No.19



【懊悩煩悶】



寒さも大分和らいで、雪に閉ざされたホグワーツにも遅い春、そして夏がやって来た。地獄のようなテスト期間が過ぎ去り、楽しい学年度末パーティも終わり、テスト結果も発表され、あとは終業式と卒業式を待つのみとなった5年生と卒業生以外の生徒たちは、それでもとりあえずくつろぎの時間を送っていた。

「あーあ、首席はやっぱりジェームズとリリーかな。」

杖で空中に漂う羽根ペンと自己採点後の答案用紙を弄びながら、シリウスが少し悔しそうに漏らした。

「そうね、とうとう抜けなかった。」

ナマエも肩を竦めてシリウスに同意した。

「首席の知らせはいつ届くんだっけ?夏休みの間?」

「ううんピーター、9月1日に校長から呼び出されてはじめて分かるのよ。表彰の少し前。」

「へえー、そうなんだ。じゃあ毎年首席の人がやってるスピーチってアドリブってこと?」

驚くピーターに、シリウスは苛々と手を振って否定の意を表した。

「でも誰がなるのか大方の見当は付くだろ?その人たちは夏中考えてるんだ。何話そうかなー?ってさ。」

シリウスが吐き捨てるように言う間に、ナマエはシリウスが弄んでいた羽根ペンをパッと掴まえると、それで羊皮紙に“首席、首席、首席”とぼんやりと認めた。その様子を見たシリウスはちょっと眉を顰めて、その後その羊皮紙の隅の方にナマエの羽根ペンで“リリーとジェームズ”と走り書きをして覚えたばかりの難解な魔法薬の方程式や呪文を思いつくままにつらつらと書き連ねた。2人の様子にピーターは心の中で、やっぱり親友相当悔しかったりするのだろうか、と思った。懸命なことに、口には出さなかったが。

「あ、あのさ、ナマエ?良かったら僕もう少し練習したいんだけど…?」

なんとなく、空気に耐えられなくなったピーターが恐る恐る口にすると、ナマエは意外にもあっさりと「そうだ。」と言って立ち上がった。座ったままのピーターに向き合うようにして立つと、んーっと伸びをした。

「さっき閉心術をやったから、今度は開心術ね。出来るようになるまで呪文は口に出した方が良いかも。」

「うん。」

テストが終わって暇が出来た皆は、もちろんくつろいで遊びたい放題だったが、折を見て自主的に閉心術の訓練をしたりもしていた。いつもの通りジェームズの提案だったが、珍しくピーターが積極的に行っていた。

「じゃあ、私が今から心の中に思い浮かべる…、そうね、色は何か当ててみて。少し閉じているわ。」

「うん、分かった。」

ナマエは肩を竦めると目を閉じてゆっくりと「良いわよ。」と言った。

「レジリメンス!」

ピーターがほとんど叫ぶように呪文を唱えた。ナマエはぎゅっと眉を寄せて「んんー。」と唸った。心を探られる、なんとも気持ち悪い感覚は何度やっても慣れない。

「見えた?」

ナマエの問いにピーターは自信無さげに「赤…、だよね?」と答えた。

「そうよ、赤!大分上達したじゃない、ピーター!」

ナマエが手を叩いてピーターを賞賛すると、ピーターははにかんで「教え方が上手だからだよ。」と謙遜した。

「もっと実力のある講師が必要になったわね。ちゃんとした開心術師が。」

「そ、そんなことないよ。」

ピーターは照れたように手を振った。

「ねぇ、これ何?」

その時、ぼんやりと羊皮紙に向かって羽根ペンを動かしていたシリウスがナマエのローブを軽く引っ張った。ナマエが羊皮紙を覗き込むといつの間にか悪戯書きやら呪文やらがびっしりと書き込まれた羊皮紙の真ん中あたりに漢字の“赤”に似た図らしきものが書かれていた。

