▼ #02
青い二本のボトルは例のあれです。松田と萩原の小学生男子ムーブに翻弄された菫だったが、それもひと段落すると菫にはある考えが浮かんだ。
二人にも同じ事をしてやろう、と。
「あの、お二人は香水、そんなに嫌いじゃないです?」
二人からは香水に関してはネガティブな反応が返ってこなかった事から菫はそう尋ねてみる。
「俺はさりげなく香らせる付け方なら香水は良いと思うよ?」
「人に迷惑かけずに楽しむ分にはいいんじゃね?」
「それなら! 私の手持ちの香水でお二人に試してもらいたいのがあるんです。いいですか?」
菫はいそいそと香水の入ったバスケットを保管していた棚へと移動すると、その棚から二本のボトルを取り出した。同じデザインのボトルで色が少し異なっている。
洗面台に置かれたそのガラス瓶に松田と萩原も注目する。
「菫ちゃんどうしたのこれ? いかにもメンズって見かけだけど」
「揃いっぽいな?」
その二本は共に青系だが、片方は鮮やかで深い青、もう片方はやや紫がかった藍色に近かった。
「はい。お二人が言うように対になったメンズものです。香りも似てるんですけど、ちょっとずつ違っていい匂いなんですよ!」
少しばかり上ずった声で菫はそれぞれのボトルをコットンにプッシュし、萩原と松田に試香を勧めた。
「どれどれ?」
菫に勧められるがままに二人は互い違いに二つのコットンに鼻を寄せる。
それらはどこか森を思わせるようなウッディな精油の香りに似ていた。確かにベースは同じだが、細部はそれぞれ特徴があり全く同じではない。また萩原も松田もほんのりと表情を崩す。
「わぁ……俺これ結構好きかも」
「あぁ、両方とも悪くねぇな」
「そうですか! ちなみにお二人は特にどちらが好みですか?」
好感触な手応えを感じたのか菫が嬉しそうに重ねて問う。その質問に二人は二種類のコットンをさらに嗅ぎ比べると互いに違う方を指差した。
「俺はどちらかっていうと軽めなこっちかなー? どことなく柑橘系っぽいのもいいね」
萩原は紫がかった藍色のボトル。
「俺はこっちの方がいいな。甘くない感じがする」
松田は深い青色のボトル。
「あ、被らなくて良かったです」
上手い具合にそれぞれ好みが別れたようで菫もニコニコと笑みを浮かべ次の言葉を発した。
「それならあの……良かったらそれ、貰ってもらえませんか?」
「「!」」
突然の菫の発言に萩原も松田も目を瞠らせた。イベントでもないのに菫から消え物でない物を贈られるのは初めてだったのだ。
「え、菫ちゃん、いいの?」
「はい。嫌いじゃなければ受け取ってほしいです。どっちも好きな匂いなんですけど、自分で使いたいというよりは誰かに付けていてほしいって香水なんです」
さらに菫は、やはりメンズ香水のため自分では扱いづらいのだと付け加えた。しかし松田はどこか躊躇したように確認する。
「あー俺達でいいのか? ……ゼロやヒロもいるだろ?」
幼馴染の二人を差し置いて――という意味でも、現状連絡が取れない二人を話題に出す事への抵抗感――という意味もあった。
だが菫はこの香水に関してはさほど気に留めず答える。
「この香水は陣平さんと研二さんに似合ってると思うんです! 零くんとヒロくんには、まぁ……機会があれば?」
そのような事を言いつつも、はたして公安の職務に就く二人に香水といった人の記憶に残りそうな代物を贈るのはどうかという思いが強い。実際に幼馴染たちへ何か物を贈る機会があったとしても、香水だけは菫として現実的ではなかった。
あの幼馴染の二人組が蚊帳の外にいる様子に、萩原も松田も意外な気持ちは拭えなかったがせっかくの菫からの贈り物だ。
「それじゃあ……ありがたく頂いちゃう?」
「まぁ、菫が俺達にって言うなら……いいんじゃねーか?」
松田と萩原は互いに顔を見合わせ、最終的には頷くのだった。
