Cendrillon | ナノ


▼ #失われた時を求めて #01
警察学校卒業後初期くらいの時期。


 年季の入った古めかしい店から満足げな表情を浮かべた三人組が出てくる。

「マジ美味かったな、この店のラーメン。もう少し建物にも手を入れろって草臥れ具合だけどな」

 サングラスを少しずらし店舗を見上げながら松田。

「だねー。店名もちょっとどうかな? ってネーミングだけど味は文句なし!」

 店名の看板を見つめ苦笑しながら萩原。

「直球過ぎて損してますね?」

 二人の言葉に全面的に同意しながら菫のはしゃいだ声が辺りに響く。

「でも美味しかったですね! 二人ともお付き合いありがとうございました!」

 最近になって唐突に菫はこのラーメン屋の存在を思い出した。一度は食べてみたいと思うものの一人で入店するにはしり込みするような外観の店である。
 菫は食事に誘われどこに行きたいかと尋ねられると、これ幸いとこの店をリクエストしてみたのだった。勿論味は菫が前知識で知る評判通りだ。

「近くに来たら確実にまた行くわ」
「俺も―。今日は仕事だった伊達班長にも教えとくよー。たぶん彼女のナタリーちゃんと行くんじゃない?」

 紹介した店が褒められて菫も微妙に鼻が高い。

「でもこんな穴場みたいな店、菫ちゃんよく知ってたね?」
「客全然いなかったもんな」
「あ、えーと、以前通りかかった時に、お店から出てきた人がすごく絶賛してたので……」

 連れの二人――萩原と松田に問われ、菫は初めて赴いた店を紹介した経緯をもごもごと説明する。

 たった今三人が退店したのは、<死ぬほど美味いラーメン小倉>だ。
 言わずと知れた、とは言っても一部の人間にだけではあるが、かなり評価の高いラーメン店である。
 一種の聖地巡礼が出来て達成感も感じていた菫だが、どうしても心にすぐに浮かび上がってくるのは幼馴染たちの存在だ。

(杯戸町にあったんだね、このお店。もっと早く思い出してたら零くんとヒロくんも一緒に食べれたのに)

 予想以上に美味だったラーメンを幼馴染たちを省いて楽しんでしまった事に罪悪感を覚えた。

(せめて警察学校を卒業する前だったら誘えたんだけど。もうすでに連絡取れないし……はぁ……)

 ぷつりと連絡が途絶え公安の職務に邁進しているであろう幼馴染たちを思うと菫は落ち込んでしまう。
 一気にテンションがダウンしかけた菫に、

「あ、ちょっと気になってたんだけど菫ちゃん、今日は香水付けてないよね?」

 萩原がふと思い出したという風に声をかけた。



 * * *



「え?」

 その問いへの菫の返答は一拍遅れた。幼馴染たちから意識を戻し頭を働かせる。

「そう――ですね。今日は研二さんと陣平さんとご飯を食べる予定だったので、付けてないです」

 食事の際に料理の香りを邪魔しないよう香水は控えるべきだろう――そんな意識が働いた菫には全く予想もしていない質問であった。だが萩原は続ける。

「でも今日に限らず、最近香水付けてないよね?」
「はい?」
「そういやそうだな。前はなんか付けてたろ?」

 今日のメインの予定はあくまで食事のためだったのであえて使用は控えたが、指摘された通り菫は趣味の一環で付けていた香水の使用頻度が落ちていた。
 さらに言うならば自分が香水を付けている事すら気付かれないようにしていたつもりでもあった。

「す、すみません。香水を付けてるって気付くくらい匂いがしてました?」

 気を付けていたつもりでも人の印象に残るほど香りが強かったらしい事に、菫は恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤らめた。しかし二人は首を振って否定する。

