Cendrillon | ナノ


▼ *02



 菫はその日――女子高生三人とカフェでお茶を共にした翌日、朝からツイていなかった。

 のんびりと起き出した菫は、まず朝一番にやかんを火にかける。その間に洗顔などの身支度に時間を費やしているとちょうど良くお湯が沸き上がるのだ。緑茶にするか紅茶にするか、もしくはコーヒーにするかはその日の気分次第だ。

(今日はコーヒーにしよー。面倒だしインスタントでいいかな……)

 いつも通りマグカップに湯を注いだところまでは問題がなかった。だがキッチンから移動しテーブルにカップを置いた途端、ピシッと音を立ててひびが入った。

「え……? なんで……」

 前触れもないお気に入りのカップの突然の寿命の到来に菫は眉を寄せる。乱暴に扱った覚えはなく、何より縁起が悪い。

「……やだ。映画とかのフィクションだとこういうのって誰かに危険が迫るとか、そういう前兆だよね?」

 何か悪い事が起きるのではないかと思ってしまうのは自然な事だった。そして菫が真っ先にその身を案じるのはやはり幼馴染たちだ。

「え……零くんとヒロくん? 大丈夫かな? ね、念のため連絡! あと、秀一さんも!」

 思わず菫はスマホに手を伸ばす。知り合いの中で最も危険な事に巻き込まれそうな幼馴染と年上の知人に、慌てて安否確認のメッセージを飛ばした。
 すぐに返事が来ず不安な時間を過ごさねばならないかと菫は思っていたが、その返信は思いの外早く次々に返ってきた。

「あ、良かった……。皆、何もなかった」

 三人全員からの無事の知らせに、バクバクと音を立てていた菫の心臓も鳴りを潜めていく。菫は大きく息をはくと一人ごちた。

「でも朝から変なメッセージを送って驚かせちゃったね。コップがいきなり割れちゃって心配になったの……って一応説明しとこう」

 菫からの「怪我してない? 危ない事してない?」という前書きもない意味不明な連絡は、相手に相当な違和感を与えたようだ。何かあったのか? と三人から似た内容の返信がきてしまった。
 分かりやすい返事をするならば、ひびの入ったカップの画像も付けてやるのが一番だろう。そう考えた菫はそこでようやくスマホから目を離す。そしてテーブルに向き直り、菫は目を剥いた。

「ああ〜!? 腕時計が! 濡れてるー!! あっ、熱っ!」

 顔を洗うために外していた腕時計はテーブルの上に置かれていた。そしてひびの入ったカップからはいつの間にか中身が滲み出している。
 結果、時計はお湯の水たまりの中に沈んでいた。
 菫は大急ぎでまだ充分に熱い湯に浸かってしまった腕時計を掬い上げる。

「わ〜ん! やだ! どうしよう! 壊れちゃった?! 零くんとヒロくんから貰った時計が……」

 乾いたタオルで時計の水気を取りながら、菫は不具合がないかをひっくり返し様々な角度から確かめる。

「ん? ん〜……平気、かなぁ? 動いてるみたいだし。でも防水だとは聞いてないんだよね……」

 水浸しだったにもかかわらず時計の針は何事もなく動いているようだ。ひとまず菫もほっと息をついた。
 菫は濡れた腕時計に落ち込みながら、催促するように聞こえてくる着信音を鳴らすスマホに手を伸ばす。茶色の水たまりの中にポツンと残る廃棄確定のカップの画像と共に、事の顛末を零たちに報告するのだった。

 そして菫の不運はこれが始まりだったのである。



 * * *



 菫は朝食後、前日に景光に預けたとあるデータを回収しにセーフハウスへと向かった。景光によって情報更新がなされたそれを再び風見に引き渡す役目を任されているのだ。
 朝から気を滅入らせる出来事を体験し、今日はなんだか外出したくないなぁ、と思ったがそれはそれである。ついでに濡れてしまった腕時計を景光に見てもらう事にした。

「ヒロくん、どうかなぁ? お湯、というかコーヒーで濡らしちゃったんだけど……」
「う〜ん? 今のところは動いてるんだよなー。一応発信機の機能は問題ない。ただ時間が経ってから調子が悪くなるかもしれないし、あとで公安の方にメンテに行ってもらえるか?」

