Cendrillon | ナノ


▼ *03
コミック84巻「ギスギスしたお茶会」は発生していたという前提。


「――バーボン。悪いけどFBIの連中から情報を取って来てくれる?」
「構いませんけど、ベルモット? 裏切り者の科学者、日本には現れないという話じゃありませんでしたか?」

 仕事が増えた事に零は冷ややかな視線をベルモットへと向ける。だが相手は肩をすくめるだけだった。

「私とした事が読みを外したわね。まさかここまで愚かだったなんて思わないじゃない?」
「確かにFBIに目を付けられ、こうも早く再犯するとは僕も思ってませんでしたけど」

 以前情報共有されていた裏切り者の男が日本――しかも杯戸町に現れたとの連絡で、零はバーボンとしてベルモット呼び出されていた。
 日本に滞在中のFBI捜査官――ジョディとキャメルに組織の裏切り者の捜索業務が加わったと分かったらしく、情報収集も兼ねてベルモットから零はFBIへの接触を命じられる。

「裏切り者の行動は予想外だったけど、でも飛んで火に入る何とやら、よ。FBIより早く男を見つけて始末する良い機会でもあるわ。取りあえず、FBIがどの程度の情報を把握しているか、探れるわね?」
「それは可能です。ですがこの狩りはジンが関わってましたよね? 僕が手を出すと余計嫌われそうですけど?」
「あなたの仕事はFBIとの接触までよ。裏切り者が尻尾を出したから、潜伏場所の特定まであと少しらしいの。始末はこちらに任せてくれたらいいわ」

 杯戸公園にFBIがいるという情報が入り、また後からメガネの小学生が合流してきていた。離れた場所からそれを監視しながら零とベルモットは今後の行動について打ち合わせる。

「それじゃあ良い知らせを待ってるわよ……あら?」

 零に指示を出し終え立ち去ろうとしていたベルモットは、FBIとコナンに近づいてくる者を見咎めその場にとどまった。ベルモットが関心を持った人物に零は内心冷や汗を流す。それには気付かずベルモットは見覚えのある人物と接点のある零へと問い掛ける。

「……FBIと今一緒にいる子、あなたの潜入先の喫茶店で見かけるわね」
「あれは……そうですね。常連の方です」

 零は舌打ちしたかった。ベルモットに調べられているだろうと思っていたが、ポアロの来店客もやはりその範囲に含まれていたようである。恐らく菫は数多いる客の一人程度の認識であろうが、その存在を組織に掴まれたのは痛い。しかも菫が何故FBIとコナンと共にいるかが不明な上に、今回の事でベルモットの印象に残ってしまったのも不安要素だ。
 だが平静を装い零は菫について口にした。

「あなたがご執心のコナン君とも知り合いですよ。どちらかというと彼女は、彼の友達の子供達と仲が良いみたいですけどね?」
「あら、そうなの?」
「ええ。……あぁ、あと彼女とは安室透として依頼を受けた事がありますから、僕も以前より面識がある女性です」

 あとから菫と以前から知り合いだった事に疑問を抱かれ詮索されるよりはと、零は菫とは仕事上で浅からぬ縁があると自己申告しておく事にした。

「そう……」
「ちょうど良いですから彼女を取っ掛かりに、FBIに接触してきましょう」
「了解。ここは任せるけど、何かあれば報告してね、バーボン?」
「分かってますよ。それでは……」

 零が動き出すのと同時に今度こそ立ち去って行くベルモットを確認したが、油断はできない。零は強く歯を噛み締めながら、接触対象へと歩を進めるのだった。



 * * *



 杯戸町の公園で階段からの転落事故があり、それにはドラッグを使った犯人も絡んでいるという。しかもその被害者がジョディの親友だと聞いて菫は血の気が引く。公園内の子供達の声がどこか遠くに聞こえた。

