Cendrillon | ナノ


▼ *07



 目の前の無力な人間の抵抗は本当にささやかで、そして意外性に富んでいる。まさかここでそう来るとは……と、男は心が浮き上がって堪らなかった。この人形がこれからするであろう未来を想像するのもまた楽しい。腕は伸ばさず肘を曲げてソレを構えている菫に男は口角を上げて問う。

「使い方、分かるかい?」

 菫が両手を添えて持ち直した物――ベッドの上に置きっぱなしだった鉄の塊の扱い方を男は聞いた。

「人並には、知ってます、よ? セーフティ、レバーを、外すんですよね?」

 呼吸の度に腕がぶれてしまうのを菫は懸命に隠そうとする。息切れで肩を上下させながら、菫は男に向けていた拳銃からカチャッ……と音をさせた。

「ちなみにそれ、どうするつもり?」

 男は大して動じずに質問を続けた。それが自分に牙を剥く可能性を知らない筈がないのに、全く恐れた様子がない。

(私の事、侮ってる。でも……都合が、良い)

 多少は動けるとしても、今だ薬の影響でフラフラしているのは菫も自覚があった。

「君にその銃が撃てるかな? そして当てられるかな?」

 自分の素人の腕では当たらないと思っているのだろう……と菫は思った。だが、男の問いは的外れだ。
 男に銃弾が当たるのかなど、その心配は不要なものだ。何故なら菫もそんな事をするつもりはさらさらなかった。

(私は、きっと、逃げきれない)

 自分の今の身体では男を振り切って逃走するのは無謀である。また、助けが来るまで銃を構えて男と対峙し続けるのも体力的に無理だ。

 そして薬が抜けるのを待つ事も出来なかった。今この瞬間でさえ男に銃を奪われてもおかしくない体たらくだ。男は何故か菫が銃を構えているにも関わらず、それを止めようとする素振りがなかったが、今の菫の状態ならば男が取り押さえようとすれば難しくもないだろう。

「あなたには、きっと、当たらない、でしょうね」

 投げやりにそう答えて菫は男に動きがないか見つめ続ける。両手で支えている鉄の塊は重く、気を抜けばその銃口はすぐに下がってしまう。

(今は、辛うじて、耐えられてる。でも、これをいつまでも続けられない)

 男はベラドンナの薬はもうないと言ったが、薬を自作出来る技術がある。新たに作成する事はそう難しくない筈だ。再び囚われたならば、身体の自由を奪う薬を再び摂取させられるだろう。
 菫は何より自白剤が恐ろしかった。つい先程、菫は自白剤により自分で思う以上に胸の内をさらけ出していた事に危機感が強まる。次こそは薬効に抗えずに秘密を口にしてしまうかもしれないと不安でたまらない。

(絶対、私は黙っていられなくなる)

 自分の口から秘密が漏れる――そう考えただけで、吐き気がする。それだけはしてはいけないと、頭の中で警告音が鳴り響いている。男の望み通りに囀るおしゃべり鳥のようにはなりたくなかった。

「私は――いつも、迷惑ばかりかける。もう、役に立てない。でも――」

 自分が零たちを危険に晒すくらいならば、菫は自分がここにいる意味などないと思う。

「でも……このままでは、終われない。運命の糸は、私だって、切れます」

 猛毒のベラドンナの属名はギリシャ神話の運命の三女神、アトロポスに因む。死の瞬間に運命の糸を断ち切る女神である。
 だが菫もその時を自分で選ぶ事が出来る。沈黙するのにベラドンナは必要ないのだ。

「私が、光を陰らせる訳には、いかないんです。妨げになる私なんて……いらない」

 自分が今からする事はベストではないがベターであると菫は信じていた。そう思わなければこんな事は出来ない。

「だから、銃はこう、使います」

 菫は片手に持ちかえたその銃口を、自分の胸に押し当て再び両手を添える。冷たく硬い金属を通して菫は自分の鼓動を感じていた。

(私は絶対、沈黙を貫き通す――)