 時計を矯めつ眇めつ、スマホで発信機の位置状況も確認しながら景光は警察庁の担当部門へ赴くよう菫に告げた。

「うん、分かった。ごめんね、時計を貰ってこんなに早くメンテナンスしないといけないような事をして……」
「わざとじゃないだろ? 分かってるよ菫ちゃん。それにその発信機自体、元々バッテリーを食うから小まめにメンテした方が良いんだ」

 菫の腕時計は公安製の特別な物だ。発信機という異物が組み込まれているせいか電池の消耗が早く、一日に一度は充電が必要になる。景光の言葉に菫は最近気になっていた事を呟く。

「あ……確かに最近、充電に時間が掛かってる気がするかも」
「そうなのか? 思ってた以上に電池の劣化が早いな? うん、やっぱりメンテするにはちょうどいい時期だったよ」
「風見さんにデータを渡したら、今日中にでも見てもらうね?」

 菫はそう言って、景光から風見に引き渡すデータの入った記憶媒体を受け取る。風見とはこれから警視庁の外で密かに落ち合う予定だ。
 用事が済んだあとに公安に行こう……と本日の予定が決まったところで、菫のスマホに連絡が入った。メッセージアプリの通知音に菫はスマホに目を落とす。

「ん? 誰だろ? ……ぅぁ」
「菫ちゃん、なにその呻き声。誰から?」
「コナンく〜ん……」
「あぁ、コナン君ね。そういや菫ちゃん、あの子にバレちゃったんだっけ?」

 菫の疲れたような声に景光は笑う。先日、菫がコナンに一方的に言い負かされたらしいとは景光も聞き及んでいた。

「勘違いされてるんだよな、あっち側って。でもコナン君的には菫ちゃんは無害な協力者枠なんだろ?」
「零くんが言うにはそうみたい。だけど私のせいでヒロくんも関係があるって思われてぇ〜。うぅ、本当にごめんね……」
「今のところ俺はそんな被害はないぞ? ま、しばらくポアロに行くのはやめておくかなーとは思うけど、そのくらいだよ。それで、コナン君は何だって?」

 コナンはどのような用件で菫に連絡してきたのだと景光は、菫のスマホを横から覗き込んだ。

「えー、なになに? “菫さん。少し話がしたいんだけど、今日会える?” ……告白でもされそうな文面だな?」

 景光の揶揄うような口ぶりに菫は恨めし気に目をやる。

「コナン君に限ってそれはないね! むしろ私が告白というか、自白させられそうな気がする〜」

 例え今回断ったとしても、コナンは何だかんだ言って目的を達成するだろう。逃げ回るのは得策ではない。気乗りしないが本日会うのは決まったようなもので、菫はため息をついた。すると景光がいかにも公安の人間らしい発言をする。

「菫ちゃん、尋問される時は言葉少なくね。嘘をつこうとすると口数が多くなるものだし」
「え、やっぱり話がしたいって、これ尋問……?」

 景光の助言がコナンから尋問されるだろう事を前提にしていて、菫は眉を下げる。

「俺もコナン君の立場なら、ゼロより訓練なんて受けてなさそうな菫ちゃんを狙うかな。だからちょっとだけアドバイスな? 質問者が何を求めてるかって事ね」
「う、うん」

 急ごしらえだが尋問に対する心構えの講義が始まった。景光は尋問時の人間の反応を説明し出す。

「ほとんどの人は嘘をつく時、緊張状態になる。交感神経が働いて脈拍が上がったり、発汗がある。相手はそういうのが見たいんだよ。呼吸の深さ、目の動きは比較的分かりやすい。急に深呼吸や息が浅くなったりするのはチェックしてるぞ。瞬きが増える、視線がキョロキョロ動くとかもだね。人が嘘をつく時によく見られる行動だ」
「え、ヒロくん。私、無意識の瞬きとか呼吸まで制御できない……」
「そうなんだよなぁ。結局のところ平常心が求められるんだよな。詐欺師なんかは息をするように嘘をつけるけど、菫ちゃんはなぁ……」

 景光に確認するように見つめられ、菫は首をブンブンと振って無理だと自己主張した。一般人に毛の生えた程度の協力者には難易度が高過ぎる。景光もそれは分かっているのか苦笑した。

「まぁ、今言った事は参考程度でいいよ。俺達の最大の秘密は公安の潜入者だって事だ。コナン君は敵側の協力者って誤解しているなら、それはある意味都合がいい。菫ちゃんはそれを利用すべきだ」
「あ……確かにそれはそうかも」

