Faithfully
タイヤは休みなく回り続け、俺は君を想う。
君に逢うこともかなわずショーからショーへ移動して、俺は一体どこにいるのだろうと疑問に思うこともある。
だけど………どれだけ離れていても俺は心からずっと君のものだよ。
「えっ!?来週から1か月帰れない…?」
丁度スケジュールに予定を書き込んでいたなまえは紫苑の言葉を聞いて、シャーペンを自然に手放した。
シャーペンは机とぶつかって音を立てた。
「どうしてもって頼まれたしねぇ…まあ一気に稼げるしいいかなって。だから、なまえは留守番して事務所(ここ)を守ってて。」
続けて、"その次の仕事の電話が来るかもしれないし"、なんて軽い口調で言う紫苑。
さっきの電話の依頼主が頼んだに違いない。
社長に代わってくれっていうから紫苑に電話の受話器を渡したらこの状況だ。
「で、ででもうちって移動式スタントショーじゃないし予定もう埋まってるから難しいんじゃ…。」
そう普段は大きな施設でスタントショーをやっている。
「ああ、今契約してる会社の得意先みたいだしなんか道具とかはちょこっと貸してもらえるみたいだからその辺は大丈夫みたいだ。」
「でも私がここで留守番してる間は売り上げとか誰が計算するのよ…!」
「ファックスで送るよ。」
「紫苑のばかっ!そういうことじゃないわよ…!」
事務的な問題は全て問題ない。メディアが発達した現在では全て解決できる。そう切り返した紫苑に対して、自分の気持ちを分かってもらえなくて若干涙目になるなまえ。
紫苑は彼女に寂しい想いをさせるとは分かっていた。でもどうしようもないのだ。事務所を1か月も開けておくわけにはいかないのだから。秘書も兼ねている彼女には残ってもらわないと困る。
「…心配しないで。アメリカとかそんな遠くに行く訳じゃないんだから。」
自分も寂しいのは同じだが、ぽんぽんと婚約者であるなまえの頭を優しく撫でながら紫苑はそう言う。しかし、なおも納得いかないような表情をして黙っている婚約者。
「どんなに忙しくても2日に1回はちゃんと電話するから。」
「…本当に?」
「約束するよ。」
そこでようやくなまえは顔を上げた。不安そうな表情をしている。紫苑はなまえの肩を抱いてキスをした。そして彼女を横抱きにして、仮眠室へと彼は向かった。
「紫苑…?」
「来週から1か月離れちゃうからねえ…。なまえに忘れられないように今からたっぷり俺を刻み込んでおこうと思って。」
きょとんとしてなまえは婚約者を見る。いたずらっ子のように笑って紫苑は彼女をベッドに下ろして自分は彼女の上にまたがりながら、キスをして愛し合った。
それから一週間後、彼は遠い所へと行ってしまった。離れていても、彼は約束通り電話をほぼ毎日くれたけれども、なまえの不安は募っていた。高校2年生からずっと傍にいた彼がいない生活が彼女にとって辛かった。彼と離れていることがストレスとなって彼女の身体にストレス反応が出始めた。
そしていよいよ待ちに待った紫苑が帰ってくる日がやってきた。
しかしなまえの気分はものすごく落ち込んでいた。
「どうしよう…。」
吐き気がするし、まだ生理が来ない。なまえは今、とても悩んでいた。というのも、同棲中は子どもは作らないとお互いの同意のもと、約束しているにも関わらず、なまえは妊娠の可能性があると分かったからだ。紫苑だって行為をしている時、子どもができないように相当気を使っていたはずだ。それなのに妊娠しただなんてそんなこと、とてもじゃないが紫苑に言えない…。言ってしまったら最後、きっとまた置いて行かれる。
軽くパニックに陥って、紫苑のことも自分のことも理解してくれている人――鉄馬に頼るしかないと思った。彼なら口も堅いし相談出来ると思った。
「鉄馬くん、どうしよう…。」
1か月の勤務から一緒に帰ってきた鉄馬を家に呼んで、2人してリビングのソファに座る。紫苑には帰ってきて早々で申し訳ないけれども、席を外してもらうために買い物を頼んだので今は外出中だ。
妊娠したなんて言ったら、紫苑はきっと離れていく。
そう考えるだけでなまえは悲しくなり耐えきれなくなってぽろぽろと涙をこぼす。
最初のどうしようという一言をなまえが言った後、急にぽろぽろと小さな涙をこぼし始めたのを見て、鉄馬はただオロオロとしているだけだった。(それは当たり前だが。)
「鉄馬くん、私…紫苑に捨てられるかもしれない…。」
泣きながらなまえはやっとのことで言葉を絞り出す。鉄馬はやはりオロオロしている。こういう時、どうしたらいいか分からないのだ。ひたすら泣き続けるなまえをなだめながら鉄馬は電話して紫苑を呼ぼうかどうか迷っていたちょうどその時、タイミングよく、買い物から紫苑が戻ってきた。
「……あらま、どうしたの。」
紫苑は呆気にとられた。リビングには涙を流している愛しい婚約者であるなまえとその隣でひたすらオロオロしている鉄馬がいた。状況がまるで読めない。
「えーと、鉄馬、とりあえず席外してもらっていい?」
紫苑がそう言うと鉄馬はコクコクと頷いて脱兎のごとくリビングを後にした。よほど気まずさを感じていたらしい。鉄馬が去った後、なまえの横に紫苑は座り、優しく抱きしめてなまえに訊ねた。
「どうしたの?」
「……なんでもない。」
「そんな状態で"なんでもない"はないでしょ。」
「………。」
なまえは黙っている。
「…鉄馬には話すのに俺には話せないの?」
1つため息をついてから紫苑は言う。
「まだ話してないです。」
紫苑の胸に顔を預けながら拗ねたようになまえは言う。拗ねたいのはこっちなんだけど。そう思っていると、なまえは突然紫苑の胸板を押して彼から離れて彼女もまた走ってリビングを出た。紫苑は心配でなまえを追いかけた。彼女はトイレに入って行った。さすがにトイレの中までついて行くわけにはいかないから外で待っていると、5分くらいしてから顔色の悪い状態で彼女は戻ってきた。
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