▼ ・英国での邂逅
赤井さんとの出会い編。赤井一家の日本移住前のイギリスにて、10歳くらいの赤井さんと7歳くらいの夢主との話。≪≫内は英語です。「うぅ〜……泣きたい」
地べたに座りながら菫はそう零してはいるが、すでにうっすらと涙を浮かべていた。
「ここがコナン世界なのを忘れてた……。その上さらに外国のイギリス。でもまさかひったくりとか……。元の世界でもこんな事なかったのにぃ……」
それは一人で街を散策していた矢先の事だった。
基本的にインドア派の菫はこちらの世界で生きるにあたり、もっと積極的に行動せねばと、手始めに散歩を新たな習慣としていた。しかも今回は菫の夏休みを利用して、ヴィオレたちの一時帰国で共にイギリスへと来ている。
菫はこちらの世界に来た当初にも一時的にイギリスに滞在していたが、新しい生活に慣れるのに手いっぱいだった。海外生活を堪能するほどの余裕がなかったのだ。しかも短期間のうちに日本へと移住している。
だからであろう。菫の感覚からすると、今回が前の世界でも未経験の初めて海外旅行になる。珍しく菫は興奮していたのだろう。不慣れな土地でも躊躇なく外出してしまうほどに。
ヴィオレたちが心配そうに、出掛けるならば付き合うと申し出てはくれていたが、菫は見た目は子供でも中身は大人である。英語もこの世界に来たと同時に習得していたため、以前ならば一番のネックになりそうな言語の不安もなかった。
そのため一人でも問題ないと、菫は颯爽と短期滞在のホテルを飛び出したのだった。
しかし、その冒険心は結果的に災いを招いたようだ。周囲をウロウロと歩き回っていた菫は、ちょうど人気のない公園の入り口でひったくりと遭遇してしまう。
「……カバンごと全部持ってかれちゃった。私みたいな子供が大金を持っている筈ないのに……」
ショルダーバッグを引っ張られ転倒してしまった菫はひったくりを追う事もできず、半ば茫然と逃げ去る男を見送るしかなかった。
カバンの中に貴重品と言えば財布くらいではあるが、金額としては子供が持っていても不自然ではない程度しか所持していない。
人気のない時間帯なのか周囲には誰もおらず、犯行がしやすかったのだろうかと菫はつらつらと考えた。
やはりどこか犯罪に巻き込まれた事に混乱しているのだろう。菫は立ち上がる事もできずにぼんやりとしていた。ところが、そんな菫に声を掛ける者がいた。
「≪おい、大丈夫か?≫」
「え?」
「≪悪いな。離れた位置にいたからひったくりは追いかけられなかった。……座り込んでいるが、怪我でもしたか?≫」
座ったまま声の方を見上げると、いつの間にか近づいてきていたのか菫の傍には一人の子供がいた。少し息を切らし、肩も上下に揺れている。急いで走ってきてくれたのであろう。
小学校に上がったばかりの菫より5、6歳は年上だろうか、波がかった癖毛の少年だ。小学生にしては大人びていて背も高く、もしかしたら中学生かもしれないと菫は思う。
問い掛けられる言葉は英語で少年の瞳は緑色だったが、菫にはその少年が日本人、少なくとも日系に見えた。
少年はしゃがみ込むと菫の全身をつぶさに見まわす。
「≪あぁ、足を怪我しているな。手当てするか……≫」
「≪あ、大した事ないで……え? ひゃぁ!≫」
「≪ん、悪い。水道がある所まで移動するぞ。傷口を洗う≫」
膝から血を流していたのを見咎めると、声掛けもなく少年は菫を抱き上げる。
思わず声を上げた菫に少年は軽く謝った。善意である事は分かったので、菫は首を横に振る。
「≪ううん。お兄さんありがとう。ひったくりに遭うところを見て、走ってきてくれたんですね?≫」
「≪ひったくりの方は追いつけなさそうだったから、せめてこっちにな。盗まれたのはカバンみたいだったが、この後で警察に行くか? ついて行ってやるぞ≫」
ゆっくり移動しながら、少年は菫に警察への同行を提案してくれる。ただ親切心による申し出だったのであろうが、菫にはあまり魅力的な提案ではなかった。
「≪うーん、警察に行った方が良いですか? カバンには大した物は入ってなかったの。お財布だってお昼ご飯代くらいしか入ってないですね≫」
パスポートはヴィオレたちが管理してくれており、少額しか入っていない財布しかそれらしい被害はない。ついでに言うならば、カバンとは別に菫はポケットにも多少の持ち合わせ(こちらの方が大金)があるので、全く困っていない。
さらに短い滞在予定の外国で被害届を出したところで、盗難品が自分の所に戻って来るとも考えにくい。警察に行っても時間の浪費にしかならないだろうと思えた。
「≪ひったくりも稼げる筈もない子供を狙うなんて馬鹿だな。だが、そうなると警察も本腰を入れて対応はしないかもな……≫」
「≪それなら警察は行かなくてもいいです。ここにいるのも旅行で短期の予定ですから。犬に噛まれたと思って諦めます≫」
