▼ *04
「コナン君、結論を急がないで。もう少しだけ待ってほしいの。透さんを誤解しないであげて? お願い……」
「……」
零に対する認識が二転三転し、コナンも混乱していた。最初は単純に黒の組織の一員でしかなかった。しかし共に事件を解決する機会が増えるにつれて、もしかすると日本警察――公安の潜入捜査官ではないかという考えも芽生えてきた。
ただそれも誤った考えなのだと思わさせる先の安室とのやり取りを思い出すと、コナンはどうしようもなく不安が沸き上がってくる。
(練りに練ったあの計画が……バレちまう。一度帰って、赤井さんに相談しないとダメだ)
自分にとって都合のいい想像でしかなかったのかと、見込み違いにコナンは愕然とした。だが、ここになって最初に自分が抱いた推測を後押しする人間が現れた。当の本人が誤解していると断じた事を、結果的には真っ向から反論した人物がいる。
「菫さん、ボク――」
コナンの混乱に拍車をかけるのが、ポアロに安室を介して訪れるようになった女性――菫だ。非力で、善良で、後ろ暗さなど感じさせない一般人だった。だがその判断も誤りだった。その人もまたあちら側の人間だからである。
安室が組織の一人であると知るまでは、コナンも菫に対して思うところは一切なかった。厳密に言えば現時点では、自身が納得するまで行った身辺調査で菫の事をシロだとは思っている。ただ、安室の協力者という点だけが菫に黒い影を落とし、それ故どうしてもグレーに分類されてしまう。
(バーボンの事さえなければ、本当に何の心配もない安心できる人なのに……なんで?)
菫は安室が何をしているかを正確には知らないようだが、コナンには菫が彼の人を心から案じているように感じられた。そうでなければ先ほどのような自発的であろう安室のフォローはないと思う。
「ボク……菫さんが安室さんを誤解しないでって、そう言うなら、もう少し考えてみるよ……」
安室への警戒は解けないが、短いながらもこれまでの菫との関わりで知った人となりを信用し、菫の言葉を吟味する事をコナンは約束した。
「ほんとう? あぁ、ありがとう、コナン君」
コナンからの色よい返事に菫も泣きそうだった表情をほっとしたように綻ばせる。
それを見ただけで、コナンは何とも言い難い気分になってしまう。この人は悪い人ではないのに、何だって癖のある男にここまで心を砕くのか、と微妙な気持ちになる。
また、その男も菫を渦中に巻き込む事は否定的だったな、と思い出した。この二人は単純に利用し利用されるという関係ではないようだと、コナンも薄々とは気づいている。だからこそ気になった。
「ねぇ、どうして菫さんは、安室さんをそんなに信じられるの?」
「それ……前にも聞かれたね」
「菫さん、答えてくれなかったよね、そういえば。走って帰っちゃったもんね」
「ご、ごめんね? 逃げちゃって……」
ジトォーと見つめられ、藪蛇だったと菫は目をうろつかせる。しかし、コナンから信頼を得たい菫は今回ばかりは真面目に答えた。
「んー……あのね、これを言ったら引かれちゃいそうだなって思うんだけど、透さんは私には太陽みたいな人なの」
「太陽? 安室さんが?」
コナンは意外な事を聞いた、とでも言うように胡散臭そうな表情を浮かべる。あの人、太陽とは真逆でしょ……と思っているのが容易に読み取れ、菫は笑いながら少し込み入った話を続けた。
「そう。太陽の光は闇を照らしてくれるけど、同時にその光と熱が周囲を焼き焦がすよね? 良い面も悪い面も兼ねなきゃいけないの。その悪い面だって必要悪で、そして透さんは信念に基づいて行動する。その揺るぎなさを私は知っている。……コナン君には悪い面の印象が強いかもしれないけど――」
「菫さんは良い面も知ってるから、安室さんを信じるって事?」
