Still In Love
まだ彼と私が許婚だった頃、婚約の意味するものが実感出来なくても、2人で一緒に時間を過ごすことで、なんとなく、紫苑と私はこれからも一緒に過ごして行くものなのだと幼心ながらに私はそう感じていた。紫苑もきっとそう感じてくれていると信じていた。

「婚約とか親同士が勝手に決めただけであって、別に俺たちには関係ないでしょ。」

それなのに、彼の言葉ときたら…とても素っ気ない。小学6年生の頃、将来のことについて話していた時の会話だった。

「で、でも私は紫苑とこれから過ごしていくんだって思ってた…。」
「……俺は考えたことないよ。なまえと結婚するっていう実感もわかないし。」

少しの沈黙の後に紫苑は言う。

「そんな…。」
「悪いけどこの後練習があるから…。…パパに怒られるし、そろそろ行くね。」

後味の悪い会話なのに彼はそこで話を切りあげて、貴重な2人でいられる時間を終わりにしようとしていた。

「ま、待って紫苑…!」

部屋の外へと繋がるドアに向かって歩き出した紫苑の背中を私は引き止める。振り向いた紫苑は辛そうな表情だった。それはまるで自分の本意じゃないとでも言うように。

「何?」
「次は…次はいつ会える?」

いつもは次に会う日にちを大体決めてから別れる。それなのに今日は違ったのだ。

「……さあ、パパに訊いてみないと分からないよ。」

寂しそうな表情で無理に笑顔をつくって紫苑は曖昧に答えて、ドアの向こうに消えた。それが私が最後に見た彼の表情だった。彼はその後、家や名前を捨て、私も置いて行ったのだった。それを知っていたなまえは必死で前を歩く紫苑を追いかける。


待って。待って、お願い。
お願い、行かないで…!このまま行ったらもう2度と貴方と会えなくなる…!

なまえはそう叫んでいた。しかし紫苑は全く振り返らずにまっすぐ暗い方へと歩いて行くばかり。



「っ…!?」

置いて行かれる自分が彼に追いつくことはなく、そこでなまえはがばっと跳ね起きた。紫苑が自分の前から姿を消した1年後からようやく彼の夢を見なくなったと思ったら、また彼が夢の中に現れた。しかも、その夢の内容は、彼に突き放されてしまった時、最後に彼と会話をした時のことだった。

夢だと分かった今でも動悸がおさまらない。胸が苦しい。このままじゃきっと眠れない。水を飲んだら少し気分が落ち着くだろうか…。そう思って冷たいフローリングに足をぺたぺたとくっつけて歩きながらなまえはリビングへ向かう。冷蔵庫から水を取り出し、冷たい水で乾いた口と喉を潤す。段々冷静になってきた。


―――あの夢はもしかして、彼を忘れるなということだろうか?もしそうだとしたら神様は残酷だ。紫苑は私のことを捨てたというのに私にはずっと彼を想って生きろというのか。なまえはベッドに戻ってもそんなことを悶々と考えてしまっていた。だめだ、逆に頭が冴えてしまった感じがする。……眠れない。キッドのことを意識しだしてからこんな夜が何度も続いた。





まだ6月の中旬だというのにもうすっかり真夏の日差しだった。こんな暑い中でもアメフト部はちゃんと練習を行っている。

「めっちゃ暑いー!」
「まだ6月なのに……最近、一気に気温上がったものね。」

比奈が青い空に叫んだのに対してなまえも汗を拭いながら答える。マネージャー業は体力勝負なところがあるから大変だ。

「ってかなまえ、顔色ちょっと悪そうだよ。」
「あ…やっぱり?実は最近あんまり眠れてなくて…。」

フラフラと歩きながらドリンクの準備をするなまえを見て比奈は心配する。少し眉を下げて苦笑しながらなまえは言った。2人のマネージャーは話しながらも卒なくきっちりとマネージャー業を行う。

「えー!?無理しちゃだめだよ!今日はもう帰って休んだら?」
「ううん、大丈夫。今日はしっかりやるわ。」
「そう?もう今日は帰ったらすぐ寝た方がいいわよ。」
「ありがとう、そうするわ。」

優しい比奈の言葉に、彼女を安心させるために、にこっと無理に笑ってなまえは答えた。しかしキッドのことを考えると同時に、紫苑のことまで何故か思い出されて寝付けない。そしてようやく眠れたと思ったら紫苑が離れていく夢を見て眠れなくなってしまっていた。

しかも自分の家の秘密を抱えているし、こんなの誰にも相談出来ない……。なまえは手を動かしながらもぼーっと1人で考えていた。





それから数日後の部活の時間、なまえはやはり調子が悪い状態のままだった。しかし、今日はチアの方の練習に行くと比奈が言っていたのでなまえは乗馬部ではなくアメフト部へ行くこととなった。例の夢のせいでよく眠れないでいて寝不足だが、選手のために今日も頑張らなければならない。

「ふぁ…。」

小さく欠伸をしながらなまえはいつも通りホームルームが終わるとすぐに部室に来て備品の準備に取りかかる。眠い眼をこすりながら自分を叱咤してなんとか無理矢理覚醒させる。そうして備品の入った箱を持って扉を開けようとしたら、自分が開けるより先に扉が開いた。

「やあ、随分早いねえみょうじ。」

びっくりした。まさか一番に会えるとは思ってなかった。部活の時間になって一番に好きな人に会えて緊張するとともにうれしく感じたなまえは、しゃきっと背筋を伸ばす。

「あ…こんにちは、キッドくん。今日はちょっと早く授業終わって…。」

心配させないように、あはは、と無理に笑いながら答える。

「それ、運ぶよ。ベンチのところ?」
「え、ええ、い、いいよ!私の仕事だから…。」
「せっかく早く来たんだしたまには手伝うよ。ほら貸して。」

そう言ってキッドは彼女の返事など聞かずに備品の入った箱を彼女から取り上げる。

「ありがとう…。」
「そういえば相内はどうしたの?」

普段ならもう1人のマネージャーである相内が来ているはずだ。なまえしかいないことを疑問に思って尋ねた。

「今日はチアの方行くって。何か伝言あるなら後で伝えようか?」
「いや…何でもないよ。」
「そっか…。あ、これ運んでくれてありがとう。じゃあまた後でね。」
「ああ、また後で。」

くるっと自分の方に背を向けて歩いて行くなまえの髪が風によってなびいていた。彼女に触れたくなる衝動を抑えて自分は彼女と反対方向へと歩いて、更衣室の方に向かう。



それから、他の部員も続々と集まってきて、練習が始まる。いつも通りにウォームアップ、基礎練習、個人練習を順番にこなしていく。
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