「エレーン!」

朝の穏やかな空気に弾む声色がよく響く。その声を耳にした途端、自分の眉間に力がこもったのは気のせいではないだろう。
ああ、またかクソ…。
視線をちらりと横に流せば、今朝もいつもと変わらないあの光景が目に入る。

「なまえさん!おはようございます」
「おはよー」

なまえはでれでれとだらしない顔でエレンを見つめながら、彼のやわらかい髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱すように頭を撫でる。エレンはそれを満更でもない様子で受け止めていて、眉間のついでに握った拳にもぐっと力が加わった。かわいいね〜と言いながらエレンと戯れるその姿はもうリヴァイ班の中では日常の一部と化していて。俺はそれが心底気に喰わない。

「てめぇら……」

握った拳をぷるぷると震わせながら、俯き加減に地を這うような唸り声を出す。真っ青な顔でこちらを向いた二人をぎらつく視線に捉え、ぼきぼきと指の骨を鳴らしたらもう準備は万端。

"リヴァイが本気(マジ)で怒る(キレる)まであと5秒"


なまえはエレンを溺愛している。おそらく、だが。一度だけ理由を尋ねたことがあった。
"なぜそこまでエレンを構う"と。
返ってきた返事は予想外にも「かわいいから」の一言だけだった。それから何度も二人の様子を観察してみたがどうやら男と女の関係ではなさそうだ。エレンの方はどうだか分からないが、なまえの方はエレンの奴をまったく男として見ていない様子。そうと分かれば一安心。
な、はずだった。
俺は何を焦っている?なぜこんなにも苛立つ?
振り下ろした拳を握りしめ、目の前で真っ赤に腫れた頬をさすりながら恐怖に震えるエレンを睨み付ける。本当ならもう一発殴るか蹴りを喰らわせてやってもいいのだが、近くになまえがいる所為でそれも叶わない。やり場のない苛立ちが消化しきれずに、自分の中で暴れていた。

「毎朝、毎朝じゃれ合いやがって…。うぜぇんだよお前ら。いい加減やめろ」

自分でも驚くほど感情の制御が出来ない。見下すようにギロリと鋭い視線を向けながら右足を振り上げれば、なまえはエレンを庇うように俺の前に立ちふさがり、やめて下さい!これも大事なスキンシップなんです!と声を上げた。

ブチッ

嫌な音ほどよく響くものだ。何かを察したように俺の周りから離れていくぺトラ、オルオ、エルドにグンタ。なまえの後ろにいるエレンも先ほどよりも顔色が悪くなっている。どうやら気付いていないのはこの鈍感女だけのようだった。

「……ほう……ならなまえよ」

ここに来てようやく、異変に気付いたなまえ。今更そんなに青い顔をしたって遅い。この時の俺はきっと、おそろしいほどの不気味な笑みを浮かべていたことだろう。

「そのスキンシップとやら、俺にも教えろ。もちろんお前の拒否権はねぇ…これは、上官命令だ」

震えながらぺたんと膝をついて座り込んでいるなまえを見てさらに苛立つ気持ち。
俺は一体、どうしたっていうんだ…。
最近の俺はどうも気持ちと思考が、一致しない。

*****

最近のリヴァイ兵長はどこかおかしい…気がする。わたしがエレンと一緒にいると睨まれて、必ずエレンが何かしらの被害に遭ってしまう。(殴られる、蹴られる、背負い投げをされるなどなどそれはもうひどい)
そればかりか無理やり引きはがされることだってあるのだ。今朝もいつもと同じようにエレンと朝の挨拶を交わしていただけなのに、リヴァイ兵長はひどく怒ってしまい、わたしは今日からしばらくリヴァイ兵長の補佐官をすることになった。

「これをまとめておけ」
「あ、はい」

分厚い資料を手渡されてそれを見ながら内容をノートに写す。単純な作業だ。これはこの間行われたエレンの実験の結果で、リヴァイ兵長が目を通したものをわたしが受け取り、さらに記録用としてハンジさんが走り書きしたものを分かりやすくまとめておく。先ほどからそれの繰り返し。
リヴァイ兵長はまだ今朝のことを怒っているのか、仕事のこと以外しゃべろうとしない。
話したことがない人たちは勝手にリヴァイ兵長が無口だと決めつけているようだけど実際は違う。意外と結構しゃべったりするのだ。しかも冗談まで言うから、どちらかといえば親しみやすい人だと思う。

普段のよくしゃべる兵長を知っている分、ここまで会話がないとこの空間にいることが苦痛に思えてきてしまう。この威圧的なオーラもそうだし、何よりときどきこちらを見る視線が怖い。たまに目が合うけれど何を言うわけでもなく、そのまま視線を逸らす。元々何を考えているのかよくわからないけれど今はもっと謎でしょうがない。

