Cendrillon | ナノ


▼ *09


 別件で呼び出しを受けた零は硬い表情で部屋を出て行った。それを見送った景光はすぐさまハンズフリーのイヤホンを片耳に引っ掛け、部下と何やら会話をしつつパソコンのキーボードをカタカタと叩き出す。家の外から車がエンジン音を響かせ離れていくのを聞きながら、コナンと秀一はというと犯人の分析だ。

「――犯人の言動から、ピュグマリオニズムとマインドコントロールフェティシズムを併発しているような男だな」
「人形愛だけに偏っていたら正直害はないんだけど……」
「無機物を愛でるに止まれば個人の趣味という事で見ない振りも出来なくないが、生き人形を手に入れようとするならば話は別だ」
「しかも対象者の精神を支配しようとする犯人だと、悪い意味で薬物と相性がいいから厄介だよね」

 公安の仲間とのやり取りの傍らでコナン達の会話も聞いていた景光が独り言のように呟いた。

「俺が組織にいた頃から自白剤製造の貢献者って事で結構有名な奴だったけど、この男が組織で研究していたのは性癖を満たすためだったんだろうな……」

 その場にいた全員から改めて重い溜息が零れる。己の欲望に忠実な人間のする事は大概歯止めが利かずにエスカレートするものだ。

「――何? 杯戸町で?」

 だがそこへ景光の耳に仲間から情報が届く。それは警察に寄せられた発覚したばかりの事案についてであった。景光はコナン達に新たな情報を告げる。

「今、公安の部下から情報が入った。杯戸町内で意識不明の女性が保護されたらしい」
「! それって菫さんを攫った犯人と関係してる?!」
「恐らく。昨日のように無作為に選ばれ薬を投与された女性ではないみたいだな。この女性、連絡もなく会社を欠勤していたようなんだ」

 公安の調べによると、女性の務め先の会社は出勤してこない女性の家へ電話確認をしており、連絡を受けた家族はいつも通り出勤していると思っていたそうだ。

 間もなくして女性の顔写真が景光のパソコンに送信されてきた。液晶に映し出されたそれを見てコナンは頷く。想像した通りの人物だったからである。

「うん、やっぱり外見のタイプがアメリカの事件の被害者と似てるね」
「この男、他にも拉致してたんだな。しかし好みの女性を解放するには早すぎないか? それに菫ちゃんは監禁されたままだ」

 男のこれまでの行動から被害者は解放されるとは予想していたが、必ずしも前例に沿っていない事に景光はパターンが読めないと苛立たしげだ。

「先程男は、他の人形はいらないと言っていた。既に確保されていた女性を人形候補から外し、解放しているんじゃないか? どうやら男は菫をお気に召したらしいからな……」

 その秀一の予想は当たっていた。その後も杯戸町の周辺で続けざまに犯人に囚われていたと思われる二人の女性が発見されたのだ。皆外傷はないが、やはり詳しい事を覚えていないと口を揃えるらしい。

「恐らくこのイカレた男が手元に置いておきたい人形は菫で充分という事だろうな」
「……保護された三人の女性の発見現場を洗ってみる。近辺の監視カメラの映像に何か映ってるかも」

 肝心の菫に動きはなく、盗聴器の向こう側で眠り続けているようだ。またその盗聴器の製作者である阿笠博士からも菫の居場所に繋がる情報を得られていなかった。
 景光は焦燥感を胸に抑え込みながら、持ち込んだタブレットも駆使して続々と増えてきた情報から有力な手掛かりを見つけようと躍起になる。否定したかったが男の好みに合致してしまったらしい幼馴染は早々には解放されないのだろう。

「犯行時刻の周辺の監視映像をクロス検索すれば、拉致に使われた車が見つかるかもしれない。それに女性たちの見つかった場所やそれぞれの現場間の距離からアジトが大まかにでも絞れる筈だ」

 景光は早送りの映像を流し見しながら手繰り寄せた情報が使える情報なのかと、公安の仲間たちにあれこれと確認させる。菫に関しては何も状況が好転していなかったが、アジトの捜索は地の利がある事からFBIより公安の方が情報を得やすかった。情報収集を公安に一任する他なく、上がってくる情報を待つしかない秀一は珍しく弱音のようなものを吐いた。

「今ほど捜査に寄与出来ていないと思った事はない。俺にも出来る事があればいいんだがな……」

 残念ながらFBIの実力を発揮するにはまだ場が整っていなかった。秀一がジョディとキャメルの両名と合流するにはジェイムズからの返答待たねばならず、本格的に動く事も出来ず現状出る幕のないコナンと秀一はまんじりと景光の仕事を見守る事しか出来ない。それでも都度報告される公安の情報からその頭脳をフル回転させ、菫救出へのきっかけを模索し続けた。

