Cendrillon | ナノ


▼ *冷たく甘い誘惑
コナン君に怪しまれているモヤモヤ期間中の話。


 冷たい風の吹き抜ける中、菫は足早にポアロに向かっていた。

「さ、寒い〜! 早く熱いコーヒーが飲みたい! あ、でも今日はココアでもいいかも?」

 ただの思い付きの独り言だったが、寒いと甘い物が欲しくなるよね……と既に舌がそれを求め始めている。本日の一番最初のオーダーをほぼ確定させつつ、温かく癒される喫茶店へと菫はその足を速めた。そのせいか、心なしかいつもより所用時間が短く菫は目的地に着こうとしていた。

「あ、梓さんだ」

 遙か前方にポアロの看板が見え始めた距離だったが、店頭に梓もいるのが見えた。外に立っているのは珍しいと思いながらも菫は梓に声をかけようと軽く手をあげる。しかし、菫のいた位置からポアロまではまだだいぶ離れており、通行人もチラホラといる状況で大きな声を出すのは少し恥ずかしいかな、とふと思う。手をあげた体勢のまま躊躇したその一瞬だった。

「あっ!?」

 ヒュオォーと突如大きな風が吹き、梓が持っていた紙片らしき物が飛ばされるのを菫は目撃してしまう。小さなそれはちょうど菫の方向へとやって来た。慌てて菫も手を伸ばしたが、それはするりと後ろへと通り抜けていく。

「あー?! 待って! 待って〜!」

 思わず菫はポアロでの休息という目的も忘れて、反射的に風の向くまま自由自在に空を舞うそれを追いかけ、進行方向を真逆に変えてしまうのだった。



 * * *



「止まって〜!!」

 まるで菫を翻弄するかのように、追いつけそうで追いつけないスピードで梓が持っていた紙片――レシートは菫の手をすり抜けつつ、遠くへと運ばれていく。ここまで来ると菫も意地で走り続ける。

「もう! 風がやまない! どこまで飛んでくのぉ〜!」

 ひらりひらりと空中で踊っているそれを見失わないよう菫は息を切らし追いかけながらも、この後の展開を頭の中で反芻する。飛んでいくレシートに手を伸ばしポアロに背を向ける直前、店から零が顔を出すところを見た菫は、この状況にぴたりと当て嵌まるストーリーを思い出してしまったのだ。

(あのレシートって、あれだよね? クール便に、閉じ込められるやつ!)

 少年探偵団が猫の大尉と共に宅配便の冷凍車に閉じ込められ、さらに死体が隠されている事に気付いたため運転手に容易に助けも求められず、極寒の密室から脱出が出来なくなってしまう事件だ。コナンは苦肉の策でバーボンに助けを求める事で解決を図るのだ。今追いかけている紙片は大尉に託されたタクシーのレシートではないかと菫もほぼ確信していた。

 そんな現在進行形の昔の記憶を菫が振り返っていると、風の勢いが弱まりカサカサと音を立てて道路を滑るようにしてしていたレシートはある電柱に引っかかる。その柱の根元へ落ちたところに菫は飛びついた。

「つ、掴まえたっ! ――ハァ、Corpse……死体だし。やっぱりか……」

 地面にしゃがみ込み、はぁはぁと肩で息をしながらバッと流し見たレシートの内容に、コナンが細工をした物で間違いなかったと菫は大きなため息をつく。だが、グズグズもしていられない。子供達が冷たい冷凍車で身動きが出来ないのである。光彦などは低体温症で倒れてしまう筈だ。
 この手掛かりを急いで零に共有しなくてはと、今度はポアロへと戻ろうと菫は立ち上がった。そして後ろを振り向き、驚きに目を見開く。

「と、透さん?!」
「菫さん、何故ここに?」

 白いセーターを腕まくりし、全く疲れていない様子で駆け寄って来る零は首を傾げているが、むしろ菫も幼馴染の早すぎる登場に首を傾げたい。いまだ呼吸を整えている最中の菫がレシートを拾い上げてからまだ一分も経っていないのである。レシートを追いかけながら途中で気付いてはいたが、やはり今回も自分が出しゃばるまでもなかったな……と内心肩を落とす。しかしそれは隠して菫は事情を説明した。思えばのんびりしている暇はないのであった。

