昨日はなんだか体調がわるくて、化粧も落とさずにねむってしまった。オイルクレンジングをしながら大分ふくらんできたお腹をすこしだけ邪魔に思う。とても愛しくてとても大切だけど邪魔なものは邪魔。これからもっと大きくなるのに。前かがみになる時だけ背中に回ってくれたりしたら助かるのになあ、らくだのこぶみたいに。生憎そんな形の子宮も親切な胎児も持ち合わせていないので、文句を言わずにオイルを流した。「なあ、今日元気?」背後から起きたてほやほやの明王の声。


「お散歩?いけるよ」

「ん、たまには河川敷でも行こうぜ。雷門町」


目を開ければ、落ち切らないオイルが乳化して半透明の世界が広がっていた。明王の色白な顔がふわふわぼやけている。やだ。なんだか儚くて届かない気がしていやな世界だ。慌てて洗顔をしてすべて落としきってもう一度振り返ると、そこにはなにがあったのかテーブルに腰骨を打って悶絶する普通の明王がいた。よかった。ホルモンバランスの崩れなのか変なところで昔の明王みたいになる最近のわたしなのだった。びしょびしょの顔を拭いたタオルで頭を撫でておく。

着替えて、わたし達は仲良く朝兼昼ごはんを食べた。「あわてたあひるが?」「あ。……今時これ古くね」「ジェネレーションギャップだ…」この子が生まれてから詳しくなればいいので今はまだわたしの脳内はひろみちお兄さん。食器を片付けて歯磨きをして、いざお散歩へ。妊婦は運動大切(明王談)。


「…なまえ、ヒール履いた?」

「あー履いてないよ、違うの出すために邪魔だったからそれも出しただけ」

「……紛らわしいからやめろ」


素直に心配させるなとは言わない不動明王と手をつないで、ふらふらと河川敷までの道を歩く。生産性のないどうでもいい会話と普通すぎる景色と、ちょっと特別な旦那さんと。有名なサッカー選手の手は華奢であたたかくて、時折わたしのおなかに触れる。家族三人のお出かけだって明王も思ってくれているのだ。思わず笑ったら、明王もお前きもい、なんて笑った。
昔とすこし変わった河川敷から若い掛け声がする。懐かしい。あの頃は河川敷に行くとよく円堂の声がした。ナイスパス、いいシュートだ、その調子だぞ天馬!そうそう、そんな感じの元気な声援だ。……天馬なんて10年前にいたかな。

「げ、」明王の声につられて下を見ると、24歳の円堂が変わらない笑顔で大きく手を振っていた。





「不動もみょうじも久しぶりだな!こいつらうちの自慢の生徒、松風天馬と剣城京介。今特訓中なう」


にっかり。Vサインにへえーそれはお疲れさま、と返す。あの円堂も流行言葉を使うようになったんだなあ。今今特訓中になってるけどそこは円堂なので仕方がない。子どもふたりがツッコまないのでわたしたちもスルーさせていただこう。

子どもたちはそんなことどころか、きらきらしたおめめでわたしの隣を見つめていた。吸い込まれそうな青と三白眼の金にじっとガン見されて居心地悪そうにする明王は、よく考えなくても世界で大人気のイケメンサッカー選手。サッカー少年のあこがれなのは当たり前だった。ましてや彼らは確か雷門中、FFIでも活躍した明王に輝かしいなにかを感じているのだろう。「サインあげなよ明王」「…ペンなんか持ってねえ」そこかよ。口を開いたわたしを、青い目の方(松風くん?)が見た。


「奥さんですよね!前にご結婚のニュース見ました、FFIのマネジャーしてたって」

「えっあ、うん」


奥さん。そんなに言われる機会がなくて今だに慣れないそれはむずがゆい。不動姓になってもう1年は余裕で経つというのに。明王の知り合いには嫁だ嫁だとはやされたものだけれど、奥さん。少しおしとやかで大人らしい響きだ。恥ずかしくなって助けを求めた明王は、ペンを持っていたらしい剣城くんのノートにサインしてぺこぺこ頭を下げられていた。案外サービスがいい。ヤフオクで売るんじゃないぞ剣城くん。

天馬くんはそのままそっと視線を下げてわたしのお腹を見た。とてもにこにこ、あまりにも嬉しそうなしあわせそうな顔。優しい子だとお腹に手を添えながら思う。「おなか、おっきいんですね」「マタニティウォーキングですか」剣城くんもやってきて言った。最近の中学生男児は妊婦に詳しいらしい。


「今何ヵ月ですか?」

「七ヶ月なう」


正しい使い方の言葉に、少年はほえーと感動したような声を上げる。ワンピース越しにすこしとがってふくらむ腹を撫でつつ旦那を見れば、なんかドヤ顔だった。何だあいつ伴侶自慢か。子ども自慢か。わたし夏未ちゃんになんか絶対勝てないからやめてくださいそういうの。パパになる予定はまだない円堂が生徒を呼んだ。どうやら明王も混ぜてサッカー特訓をするらしい。

河川敷特訓なんかに世界レベルをふたりもそろえて幸せな中学生だ。わたしも混ざりたいところだけどこの身体じゃプレイヤーにはなれないし、その間に付近を散策することにしよう。商店街で差し入れでも買ってこようか。今時の中学生ってなにが好きかな、こんなところでジェネレーションギャップは感じたくないものだ。


「明王、わたし特訓の間にお散歩とお買いものしてくるね」

「は?」


円堂のパスを受けた明王が、のばした足に器用にボールを乗せたままこっちをにらむ。「デスソード体勢…」天馬くんが剣城くんにぶったたかれた。ポケットに手つっこんだままボール蹴らないでっていつも言うのに明王はすぐ忘れる。頭いいくせに。


「だめだろ」

「重いの買わないよ、すぐ帰るし」

「いや無理」


無理って何ぞ。おろおろした円堂を申し訳なく思ってわたしもおろおろしているうちに、結局わたしは明王に引きずられてベンチに座らされてしまった。旦那の上着を掛けられて、座ったままの審判さんである。2対2のちょっとしたミニゲーム形式。マネージャー時代を思い出すなあとぼんやりボールの行方を見守った。秋ちゃんたちとわちゃわちゃやっていた、明王と喧嘩ばかりしていた…今もそうだけど、若きあの日だ。

雷門のユニフォームって今はあんなに派手なんだ。天馬くんも剣城くんも一年生だろうか。とても上手にボールを操るきらきらした子どもふたりを見ていると、やっぱりサッカーっていいなあと思う。お腹のこのちいさいのが出てきたら、わたしもまた明王とサッカーをしよう。ちいさいのがちいさくなくなったら今度は3人で。4人になっても5人になっても、同じボールを見つめるのだ。明王は漫画みたいに「サッカーチームができるくらいほしい」なんて言わなかったけど、そのぐらいのノリで。

見張っているのかなんなのかちらちらこっちを見る明王に手を振れば、旦那さんはすこし笑ってから軽く天馬くんを躱してシュートを決めた。ドヤ顔。かっこいいとこ見せたつもりか。かっこいい。






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