* * *
「そういやこれ、どこに付けりゃいいんだ? よく聞くのは首とか手首か?」
菫から受け取ったばかりのボトルを手にしながら松田が疑問を口にする。こういった事は機械いじりとは違い興味の範囲外であまり知識がなかったためだ。
それに答えたのは萩原だ。
「陣平ちゃん、肌が露出するところはやめた方がいいよー? 手首なんて動きが激しいから、その分香りも拡散されがちなんだよね」
「飲んだり食べたりの度に鼻先まで手首がきますからね。食べ物の匂いと混ざって気持ち悪くなる事もあるんですよね……」
「匂い直撃だもんねー?」
香水使用経験者の萩原と菫の会話は弾んだ。
「香水ってつけてる本人より他人の方が香りに敏感ですし。上半身に付けるのは上級者向けって聞いた事あります」
「確かに難しいよね。特に肩より上の顔まわりとかは、第三者の鼻にも近い位置に香水を付けるって事だしさ」
「他の人に迷惑になる可能性もありますよね」
「ついでに常時香水を嗅ぎ続けてると自分の鼻も次第に麻痺していくよー、陣平ちゃん」
萩原と菫の話に納得するものがあるのか松田も首肯する。
「あー、たまに香水くせーヤローがいるけどありゃ自己主張じゃなくて、付け過ぎだって自分で気付いてないのか」
「そういう事。俺達がタバコの匂いに無頓着なのと同じ――ってこれは俺達も気を付けた方がいいかもね……」
萩原と松田もタバコに関しては身に覚えがあり、悪化するとスメハラか……と互いに神妙に頷いている。
また香水を付けすぎる必要性もないことに松田は思い当たった。
「そもそも一般的に日本人は体臭も薄い方だし、強く香らせる必要もねーか」
「海外の人だから許されるような香水の付け方が日本人って似合わないんですよねぇ。何故か香水の匂いが浮くというか……」
「あぁうん。日本人が外国人と同じように香水を使うのは違和感があるよね? 昔からお香を衣装に焚きしめたりする文化があったし、日本人も香水とは相性良さそうなんだけど……」
「匂い袋みたいに間接的な使い方が向いてるのか?」
松田の指摘に萩原も菫もおおいに頷いた。
「確かにそうですね! クローゼットにサシェを入れるみたいなら自然に香って悪目立ちしないですもんね」
「さっき陣平ちゃんも言ってたけど体臭が薄めの日本人だと香水の匂いに負けちゃうし、それも一つの方法だよね。うっすら纏うくらいが丁度いいって事かな」
「日本が湿度高いのも要因か? 濃縮された香水だと匂いが強くなり過ぎんのかね? まぁ、匂いは控えめな方が無難だろ。個人で好き嫌いもあるしよ」
松田の言葉で菫はある事を思い出し、つい口にした。
「そういえば何かのアンケートで、日本人男性の好きな香りってシャンプーとか石鹸の香りが一番らしいですね?」
「分かるー。俺も学生の頃、女の子からシャンプーの匂いがするとドキッとしたしー。ねぇ陣平ちゃん?」
「あ? お前の昔の彼女って、どちらかといえばがっつり香水の匂いがしてたような――」
「あーあー陣平ちゃんはうるさいねー」
話を振られこの反応でイラッとした松田であったがこの話題は自分にも飛び火すると判断した。萩原に追撃すること無く話を変える。
視線を萩原ではなくあからさまに菫に向けて松田は問う。
「……で、話は戻すが香水はどこに付けるのがいいんだよ? 上半身と露出してるとこがダメなら隠れる所か?」
「服の下がおすすめですよ。香りが抑えられるというか、少し穏やかに変化するというか、なんて言うんだろ? えーと……」
言いたい言葉が見つからないらしい菫が頭を捻ると、萩原があとを継いだ。
「菫ちゃんの言いたい事ってあれじゃない? 燻らせるっていうの? 肌と服の空気層からじんわり香らせるって感じ? 香りは体温で温まって上に上って来るしね」
「あ、そんな感じです」
