた。
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