 本当はこめかみに当てた方が確実だとは思うものの、男とのもみ合いで肩を強打したせいか腕が上げられなかった。よりにもよってこの方法はないだろう……と菫は申し訳なくなる。しかしもはや止められない。自分に選べるのはもうこれしかないのだと、菫には他に方法が思い付かなかった。

 ただ、先ほどとは違い、菫は安穏とした気持ちが芽生えない事に困惑する。
 菫は最後まで男を見据えたままだったが、何故だか自分を観察しているような男の眼差しにむしろ追い込まれている気がした。言いしれない恐怖に似たものすら覚える。

 早く決行しなければならない。

 菫は不安を抱きながら、その不安を振り切るように手元の引き金を引いた。


 カチンッ


 それは小気味よい音を鳴らす。

「……え?」

 菫は目を見開く。ブワッと背中に悪寒が走った。菫は性急に躊躇う事無く同じ動作を繰り返した。
 カチンッ、カチンッと続けざまに音が鳴り響く。
 だがそれだけだった。

「クッ……アハハハハ!」

 それを見て男が笑い出す。身体を折り曲げ大げさな身振りで菫の決死の覚悟を嗤った。

「残念だったねぇ? それは弾が入ってないんだ。ボクには薬があるからさ? そういうのは必要ないんだよ。あくまで脅し用だね」

 菫が手にした拳銃は、幸か不幸か菫の望みを叶えてはくれなかった。菫の望みは断ち切られる。

「そ、んな……」

 茫然とした声が空しく響いた。そんな菫へと男は悠然と歩み寄っていく。

「ボクに向かって引き金を引かなかった事は評価してあげる。君はこの混乱した状況でも人は殺せない。それが分かっただけでも収穫だ。君の操り方が分かってきたよ」
「や……いやっ! 来ないで!」

 菫は青ざめた顔で悲鳴のような声を上げる。無理矢理力を出し切った菫はもう碌に動けなかった。最後のあがきで、後退りながらベッドの端の壁際へと逃げる。
 男はポケットからまたもや小瓶を取り出すとそれを布に無造作に振りかけた。

「ベラドンナから抽出した薬はもうないけど、似たような薬は他にも持ち合わせているんだよ? これはただの睡眠薬。死にはしないさ」

 ゆっくりと追い詰めるように男はその布を菫に近づけた。菫が多少身をよじろうとも、それは男の手を止まらせる程のものではない。男は易々とその布きれで菫の鼻と口を覆ってしまう。

「……君ってびっくり箱みたいだ。毒を呷ろうとするなんて思ってもみなかったよ」
「ん〜、んっ……!」
「そして何より、それが失敗したからって、すぐさま拳銃で自殺を図るなんてすごい思い切りだ。よくもまぁ、躊躇わずに心臓に引き金を引いたね? もしかしてどこかのスパイか何か? まぁ、それはないか」
「っ……ぅ……」

 男は菫の苦しげなくぐもった声をものともせずに語り掛け続ける。

「今は眠っていいよ。ボクもやる事が出来た。他の人形はいらないや。あとで薬が抜けたら、ボクとおしゃべりしようじゃないか」

 男が菫の口元を覆っていた布を外すと、菫は混濁していく意識の中でただ乞うた。

「っ、おねが……し、なせて……」
「そのお願いは聞けないなぁ。君に興味が湧いてしまったから。それに、死を願う人間を死なせるほど、ボクは優しくないんだ。ごめんね?」

 男は無情に菫の願いを切り捨てる。それでも菫は壊れたように繰り返す

「ころ、して。わたしを、ころして、くださ……」
「大丈夫。君は面白そうだ。話し相手になってくれれば殺さないよ。ボクの薬を使ってここまで予測不能な事をしてくれたのは君だけだよ。あぁ、楽しいなぁ」