「うん。悪い面が霞んじゃうくらい良い面を知ってるの。私は透さんがどんな事をしても、きっとそれを否定しないと思う。それがたとえ人から誹りを受ける事でも、ね」
一方的な重い想いだが、それが菫にとって偽らざる気持ちだ。コナンは少し顔を顰めている。恐らく必要悪を菫ほど達観して認められないのだろう。
「それは……盲目的過ぎないかな?」
「自覚はしてるねぇ。でも、透さんの行動の根幹に悪意はないんだよ? その信念が闇の中にあっても眩しいくらいだもの。私は太陽から切り離せない必要悪を断罪できないし、したくない」
紙の上の人だった時から憧れていた零とその親友の景光。菫は幸運にもその幼馴染という立ち位置を得る事が出来た。
共に過ごせた事で、傍近くで接する事で、彼らへの憧れはより強くなる。日本のために身を粉にする正義漢の幼馴染たちに菫は頭が下がる思いでいっぱいだ。
「透さんは茨の道を歩いている。私達の代わりにあえてそこを歩いてるの。信念のためにその道を進む事を選んだの」
ただひたすらに罪悪感など抱く事なく、彼らが正義を貫けたならば良かったのに……と、菫はどれだけ思っただろう。彼らは何より正義に忠実であるのに、正しい事だけを選べない。そんな幼馴染たちの境遇を憂いている菫にコナンは意地悪な質問をする。
「菫さんのその盲信は、自分に牙を向けられた事がないからなんじゃない? 安室さんに切り捨てられたり裏切られた時、同じ事が言える? 恨まないって言える?」
コナンのその問いに菫は目を瞬かせる。だがそのすぐあとに破顔した。コナンからの問いでこれほど簡単に、そして気負わず答えられるものはないだろうとさえ思った。
「コナン君、人は太陽がないと生きていけないよね」
「え?」
「太陽にならその光で目を灼かれても、その熱で身を焼き尽くされても構わないよ」
「菫さん?」
コナンは油断していた。菫を見くびっていたと言ってもいい。菫の言葉は重すぎて、語られるその覚悟に身体が固まってしまった。
「恨まないよ。茨の道を歩く透さんは傷だらけなの。仮に私が裏切られたように見える事があったとしても、思う事は透さんが傷付かないでほしいって事だけ」
菫はコナンが言うような事は全く心配はしていない。むしろそれをされても当然だと思っている。太陽のそばに居るならば、その痛みは切っても切れないものなのだ。
「太陽は私にとって希望で夢なの。いつか暗い闇を影すら消すほど照らしてくれる。それに犠牲が必要なら、役に立てるなら、私は燃え落ちたとしてもきっと太陽に憧れ続けるよ」
「……」
嘘を言っているようにも、強がりにも見えなかった。
躊躇なくそう言いきった菫にコナンは寒気を覚える。
(何で安室さんに対してそこまで……? まるで宗教――崇拝者みたいじゃないか)
声音はいたって平静で凪いでいるのに、その内容は情熱的でそして限りなく捨て身だ。正直ここまでとは思っていなかった。
(でも、まさに話に聞く、肉親よりも強くなる公安とその協力者の関係みたいだ)
狂信的に一人の人間を信じ切る菫の心情を危ぶむ気持ちもあるが、菫の饒舌な口ぶりとその熱い思いの丈に、やはり二人は敵ではないのかもしれないという考えがコナンに再燃してくる。今までの菫の口の堅さが嘘のように、菫は迂遠にだが安室の正体を仄めかしているようにも感じた。言質は与えてくれないものの、一体どんな風の吹き回しだとコナンは訝しく思う。
「……菫さんの言い分は分かったけれど、でもいいの? そんな事言って。どうして今になってこんなに教えてくれるの? 今日まで黙ってたのに」
「事情が変わった、って感じかな……」
菫は不安そうに言った。
「このままだと多分、透さんに何か悪い事が起きる気がして……。コナン君に透さんの事、もっと知ってもらいたかったの。形振りを構っていたら、大事な物を見落としそうだなって思ったの」
「悪い事? 何かあったの、菫さん?」