「ふーん?」
「私も服の下、ウエスト辺りに付けてますね。露出してる所よりは自然に香りますよ? 身動きすれば香りは広がっちゃうとは思いますけど」
「それでも温まりやすい脈の近く――首、手首、耳の後ろとかに付けるよりはましだと思うよー。そういう場所はやっぱり拡散力が強いから初心者向けじゃないね」
「なるほど?」
異論もないようで松田もすんなり菫と萩原の意見に従う事にしたらしい。
「じゃあ俺も腹に付けるか……」
「ひゃっ!」
そのままガバッとTシャツの裾を上げた松田に菫が小さく悲鳴を上げた。動きを止めた松田に菫は顔を赤くして抗議する。
「陣平さん! いきなりそういう事しないでください!」
「これくらい構わねーじゃねーかよ。海なんて上半身裸のやつばっかだろーが」
「ココは海じゃないので! 目のやり場に困るので!! それに三人寄ればパブリックスペースですよ!」
「なら二人きりならいいのかコラ」
「だからそういうのはダメなんです!」
上げ足を取られ菫は顔の赤みが引かぬまま松田に反論とも言えぬ反論をする。
どこか楽しそうな松田とピーピーとやかましい菫を見つめ萩原がぽつりと零した。
「……菫ちゃんってさ、つくづくいじめっ子がちょっかい掛けたくなるような所あるよねぇ」
「えっ?!」
聞き捨てならぬ発言に菫は勢いよく萩原に目を向ける。
「おぅ、何かつつきたくなる所あるわ」
「えぇ?」
菫は再び松田に向き直った。先ほどまで言葉通りの事をされていたため松田の発言も信憑性があり過ぎた。
「小学生くらいの時に知り合ってなくて良かったかも。俺達がガキの頃なら手加減できなくて、菫ちゃん揶揄い倒してそうだし」
「その前にゼロとヒロが立ちはだかると思うぞ」
「超あり得るー。その光景が目に浮かぶけど、隙を見て揶揄ってそうだよね、俺ら」
「挙句に泣かせてそうだな」
「最終的に菫ちゃんに嫌われてそー」
もはやあり得ぬ想像でしかないが、そうなってもおかしくないと二人はカラカラと笑っている。そこへ菫がおずおずと挙手した。
「あの、子供の頃と言わず今現在でも揶揄われるのはちょっと……」
「大丈夫だ。菫はもう大人だもんな?」
「それ、否定しても肯定しても私、残念な事になるんですけど……」
何とも言えない表情で菫は待遇改善を訴えるのだった。
* * *
―数年後―
「……ん?」
「あれ? 松田に萩原、もしかして香水付けてるか?」
同期五人で集まった滅多にないタイミングでの爆弾騒ぎだった。
今しがたビルから出てきた爆弾処理班の二人から漂う香気に、零と景光は同時に気が付いた。
爆弾の処理による緊張でやはり通常より体温が上がっていたのが原因と思われる。
「お、やっと気付いたか」
松田の軽口に零としては珍しく無意識に感じたままに口を開いた。
「森の中みたいな香りだな」
薄汚れたビルに囲まれた人通りも少ない場所だった。
辺りはお世辞にも良い匂いとは言えないこもった空気が立ち込めている。
その上爆弾犯と対峙し――今回は逃がしてしまったが――同期五人は総出で事にあたっており、全員何かしら精神的にも肉体的にも疲労していた。
そんな緊迫した空間から抜け出したばかりの面々に、ふいに流れた清涼な風。
松田と萩原の二人が纏うすっきりとした森の樹々を想起させる香りは快く感じられた。
「警察学校を卒業してからだよな? 昔はそんな匂いしなかったしよ」
伊達も公安組の二人よりは松田たちと頻繁に会う事もあり、いつからか特定の香りがするのには気づいていたらしい。もっとも伊達はシャンプーや整髪料の類だろうと思っていたようである。
「伊達班長はとっくに気付いてたみたいだな? さすが」
「ふふ〜ん! いい匂いでしょ!」
萩原のいつになく自慢気な顔を見て零は鼻で笑う。
「悪くないが、二人でお揃いか?」
「あ? 似てるが別もんだよ」
