Cendrillon | ナノ


▼ *01
モヤモヤ期間の終了の始まり。


 陽の光を燦々と浴びるカフェのテラス席に、まるで雑誌から抜け出たモデルのような二人組の男女がいた。

「――それじゃあバーボン、この件はよろしくね?」

 一人は優雅にコーヒーカップを傾けていた。つばの広い帽子とサングラスが女性の醸し出す華を気休め程度に抑え込んでいる。長期休業中のアメリカの大女優だ。
 だがそれも明るい陽射しの下で見られるある種の一般人としての擬態だ。その本質は深い闇に包まれた黒の組織の幹部の一人、ベルモットという存在であろう。

「ええ、お任せください」

 相席するもう一人もサングラスで目元を隠しているが、それでもどことなく若々しく感じられる小麦色の肌を持つ日本の探偵である。
 こちらは同席者とは正反対に、露悪的な仮初めの姿を表立たせている。その正体は己の身分をひた隠し、今は暗闇に身を投じている日本国の忠実なる奉仕者の降谷零その人だ。

 本日も二人は組織の任務の一環で顔を合わせている。そして零は話は終わりだろうと踏んで撤収しようとしていた。

「ベルモット、他にご用は? ないようなら失礼しますよ」

 そう言いつつも零は席を立ちかけ、早速組織から新たに与えられた仕事への算段つけていたが、ベルモットに引き止められる。

「せっかちね、バーボン。一つ、あなたに情報共有があるわ」
「なんでしょう?」

 この場を去ろうとしていた零は席に座り直すと相手に話を促した。ベルモットは零を一瞥しカップに口をつけてからおもむろに話し出す。まるで焦らすようにベルモットから切り出された話は少し意外なものであった。

「存在くらいは知ってるかしら? 新薬の研究で組織内で頭角を現していた科学者の男の事なんだけど」
「――近いうちにコードネームを与えられると噂されている人物の事ですか? 優秀な代わりに相当癖が強い――マッドサイエンティストと聞いてますけど?」

 零は該当する者について瞬時に記憶を集める。探り屋のバーボンとは仕事上で関わりがなく、多少なりとも情報は仕入れているがその情報は極めて少ない人物だ。コードネーム付与に値する仕事は出来るようだが、如何せん人格に問題があると零は耳にしていた。

「ええ、そいつよ。ネームドは確かに有力視されていたけど、組織は切り捨てる事に決めたわ」

 事もなげに発せられたベルモットの言葉に、何故? と零は首を傾げて声を出さずに問う。

「組織を裏切ったのよ。その男、監視役を振り切って逃亡中ね。今は血眼になって探しているところ」

 先日、某国の製薬メーカーの工場が火災に遭ったらしいが、この件に関連していそうだと零は何となくその繋がりを感じ取る。

「僕にも探せ、と?」
「まさか。あなたにはしてもらう事が沢山あるもの。言ったじゃない、情報共有よ」

 今は組織の影響の少ない国に逃げ込んだのではないかとベルモットは言う。関わる事はなさそうだとは思うが零は男が離反した理由が気になった。

「でも何故その男は組織を抜けたんでしょう?」
「元々組織からの束縛を嫌ってたようね。男が手掛けていた研究の一つに口を出したのも気に食わなかったみたい。男が力を入れていた研究で、一向に成果がないから組織の指示で別の研究をさせていたの」
「確かその男のメインの研究は、催眠術のように思い通りに人を操る薬――でしたか?」

 零がこの男について僅かながらも情報を持っていたのは、男の研究内容の危険性にあった。組織が人を操れる薬など手に入れては何をしでかすか分かった物ではないからだ。しかしベルモットの口から朗報が飛び出る。

「その人を操る薬も、新しく任せていた研究も使い物にならなくなったわ。現在組織に残っている研究データを他の研究員に検証させたら、全くのデタラメだったらしいの」

 残存する男の手掛けていた研究資料の全ては、誤った数値や情報に書き換えられているそうだ。その上男は、どうも元から重要個所を中抜きし、正確に研究内容をデータとして残していなかった事が分かっているらしい。

 過去に遡ってデータを復旧したとしても、どの時点の情報が正しいかも不明で、組織は元の研究も新たに与えた任務の研究データも失ってしまったのだ。だいぶ以前から組織を抜けようと企てていたらしく、巧妙に組織に実のない報告をしていたと思われるというのだから、なかなか食えない人物である。