「いや、近寄ったくらいで気付くようなやつじゃねーぞ。なぁ萩原?」
「そうそう。なんていうのかな? すれ違った時とかにフワッて感じ?」
「そうですか?」

 松田と萩原の言葉で、周囲に香りを振りまくような逸脱した使い方はしていなかったようだと菫はほっと息をついた。

「良かったです。付け過ぎていた訳じゃなくて……。だけど研二さんが言う通り、最近は香水を付けてないですね」
「なんでだ?」

 香水を使わなくなった理由の一つを菫が少し残念そうに口にした。

「今まで香水はワンプッシュだけ付けてたんですけど、私自身の鼻が慣れちゃったのかそれだけだと物足りなくなっちゃたんです。でも付け過ぎると周りの人に迷惑、香害かなと思って香水は少しお休みしてました」

 他人に気取られないよう、あくまで自分で楽しむための香水だったが長年の継続利用が祟ったらしい。
 鼻が鈍感になってしまったのだと言う菫に萩原が首を捻った。

「菫ちゃんの付けてる香水って、正直滅多に香りを感じられないよ?」
「おーそうだな。隣に座ってる程度じゃ分かんねーぞ?」
「また付けてほしいなー、俺好きだったよ? あのあまーいやつ」
「菫が前に付けてたやつだろ? 俺もあれは嫌いじゃなかったな」
「そうそう、あれ」

 同じ香りを思い浮かべたのか萩原と松田が意気投合している。が、それもすぐに破綻した。

「あの何とも言えない美味しそうな香りのやつね」
「よく分かんねーけど花みてーな果物みてーな甘いのだろ?」
「え? 花? 果物? なんか……お菓子っぽくなかった?」
「は? 菓子ぃ?」

 萩原と松田が顔を見合わせる。そして共に訝しげな表情を浮かべた。

「えぇ? 陣平ちゃん、あれって何て言うんだろう……大人向けのお菓子って感じじゃなかった?」
「あぁ? ありゃ確かに食えそうな匂いでも、どちらかといえば果物とかのそっち系の匂いだろ?」
「そっかなー? そうだったけ……」
「萩、嗅覚悪くなったんじゃね?」

 互いに相手が間違ってると指摘し合う二人へ菫は申し訳なさそうに訂正を入れる。

「あの、多分それって、お二人とも別々の香水の事を言ってるのかも?」



 * * *



 特に次の予定は決まっていなかったため、三人は菫の家へと向かう事になった。松田と萩原は件の香水の正体が気になるようだ。

「菫ちゃんってお気に入りの香水が何種類かあるんだ?」
「はい、いつも同じ香水って訳じゃなかったんです」

 自宅へ向かう道すがら、まず菫は松田と萩原に香水の出番が減ったもう一つの訳をポツポツと説明する。

「鼻が利かなくなったのもそうですけど、香水を何本も持ってるのって浮気性だって何かのコラムで見てしまって。なんだか使うのを躊躇するようになっちゃたんですよね」
「えー、別にいいんじゃない? 気分に合わせて違うものを使っても。毎日同じ服は着れないでしょ? それと同じだよー」
「萩原の言う通りだろ。どんなに美味くても毎食ラーメンは食えねーよ。飽きるしな。そりゃガセネタだろ」

 二人から一刀両断され、菫はふふっと笑う。

「それなら良かったです。だけどそういう訳でさっき二人の香りのイメージが合致しなかったのは、私がコロコロ違うのを付けてたからですよ。陣平さんも研二さんも別の香水を連想されたんだと思うんですよね」

 そう言ったのち、雑談を交えながら自宅に辿り着くと菫はそのまま萩原と松田を連れて洗面所に移動した。また扉付きの収納から香水瓶が入っている浅いバスケットを取り出して見せる。

 洗面所はこの二人も何度か使用しているが、当然女性が一人暮らしの家の収納を漁るといった不作法をする筈もない。松田も萩原も香水が置かれているとは知らなかった。二人は物珍しそうにバスケットへ目を向ける。

「研二さんと陣平さんが言ってたのはこの中のどれかだと思います」

 さほど大きくないバスケットは二つ。一つのバスケットには三、四本ずつ香水瓶が収められていた。

「研二さんはお菓子みたいな香り、ですよね?」
「うん。グルマン系ってやつかな? ただお菓子っぽいとは言ったけど固有名詞があるのじゃなくて、パッと思い浮かんだイメージ的な?」
「バニラとかキャラメルとかですか?」
「そこまで分かりやすい香りじゃなかったなぁ? でも今思えばグルマンノートがメインじゃない気がしてきた。アクセントに少しグルマンが含まれている程度かも。なんか色んな香りの中に紛れてた気がする」
「なるほど? グルマン系の香料って印象に残りやすいですしね? アクセント程度かぁ……」

