「やっ」

「え、歩くのかよ?」


こくん。頷いて歩き出そうとする息子の服をあわてて掴んだ。予想外だった。カートにつけられた子ども用の座席に座らせようとしたら拒否られたのだ。先月までは座席がないカートにすら乗りたがってうるさかったくせに。座っていてくれた方がこちらとしては楽なのだが、仕方ないので普通のカートを引いて小さな手を握った。何度も来ている特別性も何もない普通のスーパーを、きょときょと眺め回すちびは危なっかしくてたまらない。まあ幼稚園児向けの菓子用みたいなカートを自分で押したがるよりいいか。そういえばふたりで来るのは初めてだな。広がる野菜の棚を前に聞く。


「なに食い…食べたい?」

「あいす」

「晩ごはんなんだけど」

「え?はんばぐー?」


なんかいつの間にかハンバーグに決定してた。特に食いたいものも安いものもないしそれでいいか。とりあえず挽肉コーナーへ。ゴミみたいに積んであるもやしもカゴに放る。ちびもなまえも、茹でた人参だとか野菜野菜したものは好まない。レタスも入手してカートを押した。左手はカート、右手は息子。引っ掛けてあるサッカーボールが邪魔くさく揺れるのをちびはぽけっと眺めている。前向いてくれ。

自慢でもないし興味もあまりないが、俺はそれなりにファンが多い。鬼道くんとどっちが多いかっつったらよく分からない程度には多い。が、伊達眼鏡しかしていないのに俺が不動明王だということは案外まわりにはばれないのだった。ばれても特に騒がれたりしない。この付近はサッカーに関する知識があると共にお行儀もいいのだろうか。好都合だ。嫁が民間人、名前も調べれば知られてしまう身としてはとても動きやすい。


「ぱぱ、ごーばすた!とう!」

「ごーばす?ゴレンジャーみたいなやつか?」

「なにそれ!ごれんじゃなんかないよ!」

「……ジェネレーションギャップ」


ちびが戦隊もののソーセージの前でぴょんぴょんするのでそれもカゴに入れてやった。甘いと叱られる気がしなくもないけどまあいいか。ちびが嬉しそうなので気にしない。俺も大分甘ちゃんになれてしまったということで。
もし子どもが女だったら、ヒーローものではなくあの肉弾戦ヒロインのアニメを見せられていたのだろうか。そんなことを考えると息子でよかったななんて思ってしまう。俺がプリティでキュアキュアって。我ながら引くわ。なまえが大好きだった昔のカードキャプターがギリ許容範囲な俺にはむずかしいものがある。

挽肉を得て肉コーナーを離れると、ちびはヨーグルトやらチーズやらの集まる棚へてってこ駆けていった。人に紛れないうちに追い掛ける。ターゲットロック。小さい体は棚を指差して停止した。


「プチダノン?食うの?」

「だのんちゃん、うん」

「ダノンちゃんな、はいはい」


飴ちゃんの派生みたいなものだろうか。あいつが言い始めたに違いない。かわいいつもりか。とりあえず帰宅したら聞いてからかってみようと思った。
しかしうちの子はただもこねないし走り回らないし、無駄なほどおとなしい。俺は自分の子ども時代をいまいち聞かされていないからよくわからないが、少なくとも母親似ではない中身だなと思った。誰に対しても言葉数が少なめ。男は特にそうなのだと聞く。今も昔もうるさいなまえとは大違い。2歳のあいつなんか知らないけど。レジに並んだまま抱き上げればうちのちびは無言でにこにこした後に「うへへ」とぐにゃぐにゃした。あ、その口は、似てる。





…駄々こねないはずだったんだけどな。ヤンキーよろしくいわゆる「ウンコ座り」をして、俺はあくびをもらした。帰りてえ。肘を置いて頬杖していた膝も痛くなってきつつある。うまい具合に日陰になったフェンスにしがみついてちびは微動だにしない。
フェンスの先にあるのはなんということはないただの線路。茶色く錆びた鉄の上をただただ行き来する電車をもう4本は見送っている。なにが楽しいんだろうか。ちいさい背中から漂うご機嫌加減に俺はなにもせずに横に座り込んで待っている。肉買っちまったけど5分くらい平気だろう、そんな余裕をかましてしゃがみこんでからゆうに10分経った。ビニール袋を持ち直す。


「ちび、パパ行っちまうからな」

「うんー?」

「お肉買ったから。早く帰ろ」

「うん?」


聞こえてるくせに聞き返してきやがる。最近のちびの巧妙な手口だ。とりあえず立ち上がって何歩か歩いた。じりじり、久しぶりに直に当たる陽光が背中を焼く。ちびはフェンスから手を離さないまま俺を振り返った。そのポーズはなかなかに可愛い。可愛いけどそういう問題じゃねえんだよ。
俺が超困ってるみたいな表情を作ると、ちびも困った顔をする。「帰るぞ」「うん? でんたがくるよ」「電車は明日も来るから」だから今日は帰ろう。ハの字眉毛に負けてしまったら肉が腐る。明日も来る気なんて毛頭ない俺の手を、ちびは仕方なさげに握った。……なかなかにえらいな、こいつ。よく見るこのくらいの子どもは何を言われても動かずに、怒って先に行ってしまう親を泣きながら追い掛けるのがデフォルトだと思っていた。渋々といった具合のちびは何度か線路を振り返ってから小さい足を踏み出し始める。さすが俺の子である。


「ママ待ってるから急ごうなー」

「ままねー、おやつ、うん」

「……自己完結すんな」


そういえばサッカーする余裕がなかった。まあ、いいか。帰宅したらおやつを食べさせて寝かし付けて、それから。まるで母親のような思考は、ちびの本当の母親にはばれたくねーなと思った。キャラじゃないって笑ったあとに嬉しそうな顔をするなまえが浮かぶ。…うん、むかつく。







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