Sweet Child O' Mine
もし俺が武者小路紫苑だと知れば、君は俺を拒絶するだろうか?
キッドはそんなことをぼんやり考えながらもやはりなまえを好きだという気持ちは否定出来ず、どうにか彼女を振り向かせたいとまで思い始めた。なまえが好きだと自覚してからキッドのアタックは凄まじいものだった。……と言ってもアグレッシヴなものではない。地味になまえに構い続けるというものだった。しかも他の人から見れば別段変わった様子はなく、多分鉄馬くらいにしか気づかれない程度のものだ。
「みょうじ、テーピングくれる?」
「あっ、はい!」
春らしく澄み切った青空の中、練習に励んでいた選手達も休憩している中、ちょこちょこ動き回る働き者のなまえを引き止めてテーピングをもらう。テーピングをもらう際にキッドは彼女の体調を気遣った。
「みょうじ大丈夫?バテてない?」
「え、どうして?」
きょとんとしてなまえはキッドを見る。確かにほんの少しだけ疲れてはいたけど……他の人が分かるレベルではないからだ。
「ほら、ウォームアップは俺たち選手と一緒にやってるでしょ。マネージャー業同時進行でやりながらだし大丈夫かと思っただけだよ。」
体力作りのために彼女はウォームアップや基礎練の一部は選手と一緒に行っているのをキッドは視角の隅で捕らえていた。
「大丈夫よ、心配してくれてありがとう。」
なまえは部の一員として心配されていることと、そんな些細なところまでも自分を見てくれていることに対してうれしく感じていた。その一方で、にっこりと笑ったなまえのまぶしい笑顔にキッドは癒される。
「でも私より自分の心配してよ。投手はチームの核なんだし貴方の代わりなんていないんだから!」
ね、と微笑まれてキッドの中の時間が止まる。彼女はいつだって自分の欲しい言葉をくれる。"貴方の代わりなんていない"―――それが投手である自分に対しての言葉だとしてもうれしい言葉だ。それに彼女の微笑みが太陽の光を受けて輝いているように見え、とても魅力的だ。それが俺に向けられているのだと思うと胸が躍る。けれども2人の関係が恋人同士であったならばもっと良かった、なんて欲深い事を考えているとなまえは先輩に呼ばれる。
「みょうじー!」
「はーい!」
なまえはいとも簡単にくるっとキッドに背を向けて呼ばれた方へと走って行く。そんななまえをキッドは飽きる事なくじっと見つめていた。そして鉄馬はその彼らの様子を見つめている。
「何見てるの?」
そんな鉄馬になまえと同じくマネージャーである比奈は訊ねた。それに対して鉄馬は黙ってなまえのいる方を見つめるキッドを指差す。
「ふーん…。」
それを見て比奈は恋愛の矢印が誰に向いているのかを理解し、興味深げに口元を緩めた。
そして部活が終わると、なまえとキッドは監督に呼び出された。
「明日の作戦会議だっ!」
そう、明日はいよいよ試合なのだ。春大会の1回戦だ、気を引き締めてかからなければならない。監督はミーティング室でエアガンを発砲してスクリーンにビデオを映す。
「なんで俺ら2人だけなんスか…?」
「主務とチームのブレーンだからな!」
至極当たり前の疑問をぶつけるキッド。またエアガンが放たれた。監督の答えに1つの疑問を抱いたなまえはキッドを見て訊ねる。
「私いつの間に主務になったの…??」
「あれ、聞いてないの?うちはマネージャーと主務は兼任だって。」
相内は今年からチアのキャプテンになったから今年からマネージャーだけだけど、と付け加えた。
「聞いてないです。」
また監督はノリだけで人を連れてくるから……とは言えなかった。何しろ彼女をこの部に引き込んだそもそもの原因は自分にあるからだ。
「まあ…きっとあの監督には何言っても無駄ね。」
そう言ってなまえは笑った。一瞬辞められるのではと思ったが、その心配もなさそうだ。それからミーティングは30分くらい行われ、対策はばっちりと言って良いほどだった。
ミーティングが終わって外に出ると確かに少し肌寒い気がする。
「夜になると、春でもちょっと冷えるねー。」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。…ありがとう。」
「送ってくよ。」
今日も少し遅くなったし危ないからねぇとキッドは付け加える。
「いいの?」
「どのみち途中までは方向一緒だからねえ。」
空がもう既に暗くなりかけている中、共に歩き出した。
「あのね、キッドくん…正直に答えてほしいんだけど……。」
「何?」
道を歩きながらなまえが恐る恐るキッドに話を投げかける。キッドは自分より身長の小さい彼女を見下ろした。
「私……ちゃんと役に立ててる?」
なまえはアメフト部に入って以来、抱いていた不安をキッドに話しだす。彼に言いたくなったのは、彼は全体の状況をよく見ていて……何より彼の傍にいると安心出来ると感じたからだ。
「すごく助かってるよ。君以上の人材は見つからないんじゃないかねえ。」
「ありがとう…。」
なまえはキッドの言葉を受けてとても温かい気持ちになった。
「不安なことがあったら何でもいいから今みたいにまた相談して。マネージャーと主務兼任で負担が大きいだろうし…。」
キッドくんはいつも私の欲しい言葉以上のものをくれる。どうしてこの人はこうも優しいのだろう、となまえはキッドにとても惹き付けられた。
「キッドくんの優しさが胸にしみるわ…。」
「おおげさだよ。…この辺りだったっけ?」
「あ、うん。キッドくん、本当にありがとうね。」
「ああ。」
そう言って微笑んだ彼女の表情はとても優しいものでキッドにとって心惹かれるものであった。彼女の微笑みにつられてキッドの表情もゆるむ。彼女の傍にいると心がとても落ち着いているのをキッドは感じた。なまえの微笑みを見つめながら、どうして彼女の微笑みに惹かれるのかもなんとなく分かった。彼女の微笑みは、まだ俺が君の許婚だった頃、とりわけ幸せだった子どもの頃のことを思い出させるのだ。甘い思い出は、全てが澄み切った青空のように鮮やかに思い出される。
「……明日の試合、頑張ろうね!私も、みんなのサポートができるように頑張るから。」
「そうだね。……また明日。」
「うん、また明日!」
そして2人は別れた。しかし2人とも別れた後、お互いの事を考えていた。
なまえは家に帰ってからもキッドのことが頭から離れなかった。何もしていない時、脳裏によぎるのは彼の微笑みと優しい言葉だった。彼のことで頭を支配されるのをなんとか避けようと、なまえは寝る間際になって明日の試合について考えてみる。
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