 菫は萩原が連想した香水にあたりをつけつつ、松田にも尋ねた。

「陣平さん、お花と果物は名前とか分かります?」
「ん? ……花みてーに感じたがバラとか俺でも知ってるような有名どころじゃないと思う。漠然と花っぽいって思ったんだよな」
「うーん、フローラルブーケ系っぽい?」
「あと果物っぽく感じたのも柑橘系じゃないな。でも具体的な名前までは出てこねーわ。なんつーか思い出そうとするほどあやふやになるわ」
「それじゃあ総合的にフルーティフローラル系でしょうか?」

 松田が何となく花、果物っぽいと思ったイメージも徐々に記憶が薄れているようである。

「香りって言葉で表現するの難しいよねー?」
「もう今になってだと嫌いじゃない甘い匂いだった、くらいしか思い出せねーわ」

 当の本人達も自分の記憶に自信がなくなっていたが、それでも菫は聞きだしたキーワードをもとに手持ちの香水に手を伸ばした。

「多分これとこれ、だと思うんですよ」

 洗面台に置かれたバスケットから菫は二本の瓶を抜き出す。そして自分の左右から手元を覗き込んでいる萩原と松田の前へとより分けた。

「こっちが研二さんが言っていたタイプの香水で、こっちが陣平さんが言っていたタイプの香水です。今コットンに付けてみるので、確認してくれます?」

 洗面所に常備してあったコットンに菫は香水をシュッシュッと吹きかける。そのまま菫から渡されたテスター代わりのコットンにクンクンと鼻を寄せると、二人は言葉は違うが同じ内容を述べた。

「ん〜? 俺が言ってたのとは違うかな? これもいい匂いだけどね?」
「俺もこれじゃないな?」
「あれ?」
「萩原そっち貸せ」
「じゃあ陣平ちゃんの貸してー」

 萩原と松田はさらに互いに宛がわれたコットンを交換して相手の香水の香りも念のため確認するが結果は同じだ。

「陣平ちゃんのも違うねー」
「こっちも違うな」
「違いましたか? 他の香水は系統が違うんですよね。一応他のも試してみます?」

 人によって香りの印象はだいぶ違うな、と当てが外れた菫は若干困り顔でバスケットの香水を指差す。

「……俺も陣平ちゃんが言ってた花とか果物を全く感じなかったって訳じゃないから、何となく同じやつな気がするんだよねぇ?」
「萩もか? 俺もなんか同じタイミングで嗅いだ時の香水じゃねーかって思ってたんだよな」
「香水って色んな香りで構成されてますから、二人とも同じ香水の事を言っていたとしてもおかしくはないですけど……」
「トップ、ミドル、ラストノートって、付けてから時間が経つと香りが変化するもんねー?」
「うーん、同じ香水だったんでしょうか? でも二人が連想するキーワードの香水、この中にあったかなぁ?」

 最初に二人に試してもらった香水以外に当てはまるものがなく、かと言って他の香水では菫にはしっくりこないのだ。
 しかし、新たな情報が萩原からもたらされた。

「あ、今思い出したんだけどブランデーとかワインみたいな、深みのある甘い香りがした気がする。もっと複雑な香りだったけどチョコボンボンみたいな?」
「あー……言われてみると俺も酒に漬けた果物っぽく感じたわ」
「お酒? あ、じゃあ、もしかしてこれ? でもなぁ?」

 半信半疑ながら菫にはパッと思い当たるものがあるようだった。
 バスケットから該当の香水を取り出すとコットンに香りを吹き付け、それぞれ松田と萩原に渡した。

「一応お二人が言う香りも含まれてますね」
「あ! これ、かなぁ? 俺が言ってた香りに近いかも? そういえばこんなちょっとスパイシーな匂いもしてたような。でも、う〜ん……」
「お? 俺もこれっぽい。でもやっぱなんか違うな」