「日本語?」

「シリウス、こんなものが見えた?私、こんなこと考えてたの?」

「一面の真っ赤の中にちらっと。」

シリウスは赤の画をぐるぐると丸で囲みながら「カンジ?」と聞いた。

「うんそう、漢字。…私、日本語でものを考えてるのかなぁ。イギリスに来て大分経つのに。」

「嫌なの?」

シリウスは上目遣いでナマエを見詰めた。ナマエはシリウスを見下ろすのが新鮮だったのでちょっとどきっとした。

「別に嫌ってわけじゃないけど、なんか、意外って言うか。」

ナマエは「そうかぁ。」と言って黙ってしまった。シリウスは何かまずいことを言ったかと思ったが、そんな様子でも無いので安心した。

「俺にも教えて欲しいな、日本語。」

シリウスの言葉に、ナマエは目を丸くした。

「日本語?」

「うん。」

「すごく難しそうな感じだけど、どうなの?」

ピーターも興味津々で頷いた。ナマエは嬉しさで胸が一杯になる反面、言い様の無い寂しさに襲われた。突然、自分の足元がどこまでも底抜けてしまいそうな感覚だ。ナマエにはそれが何なのか、もう既に分かっていた。何年も前に正体を突き止めたのだ。でも正面から向き合うのが恐くて恐くて、ずっと逃げ回っていた。

「そんなに難しいわけじゃないけど、また今度ね。」

自分の故郷は日本だ。それは国籍上もそうだし、精神面でもそうだとずっと思ってきた。しかし、ホグワーツもといイギリスで過ごす年月が増えるほど、大切な人が増えるほど、年に数日しか滞在しない母国への愛着が少しずつ減って行くのを確かに感じていた。そう感じると、いつも自分のアイデンティティが揺らぐような気がして、ナマエは胸が苦しくなった。自分の根っこは一体どこに向かって生えているのだろう、そう考えた。

「あ、もうこんな時間だ。」

突然ピーターが腕時計に目をやって呟いた。

「僕ちょっと用があるんだ。先に行くね。」

「うん。」

「じゃあまた後で、ピーター。」

ピーターは手をひらひらと振って教室から転げるようにして出て行った。その後姿を見て、ナマエはピーターが自分たちに気を使ってくれたのでは、と邪推してしまった。

「ピーター、別に良かったのに。」

照れ交じりでそう口にすると、シリウスが低く笑って「俺は大感謝なんだけど。」と言った。そしてちょいちょいとナマエを手招きして、自分の膝の上を示した。

「シリウス。」

ナマエが頬を染めて反論しようとしても、シリウスはにっこり笑って取り合わない。ナマエは、誰が見ているわけでもないのに周囲をぐるりと確認してから、ちょこんとシリウスの膝の上に腰をおろした。

「あー。」

シリウスはしみじみと声を漏らすと、ナマエのお腹に手を回してぎゅうっと抱き寄せた。ナマエはきょろきょろと視線を泳がせたが、やがて落ち着くとほんの少しだけシリウスに体重を預けた。

「久しぶり。」

「え?」

「2人っきりになるの。ずっとテストテストだったから。」

「うん。」

シリウスが喋るたびに、首に息がかかってくすぐったい。ナマエが堪えきれずにくすくす笑うと、シリウスもつられて笑った。

「息がくすぐったいわ。」

「えー、嫌だ、はなしたくない。」

「もう。」

2人はしばらくお互いの体温と匂いをたっぷり堪能した。


シリウスが、手入れの行き届いた長い髪を指で梳く頃、ナマエはようやく口を開いた。

「もうすぐ夏休みね。」

「寂しい?」

「シリウスもでしょ。」

「否定はしない。」

シリウスが照れもせず自然に言ったので、逆にナマエが照れてしまった。

「私、アパートメントに遊びに行く。」

「うん、待ってる。いつ来る?」

「んー、今年はお休みのはじめから日本に帰るの。それに、今年はちょっと長くなる、かも。」

トーンの下がった声で言うナマエを抱え直すと、シリウスは言葉を選んで口にした。

「お母さんのこと?」

ナマエはこっくり頷いて、回されたシリウスの手の上に自分の手のひらを乗せた。

「そろそろ、向こうでお世話になる病院とか探さなきゃ。あと、弁護士も雇わなきゃいけないと思って。離婚になるにしても、このままにしても、私が日本で成人してあの人の扶養家族じゃなくなる前にはっきりとけりをつけないと。18歳の誕生日でビザも切れるしね。」