表情を曇らせた菫のその言葉に、コナンはピクリと反応する。コナンに勘違いさせてしまったと菫は否定するように手を横に振った。
「あ、違うの。明確な理由があるものじゃないくて……コナン君に味方になって欲しかっただけだよ」
「ボクが味方に? 今の安室さんには難しいと思うな」
「もっと透さんの事を分かってもらえば、きっと二人はいいパートナーになれるよ」
秀一とコナンのコンビも素敵だが、零とコナンのコンビも劣らないと菫は思っている。しかしコナンは当然の事ながら、まだ菫のようにはその未来を想像できない。困ったように返される。
「菫さんには悪いけど、パートナーにするには安室さんは秘密が多すぎて信用がちょっとね……」
「そっかぁ。……でもね、大丈夫! 分かりあえたその時には、二人は絶対仲良しになれるよ! まぁ秘密が多いのは、人間生きていれば一つや二つ……三つや四つやそれ以上に、秘密って生まれるものだよ。大目に見てほしいな?」
一つや二つで言い留めておけばいい物を、菫がポンポンと秘密の数を増やしていくためコナンは呆れたように言い返す。
「三つや四つにそれ以上……って多くない? 菫さんは調べたくならない? 気にならないの?」
「ふふ、コナン君は根っからの探偵さんだもんね? 気になっちゃうかぁ。でも秘密は誰にでもあるよね? 透さんだけじゃなく、私にもあるよ。お互い様なの」
だが実際はお互い様などではなく、菫には一方的に知識としてあり、菫だけが秘密を抱え込んでいるのが現状だ。零たちについてまだまだ知らない事はきっとあるだろう。それでも何も明かしていない自分の方がより悪質だと、むしろ零たちには申し訳ないと菫は思っている。
今更な事実に菫は軽く頭を振ってコナンにも尋ねる。答えが分かっているズルい問い掛けだった。
「それにコナン君だって、秘密……あるでしょう? 大切な人にだって知らせてない事、一つくらい、あるよね?」
コナンには特大の秘密がその小さな身体の中に隠されている。それを念頭に聞き返すとコナンも痛いところを突かれたと顔を逸らした。
「まぁ、ね……」
「ね? 私も黙っている事があるから、相手にも秘密がある事にホッとしてるよ。このまま黙ってていいのかなって――」
そうは思うものの、秘密はいずれ白日の下に晒されるものだという事も菫には分かっていた。
・
・
・
先ほどまで自分をからかう素振りにも見えていた菫が一転して顔を曇らせた。その沈鬱な様子に彼女も訳ありそうだ……と、菫の認識を新たにしているコナンは話題もあまり都合が良くないため、話を変える。
「……あれ? 菫さん? 腕時計、止まってるみたいだよ」
コナンは菫の腕を掴み自分の目の高さまで持ち上げると、その時計を覗き込む。
「え、本当だ。さっきまで動いてたのにな。やっぱり壊れちゃったの……。はぁ……」
菫は悲しそうに溜息をついた。本当ならば警視庁で風見と会った帰りがけのついでに、公安の使用機器の管理を一手に引き受ける担当者へメンテ依頼をする予定であった。だがコナンとの約束が入ったため、時計は今だ菫の手元にある。
「やっぱりって? 電池切れじゃないの?」
「朝に不注意で濡らしちゃったの。きっとそれで止まっちゃったんだと思う」
毎晩就寝前に欠かさず充電しているので、電池切れとは考えにくい。
やはり今朝の事故が原因であろう。故障していなかったと思っていたが、そうはいかなかったようだ。
「スマホがあるから特に問題はないけど、でも早めに修理しないとね……」
菫はコナンから放された腕を胸元まで持ってくると、その時計をゆっくりと撫でた。やはりコーヒーの水たまりは致命的だったか、と菫はガクリと項垂れた。発信機の付属品とはいえ、せっかくの幼馴染からの贈り物を壊してしまったのは悪い事をした気になる。