 噛み合わない会話に菫は絶望する。秘密を漏らすくらいならば死んでしまいたいのに、もう自分ではどうしようもない。
 目が霞んできた。意識が保てず、遠のいていく。

(私の、光。私が、消す、の? ……もう、見えない。真っ暗、で――)

 男の楽しそうな声を最後に、世界が暗転した。



 * * *



『私の、大切なもの……』

 秘密を問われた菫の声は泣きそうだった。それを零と景光、秀一とコナンは機械越しに聞いていた。

『胸が、苦しいくらい、皆が、好き』
『皆?』

 男には当然分かりようもないが、菫の言葉にコナンはちらりと安室――零を、そして秀一と景光を目を向ける。

『私の光、希望なの』

 希望が何を指すのかは明らかだ。これまでの菫とのやり取りでコナンには考えるまでもなく答えが出た。菫の生い立ちを聞き、コナンは朧げにだがその心情が想像できる。

(菫さんが言っていた希望って、安室さんの事だと思ってたけど、多分この人達の事だ)

 コナンはこの三人と菫の関係をまだはっきりとは聞いていない。しかし菫の安否を確認するまでの男達の様子を見ていれば、自ずとその関係の深さが窺い知れるというものだ。

(きっと菫さんには安室さん達が輝いて見えるんだろうな。組織に立ち向かう彼らに菫さんは魅せられてる)

 公園から帰り道の菫の必死な様子を思い出し、コナンはそんな事を思う。心に影のある菫にとって安室たちはさぞ魅力に満ち溢れている人間に映るだろう。焦がれてやまない憧れの対象になる筈だと推測するのは難しくなかった。
 三人の男達ほど菫と距離の近くないコナンは探偵の職業病のようなもので同席者たちも観察していた。しかし、すぐに別の懸念について不安がよぎる。

(今回の件で、組織にバーボンの正体はバレちまうか?)

 菫が自分の過去を明かしてまで言い淀んでいた他の秘密は、言うまでもなかった。組織を潰さんと暗躍している零たち三人の事である。ここで漏洩したとしたら、裏切り者の男からさらに組織へと伝わってしまうのでは……という問題は、既に他ならぬ彼らも自覚している。
 彼らは今後どのように動かねばならなくなるのだろうかと、この件に関してはコナンも一歩引いたところから見ているしかない。

(安室さんも赤井さんと同様に組織から抜けるしかないよな。残念だけど、組織へのパイプが一つ減った)

 そう、ここで菫から情報は漏洩するものだと確実視されていた。コナンに限らず零たちもこの状況ではそうならざるを得ないと思っていたほどだ。
 だからこそ、そのすぐ後の出来事はまるで嵐のようだった。


 ・
 ・
 ・


 最初コナン達には聞こえてくる音だけでは何が向こう側で起こっているのか分からなかった。だがそれは菫の行動がきっかけであった事だけは確かだ。

『……だから、足手まといには、なれない!』
『なっ!? おいっ!!』

 声を荒げない物腰に感じられた男の慌てた声が部屋に響く。
 次に争うような物がぶつかる音やそれに伴う衣擦れの音が聞こえてくる。

「「!?」」
「向こうで何が? 菫さん、犯人に反撃してる?」
「勝算がない反抗ではないといいがな……」

 零と景光は瞬間的に良くない状況だと息を呑んだ。コナンと秀一は聞こえてくる物音から、菫が何らかの抵抗をしているのではないかと推測する。
 しかし、支配下に置いていた筈の人間に歯向かわれた者は、往々にして気分を害すものだ。菫がこれで犯人の手から逃げ切れるならば問題ないが、逃れられなかった場合は犯人から怒りをぶつけられる可能性が上がる。

