いっそ、殺して下さいませ。
それがナマエの望みで御座います。



【親愛なる大人子供。】



「久しぶりだね、ナマエ。元気にしていた?」

私は、返事をしないで座ったまましなりと頭を下げた。

「すまないね、色々と忙しくて。」

タイを緩めながらそう言うシリウス様は本当に素敵。何度見ていても、見慣れない。

「隣に来て、私のナマエ。」

「ナマエは物では御座いません。」

シリウス様は吼える様に笑いながら、席を上座から私の隣に移した。そして私の肩を強い、とても強い力で抱き寄せる。あぁ、いつもはこの力に眩暈を覚えるほどの魅力を感じてしまうのだけれど。今日は、今日からは。

「どうした?嫌に拗ねているね。ナマエ、悪かったよ。」

シリウス様は、まだ私がいつもの癇癪を起こした演技をしているのだと思っているのだ。いつもの私なら、上手に怒った演技をして仲直りの芝居を打って、いい女を演じてきた。シリウス様にとって、都合の良い女であり続けるために。でも、もうその必要も無くなった。

「この手をお放し下さいませ。ナマエはこれから1人で生きていくのです。もうシリウス様とはお別れしなければならないのです。放して下さいませ。」

着物越しに、シリウス様の掌に力が篭るのが伝わってきた。あぁ、私とシリウス様は長い付き合いだけれども、シリウス様を動揺させたのは数えるほどしかない。その内の一つが今と、今口にした決断のきっかけになった出来事。つまり、私に子供が出来たことをシリウス様に伝えたときだ。

「別れる?それは誰が決めたことだい。」

「ナマエで御座います。」

シリウス様は、また笑った。その声を聞いたら、やはり私はもうこの人とはいられない、と改めて痛感した。心が悲鳴をあげる。裂けそうで、もうとても耐えられそうも無い。

「ナマエ、急にどうしたと言うんだ。」

「どうも致しません。前から、私があなた様の子を身篭り、堕した時から考えておりました。」

絶句したシリウス様を腕の中から見上げると、信じられないという顔をしていた。あなたでも、そんな表情をするのですね。ナマエは初めて見たような気がします。子が出来たと報告したときは、産みたい産みたいと泣き喚いていたから、シリウス様がどんな顔をしていたのか良く見ていなかった。

「…本気で?」

「本気で御座います。もう、この先のことも考えてあります。こちらの御屋敷はシリウス様にお返ししますし、今迄に戴いた物も出来る限り、」
「そんな事は聞きたくない!」

シリウス様は、声の限り叫んだ。私は驚いて震えてしまったが、シリウス様は気付いていないようだった。

「嫌だ!私は絶対許さない!」

骨が軋むほど強い力で抱き締められた。そんな事で、私の心がシリウス様から離れていくことを止められると思っているのだろうか?シリウス様は聡明な方だが、時にとても子供っぽい。それが堪らなく愛おしくもあるのだが。

「許さない、別れるなんて…絶対。」

「申し訳御座いません。」

「謝るな!謝るくらいならずっとここにいて!いてくれ。頼む。ナマエ、頼む。」

シリウス様はブツブツと懇願の言葉を吐きながら、とうとう泣き出してしまった。こんなシリウス様を見ると、心がまた鋭い痛みを訴える。同じ強さの痛みを、シリウス様も味わっているのだろうか。せめて、それなら幸いだ。

「お泣きにならないで下さい。シリウス様はナマエがいなくても大丈夫です。御立派な奥様も、もうすぐお生まれになる御子様も、いらっしゃるではありませんか。」

シリウス様は遮二無二頭を横に振った。

「嫌だ、ナマエがいなくては、嫌だ、嫌だ、嫌だ!」

私は、抱き締められて苦しい身体に鞭打って、何とか動く右手でシリウス様の背中を擦った。シリウス様が小さい頃、よくこうしてあげたのだ。

「嫌だ、放したくない。ずっと傍にいてくれ。」

「大丈夫ですよ。今は寂しくとも、新しい御家庭の楽しさに紛れて、ナマエのことなどすぐに忘れてしまいます。」

「そんなこと、あるわけないだろう!」

シリウス様は、腕を緩めて私の肩を掴むと、無理矢理顔を上げさせた。シリウス様の綺麗なお顔にキラキラと涙が光って、一層綺麗だった。

「何故、何故そんな事を言う?ナマエ、ナマエナマエ、ナマエナマエナマエナマエ、ナマエナマエナマエ、ナマエナマエナマエナマエナマエ。」

狂ったように名前を呼ばれたかと思ったら、また抱き締められた。

「ナマエがいなくなってしまったら、僕は、僕は。」



あぁ、私の母がシリウス様の御乳母様に命じられ、私をこの御屋敷に連れてきたのはいつのことで御座いましょう?ひどく昔のように感じられます。初めてお会いしたあなたは、とても幼く可愛らしかった。毎日のように遊びに来るようになって、私も、幼心にシリウス様を実の弟のように感じていたものです。そのうち学校に上がられ、立派になっていかれるシリウス様をお傍で拝見して、このままの日々が続けばいいと、何度願ったことでしょう。しかし、私がこの御屋敷に連れてこられた本当の理由を果たす日がやってきてしまったのです。それ以前から、私は御乳母様に言われた通り、シリウス様に手解きをするために、沢山の殿方と床の練習を致しました。全てシリウス様の為と思えば、そんなに苦な事では御座いませんでした。ついに来てしまったその日、私は、こんなに汚い手でシリウス様に触ることが許されるのだろうか、と思いました。それだけでした。シリウス様が結婚なさった時も、大して気にはいたしませんでした。ただ、私の胎に子が出来たときは、本当に嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、愚かになった私は、産みたい、という到底叶うことの無い夢を抱いてしまったのです。シリウス様の御子です。私のどこまでも下らなく惨めな人生の中の、唯一輝いた出来事でした、唯一抱いた夢でした。しかし、その夢は、無残にもたった4日で打ち破られてしまいました。泣いて臥せった私に向かって、シリウス様は仰いましたね。「子なんていらない。ナマエさえいれば、それでいい。」と。でも、私にはどうしてもそうは思えなかったのです。あの時から、私の心の中で、シリウス様との間に一定の距離が出来ました。大奥様や御乳母様が亡くなられて、シリウス様が悲嘆にくれていらっしゃるときも、その距離が元に戻る事はありませんでした。そしてその距離は、若奥様に御子が出来たと聞いた瞬間に、亀裂として表面化したのです。この世に、シリウス様の御子を産み育てることを許された女性がいることが、許せませんでした。ナマエは我侭です、身の程知らずです。でも、何を許せてもこれだけは耐えられません。とても耐え切れそうにないので、お別れを申し上げるのです。

「嫌だ、それだけは駄目だ。いなくならないで。憎んでいい、嫌っていい、怨んでいいから傍にいて。傍にいて。いてくれるだけで、いいから。お願い、ナマエ。」

「シリウス様。」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!!ナマエ、どうしてこんな、酷い、嫌だ!」

ポタポタと涙を流すシリウス様は、昔と何も変わっていない。何も成長していない。私たち、ずっと子供でいられたらよかったのに。

「もう、何もかも遅いので御座いますよ。」

シリウス様は、何時までたっても私をお放しにはならなかった。仕舞いには、ナマエを縛って閉じ込める、とまで言って。
だから私は、今迄で一番甘い声でこう答えたのだ。


ではいっそ、ころしてくださいませ。
そうすれば、ナマエは、一生貴方の物ですよ、シリウス様。と。

My Dear Adult Children.
I love you. I love you.



End?

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