「あの! これ、梓さんが持ってたレシート! さっきお店に行くところで、これが飛んでくのが見えて……」
「あぁ、菫さんが拾ってくれてたんですね? ありがとうございます。見せてもらっても?」
「はいどうぞ。でも透さん、これCorpseって抜き出されているみたいだけど、本当に梓さんの?」

 持っていたレシートを零に渡し知らない振りで菫が問いかけると、零もレシートを見つめつつ首を振った。

「いえ、それは正確には梓さんの物ではないんですよ。猫の大尉は菫さんもご存知ですよね? 餌をねだりに来たその大尉の首輪に挟まっていたそうです。恐らくですが、僕はこれが暗号だと思っています」
「暗号……」
「えぇ。菫さん、死体なんて単語は穏やかではありません。事は急を要すでしょう。説明しますので、少し急いで僕について来てくれますか?」
「は、はい!」

 零は小走りで菫の手を引きながら、ポアロでの梓との会話や自分の推理を述べ始める。今回のこの状況は大尉の行動パターンを知るコナンが絡んでおり、このレシートは自分に当てられたメッセージだろうと零は言う。コナンは何らかの事件に巻き込まれているのかもしれないと菫へ告げた。

「レシートの数字はきっと宅配業者のクール便の車両ナンバーですね。大尉の首輪が冷たかったらしいので、車のコンテナに閉じ込められ、且つそこに死体があると思われます」
「よ、よく分かりましたね……」

 幼馴染のほぼ百点満点の推測に、よくぞこの少ない情報からそこまで導くものだと菫は恐れをなしつつ、コナン達の安否を気遣う。

「でも、冷凍車に閉じ込められているなら早く助けないと!」
「宅配業者の冷凍車まで絞り込めれば、調べるのもさほど難しくありません。今から救出に向かいます。そこで菫さんにお願いが」
「お願い? 私にですか? そういえば私、どうして透さんに同行してるんでしょう?」

 今の自分にできる事があるのかと菫は不思議がる。なし崩しに零に引っ張られてポアロ方面へと走ってきているが、その理由が菫には分からなかった。一般人の自分を介入させるメリットが零にあるとは思えなかったのだ。

「菫さんには一緒に来てほしいんですよ。今僕はコナン君にとても警戒されてますからね。あの子はとても頭が良い。緩衝材になってください」
「あ〜、透さんあの、それあまり意味がないかもしれません。私、透さんの知人という事で、すでに怪しまれているような……」

 菫はミステリートレインの事件を境に余所余所しい態度をコナンから取られているのが頭に思い浮かんだ。

「おや……そうだったんですか? 菫さんに着目するとはコナン君も目の付け所が良い――いや、悪いのかな?」
「取りあえず、私も目を付けられているのは間違いないです。むしろ警戒している人間が二人揃って来たら、コナン君もピリピリするんじゃないかな?」

 コナンに探るような目で見られる事に菫は及び腰だ。自分の言動から零に関する情報などを抜き取られる可能性がある。コナンの洞察力ならば不可能ではない。菫としては今は積極的にコナンの前には行きたくないのが本音である。

「菫さんに関しては、あくまで安室透の個人的な知人で一般人という結論になると思いますよ? 菫さんがあの後ろ暗い人間たちの関係者だと誤認するとしたら、むしろコナン君も見る目がないな、と思いますけどね。彼に限ってはそうならないと僕は考えています」
「透さんがそこまで言うのなら大丈夫かな? それなら、カモフラージュになるかはお約束できませんけど、お供しますね」
「ええ。お願いします。助かりますよ」

 あまり乗り気ではなかった菫を零は何だかんだと言いくるめてしまう。そして菫は最終的には阿笠宅前の事件現場まで、お馴染みの零の愛車でエスコートされるのだった。



 * * *



「皆大丈夫? 寒かったのに頑張ったね。あのね、これさっきいっぱい買っちゃったやつなの。ちょうど良いから皆で飲んで? ホットココア、これで身体をあっためて」

 そう言いながら菫は冷凍車から解放されたばかりの震えている子供達にココアの缶を与えた。零が車を取りに行っている間にコンビニで購入した物だ。ちなみに菫が直前に飲みたいと思っていたせいかホットドリンクはココア一択である。大人な味覚の子供が二名ばかりいるが、今回は妥協してもらうしかない。

「お! 菫姉ちゃん、ありがとな!」
「菫お姉さん、ありがとうございます!」

 子供達は缶を受け取って口々に礼を言ってくる。ガムテープで犯人達を拘束している安室――零を横目に、菫を警戒しているコナンも静かにまだ熱い缶を受け取り礼を言うと、子供らしい屈託のない笑顔を菫に向ける。
 だが、礼を言われた菫はなるべく不審に思われぬよう内心ではかなり気張っている。自然な動作で他の子供に目を向けようとしたその時、コナンの表情が鋭くなったのが一瞬だけだが分かった。

(ひぃ〜流石女優さんの息子さん。最初から穿った目で観察してないと気付けない……!)