「勝算なしで起こすには軽率な行動だけど、だからこそ――」
「突破口があると信じたいが、菫ちゃんはまだ犯人の薬の影響が抜けていない筈だ。そんな状態では……」

 景光は菫らしくない軽はずみな行動は、その先を見据えているものだと思いたかった。それは零も同様だったが、菫の状況を思うととても楽観視は出来ない。しばらくもみ合うような物音がしていたが、それも男の声を境に止んだ。

『させるか!』
『あっ?!』

 息を殺して盗聴器の音に耳を傾けていたコナン達に、まず何かぶつかる音とガラスが割れる音が届いた。ほぼ同時に呻き声のようなものも微かに聞こえた。程なくして男の何とも言えない残念そうな声がする。

『はぁ……これ、アメリカから持ち込めなくて、日本に入国してから作った薬なのに。予備なんてないんだよ……』

 男の漏らす言葉は朗報ではあった。少なくとも今後しばらくは薬の脅威はなくなった筈である。

「……菫さん、元凶の薬を使い物にならないようにした、みたい?」
「でもさっき菫ちゃんの呻き声みたいなのも聞こえたよな? 逃げる様子もない。このままじゃ菫ちゃんが……」

 音から判断するに、菫の状況は悪化しているように感じられた。景光は菫が再び男の拘束下におかれる事を想像し沈痛な表情だ。
 しかし、目には見えない向こう側の状況は男の声で徐々に明らかになっていく。

『あ〜あ……ベラドンナがなかなか手に入らなかったから苦労したんだよ? やってくれたね――Wow! ……本当に予想以上の事をしてくれるなぁ、君は』

 男の驚いた声に、コナン達は皆首を傾げる。男のそれはどこか感心したような響きがあった。

「何だ? 何故こいつはこんな声をあげる?」
「菫が形勢逆転したのか?」

 だが、事態は四人の想像を超えて残酷だ。ここではないどこかで起きている事は、菫を知る者達にとっては背筋が凍るものだった。男が軽い調子で菫に問い掛けた。

『使い方、分かるかい?』
『人並には、知ってます、よ? セーフティ、レバーを、外すんですよね?』

 直後に聞き馴染みのある安全装置の下がる音がする。それにはその場にいる全員が表情を歪めた。

「!! 銃があったのか?!」
「そういえば菫ちゃんが目覚めてすぐ、危ないって男に何か遠ざけられていたよな? それか?!」
「菫さん、銃なんて扱えるの?!」
「いや、菫にそんな技能はない。銃など持った事もない筈だ」

 予想だにもしない銃という存在に四人には緊張が走る。素人が手にするには危険極まりない武器だ。コナン達の狼狽をよそに、菫たちの問答は続いて行く。

『ちなみにそれ、どうするつもり? 君にその銃が撃てるかな? そして当てられるかな?』
『あなたには、きっと、当たらない、でしょうね』

 途切れ途切れに返す菫の声は諦めを帯びているようにも聞こえた。

『私は――いつも、迷惑ばかりかける。もう、役に立てない。でも――……このままでは、終われない』

 そしてその言葉はコナン達に直感的な不安を与えた。

「え? 菫さん?」

 コナンは自分よりははるかに菫について知るだろう、大人たちに視線を向ける。だがその三人は緊張したような面持ちのまま微動だにせず、向こう側の情報を伝えるスピーカーを見つめていた。
 菫の声は迷いがない。

『運命の糸は、私だって、切れます。私が、光を陰らせる訳には、いかないんです』

 男が疑問を挟まないためか、菫の抽象的な言葉は独り言のように聞こえた。その菫が紡ぐ言葉は少しずつ不穏になっていく。

『妨げになる私なんて……いらない』

 その言葉に寒気がした。菫の思い詰めた発言に、全員恐ろしい未来を想像してしまう。そしてそれは現実のものとなった。

『だから、銃はこう、使います』

 状況が見えずに盗聴器の音を聞くだけしかない男達は息を呑む。自分が想像した結末が間近に迫っていると誰もが思った。ほんのわずかな静寂に耐えきれなくなったのか、零が思わず震えた声で名前を呼んだ。