 だが、ほどなくして秀一の下に一本の連絡が入る。

「ちょっとシュウ〜!! あなた生きてるってどういう事よっ?!」
「あ、赤井しゃん……」

 秀一の生存を知らされたらしい二人の仲間から感極まった――もとい感情が振れ切り非常に興奮した勢いのまま電話がかかってきた。ジョディとキャメルのまるで正反対の反応な声に、秀一は無感動な声で応対する。

「悪いが今はその話をしている暇がない。あとで……」
「冗談でしょ?! 私達に納得出来るようまずは説明しなさいよ!」
「うぅ……赤井さん、ご無事で……」
「……ハァ」

 秀一はビジネスライクに今回の事件について連携を試みたが、その冷静さは相手には通じない。余計に感情的な声が返って来て秀一は一度瞑目すると、コナンと景光に顔を向けた。

「すまんが少し抜けていいか? 二人に状況を説明してくる」
「いってらっしゃーい……」
「まぁ、怒られてくるんだな」

 どこか面倒そうに秀一は同席者に許可を取ると、コナンは同情交じりに、景光は苦笑して仲間にその生存を隠し潜伏していた男を部屋から送り出した。
 電話口から漏れ聞こえるほどだったジョディの怒り心頭な声が遠ざかって行く。そんな静けさを取り戻した部屋に新たな音が発生した。パソコンのスピーカーから、何やら小さなノイズが聞こえてきたのだった。



 * * *



 まるで押し潰されるような倦怠感が身体に纏わりついていた。痛みと共に菫の意識は浮上していく。

「――ぅぅ、あたま、痛いぃ……」

 なかなか上がらない瞼をこじ開けながら菫は呻き声を上げた。近年稀にみるような目覚めの悪さだった。ズキズキと鈍く重い痛みが頭の芯に居座っているようで、菫は思わず目をギュッと瞑る。

(なんだか……クラクラ、する? これって、二日酔い、みたいな?)

 酒が翌日には残らないタイプなため想像でしかないが、話に聞く症状に似ていると菫は思う。まるで目を回したような気分でぼやける目を瞬かせながら咄嗟に頭に手を伸ばした菫は、肩に痛みが走り息をつめる。

「いっ?! ……痛い? なんで肩が? ぶつけた? ……いつ? 寝てる間に怪我なんてする訳ないよね?」

 肩を押さえ痛みが治まるまで菫は寝転んだまま自分の状態に疑問を覚えた。すぐに痛みは治まったが、もぞもぞと身体を動かしたその拍子に、チャリ……と金属がすれる音がする。

「え?」

 片足に普段には感じない重みを感じた。違和感がある方の足を曲げると何かが突っ張るように足を引き止める。菫は手探りでそれを確かめると足には冷たい感触があった。

「…………足に、鎖?」

 菫の足首には鎖が巻き付き、その鎖の端は寝ていたベッドの支柱に繋がっている。身体を起こそうとして菫は力を入れようとしたが、叶わなかった。怠くて身体が思うように動かない。仕方なしに菫はのそのそと身体を丸めるようにして自分の足元側に頭を向けると、身体を何とか移動させて手を伸ばした。

「は、外れ、ない!」

 菫はまず動きを妨げる原因を取り除こうとした。痛む肩とは反対の腕で冷たい金属製の鎖を力いっぱい引っ張るも、ベッドのパイプ部分に引っかかりガチャガチャという音が虚しく響く。自分の指ほどの太さの鎖は菫の腕力程度では引きちぎれる代物ではなかった。

(これ、どうして?)

 身体の重怠さが夢心地に感じさせていたが、簡単にはこの状況を打破出来なさそうだと菫は自分の身に起きている異常を本格的に理解し始めていた。はっきりしない目をこするとそれが刺激になったのか菫の頭は徐々に靄が晴れていく。

 菫は次に足首に二重に巻き付いている鎖を見つめた。
 鎖の末端には重くぶら下がった南京錠。これが鎖同士を繋ぎ菫を拘束していた。

「鍵穴に針金か何かを入れてかき回す程度じゃ開かないよね、きっと……」

 鍵破りの技術などない菫はどうにか出来る気がしない。またそこで気付いたが、片足だけ靴を履いておらず裸足の方に鎖が巻き付いている。

「靴が……。そもそもここは? 私、どうしたの? 眠った記憶、ないけど……この部屋って?」

 足の異物をいったん棚上げにして菫は部屋を見回す。6畳ほどでさほど広くない部屋の天井灯が今にも切れそうに点滅していた。薄暗く、菫が現在繋がれているベッド以外は家具のない殺風景な部屋だ。
 腰高の窓はあるがすりガラスの向こう側に鉄格子が設けられているようだ。出入り口となる唯一の扉は閉じられている。鍵がかかっているかは分からなかった。確かめようにも菫を繋ぐ足首の鎖の長さでは明らかにその出口まで足りないのだ。

