外まで焦げた玉ねぎの匂いがする。空腹の時に嗅がなくてよかったなあと腹を押さえてドアを開ければ、鍵の音が聞こえたらしい明王が機嫌よく迎えてくれた。匂いの元はうちだったようだ。伸びた髪をわたしのシュシュでくくる明王の何とかわいらしいことか。買い物にいくことは教えてあったから、社会人になって昔よりべったりではなくなった明王くんの機嫌は損ねずにすんだらしい。よかった。でもそのシュシュ破れかけてるやつなんですが。
「ただいま」
「おう。昼飯チャーハンでいいか?食える?」
「おう!明王のチャーハンすき!」
そうですか。口端をゆるめながらキッチンへ戻っていく。チラシの特売品が詰まったビニール袋をちゃっかり奪い去って。まさしく優男。しかししょうゆは重かった、ひとりで行けるとか車出さなくても平気だとか強がらなければよかったなあ。これで牛乳も買ったらきっと怒られていただろう。
冷蔵庫やら棚やらに買ったものをうまい具合に収め終わった辺りで、ネギ入れたい?と明王が聞く。緑のネギは今あんまり好きくない。首を振れば、「あいうぉんと皿」なんてかわいらしい発音が返ってきた。皿は日本語。
「あーこら明王、洗濯物蹴った」
「いずれは皺になる運命だろ」
「運命を覆すなよ…」
積まれていたタオルに足を引っ掛けてお盆の上のお皿をがちゃがちゃ鳴らし、リビングまで二人前を運んできた明王はめんどくさそうな顔をする。畳み直すこっちの身になりなさいとは言わないでおいた。料理しない分際で文句なんて言えたものではない。行儀よく手を合わせて同時にいただきますをする。チャーハンなのにお箸。
「間違えたの。食えればいーの」
視線に気付いたらしく、ばつが悪そうに言ってごまかすようにがつがつとお米を摂取していく。それをしばらく眺めてから、わたしも食事に入った。昔よりもどんどんおいしくなっていく明王の味。これは食べてもきもちわるくならないから不思議だ。
まあわたしのつわりは空腹になりさえしなければ結構元気なやつなので、家事は一応こなせている。いわゆる食べづわりというやつ。
妊娠しますた。噛み噛みの報告に、驚きのあまり大口を開けてぼろっとまさかの涙をこぼした明王も、妊娠三ヶ月後半の今ではなんとなくパパを意識し始めているようである。実際にそうなる日まではまだまだだから、あくまでなんとなく。
「で、一人で買い物なんか大丈夫だったわけ?」
「うん、おにぎり食べてったから。用意しといてくれてありがとう」
「何食えっか分かんねえから真っ白だったけどな」
混む前に買い物に行っておきたくて、二度寝中の明王を置いて買い物に行ってきたのだった。リビングでラップに包まれていた小さなおにぎりを思い出してほくそ笑むと、照れ臭そうに頭を叩かれる。わたしのつわりが軽いのは、ストレスがそこまでないというのもあるのかもしれなかった。
髪を結ったままの明王は、自作の昼食をがっつきながらもちらちらわたしの様子を見る。理解してくれないどころか心配しすぎだ。思いながら笑ってみせれば、案の定安心したのか同じようににかっと笑ってごはんに集中し始めた。お腹に何か入ってれば平気と何回言えば分かるのか。
「そういやさっき、鬼道くんからメールきたんだけどさあ」
「ほお、めずらしいね」
「来週あたり来るみたいなんだけど」
連絡は全然しないのに仲もいいしよく会う。それがW司令塔の友情なのだった。今回はどんな用件なの、問えば箸片手に携帯を開いてにやにやしながらそれを読み上げてくれる。そんな面白いのかな。
「俺が去年贈ったベビー服は何色だっただろうか、だそうです」
「ぶふっ」
去年送ったベビー服。それはもしかしなくとも結婚したときに鬼道がくれたものだろう。後からイタリアのブランド品と聞いて大慌てでしまいこんだ、テンパった天才からの気の早すぎる贈り物。明王が出来婚じゃねえよバカと爆笑しつつも嬉しそうに眺めていたそれは、確か黄色とオレンジの男女を問わないかわいいやつだった。そこだけは頭が回ったらしい。
「もう次買うのかね。相変わらずお気の早いこった」
苦笑いなのか照れ笑いなのかをしながら明王は言う。わたしが妊娠してから仕事だけでなく家事も手伝いまくっているというのにやたら明るい表情なのは、幸せな家庭に強く憧れを抱いている明王だからこそだろう。俺はいい父親になってやるのだと、まだまだあんまりふくらんでいないわたしの腹を撫でながら言っていた。
明王とわたしの子供。うまく育てないと超ひねくれそうなもんである。いや、明王が孤高の反逆児()だったのは家庭が理由だったわけだから、わたしたちが適度に甘やかせば素直なかわい子ちゃんに育つのかもしれない。今の明王みたいに。…いや、それはちょっと甘えん坊すぎるかな。
「なまえ、おかわりは?」
「いらぬ」
「さいですか。ん、持ってくから貸せ」
まあ、甘えん坊だろうがツンツンだろうが、このくらい優しくなってくれるといいな。皿を受け取っていつのまにかきれいに積み直したタオルを器用に脇に挟みこみ、台所へ向かう明王を見送った。
わたしも洗いもの手伝いにいかなくちゃ、立ち上がったら座ってろと怒られる。だから何度言えば。やっぱり表面はどうであれ、優しい人が一番なのだ。