「イギリスに…、イギリスで就職しないの?」

突然の言葉に、ナマエが急いで振り返ると、シリウスは微かに眉を寄せてナマエを見ていた。その顔は、怒っているようにも泣きそうにも見えた。ナマエは何と言ったら良いかわからずに、黙って頷いた。

「そっか。」

シリウスが呟いた一言は、部屋の温度を下げる力を持っていたようだった。ナマエは自分の肌が、思考回路が、そして心がすっと冷えるのを感じた。

「でも、夏休みの間中行ってるわけじゃないから。帰ってきたら遊びに行くね。」

「うん。」

今のやりとりを無かったことにするために、ナマエはわざと同じ会話を繰り返した。シリウスが物事を安直に考える人ではないことはちゃんと知っているつもりだった。安易に言葉にしたりしない人だと。しかし、ナマエの胸の中には認めたくない、その思いが充満して渦巻いていた。

シリウスも引きとめてくれると思っていた。リリーのように。

思っていなかった、と何度言い聞かせても、心のどこかで期待していた自分がいたのは事実だった。

「日本のお土産何が良い?」

ナマエは精一杯強がって、何事もなかったかのように振舞った。

「なんでも良いよ。ナマエのおすすめで。」

「うわー、なんだか一番難しいことをさらっと言ったわね。そういうのが一番プレッシャーなのに。なにかジャンルだけでも指定してよ。食べ物とか文具とか、」

シリウスはまた小さく笑って、今度は「じゃあ当ててみて。」と言った。

「開心術?」

「俺すごい頑張って閉じるけどね。」

「レジリメンス!」

ナマエはむきになってさっと杖を振った。しかしシリウスの心は完璧に閉ざされていて、断片すら読み取ることは出来なかった。もっとも、ナマエがあまり冷静で無かったので、実力が出し切れなかったということもあったが。

「…シリウスって、本当に器用だよね。苦手なことあるの?なんでもかんでも完璧じゃない。」

ナマエが拗ねたような声を出すと、シリウスは意味深長な笑みを浮かべたまま頷いた。

「あるよ、たくさん。」

「例えば?」

「それは、ほら、内緒だけどさ。」

「やっぱり無いんじゃない!」



***



「どうしたのさ、シリウス。お休みになるのがそんなに寂しい?」

荷物の最終確認をし終えベッドで引っ繰り返っていたシリウスを覗き込むようにして、ジェームズが椅子を引っ張って来た。ジェームズは、シリウスがもんもんと思い悩んでいると必ずと言って良いほど、こうして話を聞いてくれる。シリウスはそれに言い表せないほど感謝していた。

「ナマエに言われたんだ。シリウスは器用だって。苦手があるの?だって。」

シリウスが苦笑いで言うと、ジェームズもつられて苦笑いを漏らした。

「なんにも分かってないね、ナマエ。」

「うん、なんにも分かってない。」

ジェームズはくすくす笑いながら「本人は気付かないんだなぁ。」と可笑しそうに言った。

「ことナマエに関しては、それはもう難儀してるよね、シリウス。」

シリウスは肩を竦めて、でもどこか楽しそうに笑った。

「でもまぁ、だから尚更可愛いんだけどね。」

「うわ、さらっと愛しいとか言うなよ。」

「いや、愛しいとは言ってないだろ。」

ジェームズは背もたれに顎を乗せて、シリウスを見下ろした。何年も同じ部屋で生活しているのだ。開心術など使わなくとも、大体の心理状態なら手に取るようにわかる。それは自分に関しても同じだろうとジェームズは思っていたが、今のシリウスは余計に分かりやすかった。