 菫が自分に意識を向けていないだろうと思っている時の、大人顔負けのコナンの射るような視線が痛く感じられた。菫は自分が疑われているのを肌で実感し、冷や汗が流れる。

(しかも今の状況じゃ、零くんが公安で組織に潜入しているってコナン君に知られる機会がないんだよね。物語と違って、秀一さんが亡くなっていないかもしれないって疑う人が組織側にいない筈だから……いないよね? でも秀一さんの偽物が至る所で顔を出してるみたいだから、何とも言えない……)

 零と秀一の関係は本来のものと異なる。だが秀一が生きているかもしれないという前提で登場する秀一の偽物の存在は消えていない。もはや菫の考えが及ばない状態であった。
 つまり物語通りに進まない展開となっている。このままでは零とコナンが同じ組織を敵とする共闘が可能な存在だと知る事なく、下手をしたら足を引っ張り合う関係になってしまうのではないかと菫は気が気でない。

(本当にどうなるんだろう……コナン君が零くんの味方になってくれないのは、どう考えても良い状況じゃない。コナン君はこの世界のヒーロー――主人公だもん。それにコナン君にとっても良くないよ、きっと。零くんはとっても頼れる人だから!)

 菫が知っている通りの関係になれるのがベストだと思うのだが、だからといって菫の一存でそれをコナンに伝える訳にもいかない。結果的には零に利益をもたらすと思われても、今現在それを証明できないのだ。
 また零が公安のスパイだという秘密が第三者に漏えいする事が、零の不手際――過失となってしまうのも怖かった。そんな事情もあり菫は余計に動けなくなる。ひいては対立関係は維持され続ける事になり、それが今後どのように影響するかが菫には全く読めなかった。

(私も継続して要注意人物に分類されちゃうのかなぁ……。なんだかコナン君に無駄な労力を強いてるよね?)

 自分が敵にはなり得ないと伝えたくとも伝えられないジレンマに菫は陥っていた。沈鬱な内心を隠しながら最後の缶を菫は哀へと渡したが、その姿を確認しハッと気づいたように上から下まで眺めて眉を寄せる。

「哀ちゃん……は、ちょっと心許ない格好だね。早く着替えようか? 歩美ちゃん。私、先に哀ちゃんをおうちの方に連れてくね?」

 菫は早速ココアを口にしている元太や光彦にではなく、傍にいた歩美にそう言づける。

「あ、うん! 菫お姉さん、哀ちゃん薄着だから、歩美も早くあったかい服に着替えた方がいいと思う」

 歩美は純粋に心配してか菫の言葉にすぐに同意した。だが、哀の背中を押して連れ出そうとする菫にコナンは零を気にしつつも硬い表情を向けていた。


 ・
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 阿笠博士の敷地内に入り、道路にいる零やコナンたちが見えない位置にまで移動したところで、今までの緊張感が霧散するような気の抜けた声がその場に響く。コナンの視線を一身に受けていた菫が弱音を吐いた。

「……うぅ〜、哀ちゃ〜ん。コナン君が、コナン君が!」
「……江戸川君が、何?」

 敵ではないと理解していてもバーボンと共に現れた菫をどこか無意識に警戒していた哀はその情けない声に、気にし過ぎだったわね……とため息をつきながら問い返す。

「コナン君が、刺すような目で見てくる……。視線が痛いよぉ。理由が分かってても悲しい……」
「親の仇を見るような目じゃないだけ、マシだと思うしかないわね」
「うぅ。……そうだよね、恨まれている訳じゃないよね?」