「ジョディさんのご友人、早く意識が戻るといいですね……」
「ええ。知り合いも巻き込まれてしまったし、この事件は絶対に解決してみせるわ」
「その夏子さんっていう人、ちょうどこの階段の上でジョディさんと電話中の所を襲われたみたいなんだ」
「はい。ですが犯人も襲った女性が通話中と気付くと、前後不覚となった夏子さんを階段から突き落とし逃走したようです」
「犯人が薬で意識がなくなった夏子に他にも何かしようとしていたのか、そうでないのかも分からなかったわ……。救急車を手配するのに手一杯で」

 姿の見えない電話先の人間に何かがあったようだと分かっていても、その場所を特定するのは至難の業だ。たまたま直前の会話で杯戸公園にいるのが伝わっていたため、何とか素早く救助は出来たらしい。

「でもジョディさんの友人の女性は、昨日までの一連の女性への襲撃と同じで、アメリカで見られたような特定のタイプではないんだよね?」
「ええ。他の女性と同様に犯人の実験に巻き込まれたんだと思うの。きっと薬の効果の把握に時間を掛けてるんだわ」
「充分なデータを集めたら、恐らく犯人の固執するタイプの女性に被害が出るだろうね」

 ジョディ達が何やら情報をまとめ始めた傍らで、菫も一人同様に頭の中で整理していた。

(どうして? ジョディさんの友達は、事件に遭うとしても教え子さんの父兄に襲われる筈だった。それに関しては零くん達とは関係ないし起こり得る話だけど、でも昨日の事件に巻き込まれるなんて明らかに違う)

 公安とFBIは一部の人間は通じ合っている。具体的に言えば零と秀一は敵対していない。
 それ故、発生する筈だった小さな出来事が軒並み消滅し、本来の未来へ繋がる道は途絶えてしまった。秀一の復活劇――FBIにその生存が認知され、零の正体がコナンにバレてしまう未来は消えてしまった筈だった。
 だが、現実は異なる流れから菫の知っている未来と絶妙に酷似した事が起きている。ある事件に関与する筈だった人物が、違う事件に巻き込まれる可能性はどれ程のものだろうか。

(何かが起きてる? 何か、全く違う未来が始まってる?)

 それは菫の最も恐れている事だった。過去を変えた事により、未来が全く読めなくなっている。今までにも何回も未来とは違う結果になるように菫は動いていたが、ここまで大きな変化を感じた事はない。
 これまでと何が違うのだと振り返ると、菫には一つ思い浮かぶ事があった。

(これって私が昔、起こる筈だった未来を大元からなくなるような事をしたから? 他の出来事ではその場その場で、場当たり的に未来が変わるよう動いてたけど、零くんとヒロくん、秀一さんの関係性の変化はそうじゃない)

 菫が介入し根幹から変わってしまったものは、菫がすぐに思い出せるものとしてはこの件だけである。推測でしかないが、空白の出来た未来を穴埋めするように、失われた運命に基づいて現在が進行しているように感じられた。

(未来は違う形で遂行される……? 未来に、運命には修正力がある?)

 もしそうならば今後の行動にかなり影響があると菫は思う。例えば零やコナンが関わる事件で菫が直近で思いつくのは、5月1日に予定されている東京サミットだ。零をはじめとする公安警察が絡む事件が間近に迫っていた。

 その事件は協力者を失った地検公安部の検事の復讐によって発生する。

(ゼロの執行人……あれは、あの検事さんが思い止まれば、未然に防げる事件だと思っていたけど……)

 菫はテロを計画している検事に、動機となる自殺したとされる協力者の生存を自分の存在が明らかにならない何らかの方法でリークしようかと考えていた。偶然を装って二人を鉢合わせるのはそう難しくなさそうだからだ。

 ただ、それで検事によるテロは未然に防げたとしよう。しかし運命の修正力によって、別の人間がテロを起こす可能性がたった今浮上してしまった。この物騒な世界では起こり得ないとは言えない。正直菫はもうリークをするという手段は恐ろしくて選べなくなっていた。知らない未来が訪れるよりは、危険があったとしても自分の知る通りに物事が進む方が手の出しようがある。