「なんかあったんだ、ナマエと。」

「別に。」

「まぁ、そういうことにしといて欲しいならそれでも良いけど。」

ジェームズは気分を害することもなく、退屈そうに欠伸を1つ噛み殺した。

シリウスはぼんやりと宙に視線を漂わせて物思いに耽った。覚悟はしていたつもりだったのに、やはりナマエの口から直接聞いた言葉は破壊力抜群だった。ホグワーツに来て丸6年、ナマエは未だ、自分をよそ者だと思っているのだろうか。毎日毎日、早く日本に帰りたいと思っているのだろうか。いくら考えても、シリウスにはイギリス以外で暮らした経験が無いのでわからなかったが、それはシリウスをひどく寂しくさせた。自分は捨て置かれるのだろうか、この国に。ナマエは母親のことを口にしていたが、自分とどちらが大切なのだろう。ここまで考えて、シリウスは自分の思考回路のあまりの幼稚さにあきれ返ってしまった。比べるようなことじゃない。自分が母親と不仲だからと言って、ナマエにまでそれを強要するなんて、まったく馬鹿馬鹿しいことだ。

「両想いってさ、ジェームズ、」

「うん?」

「恋人同士だからって、想いの大きさまで対等ってわけじゃないんだよな。」

「うん、そうだね。」

「なんか…、惚れた方が負け?」

「言い得て妙。恋愛に勝ち負けがあればの話だけど。なに、シリウス・ブラック、生まれて初めての敗北感?」

「…誰かさんのせいでいっつも嫌って言うほど味わわされてるよ。」

「例えば毎年の成績とか。」とシリウスが付け足すと、ジェームズは「そうだった。」と真顔で答えたあと、大きな溜息をひとつ吐いた。

「僕はいつだってリリーの姿が見えないと不安で、彼女がいなきゃ息だって出来ないし未来に光も見えないし髪結んでたりすると項にキスしたくてしょうがないし、いっそ死にたくなるけど、彼女はそこまででもないだろ?そういう時、ああ不平等だなぁ、とかアホらしいことを考えるよ。」

シリウスは、珍しく素直なジェームズを見て少し目を丸くした。ジェームズは何でも無いような顔のまま、ゆっくりと話を続けた。

「極めつけがさ、やっぱりあれだよね、あれ。女の子には、本当に、性欲は無いんだろうか。それじゃ子孫が繁栄しないんじゃないかと思うのは僕だけ?」

真顔で言ったジェームズを、本来ならシリウスは笑い飛ばさなければいけなかったのかも知れない。しかし、それをするにはあまりに余裕が足りなかったので、シリウスも真顔のまま頷いて先を促すだけに留まった。

「手つないで、抱き合って、キスしてさ、それ以上、したくなったり、しないんだろうか。なんか、僕ばっかりこんなこと考えてる気が…。」

ジェームズは心底落ち込んだ口調で言うと、口を尖らせて「いや、違うな。」と呟いて、もう一度椅子の背もたれに顎を乗せてぼんやりとした。

「ふられてばっかりの時は、こんなこと考えなかったはずなのに。そりゃ妄想はしたけど、でも本当にしたいって願ったのはリリーと手をつないで隣同士で座ること、それだけだったはずなのに。それが叶うと今度はキス。それが叶うと今度はセックス。それも叶うともっともっとってなって。欲の尽きない自分がいい加減、嫌になる。自分の欲を彼女に無理矢理押し付けてしまいそうになる自分が、時々恐ろしくなる。どこからが身勝手な我侭か、分からなくなるんだ。」

ジェームズの言葉は、驚くほどすんなりとシリウスの耳に馴染んだ。自分が恐ろしい、そんなこと、シリウスは今まで一度だって考えた事は無かった。でもナマエを好きになって、抱き締めてキスするようになって、シリウスは時々自分の大きくて無骨な手や身体にぞっとする瞬間を味わっていた。ナマエは単純に物理的な意味で、小さく華奢で弱い。殺そうと思えば杖も道具も使わずにこの両手で殺めることが出来る。自分の邪な欲を押し付け、身体や心を壊すことだって簡単に。もしかすると、守り慈しむことよりもずっとずっと簡単に。