「よし。これから修理してくれる人の所に行ってくる。あ、でもその前にアポ取らなきゃ……」
今日中に直らなくとも早めに対応してもらう方が良い筈だ。時計を先方に預ける事くらいはできるだろうか、と菫はスマホを取り出す。
「――という事で、私はアポが取れるか取れないかで行き先が変わるから、コナン君とはここでお別れかな? コナン君はどうするの? まっすぐ帰る? あ、それともやっぱり送っていこうか? 杯戸町は今、危ない薬を使う不審者がいるもんね?」
「ううん。ボクも寄り道するから送ってくれなくていいよ。でも菫さんこそ明るいうちに帰ってね? ボクなんかよりよっぽど菫さんの方が狙われる条件が揃ってるんだからね? もし怪しい人を見掛けたらすぐに逃げるんだよ?」
コナンは用があると菫の申し出を断ったが、反対に菫へ心配そうに気を付けて帰宅するよう念を押す。
「うん、大丈夫。今までコナン君やジョディさん達の話を聞いてたんだもの。もしも危ない人がいても、近づかないよ?」
年下の少年からの幼子に対するような注意に菫は苦笑しながら頷いた。
* * *
コナンと別れた菫は、通りがかりにあった杯戸公園より一回り小さな公園のベンチに腰を落ち着けた。早速公安の機器整備の担当者へアポを取る。手早く用件をしたためメールを送信し息をついた。
修理が可能であれば警察庁へ、本日中に時計を預けられないのであれば帰宅しようと、返答があるまではこの場でしばらく待機だ。足を踏み入れた当初は何人かの子供達が遊んでいた園内は菫がスマホを操作しているうちにいつの間にか静けさに満ちており、まだ明るいというのに菫以外の人影がなくなっていた。
(……コナン君なら、いざという時には零くんが敵ではないって、気付いてくれるよね?)
真っ黒になったスマホの画面をじっと見降ろしながら、菫はつらつらと考え事をする。
(形振り構ってられないって沢山喋っちゃった。コナン君なら察してくれるかなってかなりぼやかしたし、はっきり明言した訳じゃないけど、これも情報漏洩だよね……。あとで零くん達に報告しないと……)
コナンに協力者であると知られた件は、辛うじて公安という情報は含まれていなかったためお咎めはなかった。しかし、今回は明らかに違う。場合によっては協力者から外されてしまうだろう。その後の付き合いまで制限されてしまうかもしれない。
(私がした事ってそういう事だもんね。でも、この世界のヒーローを味方に出来るかもしれないなら、私に見切りがつけられてもメリットの方が大きい。そもそも私が協力者の位置にいてもあまり役に立たない。だから、この方が良い。……後悔なんて、してない)
大局的な視点で見ればコナンの零への認識の変化はプラスになる筈だ。しかし、第三者に公安の存在を漏らした事になる菫への評価は――既にコナンに協力者だと暴かれている失点も加味すれば――地を這うどころかマイナスだろう。
(零くんとヒロくんの信頼を裏切っちゃったよね。でも、それで失望されるのも、そばに居られなくなるのも、やっぱりやだよぉ……)
自分の未来を想像して、菫は目の奥がズキリと痛んだ。幼馴染たちと距離を置かねばならなくなるのだろうかと、菫は修理担当者からの返信が来るまでの間、欝々と誰もいない公園で過ごすのだった。
* * *
「――どうしたボウヤ?」
コナンがおもむろに掛けているメガネのつるに手をやった。何やら耳を澄ませているような素振りに見え、秀一も首を傾げる。
つい先ほどまでコナンは杯戸町の公園で自分の同僚であるジョディとキャメル、そして菫と共にいたらしい。昨日から話題となっている薬物事件にかこつけて、菫から情報を吸い上げると事前に秀一も聞いてはいた。
コナンは菫と別れた足で自宅――工藤邸に向かい、本日も抜かりなく沖矢に変装している秀一へと報告する。それは自分一人では判断が付かない事の相談の側面が強かった。