 目から鱗だった。確かに菫が一番知られたくない事の隠れ蓑にはちょうどいい。知ってほしいという思いがあったからか、そういう観点が菫にはなかった。分かりあう事が難しいならば公安とは無関係だと認識してもらう事が最善だ。

「あとは咄嗟の質問で言い繕えなさそうだと思うなら、いっそ沈黙か、それか何を言ってるのか分からない、って煙に巻いちゃうとか?」
「それ両方ともコナン君に通じるかなぁ……」

 基本的に菫は知られたくない秘密は沈黙でもってやり過ごしてきた。ただコナンはだんまりがあまり通じない相手だと思っているので、菫はその提案には頷きづらい。景光は菫の様子に首を傾げて一計を案じる。

「ん〜? それならこう聞かれたら、こう答えるっていう質疑応答集でも作るか? コナン君から今までされた質問ってどんなのだ? 彼からの質問のパターンを教えてくれよ」
「え? えーと、コナン君は普段の会話の中に急に質問を入れてくる事が多くて……」
「お、緩急をつけて菫ちゃんが気を抜いたところで畳みかけてくる感じか。よくそんなテクニックを小学生が持ってるな? っていうか、小学生がFBIの協力者って世も末だなぁ……」
「そうだよねぇ……」

 突如始まった景光によるコナンへの対応策に菫は真面目に耳を傾けたのだが、残念ながら第三者の介在によりその効果が発揮される事はなかった。



 * * *



 菫がコナンと会う待ち合わせをした場所は杯戸町のとある公園だった。小さな男の子たちが元気に遊ぶ声が辺りに響いている。

「ここまで来てもらって菫さん、ありがとう!」
「それは構わないんだけど……えーと?」

 子供がのびやかに遊ぶ平和な光景の中に少し違和感が混じっていた。昨日事件があったばかりの町だな、と思いながらやって来た菫は事前には知らされていない出会いをする事になる。

「Hi! 私はジョディ・スターリングよ」
「アンドレ・キャメルです」
「は、初めまして、鳳菫です……」

 子供が集う公園ではやや目立つ如何にも外国人という風貌の男女が二人、菫の目の前にいる。初めて会うがもちろん菫の知る人物たちだ。

(ジョディさんとキャメルさん……。これってどういう事? コナン君だけでもいっぱいいっぱいなのに〜)

 先日のスーパーでコナンと一悶着あってからというもの、コナンは菫に対しては態度を改めている。具体的には敵対ではなく懐柔にシフトしたらしい。菫が一般人だからという配慮もあるようだ。
 危険人物の安室――すなわち零から自主的に離れるようにそれとなく声を掛けられていた。菫が今さらコナンが指摘するような理由で幼馴染たちとの関係に終止符を打つ事はないので、菫はコナンのありがたいがありがたくない助言をのらりくらりと躱している。

「あの、コナン君? このお二方は?」

 直前に景光の指導の下、コナンへの対策はしていたがFBI二人に対する問答は全く想定していない。被害妄想かFBIの捜査官たちから観察されているような視線を受け、菫はコナンに及び腰で尋ねた。

「今日はこの二人を紹介したかったんだ。二人は休暇で日本に来てるFBI捜査官なんだよ。少し前までは潜入捜査もしてたんだ! すごいでしょ?」
「そう、だね。FBIの人と知り合いなんて、コナン君すごいね……」

 あくまで小学生の子供らしくFBIと知り合いなのだと紹介してきたコナンに、菫も話を合わせる。

「今日はいきなりごめんなさいね、菫さん」

 コナンを介して自己紹介が済み、顔見知りとなった大人三人は互いに手探りに会話を繋ぐ。

「今私たちは休暇中なんだけど、急に本国から捜査依頼があって色々調べてるの。それで少し菫さんから話を聞きたかったのよ」
「参考にさせて頂きたいので、いくつか質問させてもらえませんか?」
「……私に、ですか?」

 ジョディとキャメルは丁寧にお伺いを立ててくる。菫は無意識に身体を固くした。
 コナンにはバーボンの協力者だと思われている。その仲間のFBIも同様の認識の筈だ。そんな自分に一体どんな話を聞きたいのかと、菫の警戒心が急激に上がった。しかし、彼らの質問はあいにく菫が思うようなものではなかった。