わたし…何か悪いことでもしたかな…それとも、あんまり良く思われていない…?
いや、最近エレンと遊んでばっかりだったから怒ってるのかな…ああ…そうかもしれない…だから今朝もあんなに怒ってたんだ…うぅ…どう考えてもわたしが悪い……ちゃんと反省しなきゃ…

自己反省会を頭の中でぐるぐると繰り広げながら作業を続ける。すると、リヴァイ兵長が声をかけてきた。

「おい」

数時間ぶりの声に驚いて思わずビクッと肩が跳ね上がる。そしてぎこちない動きで首を回し、隣のリヴァイ兵長を見た。その表情やっぱり今朝のように怖くて…(いや、むしろ今朝より怖かったかもしれない)途端にだらだらと嫌な汗が背中や手のひらに滲んでくる。

「な、なんでしょう…か……」

喉の奥から絞り出したような情けなくか細い声で返事を返す。その声の所為か、リヴァイ兵長はもっと深く眉間に皺を刻み不機嫌になってしまう。

ひぃぃ…!も、もっと怒っちゃったよ…!
ご、ごごごごめんなさいぃ…!

口にすることが出来ない謝罪の言葉を心の中で叫びながら返事を待つ。しばらくの間、リヴァイ兵長はじっとわたしを見つめていて何も言葉を発しなかった。その様子に疑問を抱きながらあることに気が付く。
こちらも兵長の様子をじっとみていたのだが、眉間の皺が次第に薄くなっていく。そのおかげで自然と恐怖心がほどけていき、最後にはきょとんとした目で何事もなかったかのようにリヴァイ兵長を見つめていた。不自然に見つめ合ったままどれだけの時間が過ぎただろう。静かな部屋の中にはコチッ、コチッと規則正しく時を刻む音が際立つ。。

ど、どうしたんだろう…

ついに我慢が出来なくなり、わたしが声をかけようとしたそのとき。コンコンッと扉をノックする音が聞こえて、そのあとに上擦った声でエレン・イェーガーですと付け加えられた。

あっ、エレン!

その声に即座に反応するわたし。だけどここはぐっと堪える。今朝怒られたことを思い出したからだ。リヴァイ兵長はあっという間に不機嫌な表情に戻ってしまい、低い声で入れと言った。部屋に入ってきたエレンの顔には、まだ兵長に殴られた跡がほのかに残っていて。それを覆うように貼られた湿布がなんだか痛々しかった。

「用件はなんだ。さっさと済ませろ」

資料を手にした兵長が足を組んみながらエレンを鋭く睨み付ける。そのときのエレンの反応と言ったら…怯えながら体をビクッと震わせて、唇をきゅっときつく結んでいる。握った拳は震えていて、あちらこちらと忙しなく目を泳がせながら一瞬だけこちらに助けを求めるような視線を向けてきた。(不謹慎にもわたしはかわいいと思ってしまった)
エレンがこの班にやってきたのはほんの一ヶ月前。訓練兵から上がりたての彼は素直で純粋で、まるでわたしの本当の弟のようによく懐いてくれたからもうかわいくてしょうがない。だからエレンが視界に入るととついつい構ってしまいたくなるのだ。
だけどここで助けるわけにはいかない。わたしは今反省中なのだから。

ごめんね、エレン…

心の中でそっと謝罪の言葉をつぶやくと、助けてあげたい気持ちを飲み込んで手元にある作業に戻った。頭の中には助けを求めるエレンの捨てられた子犬のように潤んだ瞳がいつまでも焼き付いて離れなかった。そのかわいさで悶えそうになったのは秘密である。
エレンは掃除が終わったから点検をしてほしいとリヴァイ兵長に告げると、すぐに部屋を後にしようとした。が、わたしは少しだけならいいだろうと、帰り際のエレンに声をかけてしまった。

「エレン、ほっぺ大丈夫?」

すると、背中を向けていたエレンが振り返り大丈夫です、もう治りました。そう言って笑いながらほっぺの湿布をはがして見せた。少しだけあとは残っているが、ほとんど治ったと言っていい頬を見て安心すると、よかったとほほ笑み返す。その後もぽつぽつと2、3回言葉を交わしたあと、エレンは部屋を出て行った。最後に見たエレンはすっかり緊張も恐怖もなくなった無邪気な笑顔を向けてくれて。それがたまらなく嬉しかったし、心から安堵することが出来た。それは胸の中に残っていた罪悪感がすーっと溶けて消えた瞬間でもあった。

エレンが去ったあと、やっぱりかわいかったな〜と一人余韻に浸りながらぼんやりとしていると、隣からわたしの名前を呼ぶ声がする。ぼんやりしていたことを怒られるのかと思い、焦って返事を返すと、意外にもリヴァイ兵長は少し休むかと声をかけてきた。怒られなくてよかったとひっそり胸をなで下ろしながらじゃあお茶を淹れてきますねと立ち上がる。

「ああ、それならあとでいい」

リヴァイ兵長の声がしたかと思えば、ぐいっと強引に引っ張られる腕。瞬時にバランスを崩した体がぐらりと傾けば、背中を支えられてそのまま抱き上げらるような形になる。どこへ行くのかと思えば、近くのソファの上にふわりと下ろされてそのままリヴァイ兵長がわたしの上に覆いかぶさってきた。

「えっ……あ、あの……へい、ちょう…」

ん?えっ?
な、何が起こったの……?