松田の不機嫌そうな声には動じなかったが、その後の萩原の発言には零と景光も動揺せざるを得なかった。
「そうだよー。菫ちゃんからのプレゼント〜」
「「は?」」
思わず零も景光も真顔になる。らしくなく口早に景光が肩を貸している片割れに問い掛けた。
「え……菫ちゃん、異性に香水を贈る意味とか知ってると思うか? どう思うゼロ」
「いや、知らないだろ、そうじゃなきゃ香水は贈らないよな? 多分……。いやだって“独占したい”とか“深い仲になりたい”とか重い意味ばかりだぞ?」
幼馴染の行為を無知ゆえだと信じたい二人だったが、そうは断じれない負い目がある。
「でも菫ちゃんとここ数年、俺達顔を合わせてないだろ?」
「……」
零の沈黙が答えだ。危険とは隣り合わせの自分達の職務は命を賭しても成し遂げなければならないものだった。
そしてそれは菫にも影響が及びかねない。だからこそ断腸の思いで離れる選択をした。
「俺達の存在感ってどんどん薄くなってると思うんだよ。連絡を貰っても返信なし。心証も悪くなってるよな?」
「分かってるさ……」
承知の上の対応である。それでも仕事に向き合う事によって生じた幼馴染との空白期間に思う事がないとは嘘でも言えない。
共にあれたであろう時間を惜しむ気持ちも、連絡すら出来ない罪悪感も、いつも胸に居座り続けている。
いくら優しい幼馴染でも愛想を尽かされてしまうかもしれない――漠然とした不安が気づけば存在していた。
零と景光はそんな自覚があるために菫の行動が冷静に判断出来なかった。
「没交渉の俺達と近くにいるあいつらじゃ、菫ちゃんの比重だって変わるだろ?」
「菫の事を気に掛けてくれとはあの二人にも言ってはいたが……ヒロ。僕達の場所が取って代わられてるのか?」
ギリギリでも許容出来る事と出来ない事がある。目の当たりにするとどうにも堪える事が出来なくなった。
瞬く間に冷たい空気を放ち始めた二人を尻目に伊達は松田たちを率直に褒める。正直そこまで狼狽えるような話ではないだろうと何となく想像がついたからだ。
「菫から貰ったのか? まぁその匂いはお前らに似合ってるぞ」
「サンキュー伊達班長! 俺達も気に入ってるんだよねー」
「ま、菫が気に入ってはいるけど、自分じゃ身に付けられないメンズ香水を貰ったつーだけなんだけどな」
「え〜陣平ちゃん、種明かし早すぎー! ほら、ゼロもヒロもほっとしてるじゃーん」
萩原は零たちを指差し文句を言う。松田があっさり真相を明かし肩の力を抜いた零と景光だったが、萩原は休む間もなく追い打ちをかけた。
「ふっ……でもゼロもヒロも甘いね! これ付けてると菫ちゃん嬉しそうで、いつもより距離も近くなるんだから!」
「あー隠してるつもりだろーが、あいつ俺達の匂い嗅いでるもんな」
「おーい、菫が悶絶するような事を晒してやるなよ。それバレたら絶対恥ずかしがるやつだろ……」
本人の知らぬところで暴露されている内容に、思わず伊達も菫を憐れんだ。
しかし幼馴染の二人には刺さったらしく、かなり悔しそうである。
「くっ……似合う香水を僕達にも選んでくれ、と菫には言えないこのジレンマ」
「俺達もうしばらく菫ちゃんとは接触できないもんなぁ。しかも物が香水だし」
「香りは記憶に残りやすいからな……」
「たとえ貰っても今の俺達ではほとんど使ってやれないな……」
自分達の状況を正確に理解している零と景光はギリギリと歯噛みするのであった。
警察学校組は一年に一回くらい夢主に内緒で男子会してるという事で(危険を避けるため同期達は夢主には公安配属も含めて知らぬ振りを徹底してたという設定)。ハロ嫁でそれが発覚しショックを受ける的な短い話ならいけるかも? そして爆処組が「お、今日は付けてるな?」とクンクンするため、夢主の香水の使用頻度は下がった模様。