 ・
 ・
 ・


「……昨日の杯戸町の事件――薬物で意識不明になる女性が出た事件、FBIの方も調べてるんですか?」
「ええ。アメリカで発生している危険薬物絡みの事件と酷似しているの。FBIは杯戸町で昨日起きた事件は関連があると見て、日本にいる私達に捜査を命じたって訳」

 女子高生たちとのティータイムでも話題になった事件は、真純の言った通り夕方のニュース番組から流れ始めていた。夜の時間帯になる頃には新たな情報も追加される。

「確か昨日の夜の時点で、20人近く被害に遭った人がいるってニュースで流れてましたけど。小さな女の子から始まって、夜に掛けてどんどん被害者の年齢が上がっているんですよね? そんな事件がアメリカでも?」
「いえ、アメリカでは被害者は20代から30代女性に限定されてます」
「? それだと日本の事件と関連性が薄いような?」
「菫さん、今回アメリカと日本の被害者に使われた危険薬物の成分がほぼ同じなんだって」

 キャメルの発言を受けての菫の疑問にコナンが詳細を付け足す。

「あとこの事件は実験要素が強いんだ。被害に遭った女性たちは人によって薬の影響に差がある。投与された薬の量が違うんだと思う」
「あぁ、実験してるみたい、っていうのは真純ちゃんも言ってたね」
「世良の姉ちゃんも? ……他にも何か言ってた?」
「犯人の目的がよく分からないって。実験したいだけか、そうでないのかが情報が足りなさ過ぎて判断出来ないみたい。でも、女性の自由を奪うのに薬を武器にするような人間は、腕っぷしは大した事ないって言ってたよ?」

 犯人の男をこき下ろしつつ、真純はそれでも菫に「腐っても相手は男だから菫姉は気を付けて」と再三に渡り注意している。

「その子、鋭いわね。FBIも同じ見解よ。使用された薬物から同一犯というのが濃厚で、FBIの捜査内容を日本警察にも提供しているわ」
「そうだったんですね。……でも、何故私から話を聞く事に?」

 これまでの話を聞いていても、自分との関連が菫には見えてこなかった。しかしそれにキャメルが答える。

「被害者のタイプが菫さんに非常に似ているんです」
「え?」

 菫はつい目を瞬かせた。どこか呆気に取られている菫にコナンやジョディが分かりやすく説明する。
 どうやら先にアメリカで起こっていた事件でも実験を兼ねてはいると思われるが、サンプルとなる被害者がかなり偏っているそうだ。被害者の特徴をコナンが挙げた。

「犯人に狙われたのはまずアジア系で、その次にさっきキャメルさんが言ってた年代の女性なんだ」
「それだけだと私以外にも該当者は沢山いそうだよ?」

 30代前後のアジア系という括りでは、菫に話を聞くというのは無理矢理なこじつけに感じる。他に意図があるのではないかと菫は疑いを晴らせない。

「他にもあるよ? 身長とか外見、あとは行動パターンかな? あまりリスクのある行動はしない女性ばかりだった。そして声も菫さんに似てる」
「声?」
「うん! あ、事情聴取の録画したデータを見せてもらったんだよ」

 コナンがスラスラと理由を述べる。またジョディとキャメルも、今回の事件について予備知識がない状態でコナンにFBIの資料を見せたのだと言う。

「コナン君のおかげで色々有益な発見があったわ。ついでに知り合いにかなり特徴が合致する人がいるっていうから、今日こうやって会う機会を作ってもらったの。声が被害者の共通点だと見つけたのはコナン君なのよ」
「菫さんの声を聞いて、正直驚きました。菫さんは他の被害者たちと声がよく似ています」
「そ、そうなんですか……」

 FBIの二人にかなり真剣に見つめられて、菫はたじたじだ。自分に白羽の矢が立ったのには正当な理由があるようだ、とは否応なく理解はできた。また、犯人の好みに当てはまるのか……と菫は顔を引き攣らせる。