「……菫?」


 カチンッ


 硬質な音が響いた。だが僅かな沈黙のあとに菫の呆気に取られたような声がする。

『……え?』

 次いでカチンッ、カチンッと引き金を引くような音が繰り返された。その音を聞く度に、コナン達の胸に痛みが走る。菫は今、何度も自分を殺している。

『クッ……アハハハハ! 残念だったねぇ? それは弾が入ってないんだ。ボクには薬があるから――』

 男の嘲笑は苛立ちを招くものであったが、同時にコナン達に安堵ももたらした。菫が銃弾により傷付く事は――命を落とす事はないと、知らずに止まっていた息を吐き出す。

『そ、んな……』
『ボクに向かって引き金を引かなかった事は評価してあげる。君はこの混乱した状況でも人は殺せない。それが分かっただけでも収穫だ。君の操り方が分かってきたよ』
『や……いやっ! 来ないで!』
『ベラドンナから抽出した薬はもうないけど、似たような薬は他にも持ち合わせているんだよ? これはただの睡眠薬。死にはしないさ』

 そう言ったが最後、菫の声がくぐもったように聞こえてきた。恐らく薬品を嗅がされているのだろう。

『……君ってびっくり箱みたいだ。毒を呷ろうとするなんて思ってもみなかったよ』

 男の言葉にコナン達はハッと身体を固くし顔を見合わせる。菫が男から銃を奪う直前にしていた行動を皆、正確に理解してしまった。
 単に男の毒の入った小瓶を使用不可にするために動いたと思っていたのに、実際は服毒自殺を試みていたというのだ。菫の我が身を捨てた行動は何も拳銃が最初ではなく、その一つ目の危機が誰知らず訪れていた事に血の気が引く。

 その合間にも菫の抵抗するような声がどんどんと力を失っていった。それにかぶさるように男の明るい声が聞こえてくる。

『そして何より、それが失敗したからって、すぐさま拳銃で自殺を図るなんてすごい思い切りだ。よくもまぁ、躊躇わずに心臓に引き金を引いたね? もしかしてどこかのスパイか何か? まぁ、それはないか』
『っ……ぅ……』
『今は眠っていいよ。ボクもやる事が出来た。他の人形はいらないや。あとで薬が抜けたら、ボクとおしゃべりしようじゃないか』
『っ、おねが……し、なせて……』

 菫が苦しげにひどい願いを口にした。男にその気がない事はコナン達にも分かっていた。だが、菫の言葉に幼馴染たちは打ちのめされる。そんな言葉など出来れば一生聞きたくなかった。

『そのお願いは聞けないなぁ。君に興味が湧いてしまったから。それに、死を願う人間を死なせるほど、ボクは優しくないんだ。ごめんね?』
『ころ、して。わたしを、ころして、くださ……』
『大丈夫。君は面白そうだ。話し相手になってくれれば殺さないよ。ボクの薬を使ってここまで予測不能な事をしてくれたのは君だけだよ。あぁ、楽しいなぁ』

 男の声を最後に、菫の声は途絶えてしまう。けれどもその方が良かった。それ以上菫が死を請う声など聞いていられないと誰もが思っていた。



 * * *



 菫は再び誘拐犯の薬により意識を失ってしまった。その後、男がごそごそと鼻歌を歌いながら作業をするような物音を立てていたが、しばらくすると男は部屋を出て行った。張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
 しかし、重苦しい空気は変わらない。

「――なんで、菫ちゃんが? 心臓を、撃とうとしたなんて、嘘だろ……」

 両手に顔を埋め、まるで泣いているように俯くのは景光だった。

「菫が……死ぬところだったのか……」

 零は茫然自失とした色のない声で遠くを見つめている。

「……ここまで自分の身を顧みないとは、思っていなかったな……」

 硬く目を瞑り、秀一も疲れた声で呟いた。

 菫とは深い付き合いがあるらしい三人の、手の届かない向こう側での出来事による衝撃は、自分の比ではないようだとコナンは目の前にいる男達を見て実感する。

(全員すごい打ちひしがれてる……。知り合いが自殺しそうになったとなれば、当たり前かもしれないけど……)