「いっそ女だったら良かったのかも。」

ジェームズが、わざと軽く口にした言葉は、馬鹿なことを勝手にどんどん考えて行くシリウスの脳みその暴走を止めてくれた。

「いいや、例えば女に生まれて来ても、俺はきっとナマエを好きになってたと思う。」

ジェームズはにやりと笑って「僕だって。」と付け足した。

「ねぇシリウス。」

「なに?」

「リリーってば処女だったんだよ。」

「ぶっ。」

ジェームズは唐突にそう言うと、自分の手のひらと、押し合い圧し合い興味津々で聞き耳を立てていた壁のポスターの中の人たちとを交互に眺めた。見方によっては、シリウスの方を頑なに見ないようにしているようにも取れた。

「なんだよいきなり!もう!何なんだよお前!」

「いやぁ、なんだろうなぁ、自慢?」

「意味分かんないんだけど。」

「今の君にはさぞかし羨ましい話題だと思って。でも大丈夫だよ、ナマエも処女だってリーマスが言ってたから!」

精一杯励ましているのか、奈落の底に突き落としているのか分からないジェームズの言葉に、シリウスはあからさまに眉を寄せた。不機嫌さが身体中から滲み出ている。

「なんだいその顔は。」

ジェームズはシリウスをちらりと盗み見て、それからまた壁のポスターに目をやった。

「良いんじゃない、すごく。僕尊敬するよ、シリウスのこと。」

シリウスはむすっとしたまま、またベッドに寝転んだ。その拍子に、そばに転がっていたクッションが跳ねて床に落ちた。ジェームズはそれを拾いながらくすくすと笑みを漏らした。

「そりゃ気持ちは分からなくも無いけどさ、彼女相手じゃ絶対焦んないのが正しいよ。のんびりすぎるくらい慎重な方が。そしてこれは嫌味だけど、シリウスがシリウスだから、尚更。」

その時、窓の外を物凄い勢いでフクロウが横切った。ジェームズは一瞬それに意識を取られて、それからすぐにまた話を再開した。

「でもシリウス、僕はこれでも結構古風なところがあるからね、器量さえあったなら結婚するまでリリーを清いままで…いやいや、今でも十分清いけどね?なんていうかさ、不純異性交遊的な意味で?」

シリウスは無視を決め込むことにしたらしい。黙ったまま、自分の腕を枕にして天井を睨み付けた。しかしジェームズも黙るつもりは無いらしく、今度はそのクッションをシリウスの顔の上に乗せた。そしてしばらく考え込んだ後、また口を開いた。

「シリウス。」

「…なんだよ。」

シリウスはクッションをぽいっと壁に投げつけるとジェームズをじっとりした目で見た。ジェームズは肩を竦めてとぼけたふりをした。

「べっつにー。やっぱ何でもない。」

「なんだよ?」

「時間だ。大広間に行かなくちゃ。」



***



「うわー、ごちそうね、ナマエ!」

「うん、すごく美味しそう。」

大広間は既に大勢の生徒で賑わっていた。学年度末パーティと違いどこか粛々とした雰囲気の大広間には、各寮の飾り付けが施されていた。今年の寮対抗杯は1年ぶりにグリフィンドールが手にしたので、飾り付けは艶やかな真紅と金色で統一されていたが、一転、落ち着いた色合いで統一されていた。ナマエとリリーはそれぞれ卒業してしまう親しい先輩へのプレゼントや手紙がたっぷりつまった袋を抱えながら、ひとまず席に着いた。同じサークルに所属していた先輩や、同寮の先輩も含めると大人数になるので、それは結構な量になっていた。

「あーあ、もう1年が終わり。早いね。」

「来年なんて、きっともっと早いわよ。」

「卒業かぁ…。」

「寂しいわね…。」

リリーがそう呟いてあたりを見渡すと、卒業生以外のほとんど全員が集まりかけていたグリフィンドールのテーブルにもちらほらと空席が目につくようになっていた。成績とそれに伴う進路に関係するテストが終わったと同時に、子供を隠すように家に連れ帰ってしまった親が少なくない為だ。テスト前から学校を去った生徒も数人いた。