「我々組織にデータを残さないなんて、思っていた以上に有能な男だったんですね。ですが男にしてみれば自分の研究を中断させられたとなれば、鬱憤も溜まるでしょう。その元の研究は完成間近だったんですか?」
「報告されていたものは組織が求めるレベルには至ってなかったわ。臨床実験でも薬物の影響下だって一目で分かるほどの夢うつつ、酩酊状態になるのよ。それに操るっていうほどの精度もないし」
「実用化は無理そうだという結論だったと?」
「組織で行われている他の研究に比べると重要度が高い研究ではなかったから、新たな研究に移行させたのよ」
「なるほど」

 零の危機感とは裏腹に組織内ではあまり期待はされていなかった研究のようだ。だが、この男に関する懸念はほぼ消えたと見て良いかと考えていた零は、それが甘い皮算用だと知る。

「でもその男、組織に逆らって元の研究を続けていて一度厳重注意されてたみたい。その後命令されていた研究の報告が滞り出した矢先の今回の逃走。今となっては改竄されていた元の研究の実用化見込みなしというのも、正確な判断なのか分からないわ」
「そうですか……」

 今後組織内で研究が再開されなさそうな事だけは救いだが、ベルモットの言いようでは何やら秘匿主義の男の危険な薬物が未完成なのかは少し怪しい。
 零の胸に何故か理由も分からない不安が沸き上がり、一瞬だけ眉を寄せた。
 ベルモットはテーブルの上のコーヒーを一口飲み、喉を潤すとさらに続ける。少し不愉快そうに表情を歪めていた。

「組織から新たに与えられた任務に進展がないだけならまだしも、その男、懲りずに研究を続けていたようなの。しかも今度は一般人で人体実験したらしいわ。最初に発覚した時に注意だけで済ませたのがアダになったわね」
「そういえば……国外で変な事件が増えてましたね。もしかしてその男が原因ですか?」

 零は公安から得ていた主にアメリカで最近発生している事件を思い出す。危険薬物絡みと思われる少し変わった事件だった。

「ええ。それで被害者が出て世間に露見。よりによってFBIに目を付けられたって訳。しかも男の犯行が組織と関連付けられて捜査が本格化するようだから、FBIの手に渡る前に消すそうよ」
「我々の対立組織に既に保護されている可能性は? 組織の情報を対価に」

 経緯は分かったが、零は真っ先に思い浮かぶ男の数少ない助かる道について言及した。

「元より善良な男ではないし警察なんかに駆け込む事はないんじゃないかしら? 組織から自由になって、また束縛される監視生活は選ばないでしょ。それに幹部登用が間近だったとはいえ下っ端だったし、組織に関する重要な情報はまだ持ってない筈よ」

 コードネームを与えられる前とあって組織の核心となる情報は持ち合わせていないと、ベルモットはさほどその点を恐れてはいないようだ。だが、ベルモットはそのすぐあとどこか気だるげに溜息をついた。

「こんな事になる前に処分しておけばよかったわね。ジンも機嫌悪いわよ」
「ジンが?」
「彼、裏切り者には容赦がないじゃない? それに元々男が中断させられた研究に固執している事を危ぶんでいたみたい。不安の芽は刈るべきだって進言していたのに、これだもの。今回はジンが直々に男の捜索の指示をしてるわ」
「ジンが陣頭指揮を執ってるとなると、逃げている男が哀れですね」

 あの男が動いているならばその包囲網は生半可ではないだろう事が窺える。裏切り者の未来は限りなく暗そうだ、と零も僅かながら逃亡者に同情した。

「とにかく組織は今、予定外の狩りに人手を割いてるって事だけ頭に入れておいて」
「分かりました。一応心に留めておきましょう」
「基本的にあなたには関係ないでしょうけどね。この日本を逃亡先にはしないと思うわ。組織が今最も活発に動いている国だもの。組織に歯向かったのは愚かだけど、あの男もそれくらいの頭はある筈よ」

 その後、この話が二人の間に挙がる事はなく、男が捕まったという話が聞こえてくる事もなかった。



 * * *



 夕暮れに辺りが徐々に薄闇に染められつつあった米花駅のそばのカフェで、菫は女子高生三人――蘭と園子、そして真純と少し遅いティータイムを過ごしていた。菫は景光のセーフハウスへ公安絡みの届け物をした帰りで、女子高生たちは蘭の空手の他校への遠征試合の見学に行っていたその帰りだそうだ。その帰路で偶然出会い、菫はカフェへと連れ込まれた。

 女性四人の会話は最初は蘭の遠征試合の結果――もちろん勝利していた――から始まったのだが、すぐにある話題となる。普段ならば人気の芸能人、流行のファッションやスポットなど明るい話で終始するが、この日ばかりは少し物騒な情報が園子からもたらされた。それは菫が全く知らない話だった。