「アメリカでは露骨に被害者を選定していたから、日本でも今後被害者を限定し始めると我々は読んでるの」
「でもアメリカの事件の被害者達も記憶がなくて、犯人とどこで、どのように接触したか分かってないんだ」
「――そこで、リスクのある行動をしない女性が取りそうな行動を先んじてヒアリングしようという話になったんです。国が違えば、やはり同じタイプの女性でも行動に変化がありますから」
「なるほど……つまり、日本女性としての意見があればいいって感じでしょうか? でも、アメリカから日本に犯人が移動してくるってしっくりこないですね? 陸続きならともかく、日本は島国ですから……」

 日本に高飛びしてきたのだとしても、公用語も違うためだいぶ不便だと菫には思えた。ジョディは首を振る。

「実は犯人じゃないかと目星をつけていた科学者の男がいたんだけど、日系の男なの。日本語も喋れるらしいわ」
「日本に逃げ込むのはさほど不自然じゃないんだって」
「FBIは男の行動を見張っていましたが、しばらく行方知れずだったんですよ。それが日本に入国したという情報が入った矢先に昨日の事件が起きたんです」
「恐らくその男が犯人で間違いないわ。ただ分かっている事は少ないのよね。問題の危険薬物は既存の物ではなく、スコポラミンが主成分の恐らく犯人が調合した新種の合成薬物だと思われるし」
「スコポラミン……?」

 犯人に狙われるとは菫も思っていないが、被害者のタイプに似ていると言われると不安にはなる。より身近に感じ始めた事件に興味深げに耳を傾けていると、知っている単語に菫はつい反応した。

「あの、それって記憶障害を起こす薬物ですか? 通常は乗り物酔いの酔い止め薬に使われるけど、デートレイプドラッグとして悪用されるって聞いたかな……」
「菫さん、よく知ってるね? うん、意識や抵抗力を奪うのには都合がいいんだろうね」
「成分はスコポラミンだけではないけどね。代謝が早くて、なかなか証拠が取れないのよ」
「スコポラミンが含まれるだけあって、被害者の女性たちはほとんど何があったか覚えてないんです。ですが、本当に良くご存知ですね?」
「いえ、たまたま別の事件のニュースをネットで知りました……」

 変に口を挟んで怪しまれただろうかと、菫はどんどん声が小さくなる。

(でもさっき、ヒロくんも調べてたんだよね。海外の危険ドラッグの事件)

 今まで聞き馴染みのなかった薬物の名前に菫でも覚えがあったのは、先ほどまで会っていた景光が正にその時、パソコンで薬物事件について閲覧していたからである。
 景光は室内での情報収集が仕事の一つとして課せられていた。それは菫でも代わりを務める事が出来る比較的軽い任務だ。

(ヒロくんがリビングでする調べ物だから、そこまで重要度が高いとは思わなかったんだけどな?)

 セーフハウスには公安関係者のみ入室できる仕事部屋があり、この部屋に関しては菫はノータッチだが、それ以外のリビング等のパブリックスペースは菫が手を触れても問題ない事になっている。
 今回の情報を知ったのもそのリビングのパソコンだ。

(スコポラミンで意識朦朧になった人は操られやすいって、ヒロくん言ってたっけ)

 菫がセーフハウスに訪れる時は景光もリビングで出来る調べ物をする事が多い。菫の目が触れても構わないような仕事の中で、何やら真剣に目を通していたのがその薬物絡みなのだ。
 仕事の一環で日々ネットの海の有象無象な情報から価値のあるものを探す景光の、その目に留まる事柄が気になるのはどうしようもない。リビングで扱える情報なのだという事もあとを押して、菫が何を調べているのかと尋ねると景光もあっさりと答えてくれた。

「確か海外のニュースでしたけど、スコポラミンによる暗示で、一般人が犯罪を起こしたっていう記事でした。スコポラミンは認知能力が下がって第三者に操られやすくもなるそうですね?」
「……菫さんすごいわね。察しが良いのかしら? FBIもその事件と今回の事件も密接な関係があると見てるの」

 今回の件と関連があるというのも偶然であるし、察しが良いというのは景光の情報収集の一片を見ていたからだ。菫も景光の調べ物と繋がっていた事には驚いたが曖昧な表情で流す。しかし意外な事にコナンからも驚きの声があがった。