(大元を潰すのは――事件が根本的に発生しないようにするのは、今の状況を見るとリスクが高すぎるかもしれない。もしかしなくてもトロピカルランドで下手な手出しをしてたら、未来はすごく変わってたかも……)

 工藤少年が遊園地で黒ずくめの組織と遭遇し薬でコナンとなってしまう始まりの事件を未然に防いでいたら、異なる方向から似た事件が発生していたかもしれないのだ。そしてその後、見当もつかない状況になっていたかもしれなかった。
 それは菫に勇気がなくついに実行はされなかったが、ギリギリまで悩んだ選択肢だ。しなくて良かったと今更ながらに当時の判断を褒めたくなる。だが今は修正されて目下進行中の現在が問題だ。

(他に考えられるとしたら、これってバタフライ・エフェクトみたいなもの? 20年近く前の蝶の羽ばたきが、今になって嵐を引き起こしている? もしくはそんな壮大な話じゃなくて結局、零くん達三人の出会いは誤差でしかなくて、こうなる事は必然だった? ……あぁ、もう分からない)

 コナンやジョディ達の話はまだ終わらない。それを視界に入れつつ菫が思う事は一つだ。

(私、このあとどう動けば、いいの……?)

 何かすべきなのか、それとも何も手を出さない方がいいのか、指標というものがない。大きな決断を迫られ、何に向かって進めるのが良いのか菫には分からなかった。



 * * *



 思ってもいない状況に混乱しぼんやりしていた菫だったが、やはり事態は菫を気にも留めずに動く。

「菫さん!」
「え……」

 どこからか聞こえてくる今は聞きたくなかった知り合いの声に、菫は首をあちらこちらに巡らす。こっちです、という声がやや下の方から投げかけられ、視線を彷徨わせた。

「あ! とお、るさん……」

 その人は公園前の階段下にいた。そして菫は呼ぼうとした名前を詰まらせる。

 零はスマホを耳に当て、誰かと通話しているような素振りだ。それでも片手を振りながら階段を登りやって来る零はにこやかに笑っている。
 しかし菫は目を見開き、スマホを持つ零の手元から視線を離せなかった。

(あれって……)

 零は耳元のスマホの背を指で何度もたたいている。それは菫が前もって言い含められていた符牒だ。

(組織の耳か目があるから、知人以上の言動はするなって合図。盗聴か監視、もしくは両方されてる……)

 反射的に周囲を見渡したくなったが、グッとそれを押さえる。今菫は、危険な橋を渡っているのだ。変に怪しまれる行動はとれない。
 あらかじめ菫も、組織の任務中の零に遭遇する可能性は知らされていた。その際、組織に目を付けられぬよう危険を排除するための符牒が決められていたが、実際にそれを見たのは初めてだった。

(たぶん、ジョディさんとキャメルさんに、バーボンとして近づいてるって事だよね……? この状況からすると)

 FBIの捜査官がいるこの場に現れた事から、零は二人に用があるのだろうと菫は推測した。どんどんと覚えのある状況へと近づいている。でも微妙にどこかが違う。菫の胃が引き絞られるように痛んだ。
 だが菫は零の伝えたい事は認識したとの意味を込めてコクリと微かに頷いた。このような場合、菫は再度零から解除の合図があるまでは幼馴染として近づく事は禁じられている。
 零も菫の反応にひとまず安心したのか、恐らく知人には向けないような笑みを最後に一度だけ浮かべ、切り替えた。どこか鋭く、冷たい表情だった。それは菫の背後にいる三人へと向けられたものだった。