スリザリンの方に目をやると、真ん中あたりにいつもの無愛想な顔をしたセブルスが見受けられた。ナマエは、そういえば最近話してないな、と思った。

「ところで、ジェームズたちはまだなの?」

リリーは素っ気無いふりをして、ナマエの隣に座っていたリーマスに身を乗り出して問うた。リーマスはにっこり笑っただけで何も言わなかった。

「あぁ、そういうこと。」

リリーは頷いて、「どっかで卒業生に捕まってるのね、シリウスと一緒に。」と納得した。

「リリー、いつになく寛大だね?」

意外そうな声で首を傾げたリーマスに、ナマエはそっと耳打ちをした。

「お互い様のところがあるからよ。」

「なるほど。最後の思い出作りって大義名分で、みんなけっこう大胆になってるみたいだね。」

リーマスはちょっと困ったような顔で笑った。ナマエは口元をちょっと尖らせて「私には分からないけど。」と模範的な回答をした。

「何が分かんないの?」

「うわっ、シリウス!」

突然、シリウスがリーマスとナマエの間に割り込むように顔を覗かせた。ナマエは心底驚いて心臓が裏返ったかと思った。

「うわって、ナマエ…傷付くんだけど。」

「シリウスが悪いよ。」

リーマスがくすくす笑いながらそう言った時、おもむろにダンブルドアが立ち上がった。

「では生徒諸君並びに教職員の方々、ご起立願おうかの。」

がたがたと椅子の音が唸った。ナマエはその音に紛れるようにしてちらりとシリウスに目をやった。今日は普段は開いているシャツのボタンもきちんと留められていて、身だしなみが素晴らしく整っている。ナマエの目にはいつもの何倍も魅力的に映って、ああ惚れ直すってこういうことなんだなあ、とぼんやりと考えた。

そうこうしている内に卒業生がわらわらと大広間に入場してきた。卒業生は皆一様に大きな三角帽をかぶっている。マグルで言うところの角帽のようなものだろうか。ホグワーツ生活は、三角帽にはじまり三角帽で終わるのだ。真っ黒で上等な式用のローブを身に纏い、どこか誇らしげな顔で席に着いた。

「ああ駄目。なんかもう泣きそう。」

リリーは喉に何かを詰まらせたような声で言った。ナマエは席に着きながらそっとリリーの腕に手を当てた。

「泣かないで、リリー。私達にはまだ1年あるじゃない。」

「でもナマエ…、そうね、そうだった。」

リリーは頷くと、ちーんと鼻をかんで皆と同様に身体を前へと向けた。ダンブルドアは粛々と卒業生たちにお祝いを述べていた。ナマエは身に沁みる想いでその言葉に耳を傾けた。

式は滞りなく行われ、生徒総立ちでいよいよ終わりを迎えようとしていた。ダンブルドア先生の大きな「卒業おめでとう!」の声で卒業生たちは思い思いに自分がかぶっていた三角帽を宙に躍らせた。大広間のあちらこちらで大きなクラッカーの音がして、紙ふぶきがキラキラと舞った。