「え、ジョディさんそうなの? 他にその犯人が関わる事件があったんだ?」
「コナン君にはまだ伝えていなかったわね。アメリカでは薬によって記憶がなくなる事件と、暗示による犯罪事件も同一犯だと考えてるわ。やっぱり被害者から検出されてる薬の成分がほぼ同じなのよ]
「この事が分かってから、関係者ではこの犯人をマッドヒプノティスト――気狂い催眠術師って呼んでいるんだよ」
「早くその催眠術師を見つけないと、暗示による事件も発生しそうだね」
「ああ。――ですから、菫さんもご協力お願いします」
「わ、分かりました!」
「それでは早速だけど、いくつか質問するわね? まず――」

 トントン拍子で進む話に内心、菫は項垂れていた。自然な話の流れに異論は唱えられなかった。善意の日本国民ならば、ここで協力しない訳にはいかない。

(FBIの二名からの質問攻め! これ絶対事件に関係ない事も聞かれるでしょ……。コナン君もビュロウさんも抜け目ない! さすが! でもひどい! うぅ〜、無理〜。三方向から質問されたら絶対ボロが出る……)

 コナンもFBIもこの機会を逃す悪手は取らないだろう。事件の解決はもちろんだが、それに並行して間接的に菫の背後にいる零への質問も織り交ぜられている筈だ。もはや菫はまな板の上の鯉であったが、せめて口は滑らせないようにしようと景光の助言に従い、口数は少なく! と自分に言い聞かせた。


 ・
 ・
 ・


 菫は様々な質問に答えていく過程で、ある事実を知る。この公園での待ち合わせには理由があったらしい。

「え……ここ、事件現場なの?」
「ええ。女性が階段から転落したのよ。コナン君、菫さんに教えてなかったの?」
「待ち合わせ場所、杯戸公園にしようって言ったら菫さんも一つ返事だったから、説明するまでもなかったんだ」
「あ、うん。確かにそうだったね……」

 当初、菫が外出の予定があるため待ち合わせ時刻は遅くなると伝えたところ、コナンは菫の出先まで出向くと提案してくれていた。しかし菫の向かう先は警視庁のため、その案には乗れない。反対に菫がコナンの都合がいい場所での待ち合わせを申し出た結果が、米花町内などではなく現在地の杯戸町であった。

「正確にはこの公園の階段下が現場だよ。昨日の夜の事なんだ。ほら、あそこ」

 ジョディ達の質問もひと段落しており、コナンが菫の手を引っ張り先導する。連れて行かれた先にはしっかり手すりも設置された階段があった。杯戸公園は高低のある丘状の頭頂部に立地しており、公園前の階段を下りると広めの歩道と車道がある。
 菫が階段下の道路を覗き込むと、そこには赤黒い跡が見えた。

「あれって……血痕? あの血の量……。その人、大丈夫だったの?」
「頭を強く打っています。手術は終わったそうですが意識がまだ戻っていません」

 菫の思わず出た質問にキャメルが答える。キャメルとジョディも、階段まで菫とコナンについてきていた。

「怪我した方、早く意識が戻るといいですね? ……でも、どうして三人はここに? あの、私がここに呼ばれたのって、それも関係があるの?」

 自分がこのような場所で待ち合わせしていたという事に菫は何となくソワソワした心地になる。そして頭のどこかに何かが引っ掛かった。

「ううん。菫さんとこの二人を引き合わせたかっただけだよ? この場所になっちゃったのは単純に、ジョディさんとキャメルさんが昨日の転落事件も公園で捜査してたからなんだ」
「この件もFBIが捜査? あの、階段から落ちたのは事故じゃないの?」
「これは事故じゃないわ。被害者から薬物が検出されたもの」
「それは……催眠術師の犯人が関わってるって事ですか?」
「はい。しかもジョディさんがその被害者とちょうど電話で話をしていた時に襲われたんです。被害者とは知り合いなんですよ」
「!? そうだったんですか?」

 そのような事があるのかと菫はその時は素直にすごい確立だと思っていた。だが、ジョディのそのあとの言葉に一瞬頭が真っ白になった。

「ここで被害に遭ったのは澁谷夏子。小学校教師よ。私に日本語を教えてくれたのも、私が英語教師として潜入する時に色々協力してくれたのも彼女……。教師仲間の親友よ」
「ジョディさんの……親友?」

 その名前を菫は知っていた。FBIと公安を巡る事件に巻き込まれてしまった女性の名前だ。
 それは途絶えてしまった筈の未来の話だった。



緋色シリーズに登場する方は大体出演予定。必ずしも重要な役目がある訳ではないですけど。でも工藤夫妻は多分でない。

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