 ・
 ・
 ・


「菫さん、こんな所で会うなんて奇遇ですね? それにコナン君も一緒なんて、どうしたんだい?」

 合図を送るのに使われたスマホはさりげなく仕舞われ、零は菫とコナンに声を掛けながら近づいてくる。

「ボクは菫さんを知り合いに紹介してたんだけど……安室さんはどうしてここに?」
「僕はこの近くで依頼人と会ってたんだ。仕事は済んだから息抜きがてらに公園に寄ろうと思ったのさ。……そちらの外国のお二人がコナン君の知り合いかな?」

 一緒にいるジョディとキャメルにも零は水を向けるが、その声音はどこか冷たい。

 菫は再び混乱していた。誰よりも重要な零が現れ、焦りが色濃くなる。思えば今の状況で零がFBIに接触してくる理由などない筈なのだ。

(本当に何で? 何で零くんまで? おかしい。知らないよ、こんな展開。こんな流れじゃ、なかった……)

 ジョディとキャメル、そして零の邂逅は既視感のある光景だ。だが、菫が閉ざしてしまった未来だった。消えてしまった筈である。本来ならば階段から落とされた小学校教師の勤める学校での出会いの筈だ。

(私には分からない何かが、今起こってる)

 この菫の知る展開をなぞっているようでどこか異なる現状に、菫は泣きたくなる。

(これなら、こんな変に混じり合った現実より、全く知らない事件が起きる方が、まだ平静でいられたかもしれない)

 それならばある意味、日常のようなものだ。未来は分からないものだという真理だ。それならば受け入れられた。
 だが、素晴らしい名画から雑に写し取った絵を見せられたような、完成された小説の言葉尻を変えて別の作品だと突きつけられるような、そんな違和感のある現実など悪夢に感じられた。

 しかし菫は途中でハッとした。菫はコナンの存在に目を向ける。この状況で頼りになるのは、間違いなく中心人物であるコナンだ。

(コナン君の警戒心を完全に解かないと、きっと坂道を転げ落ちる石になる!)

 菫は一片の疑いもなくそれを確信した。零とはまた違う意味の正義の味方であるコナンと確執があったままでは、恐らく零の身に災難が降りかかる。未来が似た展開を辿るならば、この機会に二人には手を取り合えるようになって欲しかった。
 幼い頃に幼馴染二人と年上の友人を引き合わせようとした時にも感じた天啓に似たものが、再度菫の心を占めていた。



 * * *



 菫が短期的な目標を心に掲げているすぐ横では、ジョディ達と零が傍目には和やかに自己紹介し合っていた。双方の事情を知る菫からするといささか白々しく見えたのは仕方ない。

「へぇ、ジョディさんとキャメルさんはFBI捜査官なんですか?」
「ええ。観光で来日してたけど、現在杯戸町で発生している事件を捜査するよう命じられたの」
「アメリカでマッドヒプノティストと呼ばれている男の犯行だと分かったんです」

 それでも本来の進行と相違があるせいか、菫の記憶にないやり取りが多かった。まず菫の記憶との一番に気付く変化は、零のFBI捜査官への態度だ。知る通りならば零のFBI二人への当たりはかなり強い。彼らの日本への滞在をあからさまに嫌がっていた。しかし、現状の対応は菫が思うに、当たり障りのないお客さん対応である。

「あぁ、その事件なら存じてますよ。かなり薬学に通じている犯人のようですね。それに……聞いた話では、被害者から検出された薬物は、自白剤としてもかなり優秀らしいですね?」
「え、自白剤?」

 一人秘かにこの状況に懊悩していた菫だったが、零の言葉には首を傾げる。それはコナンやジョディ達からの説明には含まれていなかった。また今回問題になっている薬の目的はあくまで巷に溢れる危険ドラッグの類似品の一種で、主に快楽を求める物だと考えていたため、自白剤では方向性が違うように菫には感じられる。

「今回使われた薬って意識をトリップさせるような、麻薬やコカインとかの規制薬物の代用品――脱法ドラッグの類だと思ってたんですけど、違うんですか?」
「菫さん。問題の薬は被害者の症状から判断すると、薬物中毒者が求めるような多幸感が得られるものではないみたいですよ」
「そうなんですか?」