 実際の香りを嗅いで記憶にあるような素振りの二人だったが、どこか決め手に欠けるといった面持ちだ。

「お酒っぽいだとこれ以外なくて。でも私はこれにはそんなに甘さを感じないんですよね? さっき研二さんが言ったみたいにスパイシーな香りのイメージです。これ分類としてはオリエンタルノートの香水なんです」
「トップの香りが飛んだ匂いが俺達の印象に残ってるのかな?」
「俺達の印象が強いのは付けたての香水の香りじゃなくて、しばらく経ってからって事か」
「おっ、陣平ちゃんそれだ。それで確認出来るかも。菫ちゃんが香水を付けてから俺達と会うまでの大体の時間を調べればいいんだ。それでミドルノートかラストノートの時間帯の香りを確かめれば分かるよ」

 香水を付けてからどれ程の経過時間に発せられる香りなのかを突き止めるべく萩原は質問する。

「ね、菫ちゃんっていつ香水を付けてる? 出掛ける直前とか?」
「香水を付けるのはいつも夜、寝る時ですね」

 菫の香水の使用はもっぱらベッドに入る直前であった。簡潔なその返答に萩原が首を傾げる。

「それって寝香水だよね? 朝にも付け直してる?」
「いえ、夜の一回だけです」
「あぁ? ……香水の持続時間ってどのくらいなんだ?」

 松田が萩原の方に目をやり問うと、すんなり答えが返ってくる。

「種類によっても違うけど、一番濃度が濃いパルファンで香りの持続時間は5〜7時間、軽めのオードトワレで3〜4時間だったと思うよ?」
「朝になったらほぼ消えてるじゃねーか」
「だよねー? むしろ夜に1プッシュの香りを嗅ぎつけた俺達がすごくない?」

 同意を求めてくる萩原に対して、松田はそれまでの前提を覆すような発言をした。

「つーかよ、俺達が認識してたのはそもそも本当に香水の香りか?」
「あー、ラストノートすら消えてそうだもんね? って事は菫ちゃんの体臭?」
「ちょっくら確かめさせろ菫」

 そうんな事を言いながら萩原と松田は菫に近寄り鼻をクンッとならす。

「ひっ、そういう言い方というか、嗅ぐのやめてください! 恥ずかしいですから! それに匂いのもとは香水ですよ絶対!」

 二人の香りを確かめるような仕草も、今までの話が自分の体臭についてだという事も到底受け入れられない菫は、男性陣から離れるべく両手を突っぱねた。
 警戒した猫になった菫に萩原が苦笑いを浮かべて引き下がる。

「あ〜ごめんね? でも香水ってさ人によって香り変わるよね? 多かれ少なかれその人の体臭と混じり合ってる筈だよ」
「おい菫、その香水付けてみろよ」
「この流れでそんな事できませんよっ!?」

 もれなく匂いを嗅がれるパターンである。顔を引き攣らせて菫は拒否した。
 それでもジリジリと迫りくる松田に菫の警戒心が更に跳ね上がる。

「うぅ〜研二さん、陣平さんを止めてください〜」

 松田がジワジワと距離を詰めつつあり、菫は掴まってしまうのではないかとヒヤヒヤした気分で落ち着かない。

「陣平ちゃん、そのいじめっ子ムーブはだめだって」
「あんだよ。萩原は気になんねーのかよ?」
「えー?」

 萩原に助けを求め菫は縋るように視線を送る。
 するとしっかり萩原に頷き返され菫は安堵したのだが、すぐさま裏切られた。

「確認するなら菫ちゃんが気を抜いてる時にしなくちゃー」
「?! 研二さんも味方じゃなかった!」

 萩原の助け舟はなく、そのまましばらく菫は弄られ続けるのだった。




今回のテーマが香水なのは以前買い逃したポリスパフューム(ヒロさんver)を今回は予約できたからです! 届くの楽しみ! ちなみにタイトルはプルースト効果で有名な小説名を拝借。

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