「リリー。」
「ナマエっ!」

リリーとナマエは頷き合うと、いの一番に大好きな先輩の下へ駆けていった。後ろでリーマスやシリウスのやれやれという声が聞こえた気がしたが、あえて無視した。

「ギャビー!卒業おめでとう!」

ナマエはさっそく読書サークルで一緒のギャビーを発見した。

「ナマエー。」

ギャビーと呼ばれたレイブンクロー生はナマエをしっかりと抱き締めた。頬はばら色に染まり、波打つ茶髪が艶めいていた。

「卒業おめでとう!」

「ああナマエ、ありがとう。」

ギャビーはナマエから花束とプレゼントを受け取って、眼を潤ませた。

「泣かないで、ギャビー。」

「うん、でもそれってとっても難しいわ。だってすごく悲し いんだもん。」

ギャビーは声までも潤ませて、もう一度ナマエを抱き締めた。

「ギャビー。」

「留年したーい!ナマエと一緒に卒業したいわ!」

突然叫んだギャビーの声は、いまや支離滅裂大変なことになっている大広間では別段目立ったりしなかった。

「就職試験あんなに頑張ってパスしたじゃない。」

「それもそうだった。」

ギャビーは何度も何度も手紙書くね、と言ってナマエと別れた。


その後も何人も何人も挨拶をしてプレゼントを渡して泣かれて、ナマエはすっかりへとへとになった。リリーとは早々に逸れていた。

「ひと段落した?ちょっと出ない?」

不意に声をかけられて顔を上げると、シリウスが同じくへとへとになって立っていた。あんなに綺麗に整えられていた服装はいたるところ乱れていて、なんだか4歳くらい年を取ったように見えた。

「うん。」

思わず苦笑いを零すと、シリウスはナマエの手をぎゅっと握って大広間から連れ出した。

「シリウス、髪までぼさぼさだよ、大丈夫?」

「あんまり。」

大広間の外は、ほとんど人気が無かった。シリウスは細い廊下まで来ると「あー。」と声を漏らして壁にずるずると寄りかかったまましゃがみこんだ。

「疲れた。」

「お疲れ。」

ナマエも隣にしゃがみこんで壁に寄りかかった。シリウスから甘い香水の匂いがするのは極力気にしないように努めた。

「城出るの何時だっけ。」

「3時よ。まだ2時間弱あるわね。」

「それまでにジェームズたちと合流しなきゃなぁ…。」

シリウスは手櫛で髪を整えると、暑そうにローブの首元をゆるめた。ナマエがぼーっとその姿を眺めていると、突然シリウスがにっこり笑ってナマエの頭に触った。正確には、先輩に無理矢理被らされたクラッカーから出て来た三角帽と、花束から抜き取って髪にさされたピンクのガーベラに。

「どうしたの、これ。」

ナマエは突然、先ほどの喧騒の中の自分が強烈に恥ずかしくなった。急いで帽子を脱いで膝の上に置いた。

「もらったの?」

「う、うん。」

「これも?」

「ん。」

シリウスはにこにこ笑ってじっとナマエを見た。

「シリウス、黙ってないで何か喋って。」

ナマエが小さい声でそう言うと、シリウスはさも可笑しそうににやにやした。

「えー?俺、可愛いって言うとナマエがいつも黙れって言うから今日はちゃんと黙ってたのに。」

「意地悪!」

「しょうがないよ、好きな子をいじめたくなっちゃうのは男の子の性なんだ。」

「男の子って…。」

シリウスはくすくす笑って、もう一度ナマエの手を握った。そしてナマエの細い肩にこてんと頭を乗せた。

「ちょ、シリウス、ここ廊下、」

慌てるナマエもなんのその、シリウスは長い睫毛を伏せてとろんと目を瞑り、くつろぎモード全開だ。

「5分だけ。疲れたんだ。あっちこっち呼ばれて、一緒に写真とってーって頼まれて。」

「でも、」

「じゃあ4分。」

ちらりと上目遣いをされて、ナマエはひっと息を詰まらせた。時々ナマエは、シリウスが地球上で最強の対女子生物じゃないかと思うことがある。こんなシリウスに抗える人がいたら是非お目にかかりたい。そして対抗策を伝授して欲しい。このままじゃひたすらシリウスに勝てる日なんて来ない気がするのだ。

「そんな人、いるわけないわ。」

シリウスは、返事の代わりに小さな寝息を漏らした。ナマエは寝つきが良すぎるシリウスを不審に思ったが、寝顔があまりに可愛かったのでどうでも良くなった。



***



ホグワーツ特急の中でも、シリウスはずっとうとうとしていた。余程疲れたらしい。もっとも、あの後大広間に戻ったシリウスは再び卒業生たちに握手や写真をせがまれたりと大忙しだったので無理もないことだが。