 記憶がなくなるのも、暗示されやすくなるのもドラッグの副作用ではなく、そのような症状を引き出すのが目的なのだろうかと菫は零の言葉で考え直した。
 ちなみにコナンもFBIの二人に問い掛けている。コナンも知らなかった情報のようだ。

「ジョディさん、自白剤の働きもある薬物って、本当なの?」
「コナン君……ええ。ただそれはまだ公表してないの。あなた、そんな情報どこから?」

 零に向き直りジョディは厳しい表情で見つめる。ここで零は少し相手を小ばかにするような態度を見せた。

「FBIの捜査だけが先行してると思わない事ですね。情報はしかるべきところに流れるものです」
「あ、あの! その催眠術の人って、記憶喪失、暗示、自白って……手広いですね?」

 一瞬で場の空気が悪くなったのを敏感に察知し、菫が慌てて口を挟んだ。だが零は首を振った。

「そうでもないですよ。今回の事件では薬が一種類しか検出されていません。つまり一つの薬で複数現れる症状みたいなものです。まぁ、暗示と自白は多少の思考誘導の話術が必要でしょうが、基本的に薬の効果ですよ」
「あ、透さん。透さんも最初に指摘してましたけど、犯人は薬学の専門家らしいですよ? 日系の科学者って事まで分かってるみたいです。そうですよね?」

 菫が今度はコナン達に尋ねるとジョディが頷いた。

「FBIも一人の科学者を最有力の容疑者だと考えているわ。でも今回使われている薬は厄介よ。実は薬の主原料は分かってるんだけど、意外と原料が手に入れやすいのよ。ベラドンナって花は知ってるかしら?」
「“美しい女性”という意味の花で、アルカロイド系の毒草だよね? 毒がある事から“魔女の花”とも言われてる」
「ナス科の植物ですね。ベラドンナをはじめ、ジャガイモの芽や未熟なトマトなど、ナス科の植物は神経に作用する有毒の物が多いです」
「え、神経に影響? あの透さん、ジャガイモとトマト以外のナス科って他に何があるんでしょう?」

 零は幼馴染のその表情と声音からこういった話に興味があるらしいと気付くと、菫に向かってさらに雑学を披露した。

「他にもナス科といえばタバコがありますね。毒物として有名なニコチンはアルカロイド系なんですよ。それと香水の原料にもなる魅惑的な香りの花のダチュラでしょうか。チョウセンアサガオ、エンジェルズ・トランペットとも呼ばれますが、キチガイナスビという分かりやすい別名もあります」
「へぇ! タバコもナス科だったんですね。それにキチガイナスビって、口にしたらどうなるか容易に想像できますねぇ」
「菫さん、あとアルカロイドの一種にはカフェインもあるから、コーヒー好きの人で摂りすぎるとカフェイン中毒になっちゃう人もいるよね?」
「あ〜、カフェインも依存性があるっていうよね。そっか、あれもアルカロイドだったんだ? でも納得かも。コーヒーは一種の麻薬だもんね……」

 コナンもさらりと関連する知識を付け足す。ベラドンナとそれ以外に関する情報を打てば響くように挙げる二人に、こんな状況ではあるが菫はもう何度目になるか分からない感嘆の息をついてしまう。

「二人の言う通りね。そのベラドンナ由来のアルカロイド成分が確認されてるわ。催眠術師はこの花がお気に入りみたい」
「あ、私もベラドンナは少しだけ知ってます。瞳孔を開かせる散瞳剤の効果があるんですよね? だから中世のヨーロッパではよく女性に点眼薬として用いられて、美しい女性っていう名前になったって」

 ジョディが再びベラドンナの話題に戻すと、菫も口を開いた。コナンや零たちほど毒に関する知識はなかったが、ベラドンナについては菫も知っている事がある。植物図鑑や花言葉の本などを見ると必ず記載されている有名な話だ。花から根まで至る所に毒がある危険な植物ではあるが、医療用として世界中で栽培されているので一概に悪者扱いもできない植物なのだ。
 