「なんで……私は何も覚えてないの?」

 見知らぬ部屋に閉じ込められたと目の当たりにして、菫は一瞬で鳥肌が立ち自分の身体を抱きしめた。
 いつの間にか意識を失い肩を負傷の上、囚われている。何より記憶がない事が菫は不安を倍増させた。

(待って、待って……。私が一番最後に覚えてる事って何だっけ? 今日は……午前中にヒロくんの所に行って、風見さんに会った。次に……コナン君とジョディさん達とも会ったんだよね? あ、零くんもあとから来たんだ。それでそのあと、コナン君と話をしながら歩いてて、それで……それで?)

 その後から菫は記憶がなかった。薬が原因による記憶の喪失であるが、当然ながら菫は知らない。

「あれ? え? コナン君と別れたあと、どうしたんだっけ? 私、確か、時計の修理に行こうとしてた、よね? あれ?」

 公安の担当者へアポを取ろうとしていたような気がするが記憶はあやふやだ。自分の行動の不確かさに菫の呼吸は知らずに早くなる。しかも目覚めるまでの間に何かされている可能性にも思い至り冷や汗が出た。菫は動く手で身体のいたるところを触れて異常や違和感がないか確認した。

(多分、大丈夫。何も、されてない。肩の痛みだけだと、思う……。何だか怠いし、目も少し、ぼんやりするけど)

 触れた限りでは肩の怪我以外に大きな異変はないようだと菫は判断した。菫は青褪めながらも深呼吸をして横になっていた身体を再度起こそうとする。

(と、とりあえず、もっと現状を把握しないと!)

 菫は何とか身体を起き上がらせようとした。だが、座っているだけなのに何故か平衡感覚も狂っているようでバランスが取れなかった。上半身をグラグラと揺らし、結局は自分が横たわっていたベッドに菫はボスッと再び倒れ込んでしまう。

「う……起きて、られない。ほんとに、何があったの……?」

 直前の記憶も不明で、身体も今だ自由に動かない。にっちもさっちもいかず、菫はベッドの上で身を投げ出したまま弱り切った声をあげる。

「あれ、起きたのかい?」
「?!」

 そんな菫に声を掛ける者が現れた。脱力して機敏に動けはしない菫だったが、反射的に声のする方に顔を向ける。いつの間にか室内には人が一人増えていたのだ。ゆったり歩み寄って来る人物は不思議そうな声音だった。

「あと1時間くらいは眠ったままだと思ったけど……。薬の量が少なかったかな? いや、代謝が早い?」

 微かな光を遮るように誰かが横に立っている。菫は突然声を掛けられ、声は出さなかったものの驚いた。
 影が出来たためあまり顔が見えないが、半開きの扉が見えたので音もなく部屋に入り込んできたらしいとだけは分かる。菫はその影の主に恐る恐る話し掛けた。

「だれ、ですか?」
「杯戸町の路上で、車の影に倒れ込んでいた男だね」
「……?」

 杯戸町は自分が本日赴いた地名で何らかの関連があるかもしれないとは思いつつ、後半のくだりはさっぱり意味が理解できず菫は首を捻る。

「君はその男、つまりボクを病人だと思って声を掛けたんだよ。覚えてるかな?」
「そう、なんですか?」

 病人に出くわしたという情報さえ菫には寝耳に水だった。男はさらにその時の状況を口にした。

「車を降りた途端に発作で動けなくなったっていう男に、君はとても親身になってくれたよ」

 しかしその親切が結果的に菫を窮地に追いやるアダとなったのだった。



 * * *



 時計の修理へと向かう途中であった。アポを取った公安の担当者にすぐに会えるとの返事をもらい、菫はすぐさま警察庁へと足を向けた。
 菫はその通り道の人気のない一角で、駐車されていた車の影から伸びる足に気付く。誰かが倒れているかもしれないと、菫は慌てて車体で隠れていた人物に駆け寄った。男の言う通り、菫は確かに病人と思しき男に声を掛けたのである。

 自分の行動を丁寧に説明されても菫には当然だが納得できなかった。

(そんなの私、覚えてない)

