目覚めはいつも、ひとりだ。あたたかい日差しが白のレースカーテン越しに差し込んできて、光がちょうどわたしの顔の上に降り注いてくる。まぶしさで目を薄く開けると、白一色に統一された部屋があって。そこはやさしい日の光が射し込むわりにはひどくさみしく見えた。
寝起きのぼんやりとした頭でゆっくりと昨晩の記憶を呼び起こしていく。風が吹き抜けていくように、一瞬の星の瞬きのように時間はあっという間に過ぎていった。今わたしの隣にはもう何も残っていなくて、そこにあったはずの彼のぬくもりすら残っていない冷たくなったシーツをなめらかに撫でる。蘇る夢のような甘い記憶は、胸の奥をじりじりと刺激して締め付けた。

一晩だけ許された、恋人と過ごす時間。わたしと同じ執行官である狡噛 慎也。執行官として先輩であり、恋人でもある彼とは数ヶ月前から今のような関係になっている。しかし、自分たちの立場上、普通の恋人らしいことなど出来ない。犯罪係数の上昇で潜在犯となってしまったわたしたちはある種の特例で執行官として警察の職務に就くことが出来ているわけで、もちろん犯罪者には監視が必要となる。だから二人きりのデートなどもっての外。休日の限られた時間の中で、休みの合った日にお互いのどちらかの部屋で読書などをしてゆっくりと過ごすことが日常となっていた。

昨晩は彼がわたしの部屋に訪ねてきた。何日かに一回ある、夜這いとでもいうのだろうか。わたしたちのひそかなたのしみ。そしてわたしたちは文字通り身体を重ね、体温を分け合い、愛し合った。その後に狭いシングルベッドの上で身を寄せ合って眠りにつく。
いつもと同じ、ひどく機械的で無機質な世界で感じることの出来る数少ないちいさなしあわせ。だけどそれも長くは続かなくて。目が覚めると、いつもの如くわたしはひとりだった。

わたしたちのしていることは決して周りに良く思われることではなくて、これが公になってしまえば恐らくお互いの立場にも関わってくるほど大きな罪。宜野座さんはこのことに気付いているようだけど見逃してくれているようだ。ほかにも一係のみんなはこのことをなんとなく感づいているはずだけど、触れてこないし咎めてもこない。わたしたちはみんなに守られていた。これがずっと続けばいいなんて願わずにはいられない。でも、そんな願いをいつも心の中で握りつぶす。叶うはずもない願いは、しないと決めているのだ。

「……あ、報告書…」

わたしは鉛を背負ったような重い身体を起こして、顔を洗いに洗面所へ向かった。


重い足取りで廊下を歩いていると、見覚えのある影がコンクリートの地面に伸びていた。
まさか…と思いゆっくりと顔を上げる。

「…あっ」

そこには、彼がいた。

「ん?ああ、なまえか」
「…こう、がみ……さん…」

いつもと同じ黒いスーツに少し皺のついた白いワイシャツ。ネクタイは相変わらずゆるく結んであった。どうしてだろう、あんなことがあった次の日は彼の顔を見ると胸が痛くなる。その瞬間は紛れもなくしあわせなはずなのに、終わってみると心を痛めつけるナイフみたいに変わってしまう。かなしいことだけど。

「どうした?顔色が悪いな」

そんなわたしの心境など知らないこの人は普段通りに接してくる。果たしてそれがいいことなのか悪いことなのか、正解はわかないけれど今のわたしにとっては紛れもなく悪いことのように感じられた。

「…別に……」

わたしは視線を外して素っ気なく返事を返す。たぶん少し拗ねてもいたんだと思う。事が終わればあっけなくいなくなってしまう彼の行動に。事情が事情だから仕方がないのは分かっているつもりだったのだが、やっぱり素直に納得とはいかない。どうしたってさみしさは抑えきれないし、不安だって全くないと言えば嘘になる。それはしあわせな記憶が増えれば増えるほどにわたしを苦しめていた。

「なんだ?何かあったのか?」

そっと顔を覗き込んでくる仕草に反するように顔をふいと背ける。すると、さすがの狡噛さんも一瞬顔を引いて黙り込む。どうしてこんなに普通に接してこられるのか分からない。いつもわたしばっかり、さみしい思いしてる…。

「なんでもありません。これから報告書の続きを書くので。失礼します」

努めて冷静な声と態度でその場を潜り抜けようとした。
が、

「ちょっと待て」

大きな手に腕をがっしりと掴まれる。驚いて振り向くと、彼の真剣な眼差しに矢で射ぬかれたように捉えられてしまった。

「…来い」

有無を言わせない彼の声色と強引な手つきにわたしは何も言えずにただ腕を引かれてあとをついて行くことしか出来なかった。


隣からふわっと煙草の煙とかおりがただよってくる。ちらりと見上げれば、狡噛さんはベランダの壁にもたれ掛って煙草を吸っていた。ここまで連れて来られても結局彼から口を開くことは無く、わたしはどうすればいいのか分からずに狡噛さんの様子を伺いながら黙り込んでいた。
素っ気ない態度を怒られるのかと思ったけれどそういうわけでもなさそうだし、何か大事な話があるといった感じでもない。狡噛さんを見る限りただ煙草を吸いに来たかっただけのようにも見える。なんだ…考えすぎか…。わたしがおおきくため息を吐くと

「珍しいな」

いきなり声を掛けられた。

「えっ」

驚きでびくっと肩を震わせると

「大丈夫か?」

狡噛さんはたのしそうに薄く笑った。そんな彼に少しむっとして、胸の奥底から静かにふつふつと湧き上がってくるものを感じた。誰の所為でこんなに悩んでると思ってるんだ、なんてつい口に出してしまいそうになったけれど、がんばってぐっと喉元で押さえておく。この人に喧嘩を売っても勝てる自信がないからだ。