三人がかりで菫に探りを入れていたところに、バーボン――零が現れ、FBIへの辛辣な発言があったという。それだけでなく、そのあと零をフォローするように言われた菫の思わせぶりな発言に戸惑っているようだ。そんな悩みの吐露を秀一へしている最中、コナンが急に口を噤んだのだ。
コナンは何やらバツが悪そうに言った。
「今、菫さんに付けた盗聴器から音が……。さっき彼女の腕時計のベルトに、博士がくれたシールタイプの試作品をくっつけたんだ」
「……何?」
コナンは盗聴器から伝わってきたノイズに、対象者が音を拾える範囲内に入ったのだと思った。だが、秀一の思いの外低い声にコナンは言い訳するように事情を説明する。
「あ、いや最初は、菫さんが安室さんと会う時に何か話を聞けるかなって期待して付けたんだ。でも安室さんが公園にやって来て、菫さんと特に話はしないで帰っちゃったから盗聴器はすぐに外そうと思ったんだよ? だけどシールを回収しようとした時には時計のどこにも付いてなくて、てっきり剥がれ落ちたのかなって思ってたから……」
しかも今まで一切音声を拾っていなかったという。公園で近くにいたその時から盗聴器に反応がなく、試作という事もあり不良品だったのかと確実に回収はしていなかったそうだ。しかし今現在、盗聴器は反応を見せ始めている。コナンは自分の予想を述べた。
「多分だけどベルトから剥がれて、袖の内側とかにシールが移動しちゃったんだと思う。距離の関係か何か、振動や衝撃がきっかけか理由は分からないけど、急に音が聞こえてきて……」
菫の衣服のどこかに張り付いたままそれが、今になって稼働し始めたようだ。盗聴器を付けた経緯に秀一は眉間にしわを寄せた。
コナンはというと、やはり何か情報が得られるかも……と、盗聴器に気を取られている。
だが一向に人の声のようなものは聞こえてこないので、これはもう電波の範囲外に移動してしまったのかもしれないな、と残念に思う。一定の距離を離れると盗聴器は電波が拾えず使用不可となるので致し方ない。
「ボウヤ、彼女の盗聴はやめてくれないか?」
「え?」
もう盗聴は無理だろうと諦めかけていたが、他ならぬ秀一から待ったが掛かった。
「音はしなくなっちゃったから、もう聞いてないけど……でも赤井さん、なんで?」
「黙っているのも、ここまでか……」
秀一が溜息をつき、無意識にだろうか頭を振った。コナンは一体何なんだと訝しげに聞き返す。
「? 赤井さん、なに? どういう事?」
「……ボウヤには伝えていなかったが、彼女――鳳菫は、FBIの……正確には俺個人の協力者だ。ジョディやキャメルも知らないサポーターだよ」
思ってもいない秀一の発言にコナンは目を丸くした。また大きな声で問い返さずにはいられない。
「え?! 赤井さんの協力者!? それじゃ……菫さんが安室さんのそばに居るのは、彼を探るため?」
秀一の依頼で菫は安室の協力者もしているのか? と咄嗟に思ったが、コナンはすぐに疑問が思い浮かぶ。
(でも、それだとつじつまが合わないような? 赤井さんの協力者なのに、あんなに安室さんに傾倒していたら、篭絡されてるんじゃって思うけど……)
首を捻ったコナンに、秀一が首を振った。
「いや、それは違う。……困ったな。この件は守秘義務があって、これ以上は話せない」
「? それって……? あ! でも、今教えてくれたって事は、菫さんが赤井さんの協力者なのは話しても問題ないって事でしょ? どうして今まで教えてくれなかったの? ボクが彼女を怪しんでたのは知ってたでしょ?」
秀一が教えていてくれたならば、菫に対する警戒は不要の物だった筈だ。コナンの納得がいかない様子の不満顔を浮かべる。しかし、秀一は肩をすくめるだけで動じない。
「隠れた手札は多ければ多いほどいい――というのもあるが、彼女の協力はFBIとは別の非公式のものだ。あまり大っぴらには巻き込みたくないんでな」