 男に言う事が菫には全く記憶になかった。これももちろん拉致される直前に投与された薬の影響である。そして他の被害者同様、拉致前後――一度は目覚めその間に交わされた男とのやり取りの記憶は、今後も思い出される事はほぼない。
 しかし、身に覚えがなくとも、聞き覚えのある状況だ。

(そんな事をしていたなら少なくとも記憶には残る筈、だけど……記憶が残ってないって事は、もしかしてこの男の人って……)

 昨日から巷を騒がせている――コナンやFBIが動いているあの事件では? と菫は確信に近いものを抱くのも当然だった。
 黙り込んだままの菫に、男は話し続ける。もはや永遠に知る術のない過去において、菫は倒れていた病人に駆けつけると救急に連絡を試みていた。

「君は救急車を呼ぼうとしてくれたんだ。でも君のスマホが使えなくてね?」

 それも男により人為的に電波妨害された結果だ。そんな事を露とも知らず、自分の携帯の使用を阻まれた菫は具合の悪そうな男に誘導されてしまった。地べたに座り込んでいた病人の男は震えた手で車を指差し言ったのだ。

「ボクのスマホで救急に連絡するよう頼まれて、君は快く引き受けてくれたよ。助手席のカバンを探そうとしていた君はとても無防備だったね」
「…………」

 他人事のように聞こえる話だったがこの置かれた状況を鑑みれば、つまり自分は男の思い通りに行動してしまったのだろう。まんまと連れ去られた事に菫は奥歯を噛み締める。自分を陥れた男から一刻も早く距離を置きたかった。

(逃げ、なきゃ。でも、どうしよう。どうやって? 足は繋がれてる……)

 足に絡みつく鎖を煩わしそうに見つめつつ、菫は並行して目の前の男の正体について触れた。拘束具から男へと菫は視線を移し、確認した。

「あなたは……昨日から起きている杯戸町の事件の人、ですよね?」
「正解」

 目星はつけて心構えはしていたものの男からの肯定に菫は不安を覚える。この犯人の目的がよく分からないのだ。薬で意識を奪い放置するという昨日までに見つかっている被害者女性とは異なる対応をされているのは一目瞭然だ。つまりアメリカで起きたある一定のタイプにより分けられる女性の拉致と同じ状況下である。

(この人、何がしたいの? コナン君とジョディさん達が言っていた、犯人の男の選ぶタイプに私が引っ掛かっちゃったって事だとは思うんだけど……)

 被害女性が男に拉致されていた間に何が起きていたのかは謎のままだ。抵抗が難しい明らかに弱者の立場を甘んじなければならない菫からすれば、今後どのような扱いを受けるのかと恐ろしく感じる。ひどい暴力を振るわれるかもしれないし、考えたくもないが女性の尊厳を奪われるかもしれない。
 ただアメリカの類似の事件でそのような被害を受けた女性がいるとは聞いていない事くらいしか、菫にとっては安心材料がなかった。

「私……これから、どうなるんですか? アメリカでの女性の被害者は最終的には記憶のない状態で見つかってるみたいですけれど」
「あれ、日本ではもうそこまで報道されてるの? まぁ、それならボクがどういう人間か分かるね?」

 男はポケットに入れていた手を取り出す。細めた菫の目には、男が小瓶を持っているのが見えた。

「ねぇ、これも知ってる? ほらこれ。自白剤なんだ」
「!!」

 自分の発言に驚いた様子を見せる可愛い人形に男は気分も良かった。自分だけが人形の支配者だという万能感が溢れてくるのだ。また菫の先を読んだような理解力も男にとっては話が早いと喜々として口を開く。

「君は覚えてないだろうけど、使い道は一つだよね?」
「覚えてないって、わ、私、もう、何か、言ったんですか?!」

 菫は悲鳴のような声をあげるのを止められなかった。咄嗟に自分で自分の口元を押さえる。何かを喋ってしまったのかと手を震わせながら、菫は声を絞り出す。

「私は、何を……言ったんですか――」

 菫を見下ろしている男は嬉しそうに言った。

「それはもちろん、君が真っ先に思い浮かべた、心に秘めてる中でも一番の秘密だよ」
「そ、んな……」

 菫は骨が凍ってしまったかのように身体が強張った。幼馴染たちの情報を口外してしまっては、彼らの行動の妨げになるだけでなく命の危険もある。血の気が引いて寒気すらした。

(零、くんたちが、危ない。私のせいで。私が零くんたちを……)

 自分の大失態に菫は息が出来なくなる。だが、どうしても一縷の希望に縋りたくなった。

(ま、まだ分からない。この人の言う事を全部信じるのは早計過ぎる。でも……記憶がないんじゃ……)