菫の発言にクッと笑いながらも、少年は首を傾げる。
「≪そうか。……そう言えばお前、親は一緒じゃないのか? 迷子か?≫」
「≪違います。私、もう小学生ですよ。一人で出歩けます≫」
「≪うん? それならやっぱり一人で出歩いては駄目だろ? しかも小学生なら俺の弟より年上の筈なのに、それよりも小さいぞ。簡単に攫われそうで危なっかしい≫」
「≪むぅー。でも、あ、そっか……≫」
菫もよく知らないが、海外だと小学校低学年くらいでは一人で出歩いてはいけないのかもしれない。もしくは親の監督不行き届きなどで問題視される可能性も考えられた。
自分との認識が異なる事を伝えると共に、菫は気になっていた事を尋ねる。
「≪えーと……≫ あの……お兄さんは日本語、分かりますか?」
「なんだ。日本人っぽいと思っていたが、本当に日本人だったのか?」
菫の予想通り、少年はあっさり日本語に切り替えて問い返してきた。
「そうです。お兄さんもやっぱり日本の人です? あと、日本だと子供でもどこへだって行けますよ」
「俺はクォーターだ。国籍はこっちで、ついでに父が日本人だな。しかし、日本は比較的安全だとは聞くが、気を抜き過ぎだ。ここはイギリス。日本の感覚で出歩くと痛い目を見るぞ。現にお前は怪我をしてるしな」
そんな話をしていると、ちょうど公園内の水場に二人は辿り着いた。菫は抱き上げられていた腕からその場に降ろされる。
そして、そのまま少年は丁寧に菫の足の傷口を水で洗い流し始め、甲斐甲斐しく面倒を見てくれるのだった。
* * *
「お兄さん、手当てまでしてくれて、本当にありがとうございます。私は鳳菫です。あとで家族もお礼をしたいというと思います。お名前、教えてくれますか?」
濡れた足はハンカチで拭われ、さらに少年は簡単にだが手当てまで施してくれた。財布に入れていたらしい絆創膏を、少年は菫の膝へとペタリと貼ってくれたのだ。
菫はぺこりと礼をするが、異国の地で、ここまで親切にされては頭を下げるだけでは済ませられないとも思う。菫は遅ればせながら名を名乗り、また相手の名を問うた。
「菫、だな。お前は小さいのに礼儀正しいな? だが大した事はしていないし、気にするな。あと名前は秀一だ。赤井秀一」
頭を撫でられながら発覚した事実に、菫は内心衝撃を受けた。ここがイギリスだという事を含めて考えれば、恐らく菫の知る人物と同一人物だ。
(零くんととっても因縁がある、あの赤井さん!?)
何となく似ているかな? とは思っていた。だが、まさか本人であるとはいくらなんでも偶然が過ぎる。零と友人になった事でいずれ景光とは出会えるだろうと想像は出来ても、目の前の少年との出会いは全くの想定外であった。
「秀一お兄さん、ですか――……」
「シュウでいいぞ? 皆そう呼ぶ」
「シュウお兄さん」
精神的には大人という事で何とかポーカーフェイスに徹したが、その時の菫の内心の驚きといったら、とても言い表せるものではない。ただ、幼稚園で幼い降谷少年に出会った時と同等のものではあった。
さらにその後、年齢を教え合い赤井少年がまだ小学生だという事には菫も声を上げて驚いた。
「えぇ! シュウお兄さん、まだ小学生ですか!? 中学生くらいかと思ってました!」
菫は基本的に零を中心に物事を考えてきたため、それまで秀一との年の差を意識して考えた事がない。
(でも私が小学校低学年なら、赤井さんも小学生の年の差だったのね……)
計算してみると何もおかしくなかった。クォーター故の大人っぽさなのだろうかと菫は秀一に対し若干の羨ましさを覚える。また、出会った当初に感じた中学生かもしれないという推測が大外れであった事に、自分は探偵にはなれないなと菫は眉を下げた。
「ホォー、俺はそんなに老けてるように見えるか……」
「あ、そういう意味じゃないですよ。大人っぽいって事です」
しかし菫の驚きは否定的に取られたようだ。首をブンブンと振って菫は秀一の誤解を正す。しかし、ふと気になった。
「……そういえば、シュウお兄さんは何か用事があったんじゃないですか? 私のせいで時間を取らせてしまいましたけど……大丈夫ですか?」
秀一は手際よく手当てをしてくれたが、目的があって外出していたのならば自分に関わった事は相当な時間のロスだと菫には思われた。しかし秀一は肩をすくめるだけだ。
「問題ない。家にいると母親が煩いからな。抜け出しただけだ」
何となくその言葉に秀一の母親に対する拒絶感を菫は感じた。イギリスでもサマーバケーション――夏休みなのだろう。学生ならば学校にいる時間帯だ。長期休暇で増えた親子の時間が恐らくだが問題を生じさせたのかもしれない。
人並程度の知識だが、思春期に訪れる定番のもののように菫には見えた。良く聞くのは親の干渉を嫌がるというものだが、秀一の様子がいかにもそれっぽかった。ちょうど年齢的にもあり得そうだったため、菫はつい口にしてしまう。
