「飛び込んだらしいよ」駅から出てきた女子高生ふたりの会話が遠ざかっていった。いやな予感がしてすこし早足。やめろよ朝からそういうの。予想が外れているのを願いつつもやっぱり足は急いでしまう。
もうすっかり見慣れた駅なのに、構内に入ったとたん異質な空気にとり巻かれた。いつもに比べて人の溜まりが格段に多いのだ。他に比べて大きい訳でもない改札付近に、冬服で体積を増した人間がわらっと集まっている。なんだこれ。

流れる電工掲示板を目で追えば、やっぱり人身事故で上下線とも運転がストップしているようだった。時刻は7分前、起きたてほやほや。これはしばらく動きそうにない。立ち止まったとたん感じる風の冷たさに震えながら視線を落とす。


「……あ」


前に立っていた人のバッグから定期入れが転がり出た。女の物にしてはシンプルな革の赤を踏まれないうちに拾い上げる。

秋色のショートパンツから伸びる、タイツを纏った長い足。あんまりやわらかくはなさそうな曲線なのに不思議と美しくて、モデル体系にブーツが映えている。「あの、」高い位置にある肩をたたくと、ゆったりしたポンチョが顔の両脇に一房ずつ垂れた髪と一緒に揺れた。


「定期落としましたよ」

「あ、ありがとう」


ぱっと振り返る後ろ姿美人は、予想以上に顔も完璧だった。手をのばしながらつくられた白い歯ののぞく凛とした笑顔に目を見張る。毎日見ている美形レベルに外で会ったのは初めてだ。あれ、でもこの人…。儚いだけでは終わらない美しさに捕まった、ような気がした。


「あれ、なまえ!」


実際捕まってた。

儚いだけで終わらないのは当たり前だ。男だもの。無意識なため息をつくわたしに、照美くんはにこにことわたしの腕を掴んだまま首を傾げた。一見クールな見かけなのにお花の飛んでいそうなかわい子ちゃんである。わたしが散々美人だなあと眺め回していたのは見慣れた男だったのだ。髪型がちがうと分からないものだよね。


「おはようなまえ」

「おはようございます、朝からハイテンションっすね」

「朝ごはんがキムチ納豆だったんだ!」

「それ女の子に絶対言わない方がいいですよ」


でも彼にとってはせっかくいい朝だったのにこれじゃ台無しだろう。風通りのいい改札口は今もなお人が増え続けていて、だんだん居心地が悪くなってきた。なにも朝に自殺しなくたっていいじゃない、不謹慎だが誰もが考えることだ。駅員がメガホン片手に目撃者を捜し始めて、照美くんは困り顔で店の連なる方を指差した。


「混む前に店でも入ろうか」

「そうですねー…」


遅刻はめんどくさい、もう二限から出よう。幼なじみにメールをしながら歩いて、二人で構内のチェーン店なのかもよく分からないカフェに入る。スタバじゃなくてよかった。あそこの注文方法はなんと言えばいいのか、もう呪文だ。一回明王と行って詰んだ。
朝ごはんも食べてしまったけど紅茶とパンケーキを頼んで、照美くんはコーヒーとサンドイッチ。キムチ納豆食べたんじゃなかったんですか。男の胃袋は朝から全力である。


「あー風丸さんとかにメールしといたげますか、今動いてないよって」

「風丸くんはもう出てるはず…そろそろミストレくんが出る時間かな」

「ミストレくんか」


電話帳からアドレスを引っ張り出す。照美くんもなにやら携帯を操作していた。向かい合わせに座りながら別々な方へ目を凝らす様は、周りから見たらどうなんだろう。現代的なカップルだと思うだろうか。

メールを送信しながらそんなことを考えて、更によくよく考えたらカップルに見えるわけがないことを思い出した。今の照美くん女装。あのアパートを住みかにしているせいでやっぱり概念がずれてしまっている。普通の人は彼を男だとは到底思わないだろう。体格をいい具合にカバーした服装に視線を戻してもう一度ため息をついた。

携帯を置いて届けられたコーヒーをすすると、照美くんはさっきのようにきれいに笑う。彼のきれいじゃない笑いなんて見たことがないけど。プリ撮っても変顔しなそう。


「ちょっとだけサボりみたいで楽しいね」

「どうせ遅刻なら寝てたかったですよ」

「布団恋しいなー、はは」


ラジオ体操は授業が二限からの時は参加しなくてもいい仕組みになっていた。これじゃ何のために早起きしたんだか分からない。サボり気分を味わうより少しでも長く睡眠を貪っていたい。どんどん人の増えるガラス戸越しの改札の方を見やって、照美くんはやだなあと零す。

見たわけではないのに、気分が悪い。女子高生の会話がリフレインした。食べたいのに食べる気になれなくて、かわいい色をしたジャムをパンケーキの上でつつくだけの簡単なおしごと。意に反した想像力が駆け巡る。約1時間後わたし達が乗る電車の下で広がっていた色は、きっと、「大丈夫?」


「…え」


顔を上げると、まっすぐ目が合った。ひそめられた形のいい眉に、心配させているのだと気付く。ぶれない赤い瞳。赤いのに、安心する。思考にぶちまけられた色なのに。そうだ、わたしは何の関係もなくて大丈夫なのだと、分からせてくれる。左手の紅茶の暖かさが戻ってきた。わたしったらなんて紙メンタルな。


「大丈夫、です」

「そっか」


ふわっと弛む表情は凛々しさが抜けていたけど、つられてはにかむには十分で。目撃者らしきおばさんと駅員さんが隅っこで何やら話しているのが見える。サンドイッチ片手に照美くんはふわふわ笑っている。もう、大丈夫だった。

悔しくてわたしもパンケーキをがっつく。モデル並にかっこよくて女よりかわいくてそれでいて頼りになるだなんてそんなの、ひとつも勝てっこない。男の娘最強。紅茶もおかわりの分まで奢られてしまって、わたしはいよいよ照美くんを崇めるべきなのかと思った。





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