「そうね。ついでにその美容法では死者も多かったらしいけど。あとベラドンナにはさっき言ったスコポラミンや他にもアトロピンが含まれているの。これらもアルカロイド系だわ。アトロピンは自白剤として戦時中にも使われたわね」
「あぁ、真実の血清、だよね?」
「えぇ、マインドコントロールにはぴったりの花よ」

 そこまで聞いて菫も、唐突に飛び出したように思えた自白という単語が、この薬物事件に関与してもおかしくないのかと理解出来た。
 また菫にはベラドンナの“沈黙”という花言葉がごく自然に思い出された。毒によって死に至る事からの由来であろうが、自白剤にも使われた花に“沈黙”とはなかなか皮肉だと思う。しかし菫はふと気になった。

「でも……自白剤って本当にあるんですか? 映画とかのお話だけの薬だと思ってました」

 そんな都合よく秘密を喋らせられるような薬が存在するのか菫には疑問だった。だがそれを肯定したのはジョディとキャメルの二人だ。

「自白剤は実際にあるわよ? 取り扱いがかなり難しいけどね?」
「危険なものだと脳にダメージを与え廃人になります。あとは睡眠薬としてよく使われた麻酔薬の成分が、自白剤に転用される事がありますね。中毒性が高いので今では睡眠薬としての使用を禁止されました」

 アメリカきっての捜査機関FBIの発言だからこそ何となく恐ろしく感じる。FBIでも使用されているのだろうかと菫は思ったが、もちろん詮索は控えた。だが一番気になる事は確認してしまう。

「それじゃあ……本当に薬で真実を自白させられるんですか? 自白剤を使われると、何でも喋ってしまうようになるんでしょうか?」
「菫さん。キャメル捜査官が言われた自白剤に転用された麻酔薬を使った実験があるんですが、真実を言わなければならない――という思考になる訳ではないらしいですよ?」
「? どういう事です、透さん?」
「単純に、嘘をつく、という選択肢が欠落してしまうそうですね」
「嘘をつけないんじゃ、結局本当の事を告白するしかないよね……」

 コナンが自分に自白剤を使用された時の事でも想像したのか、複雑な表情で呟く。だが菫も自分がそのような状況になった時、果たして逃げきれるのか、と眉が下がった。抜け道はなさそうだと菫には思えるのだが、零がそれに疑義を呈す。

「ただ自白剤というものは脳の認知機能、記憶機能を著しく低下させるからね。対象者から話を聞きだすのは簡単ではないよ。聞きたい事をピンポイントで話してくれるとは限らないし、薬の弊害で暗示にもかかりやすくなる。質問の仕方によっては尋問者の意図に沿った返答をする事も、適当に質問に肯定する事もある筈だ。薬の影響下で価値のある真実を引き出すのはプロでも難しいんじゃないかな? そうですよね、FBIのお二方?」

 零はジョディ達に同意を求めるが、黒の組織内でも自白剤は使われている。またその信頼性はかなり高い。

(組織を裏切った男が評価されていた理由が、自白剤とその運用方法の確立だからな……)

 現在雲隠れし、そして問題を起こしている裏切り者の科学者の唯一の功績が、組織で使用される自白剤の製造なのだった。



 * * *



「「……」」

 先ほどからジョディ、キャメルの両名には緊張感が走っていた。二人は互いに目配せし合っている。
 日本滞在組の二人が今回の事件に参加する事になったのも、突き詰めれば黒ずくめの組織が関与していると思われたためである。組織で自白剤を製造していた科学者が関わっている事まではFBIでも調べがついていたが、組織のバーボンが何やら確信に触れるような発言をしてくる事に警戒心をひた隠す。