 拳銃自殺は元より不可能だったらしいが、菫の行為はどの手段も誘拐犯の男に未然に防がれ失敗していた。それが菫を危険に晒した張本人の功績だとしても、不幸中の幸いなのは間違いなかった。
 菫の身は無事である事が分かると、コナンはその場にいる誰よりも早く立ち直った。だが他の者達も回復してくれない事には、話が進められない。気休めでしかないがフォローの言葉を掛ける。

「あの……菫さん、バッドトリップしてたんじゃないかな? 薬の影響で普段は考え付かないような行動をしても仕方ないよ?」
「……ボウヤはそう思うか?」

 痛みを耐えるかのように眉間にしわを刻みながら、まず秀一が復帰してきた。

「そうだよ、きっと。あとは、知らない男に自由を奪われたら、未来を悲観して心理的に視野狭窄に陥っても……おかしくないと思う」

 他にも理由が――恐らく、菫が抱えるこの三人との関係、それに伴う守秘事項が漏れないように自ら身を投げ出したのだろう……という理由が大部分を占めるとは思われたが、さすがのコナンもそれは口には出来かった。

「あのさ……聞いても良い?」

 コナンは話を別の事に向ける事にした。今の三人のままでは使い物にならなさそうなため、少しでも会話をして機能停止状態から正常に戻さなければならない。ついでに聞いてみたかった事を尋ねた。

「三人とも菫さんとどういう関係なの? 赤井さんからは菫さんはFBIとは無関係の一般人だって聞いてるけど、ただの協力者じゃ、あそこまでの事は出来ないよね?」

 菫の覚悟の決め方は尋常ではないとコナンは思う。少なくとも普通の女性には過ぎた行動だ。つまり菫も公安の一人なのではないかという仮定が浮かび上がった。

「……コナン君。菫ちゃんは本当に一般人だよ。でも、ゼロも赤井も、まだコナン君に俺達の事、説明していないのか?」

 青ざめた表情ながらも、景光も弱々しい声で混ざり込んでくる。また詳しい事を一切聞いていないようだと、コナンの疑問で気付いたようだ。
 秀一が景光に向かって首を振ったところを見て、コナンは自分の認識を簡単に説明した。

「さっきの情報交換の時に聞いた、安室さんと景光さんが公安だってこと以外は何も知らないよ。……あと、菫さんは、私の光、希望って言ってたけど、ここにいる三人の事だよね?」

 光、希望――その言葉には憧憬の念が多分に含まれていた。同時に菫の信念の言い換えのようにコナンには聞こえた。その信念のために躊躇いなく命を捨てられる菫は殉教者のようだと思う。
 ほんの数時間前にも杯戸町での別れ際に、コナンはよく似た事を菫に抱いたばかりなのだ。彼らが菫の希望なのはほぼ分かっていたが、当事者たちはそれを知っているのかと何となく気になった。

「菫は……僕達をよく太陽に例えていたな……」

 コナンの声に反応したのか、いつの間にか俯いていた零は独り言のように呟く。

「僕達は今でも太陽足り得るんだろうか――いや、今はそんな事を……」

 最後に何かを振り切るように頭を振った零が、顔を上げコナンに目を向けた。その表情は精悍さをすっかり取り戻している。

「僕達三人と菫の関係……だったね?」

 ようやく会話に参加してきた零はコナンの最初の問いを再確認した。コナンが黙って頷くと、零は一度大きな息を吐き答えた。

「菫と以前から知り合いだというのは、何も赤井だけじゃない。僕とヒロもだよ。菫と僕達は幼馴染なんだ」





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