 もしも幼馴染たちの職務を話していたとしたら、もう終わりだ。恐れていた事――自分が原因による情報漏えいの可能性に、最悪の事態を想像して菫は頭が真っ白になる。

「――というのは冗談」
「!?」
「君はバッドトリップしちゃって早々に気を失っちゃったんだよね。あまり長話はしてないから安心していいよ」

 男は菫の青ざめた顔を見て悪戯げに笑った。菫はというとそれを聞いて、一瞬肩の力が抜けた。だが直後にブルブルと体が震えていく。自分はおちょくられたのだと気付いて菫に湧き上がったのは怒りだ。

(こんな、こんな無理矢理に人の秘密を暴こうとする人間の前で意識をなくすなんて!)

 性質の悪すぎる男の冗談と迂闊すぎる自分自身に菫の感情は乱高下するも、それを悟られないように菫は男を静かに睨み付けた。

「どうやら薬が効くのは早いけど、抜けるのも早いみたいだね、君。あ、そうだ、身体、怠くないかい?」
「……」

 自分の体調を言い当てる男に菫は苛立ちを覚える。確かに身体は普段通りとはお世辞にも言えない程度には不調だ。ただその事から男は嘘は言っていないのではないかと、自分に都合のいいように考えたくなってしまう。しかしやはり鵜呑みにも出来ないと理性が働いた。騙そうとしているのではないかと菫は疑心暗鬼になっていた。

(私、この人に本当に何も言ってないの? 最低限、何があったか確認しないと、ここを離れちゃいけないよね……。この人が本当の事を言っているなんて、限らない)

 あとになって実はこんな事を言っていた――と、発言を翻す事も考えられる。その方が被害者にダメージを与えられる筈だ。もしかしたら自分は意識のない間にすでに何らかの秘密を漏らしており、男はより詳細な内容を聞き出そうとしているのでは……と、菫は捻くれた想像もしていた。

「――おっと。今は君の相手は出来ないんだ。済ませておかない事がいくつからあるからね」
「え?」

 意識のなかった時間の出来事を何とか男から聞き出そうとした矢先に菫は出鼻をくじかれる。男は菫のぽかんとした表情に薄く笑みを浮かべ、子供に話し掛けるように宥め声で言った。

「大丈夫。それが全部終わったら、たっぷり時間を取ってあげるよ。いっぱい遊ぼうね」

 男に自然な仕草で頬を軽く撫でられ菫は硬直した。それと同時にこの先の未来を危ぶみたくなるような粘着質な視線も送られ、ゾワッと鳥肌が立つ。情報が欲しい、引き止めようという気持ちが一瞬で萎える。

 イイコで待っててね、と男は言い置くと入室してきた時と同様に音もなく部屋を出て行った。男が視界から消え、菫は強張らせていた身体の緊張が溶けていく。ホッと息をつくが寒気は止まらない。

「……あの人がいなくなっているうちに、何とかしないと。戻ってきたらさすがに何をされるか、分からないし」

 自分でも思った以上に暗い声が零れ出てしまい、菫は内心落ち込む。心が弱っている証拠だ。
 じんじんと慢性的に痛む肩を菫はさすった。これは誘拐された時にでも負った怪我だろうかと勘違いしている菫は、今のところ男から目立って危害は加えられていないと思っていた。だがそれが今後も続くとも思っていない。去り際の男から向けられた気持ちの悪い目つきはなかなか忘れられそうになかった。

「この機会は逃せないよね? ……まず何をすれば? 助かる方法、外と連絡? ……あっ!」

 異常事態ですっかり頭から抜けていたが、菫には奥の手があった。
 頼みの綱を慌てて取り出した菫はそれを両手で握りしめ、ジッと考える。情報漏洩が疑われるこの状況では、単純に抜け出す事にだけに労力を割けない。
 起死回生の策を……と必死になっている菫の脳裏に、幼馴染たちの顔が浮かばなかったと言ったら嘘になる。しかし彼らには頼れないと菫は思った。彼らには彼らの仕事があり、自分の事で手を煩わせられない。

「善は急げ。急がば回れ。この場合…………コナン君!」

 最終的に菫に思い浮かんだのは一人の少年だった。彼ならば最善の答えを導き出してくれる筈だ。

「そうだよ……コナン君ならきっと!」

 菫はこの世界のヒーローに助けを求めるべく、難攻不落のポケットに入れていた手の中の端末のボタンを押すのだった。




菫さん、幼馴染たちが絶句するような自滅行為を覚えておらず、現時点で致命的な状況でもないため、比較的心に余裕がある感じ。

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