「え? 女の子が意識不明で倒れてるのが見つかってるの? 杯戸町で?」
「そうなのよ! 今日一日で続けざまに何件もあったみたいなの。ちょっとあっち、今日は騒がしかったわ」

 この米花町の近隣で発生しているという事件だというのに、菫は生憎と把握していなかった。ローカルニュースとして流れてきそうなものだが、セーフハウスで景光と共に見ていたテレビでもそう言った情報は流れていなかった。
 だが共におしゃべりをしていた蘭たちも既知の事件らしい。どうやら試合の遠征先の杯戸町で出回っていた情報のようだ。

「まだニュースにはなっていないみたいですね。でも防犯カメラに男の人が写ってたみたいで、その人が関係者――恐らく犯人だって噂でしたよ?」
「え……箝口令が敷かれてる感じなのかな? それに意識不明って、それって女の子たちが、その、何かひどい目に遭っちゃったり……?」

 事件に男性が関わっていて、意識不明の女性の身に降りかかる不幸など悲惨なものしか想像できない。何か理不尽な目に遭っているのではないかと菫も青褪めてしまう。

「菫姉、心配し過ぎだよ。今のところはそういう話じゃないみたいだ。ただ薬物絡みの事件らしいね? 多分今日の夕方のニュースあたりからはどんどん流れるんじゃないかな? 被害者が発見時に意識不明もしくは意識朦朧としている事が多くて、まだ回復していないから詳しい事情が聞けてないみたいだ」
「薬物? ドラッグの常習者みたいな人たちの事件って事? 違法薬物が出回った、とか?」

 危険薬物を乱用した上で車を暴走させた、というような話は良く聞く話だ。それに類する事件なのかと菫は思ったが、今回はそう単純ではなかった。

「菫さん、そういうのでもないみたいです。見つかってる被害者の女の子って、小さい子は小学生くらいらしくて」
「小学生?!」

 蘭の訂正に、そんな小さい子供が薬物の事件に巻き込まれているのかと菫は思わず少し大きい声を上げてしまった。だが、蘭や園子もその菫の驚きが最もだと思うのかウンウンと頷いている。また園子がさらに付け足した。

「意識不明で見つかるのは小学生から高校生くらいの子たちみたいよ? それに薬の影響なのか、意識が戻った子もあまり記憶がないんですって!」
「どうやら意識も記憶も飛んでしまうような薬を摂取させられるようだね」
「怖い事を覚えていないなら、不幸中の幸いなのかなぁ……?」
「事件解明に時間が掛かってしまうかもしれないから、何とも言えないけどね。……被害は昼くらいから発生しているけど、被害者の年齢がどんどん上がっているんだ。多分だけど学校からの帰宅時間が早い順に狙われてるんじゃないかな」

 真純は杯戸町で得た情報を元に推測を述べる。それを聞いて菫は嫌な想像をしてしまった。

「真純ちゃん、それって被害者がもっと増えるって事かな? 犯人が捕まってないなら今の時間帯だと大学生とか。学生に限らないならあとは仕事帰りの女性とかも狙われる?」
「被害者の傾向からすると恐らくね。でも……もし単純に被害者の年齢が読み通りに上がっていくとしたら、なんだか犯人は薬の実験をしているように僕には感じられるんだよな」

 真純の推測に菫も何となくの素人考えではあるが、何が起こっているのか分かった。

「データを取ってるって事だよね?」
「どの対象にどのくらい薬を投与するのが適切か測ってるって感じだろうね」
「この犯人、人間をモルモット扱いしている人みたい……怖い、ね。あの、亡くなっている女の子はいないんだよね?」
「今のところは聞かないですけど、皆元気になってほしいですね……」
「警察に早く捕まえてほしいわよね。何しろ事件現場に米花も近いし。犯人、こっちにまで来ないでしょうね?」

 蘭が眉を下げて心配そうに呟くと、園子も他人事ではないと思ったのか中々警戒心が強い発言をする。真純も思案気に首を傾げて言った。

「犯人の狙いも分からないからなー。致死性のある薬物ではないみたいだし判断がつけ辛いね。女の人の意識を奪いたいだけの変質者なのか、それとも他に理由があるのか……まぁ、歪んだ人物像の犯人って事だけは確かだろうね」

 念のため皆も気を付けてくれよ? と真純は真剣な表情で注意を促す。それには菫も蘭や園子と共に神妙に頷くのだった。



冒頭の二人の会話はフラグですね……。

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