「だからって――」
言い募ろうとするコナンを秀一はややきつめな口調で一蹴した。
「とにかく、彼女は組織とは無関係だ。盗聴は必要ない。彼女を介して盗聴が必要な場合は、彼女の許諾を得てからだ。菫は……一般人なんだ」
「! ……そうだね。総合的に見たら敵側だと思ってたから、女性に対する配慮が足りなかったとボクも思う……」
普段は穏やかな秀一の言い含めるような言葉に、コナンも相手が無実だと思い至ったようだ。秀一は再度溜息をつき、スマホを取り出した。
「彼女に盗聴器が仕掛けられていると連絡する」
コナンが項垂れ反省しているのを横目に、秀一は菫のスマホに電話を掛けた。今は具体的な音を拾えていないようだが、やはり盗聴器が仕掛けられたままの状態は見過ごせない。秀一は早めに外すように注意するつもりだった。しかし、コール音が鳴るばかりで応答がない。
「繋がらんな……。ボウヤ、俺はこれから彼女の家に行くが、どうする?」
「ボクもついて行っていい? 菫さんに謝りたいんだ。今回の盗聴器とこれまでのボクの詮索、プライバシー侵害も甚だしいし……」
「一緒に謝ってやろう。傍観していた俺も無関係ではないからな。君の行動力を甘く見過ぎていた俺も同罪だ」
「ありがとう、赤井さん……」
まだ少し落ち込んでいる様子のコナンを連れて、秀一は菫の家へと向かう事になった。
・
・
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昴の車に乗り込み目的地へと走り出して程なく、コナンは秀一に尋ねる。
「――ねぇ、赤井さん。菫さんは個人的な協力者って言ってたけど、FBIは無関係なの?」
「俺の上司――ジェイムズには顔つなぎはしているが、FBI連中で知る人間はほとんどいない。菫は他にも仕事を抱えてるからな。FBIの仕事は振れないんだよ。日本国内での俺の支援者みたいなものだ」
「ふーん? でも彼女、安室さんにかなり入れ込んでるみたいだけど、危なくない? 菫さんから赤井さんの事がバレないかな?」
「ふ……その心配はない。菫が裏切る事はないだろう。俺が保証しよう」
何せ菫はあちらの協力者でもあるから――とは言えないが、コナンの無用な懸念に秀一は笑う。秀一にしては安請け合いな反応にコナンは眉を顰めるも、まだ自分の知らない理由があるのだろうと口を噤んだ。そのせいか、二人――秀一と零が共通の事を言っている事にもコナンは気付くが、それも口にする機会は失われる。
(赤井さんも、安室さんと同じように、彼女を巻き込みたくないって言うんだな……)
それが意味する事までは、さすがのコナンも汲み取れない。
コナンが口を閉ざしたため、しばらく車内は無言の空間だった。それでも走らせた車は着実に菫の自宅へと近づいていく。秀一が迷いなく菫の家へと車を走らせる事に、本当に菫さんは協力者なんだな……とコナンは見せつけられたような気がした。
だが、よそ事に気が向けられるのは――平穏はそこまでだった。
ザザッ……
「あ……?」
コナンが眼鏡のツルに再び手を伸ばす。運転中の秀一は前を見ながら問うた。
「ボウヤ、盗聴器からまた音でもしたのか?」
「うん。でも、待って赤井さん。……何か、変だ。おかしい」
先ほどまでと違い、コナンの耳にはノイズに交じって人の声も聞こえていた。
「……え?! 菫さん?!」
「どうした?」
助手席に座っていたコナンは、背もたれに預けていた上半身をバネのように起こした。抑えてはいるが慌てた声が咄嗟にであろうが、菫の名を呼んだ。もちろん一方的に音を拾う機器なため、そのコナンの声は向こう側には届かない。
その冷静さを欠いたコナンの様子に、秀一は嫌な予感がした。
「ボウヤ?」
秀一に応えるでもなく、コナンは音を拾うのに集中しているようだった。