「ねぇナマエ、日本にはいつから行くの?」

チョコレートをかじっていたリリーが、おもむろに口を開いた。

「来週の月曜日に帰るわ。戻りはまだ未定なの。飛行機予約してないし。」

リリーの表情が少しだけ陰ったのを、ナマエは見逃さなかった。

「でもすぐの予定よ。」

「ナマエ、何かあったらすぐに手紙書いてね、約束よ。」

リリーは、ジェームズたちになるべく聞こえない小さな声で言った。ジェームズやリーマスは何も聞こえなかったようにぺちゃくちゃとお喋りを続けていた。

「大丈夫よ、リリー。何にも心配しないで。」

リリーはぎゅっとナマエを抱き締めた。ナマエは、今日は良く抱き締められる日だ、と場違いなことを考えた。

「私、心配なの。ナマエってば、日本に帰ったっきりもうホグワーツに戻ってこないんじゃないかと思って。」

「そしたら私、最終学歴が小学校になっちゃうわ。」

ナマエはわざとふざけてそう言った。リリーもちょっと笑って頷いた。


列車はあっと言う間にキングス・クロス駅に到着した。比較的遅く列車から降りたナマエたちは、例年通り迎えの家族でごった返したホームに直面せずに済んだ。ちらほらと、どう見てもマグルとは言い難い服装をした人が残っていたが、ナマエは生憎、それに疑問を持つにはこの光景に慣れすぎていた。

リーマスとピーターは迎えに来た親に連れられて早々に行ってしまったが、これも毎年のことだった。

「リリー、お土産買ってくるから。」

「うん。ねぇ、私またあれが良い。」

「あれって?なあに?」

「星屑みたいなお菓子。甘くって硬くって小さくって可愛いやつ。」

「コンペイトウね。リリーは本当にコンペイトウが好きね。」

ナマエはリリーの頬にキスすると、ぎゅうっと抱き合って頷いた。人もまばらになったホームとはいえ、ちらりと2人を盗み見るものもいた。

「リリー大好き。」

「私もナマエが世界で一番好き!」

ナマエの頬にはリリーのリップクリームがべたべたとついた。

「だから誤解されるって、そこの2人!」

ジェームズが、若干苛々した声でリリーの肩をぐいっと抱き寄せた。

「ジェームズってばやきもちやきなんだから。」

ねぇ?とナマエがシリウスを振り返ると、シリウスもあからさまに眉間に皺を寄せていた。

「俺はジェームズが正しいと思う。お休み前のホームって言ったら普通は恋人の時間だろ。」

シリウスはそう言うと、やや力任せにナマエを抱き寄せた。

「わっ、」

「いやだって言ったら怒るからな。リリーは良くて俺は駄目なわけ?」

ナマエはシリウスに先手を打たれてうっと黙った。

「そ、そういう問題じゃないんじゃ…、」

「どのお口がそんなこと言うかな。」

「いひゃい、ひいうう、いひゃい!」

シリウスはナマエの頬をひっぱりながら、おおげさにリアクションするナマエに違和感を覚えていた。

「ちゃんと帰ってくるって約束して。」

考える前に口をついて出てきた言葉に一番驚いたのはシリウスだった。なんと女々しい言葉だろう、と急に恥ずかしくなった。

ナマエは目をぱちくりさせてシリウスを見たが、こっくりと頷いてシリウスの杖腕を取った。

「日本ではね、約束するときはこうするのよ。」

そう言って細い小指をシリウスのそれにからませて歌いながら上下にぶんぶん振った。

「なんて歌ってるの?」

「約束を破ったら針を千本飲ませるぞ!って脅迫してるの。」

シリウスは目を見開いて「冗談だろ?」と言ったが、ナマエはけらけら笑って「本当よ。」と答えた。

「針は飲みたくないからちゃんと戻ってくる。約束する。イギリスに戻ったらすぐに手紙書くから。シリウスも身体に気をつけてね。」

「うん、ナマエも。」

嫌な予感を払拭しきれないまま、シリウスはほとんど条件反射的にナマエの言葉に頷いた。リリーのリップクリームを拭ってからキスしたナマエの頬はいつになく柔らかく、そして温かかった。


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