 だがそれはコナンにはまだ共有されていない。そのせいかFBI二人の様子が変わった事に気付いてはいても、コナンはあまり状況が理解できずにいた。

 そんな中、緊迫していたコナン達の耳に公園で遊んでいた幼い子供達の甲高い声が届く。かくれんぼか鬼ごっこでもしているのだろう、カウントダウンが聞こえていた。始まりの合図となる最後の掛け声は特に大きく響いた。

「――さーん、にーい、いーち、ゼロ!! よし、今から探しに行くからねー!」
「ぁ……」

 その最後の数字に反応してしまったのは菫だった。思わず声の主である男の子の方に目を向ける。また胃が痛くなる現在からの逃避なのか、昔を思い出してしまったのか、子供達の遊ぶ姿に、ほわっと表情を緩めていた。
 それを第三者がつぶさに見ていた。――コナンである。

「……」

 以前にもコナンは、蘭の母親である妃が一時入院していた病院で似た場面に遭遇している。その時に同様に子供の声に反応をしたのが、今はFBIとの会話に集中しているのかジョディ達と話し込んでいる安室ことバーボンだ。コナンは眉を寄せ、これまでの情報からある仮定の信憑性が高くなっていくのを感じていた。

(菫さんもゼロに反応した……? やっぱり彼らは敵ではないのか?)

 それならば最悪の事態は避けられるとコナンは思った。だが、そう思った矢先に件の人物は不穏な言動をとる。

「――FBIの皆さんが国外に犯人を逃がさなければ、日本でこのような事件など起こらなかったのでしょうけど……」

 零はいつの間にかFBIの二人と一触即発の近い状態になっていた。最初の当たりの良さはどこかへと消えてしまっている。出会い頭の愛想の良さは社交辞令のようなものだったようだ。攻撃的な零の言葉にジョディが噛みついた。

「ちょっとそれ、どーいう意味!? FBIが仕事で手を抜いていたとでも?!」
「FBIはこの事件に全力で取り組んでいます。観光で来日している我々にも捜査に参加するよう求めるくらいです」

 しかし、FBIの答えに零は冷ややかだ。そもそも日本警察は捜査協力を求めてはないですよね? と首を傾げている。

「よく映画やTVドラマでお見かけしますよ……。手柄欲しさに事件現場に出ばって来て……ドヤ顔で捜査を引っかき回し地元警察に煙たがられて、視聴者をイラつかせる捜査官……」
「なに!?」

 気色ばむキャメルに、間違ってないのでは? と零はかなり辛らつだ。そしてさらに続けた。

「それに、観光ですか……。ビザがないんならそろそろ滞在日数が限界に来てるんじゃないんですか? 満喫したのなら……とっとと出て行ってくれませんかねぇ……僕の日本から……」

 いつの間にか始まっていた刺々しい会話に、菫も驚いたように子供達から視線を戻す。オロオロとしながらも零とFBIを交互に見つめてしまった。若干記憶とは違うやり取りで、有名なセリフだと感動する暇もない。
 変に口を出せずに困っている菫に代わってかコナンが動いた。

「ねぇちょっとゼロ……いや安室の兄ちゃん……」

 コナンはグイッと零の腕を引き、FBIの二人から引き剥がす。そしてコナンの背に合わせるようにしゃがみ込んだ零の耳元に口を寄せた。だが尋ねたいと思った事をコナンが口にするよりも早く、零が強い口調で遮った。

「コナン君、君に先に言っておきたい事がある」
「……何?」
「こういう事に彼女を巻き込むのはやめてくれるかな? 彼女は君が言うところの、何も知らない一般人だろう? 僕達探偵の仕事は切っても切れない危険が溢れている。僕の事をどう思っても構わないけれど、彼女に負担は掛けないでほしい。一般人には知らなくても良い世界だ。一生縁がなくても良い事なんだ」

 無表情で淡々と告げる零に、コナンは眉を寄せた。直前のFBI捜査官に言い放った強い信念と、この菫を案じる発言内容は、零のこれまでの言動と合わせると自分の中にいつの間にか芽生えていた推測に確信を与える。