盗聴器が拾った音はメガネを掛けているコナンにしか聞こえない。秀一は菫の家まであと少し、という距離だったが一度路肩に車を止めた。鋭い視線でコナンを見やる。
コナンもそこで秀一に顔を向けたが、耳をすませているその表情がどんどん曇っていく。
「……赤井さん、菫さんが、倒れた? いや、違う……」
「どういう状況――」
コナンを介してしか事が把握できず、秀一はもどかしさを持て余しつつ菫がどのような状態にあるのか尋ねかけた時だ。コナンが顔色を変えて叫んだ。
「――あっ!? 赤井さん大変だ! 菫さん、拉致されてる! そばに居る誰かに、連れ去られてる!」
「!? 何だと?」
事態は急変した。コナンの尋常ではない声に、それが事実などだと突きつけられる。よりにもよって菫が事件の当事者になるとは……と秀一も普段のポーカーフェイスを崩した。
コナンが音を聞き洩らさないようにしているのを見て取り、秀一は口を挟まずコナンの一挙手一投足に注目する。
「……ボウヤ、今も何か音は聞こえているのか?」
そしてコナンから一瞬張りつめた気配が消えた瞬間、声を掛けた。読み通り、コナンは悔しそうに言った。
「ううん。話し声はしなくなった。それに車で移動し始めたみたいで、音が悪くなってる。もうほとんどノイズだけで碌に聞こえないんだ」
「菫の身に、何が起きてる?」
秀一は車を発進させとりあえず菫の家へと向かう。運転しながらの問いにコナンは盗聴器が聞き取れたところから説明をし始めた。
曰く、菫は路上で車の影に倒れている男を見つけたらしい。介抱すべく駆け寄っている。
意識はあった男に救急車を呼ぶよう求められたが、菫のスマホは何故か圏外になっていたようだ。
そこで男が菫に依頼する。車の助手席に置いてあるカバンから自分のスマホを取り、それで連絡して欲しいと。
菫はそれを了承し、車のドアを開けカバンの中を探している物音がしていたその最中、菫に異変が起きたという。
「急に菫さんのくぐもった声が聞こえたんだ。他にも今思えば抵抗するみたいな声や何かがぶつかる音。それと相手の男の、気味の悪い声」
「何か言っていたのか?」
「条件に合う人形が、自らやって来るなんて運が良いな、って……」
車は菫の自宅へと到着していた。コナンは躊躇いがちに思い当たる事を口にする。
「赤井さん。もしかしたら、FBIでも捜査しているマッドヒプノティストが関係してるんじゃないかなって、ボク思うんだけど……」
そうであって欲しくないと思いながらコナンは言った。
昨日の今日で、現場は恐らくだが杯戸町周辺。何よりコナン自身が、一連の事件の被害者像に限りなく近いと菫を見い出し、その渦中の場所へと羊を引き寄せたも同然の状況だ。これで関連を疑わせる事件とは異なる災難に巻き込まれたとは想像しにくい。自分にも責任の一端があるとしかコナンには思えなかった。
秀一は口元に手を当て一考すると、スマホを取り出し素早く誰かに連絡を取り始めた。コール音を聞きながら秀一はコナンに第三者の介入を仄めかす。
「ボウヤ。この件は彼らにも動いてもらった方がいい」
「彼ら? FBIの事? ジョディさん達を呼ぶの?」
秀一はコナンの問いに答えなかった。掛けた先の電話の主と通話が始まっていたからだ。だが、コナンはその秀一の電話相手が予想とは違う事を知る。
「緊急事態だ。菫の家にすぐ来てくれ。菫が攫われた。君たちの協力が必要だ」
そして、その秀一の要請にスマホから漏れ聞こえてくるほどの音量で怒鳴り返してくる人物の声に、
「は? え……? え〜〜!?」
と、コナンは唖然とし開いた口が塞がらなくなるのだった。
盗聴器は博士の発明品故に広範囲の音声を拾えたのだと、ぼんやりご理解ください。追跡メガネの探知範囲も半径20kmと驚異の性能なので、コナン世界なら多少の無理は通る気が……。