Drive
自分がかつての許婚だということをなまえに明かした(というかバレた)ことによりキッドとなまえの間にわだかまりは消えた。そしてお互いの気持ちを伝え合った2人はめでたく結ばれ、2人の関係が変わった。関係が変化しても2人の間の接し方には明らかに見て分かるような変化はなかった。―――お互いの呼び方を除いては。
「なまえ、いる?」
昼休みに入ったばかりの時、彼女の所属しているクラスまでキッドはやってきた。彼女のクラスは授業が少し延長していたのか、今終わったばかりのようで教室内は少し騒がしかった。キッドはドアの入り口付近にいた生徒に彼女を呼んでもらう。呼ばれた彼女はすぐに教室から出て来た。
「どうしたの、キッド?部活の連絡事項は特にないけど…。」
キッドの本名に関しては、2人きりもしくは鉄馬と3人だけの時で周りに他人がいない時だけに呼ぶと2人の間で約束した。だから他の誰かがいる時には彼女は彼の本当の名を呼ばない。
「いや、なまえもお昼一緒にどうかなって思って。」
昨日のこと、鉄馬に話すつもりだし…とキッドは少し声を潜めて彼女に伝える。
「ん、分かった。ちょっと待ってて、比奈ちゃんに言ってくるね。」
そう言って彼女は友人であり部活仲間である相内の元へといった。それから戻って来たなまえとキッドは一緒に歩きながら、提出物があって職員室に行っている鉄馬を迎えに行く。今日の生物の授業がどうだったとかたわいのないことを彼女と話しながらキッドはちらりと隣を見た。今、隣にいる彼女は、許婚であった頃と同じ距離にいる。その距離感をキッドは心地よく思った。物理的距離も、心の距離も昔と変わらない。いや、心の距離は昔よりもきっと、もっと近くなっているかもしれない。俺は今、なまえの彼氏である訳だし…。夢にまでみていた彼女が俺の恋人で、俺のすぐ傍にいる。そう考えるとうれしくなり、キッドはなまえに微笑んだ。
「あ、鉄馬くん。」
職員室から出て来てこちら側へと歩いてくる鉄馬に気づいたなまえは手を振る。キッドはなまえに優しげに微笑み、なまえは幸せそうに笑う。そして何よりキッドとなまえの2人の距離は今までよりも近く、仲睦まじく話している。その姿を見て鉄馬はキッドが昔のことを明かしたのだとすぐに悟った。互いに昔のように名前を呼び合い笑う姿を見て2人が許婚同士であった頃のような関係になったのだと。
鉄馬と合流して3人であまり人が来ない屋上に行ってお昼ご飯を食べた。
「鉄馬、もう気づいてるかもしれないけど……昨日、なまえに全部話したんだ。」
ご飯を食べながらキッドは改まった様子で鉄馬に2人の関係を告げた。なまえも小さく頷く。
「さっきの様子でなんとなく分かった。」
ゆっくりと話したキッドに、そう言ってコクリと鉄馬は頷いた。
「あの、だから…幼なじみ復活というか元に戻ったというか……。」
「付き合ってるんだ。」
「ああ、それも分かっている。」
恋人になったとは恥ずかしさから言いづらくてぼそぼそと照れながら話すなまえ。キッドはそんな彼女の言葉を引き継いだ。彼らの答えにかすかに微笑んで鉄馬は答えた。鉄馬にとっても2人が元の間柄に戻ったのはうれしいことだった。何しろ彼も2人の幼なじみなのだから。
「…これからはまた一緒に過ごせるね!」
それに対してなまえも微笑む。彼女のその言葉に鉄馬とキッドは黙って強く頷いた。ようやくキッドとなまえが許婚同士であった時のように接することができるのだ。3人ともわだかまりがなくなって安心したのはもっともなことである。たわいのないことを話しながら並んで教室に帰る、そんなことすらもとてもうれしいものだ。
「なまえ。」
部活の休憩時間にキッドは手招きしながらなまえを呼ぶ。
「何?キッド。」
呼ばれてなまえはキッドの元へと走った。部活の間も、2人の間の呼び方は互いに名前呼びになっている。
「後半のメニューなんだけど、パスコースはこの前と変更なしでいくの?」
「うん。今週はスライスインとロングポスト、それからスクエアーアウト強化週間らしいからしばらくそれでいくみたい。」
練習メニューの書かれたボードを見ながら仲睦まじく話し合う2人。その様子を見ていた比奈は2人が付き合っているのではないかと感づいた。2人の関係が変化したのをすぐに見抜いたのは鉄馬と比奈だけだった。
比奈はなまえとドリンクを作っている最中に話を振る。
「昨日倒れたって聞いて心配したけど、もう大丈夫そうね。安心した。」
昨日、私が倒れたと聞いて今日の部活は比奈ちゃんもチアではなくアメフト部の方へ来てくれている。もう大丈夫とはいえ、とてもありがたいことである。
「うん、心配かけてごめん。もう本調子よ。」
優しげに微笑む比奈になまえも健康的な笑顔で笑った。今はきちんと眠れている。…そう、キッドが紫苑だと分かって彼と付き合いだした今、彼女を不眠で悩ませるものは何もなかった。
「そういえば……キッドと付き合ってるの?」
「っ…!」
いつも通りてきぱきとマネージャー業を行いながら何気なく比奈は訊ねるとなまえは顔を真っ赤にして一瞬作業の手を止める。
「えっと……う、うん。」
体温が顔の真ん中に集中しているような感覚がする。耳まで真っ赤にしながらなまえは答えた。
「そうなんだー!よかったね!ね、告白はどっちからしたの?いつしたの?」
「あ、ありがとう。告白は……、」
応援していた友人の恋が成就して興奮状態の比奈はまくしたてるように質問する。なまえはそれに答えようとそこまで言いかけて言葉を切ってきゅっとドリンクのボトルの蓋を閉めた。昨日のことを最初からゆっくりと思い出してみる。
え、えーと、まずキッドが紫苑だと分かったことを言ったら、紫苑がお別れみたいなことを言うからどうしてそういう言い方するのとか聞いた。で、その答えが"期待しすぎるとロクなことがない"って言ってたから、もしかして脈ありなんじゃないかと思ってて…。それで私が2人同時に愛するなんて無理だって言って、そうだ…。その後、紫苑が"俺をまだ好きでいてくれているのか"なんて聞くから、肯定して好きって私が言って、その後だ。その後に紫苑が自分の気持ちを告白してくれたんだ。
………ということは、これは私が告白したことになるのだろうか?
「告白は……多分、私、なのかな。」
「なにその曖昧な答え。」
もごもごしながら言っていると比奈ちゃんが的確なツッコミを入れる。確かにそれは最もだ。私にだって分からないんだから。
「うーん…微妙、なんだよね。でも私かな。」
「ふーん。キッドってあんまり自分から行くタイプじゃないのね。」
「そうかも。」
あの人、あんまり自分の素直な感情を口にしないからなあ…なんて思いながら作業を進めていく。
「で、いつ告白したの?」
「き、昨日の部活終わった後…。」
ドリンクを入れ終わったボトルを籠に並べながら会話は続く。
「倒れてたのによくやるわねなまえ…。」
「や、もう帰る時のことだから……。」
皮肉でなくて本心から感心する比奈。なまえはそう言いながらも、あまり詳しく話そうとするとキッドの本名の話になるし困るなと思った時、話題の方向性が少し変わった。
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