「安室の兄ちゃんってさ……敵……だよね? 悪い奴らの……」

 口に出して確認したのはそれが間違っていないと思っていたからだった。
 しかし、コナンは思いがけない零の返答に戸惑う事になる。

「ゼロ……」
「え?」
「僕の子供の頃のアダ名は……本当にそうだったんだ……」
「……」
「君は少々僕の事を……誤解しているようだ……」

 じっと見つめてくる零に、コナンは自分が何か失敗してしまったような焦りを覚えた。


 ・
 ・
 ・


 その後すぐ、FBIと菫の対面はその目的を果たしたという事で解散となる。ジョディ達と零の間で対立関係が深まってしまったのも原因だ。
 仕事があるという零がまず先にその場を去り、次いでFBIの二人も捜査へと戻って行った。残った菫とコナンは連れ立って駅へと向かう。
 その道中、コナンは菫に説得を試みていた。遅々として進まない懐柔に業を煮やしたのかかなり直接的だった。

「菫さん、しばらく安室さんとは距離を置いた方がいいよ?」
「う〜ん、そう?」
「あの人、危ない仕事をしてるみたいだし。菫さんは詳しくは知らないだろうけど。安室さんも自分の仕事に巻き込みたくないと思ってるみたいだったよ?」

 あの組織から身を守る術などない菫は確かに危険だ。零との先ほどの会話を逆手に取って、コナンは菫へ安室も納得ずくだという体で働きかける事にしたらしい。
 それなのに菫は今までの会話とは繋がらない、何とも不思議な事を言った。

「ねぇ、コナン君。私は黒でも白でも、ネズミを捕る猫は良い猫だと思うんだよね」
「……それ、どういう意味?」

 コナンの鋭くした視線に菫は苦笑する。脈絡がない事は承知していたが、ほんの少しでも零を連想してもらえればいいとも思っていた。

(零くん達は本当に滅私奉公が過ぎるくらいの、良いおまわりさんなんだけどなぁ……)

 そんな事は当然の事ながら言えない。そしてコナンの気遣いは嬉しいが、菫としては零や景光との別離の方が恐ろしい。

「つまり、ネズミを捕るなら灰色の猫も良い猫って事かなぁ?」
「ごめん、菫さん。言ってる事がよく分からないよ」
「……コナン君は心配してくれてるんだよね? ありがとう。でも……私は透さんを信頼しているから」
「菫さん! 菫さんは安室さんが何をしているか知らないから――」
「コナン君」

 菫はコナンの言葉を途中で遮る。それは菫にしては珍しく乱暴な行為だ。だが、いくらコナンでも零を非難する言葉はそれ以上聞きたくなかった。

「Need not to know. ……いいの、コナン君。透さんが何をしてるかなんて、私には知る必要のない事なの」
「え? それ――」

 コナンは一瞬考え込む。菫はその意味を知っているのかと。それはある業界の隠語だ。
 別の意味ならば先程までの安室との会話でも浮上した推測を肯定するものに思えた。しかし、当の本人はそれを認めていない。
 菫は目の前の少年の逡巡に気付いてないのか、再びコナンを惑わせる発言をした。

「コナン君、結論を急がないで。もう少しだけ待ってほしいの」

 コナンをしっかりと見つめ菫は言った。

「透さんを誤解しないであげて? お願い……」

 目を潤ませて必死に自分のような子供に頼み込んでくる菫に、コナンはしかめた表情を隠せない。

(クソッ……この二人、何なんだ。互いに正反対の事を言ってるじゃないか!)

 安室の思わせぶりな発言と菫の泣きそうな懇願。コナンはどうしていいのか分からなくなるのだった。




“Need not to know.”は「瞳の中の暗殺者」にも出るキーワードでコナン世界では警察の隠語(夢主は意識していないけど、結果的にはファインプレー)。

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