「そうだったんですか。……もしかしてシュウお兄さんは今、反抗期?」
「……お前みたいな小さいのにそれを指摘されると、反応に困るな」
「ご、ごめんなさい。差し出がましい口を……すみません……」
秀一に顔を顰められ、菫は顔がサッと青褪める。そのような反応をされたのは久しぶりだった。つい年上の気分が出てしまい、初対面の相手に随分賢しらに口を出してしまっていたのだと気付く。自分のこういう所が人に嫌われるのではないかと思った。今までもそうだったのではないか? そう思うと、連鎖反応的にこの世界に来る前の悲しかった出来事が思い出されてしまい、菫は表情はさらに泣きそうなものへと変わってしまう。
「……菫。俺は別に怒ってないぞ? そんな泣きそうな顔をするな」
「……本当ですか?」
「ああ。菫の言う通り、所謂反抗期というやつだろうな。今の俺の状態は。バツが悪かっただけだよ」
「でも、知ったかぶって……ごめんなさい」
「いいさ。本当に怒ってないしな」
菫は秀一の反応から確かにもう気にしていないようだと感じ取り、息をつく。そんな菫を見て秀一は不思議そうに首を傾げた。
「しかし、お前は子供らしくないな。弟と1歳違いとは思えん」
「……そうですね。さっき老けてるなんて話が出ましたけど、シュウお兄さんよりむしろ私の方が老けてるかもしれませんね」
「? そうか? 正直見た目だけで言えば小さい子供だぞ。老けてるとは言い過ぎだろう」
「私、養子なんです。環境的にも色々ありましたので、自分でも同じ年頃の子より大人びてるかも、って思います」
「そうか……」
変に否定するより肯定する方が自然に振る舞える。秀一の問いは菫としては都合が良かった。子供らしくない理由を真実を織り交ぜながら菫は自己申告した。養子という傍からすればデリケートな情報は、菫が子供に見えない時の最たる理由となってくれるであろう。
間違いなく洞察力がある筈の秀一にも、このように伝えておけば多少振る舞いが年相応でなくとも、納得してもらえそうだと思った。
「あ、でも何にも問題ないですから気を遣わないでくださいね? 今の家族の父母との仲は良好なんです。ただ子供っぽくないのは自覚してるって事と、その根拠を伝えたかっただけなので!」
だが、会ったばかりの人間に伝えるには少しばかり重たい情報だったため、菫は慌ててそう付け足す。すると秀一は少しだけ困ったような、だが気遣わしげな表情で再び菫の頭を撫でた。
「菫は……苦労していたんだな。小さいのに偉いぞ」
「……シュウお兄さんはお兄さんの肩書に相応しく、包容力がありますねぇ……。弟さんが羨ましいです」
優しい手で何度も撫でられ、何ともほっとするというか、落ち着くような安心感を菫は覚える。そういえば大人以外で年上の人間と話をするのは初めてだったと気が付いた。
(知り合うのは同年代の子ばかりだったもんね。年上の人って言ったら、ヴィオレさん達とその関係者、あとは学校の先生と近所の人だけだし。大人じゃない年上の子供の人とは接する機会がなかったけど、小学校高学年でこれはすごい)
菫は何とも頼りがいのある秀一に、この年で紳士なのか、イギリス人だからだろうかと感心する。だがやはり、ただの年上の子供ではこうはいかないだろうとも思う。
「……でも小さいって言い過ぎです。私、小学生です」
そして、これまでに何度も言われている単語に、菫は若干不満も覚えてきた。中身が年齢に見合わないと主張しているにもかかわらず、自分の扱いがどうにも小学生以下な気がして菫にはならない。
「よし、帰りは送ってやろう。危ないからな。旅行で来ているという事はホテルか? どこに泊まってる?」
「ゴーリングです。ヴィクトリア駅近くの……。シュウお兄さん、聞いてますか?」
「あのホテルか……。ここから離れてるじゃないか。バスでも使うか……」
「聞いてないですね……」
菫の抗議を聞かない振りでもしているのか、さっさと菫の手を掴むと秀一は歩き出した。バス代もスマートに出されてしまい、結局菫は完璧なエスコートで秀一にホテルに送られる事になる。
そして菫を送り届けてあっさり帰ろうとする秀一を菫は慌てて引き留めた。
「シュウお兄さん、まだ帰らないで! せめて! 家族に挨拶をさせてください!」
秀一の腕に抱き着き、菫はフロントで何とか引き止める。さらにその後、秀一をホテルのアフタヌーンティーに誘う事ができたのはひとえに、菫の話を聞いたヴィオレ達が言葉巧みに秀一を足止めできたからであった。
最近赤井さんは33歳確定だとトレンドになってましたね。すごいな赤井秀一。
(→青山先生が32歳と訂正していたため、それに合わせて年の差を修正)
公式では安室さん29歳、秀吉さんが28歳なので同級生の可能性も否めませんが、学年違いとします。赤井兄弟の年の差は4歳、夢主から見て赤井さんは3歳上という事で。