何が起こったのか分かっていないわたしは目をぱちくりとさせて前を見つめる。がっしりと押さえつけられた両腕と、正面にはわたしを見下ろす兵長の綺麗な顔。

腕が、痛い…
リヴァイ兵長が、近い…
近い……ち、近い!?

ここでやっと自分の置かれた状況が分かり、一瞬で全身の温度が急上昇する。

「な、何してるんですかっ!」

声を上げてみるも、リヴァイ兵長はまったく動じずに真顔でわたしを見下ろしたまま。わたしはというと、当然頭の中がパニックで混乱状態。おまけに男の人にこんなことをされたことがないため、恥ずかしくてしょうがない。

「リヴァイ兵長!離して下さい!は、恥ずかしいです…!」

かなわないと分かっていてもじたばたと足を動かして抵抗をしてみる。だけどどんなに力いっぱい暴れてもそれはまったく効果がなくて、わたしを見下ろすリヴァイ兵長の顔は涼しいままだった。

どうし、よう…

なぜいきなりこんなことをされたのか、どうして彼は何も言わないままなのか、何も分からない上に、微かな抵抗も意味はないと改めて実感したわたしはただ黙って相手の様子を伺うことしか出来なかった。リヴァイ兵長は何を考えているのか、視線を逸らすことはなくまっすぐにわたしを見つめたまま。今までにないほど距離が近くひたすら目を見られている所為か、次第に心臓がどきどきと高鳴りはじめてますます混乱してしまう。

さっきからいろいろおかしい…!こ、これじゃまるで、わたしがリヴァイ兵長のこと…

頭の中に過ぎった予感をかき消すように顔を背けた。
その瞬間。

「ああ、そういうことか…」

ひとりごとのようにぽつりと、リヴァイ兵長がつぶやいた。

「えっ…?」

カチッと音がしたように感じた。まさか自分の人生の中で本当に人の笑顔を見て凍りつく日が来るなんて思ってもみなかった。リヴァイ兵長の綺麗に整った口元が微かに口角を上げ、黒い瞳はやんわりと満足そうに細められ、あっという間に不敵な微笑を作り出す。その笑みに身の危険を感じたのは言うまでもなかった。顏も体もすっかり強張ってしまい逃げようにも逃げられない。

「…なぁ、なまえよ」
「は、はい…」

低い声で名前を呼ばれればゾクリと背筋を寒気が走り、声も体も小さく震えはじめた。
このままではいけないと頭でわかってはいた。だけど視線を逸らそうにも、瞳をまっすぐに射抜かれたかのように捉えられてしまって少しも動かせない。ただ吸い込まれそうなほど真っ黒で艶のある目を見つめることしか出来なかった。リヴァイ兵長はゆっくりと手を滑られせてわたしの顎を親指と人差し指でつまむとくいっと持ち上げる。それからスローモーションのように彼の顔が近づいてきたかと思えば、唇に少し冷えた柔らかなものが触れた。

ん…?
えっ…へ…?………っっ!???

「っ!?えっ、!?リヴァイ、兵長!?な、何を…!」

気付いた頃にはリヴァイ兵長に唇を奪われてしまっていて、キスをされたんだと理解した途端に顔から火が出そうになった。恥ずかしさで悶えそうになるわたしをがっしりと固定したリヴァイ兵長は、わたしの反応を楽しむように不敵にほほ笑みながら
「スキンシップ。だろ?」
と、さもそれが当然であるかのように言い放つ。

こ、この人は何をっ…!!!

「そ、そそそそれは!わたしが思っているのと何か違いますよ!」
「悪いな、俺の中でのお前とのスキンシップの取り方はこうなんだよ」
「お、おかしいです!」
「何言ってやがる。これも部下との大事なスキンシップだ。お前だってエレンにしてるだろ?」
「そ、それは…っ!!」

たしかにスキンシップはしてるけど、やっぱり思ってるのと何か違う!!
こんなの絶対におかしい!

焦るわたしを他所に、さらに距離を縮めてくるリヴァイ兵長。わたしは顔を逸らしながらやめて下さい!と最初で最後であろう、必死の抵抗を見せる。
だけどこれがいけなかった。顔を背けたことで露わになった耳に、熱いふっと息が拭きかかる。まずいなんて思ったころにはもう遅くて。

「遠慮してんじゃねぇよ……せっかくの機会だ。俺とも仲を深めようじゃねぇか」
「っ!!!」

耳元で囁かれた甘い声に、わたしはあっという間にすべてを奪われてしまった。
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