思えば付き合ってからこの人に振り回されてばかり。いろいろ無茶をする人だから、捜査に出るたびにいろんなところに傷をつくって帰ってくる。現場に行っても非力なわたしが何を出来るわけでもなく、あってもなくても同然のサポートという名ばかりの仕事をこなし、彼が必死になって潜在犯を追いかけ、手を汚していく瞬間を見届けることしか出来ない。出動要請が来るといつもどきどきハラハラして、変に脈がおかしくなる。
それに昨晩のことだってそうだ。彼は勝手にやってきて、わたしの知らない間に勝手に帰っていく。その所為でわたしはさみしさに胸を焦がし、言動ひとつひとつに敏感に反応をしてしまう。好きだという気持ちがあるからこそ突き放すことも出来ないし、距離を置くことすら怖くて出来ない。いつ、何がどうなるかわからないから。
だけどいくらなんだって、このままでは納得も満足もあったものではない。
わたしだって……たまには……
困らせてやる。

「…………あ、あの……さ、さみしい、です………なんで、いつも…何も言わないで……いなくなっちゃうんですか……」

隣の彼に聞こえるか聞こえないかぐらいのちいさな声でつぶやく。こうなれば今までの本音を全部ぶちまけてわがままで面倒な女になってやる。
それで狡噛さんのこと目一杯困らせて普段の仕返しをするんだ!

と、意気込んだはずが

「やっと言ったか」

隣から聞こえてきたのは、まさにご満悦に満ちた彼の低い声。

「え、どういうことですか…?」

彼の言葉の意味が分からない。

「いや、何でもない」

狡噛さんは何やら楽しそうに笑みを浮かべながら煙草の煙をふかせる。

「え!?え!!ちょっと!!!待ってください!!」
「あー、そういえばとっつぁんに呼び出しくらってたんだった」

そう言って逃げようとする狡噛さん。わたしは慌てて彼のスーツの裾を掴んだ。

「逃げる気ですか!?逃がしませんよ!!」

そしてどういう意味ですか?きちんと説明して下さい。というメッセージを込めたジト目で見つめる。いや、睨み付ける。すると狡噛さんは余裕の表情で煙草を吸いながら、こっちを横目で見て。

「別に毎晩なまえの部屋に通ったってお咎めはない」

と、煙草の煙を吐きながら言う。わたしはまったく話の趣旨が掴めない。

「?…どういうことですか…?」
「宜野座監視官が"勝手にしろ。ただうまくやれよ"だと」
「え、え?」

なんでここで宜野座さんが……?

「まぁギノが言う通りうまくやるためっていうのもあったが、どうせならあんたが自分から本音を言い出すまで待ってみようかと思ってな」

うまくやるため…?本音?わたしから言い出すって……

「ま、まさか!!!それって、ずっと騙してたってことですか!?」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。騙してたんじゃなくて試してたんだ」
「っ!!この際どっちも同じですよ!もう!!ほんとに寂しかったのに!!狡噛さんのバカ!」
「ああ、悪かったって。そう機嫌を損ねるな。これからはどれだけ一緒にいたって文句は言われない」

肩で息をしながら声を荒げるわたしをなだめるでもなく、狡噛さんはいたずらの成功した子供みたいにわらう。わたしは彼の策略にまんまと引っかかったんだと思うだけで胃がむかむかとしてきて、素直に本音をぽろりとこぼしてしまったことへの羞恥心で顏から火が出そうになった。
ああこの人は本当に…!

「そういう問題じゃ…!」

キッと彼を睨み付けて叫んだそのとき。

「そうかっかするなって。これからは毎日通ってやるから。……機嫌、直してくれるか?」

急に狡噛さんがやさしくなった。目を細めて、口元をふっと緩ませる。声色も表情も柔らかくなった狡噛さんは、大人の男の人に戻った。そんな彼にぐっと心臓を掴まれ、胸はぎゅっと締め付けられて苦しくなる。ただでさえも羞恥心で顔が真っ赤なのにも関わらず、この人はさらにわたしを追い詰めるようにその大きなてのひらでそっと頭を撫でてきた。
悔しい…
悔しいけれど…これはどうしたってわたしの負けだ。
好きな気持ちにはどうしたって嘘はつけない。

「っ…!………しょ、しょうがないですね……」

素直に、とまではいかないけれどそっぽをむきながら"許してあげますよ"と意味を込めた返事を返す。すると上からクククッと喉を鳴らして彼が笑う声が聞こえてきて、わたしは熱くなった頬を隠すように少し俯いた。今まで自分が悩んでいたあれはなんだったのだろう。毎朝覚える寂しさや虚無感も、全部この人の計算のうちに入っていたのだろうか。考えただけで、おそろしい。とんでもない人を恋人にしてしまった…。おそろしさに身震いしていると、

「なまえ」

ふいに名前を呼ばれて顔を上げる。

「…………………え、」

一瞬の出来事で何が起こったか分からない。だけど唇に残るほのかなぬくもりと煙草のかおりで唇をうばわれたことを理解する。そしてわたしが顔をさらに真っ赤にして口をぱくぱくさせている間に、狡噛さんはふっとわらって

「これからは毎朝一緒だ。今までひとりにして悪かった」

そう言った。

*****

後日。

「ああやって素直になればもうちょっとは可愛げがあるんだがな」
「あ!今のひとこと余計ですよ!」

わたしはこのことをネタにされてからかわれるのだった。
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