 すがるような菫の態度に哀は軽く慰める。だが次いで問われた事には菫の不安を払拭するまでの肯定はしない。否、出来なかった。

「それは菫さんの希望である彼の、今後の動き次第かしら。でも……菫さん、このままでいいの?」
「ん? 何が?」
「彼、私を探しているのよね? 何故伝えないの?」
「それは……秘密を漏らす人は信用できないでしょ? 恥ずかしいけど私もやっぱり自分が可愛いから、自分の評価を落としたくないっていう利己的な理由が根底にはあるね。黙っている事によるデメリットを先延ばしにしてるだけとも言うけど……」

 菫は憂鬱そうに目を瞑った。全てが明るみになった時、自分のそばにいてくれる人はいるだろうかという事を、今から考えたくはない。

「まぁ、だから本人から許可があるものと、少なくとも周囲に危害を加えるような悪意がある秘密以外は誰にも言うつもりはないから安心して? ただ、透さんが独自に哀ちゃん達の情報を集めて真相に辿り着くのを防ぐ事も出来ないから、それはごめんね」
「まぁ、相手は組織の探り屋だもの。菫さんにだってどうしようもないわね」

 哀は肩をすくめる。しかし、現在の状況では菫の大切だと言って憚らないバーボンが不利な状況である。哀は尋ねた。

「ねぇ、菫さん。江戸川君や私達は今、一方的に彼がバーボンだと知ってしまって、あちらは出し抜かれている格好よね? それはいいの?」
「それは……透さんの秘密が知られちゃったのは、多分この件に関わっている色んな人の目に見えない攻防の結果だよね? かけ引きの末に勝ち取った情報なら私が口を出す事じゃないと思う。あと――」

 菫は一瞬だけ口ごもり、かなり独善的な考えを述べた。

「あと、自分勝手だけど、私にとって今はこの状態を保ち続けてほしい。大きく事が動かないでほしいよ。何が起きるか分からないから」
「……難しいでしょうね。江戸川君は進展を、解決を願ってるもの。いずれ動くわ」

 哀の指摘に菫は困ったように微笑んだ。遠からず哀の言う通りになるのは分かっている。現在は束の間の小康状態なのだ。
 諦めのため息を漏らし、菫は気を取り直して口を開いた。零やコナン達が情報戦を繰り広げたならば、それにより互いに得た物や失った物があるだろうと哀に注意を促す。

「そうだろうね。きっと何かが――誰かが事態を動かすんだろうね。あと多分、透さんも何らかのコナン君達の情報を掴んでると思う。気を付けて」
「そうね。菫さんには悪いけど、彼に対して警戒を緩める事はまだ出来ないわ」
「うん。敵であれ味方であれ、正直この件に関わっている人たちには気を抜かない方がいいよ。皆裏で色々やってるもんねぇ。敵を騙すには味方から……を実践するのに躊躇しない人たちだし……」

 さらに言うなら人の思惑など、裏の裏を読んで行動する頭の良い人間達ばかりがこの一連の事件には入り乱れている。菫が知る展開に隠れて他にも並行して何かが行われている可能性がかなり高い。さすがに菫もそこまでは知りようがないので、このところ自分だけ持ち得た知識や情報によるアドバンテージがなくなりつつある事を実感し始めていた。
 自分の知識に現在が追い付くのはもはや目前だ。誰よりも優位な立場にあった筈なのに、それをうまく活用できていない事実が菫を落ち込ませた。だが、何がこの現状で一番悲しいかというと、菫にとってはやはり零の事だった。

「あぁ、でも……透さんはお仕事を頑張ってるだけなのに〜。哀ちゃん、透さんは誤解される事をしてるけど、悪い人じゃないんだよ!?」
「はいはい」

 日本と正義に身を尽くす幼馴染がその仕事ぶりに見合わぬ評価をされる事が、菫には何よりも許容できなかった。
 必死に零の人となりを訴える菫に哀は気のない風に返す。これといった零の正当性を根拠を示さず強弁するので仕方がない。その上似たようなやり取りを菫と哀はこれまでも繰り返していた。そのせいか哀の反応が段々と素っ気なくなってきている。菫はそれに薄々と感づきながらも、どこか甘えの気持ちでさらに言い募る。こんな事言えるのは哀くらいだからだ。

「透さんが哀ちゃんとコナン君に誤解されてるの辛い! 泣きそう!」
「……はいはい」

 哀に察してもらいたいという独りよがりから、これまで菫は言質を与えないながらもどこか含みのある言動に終始している。哀もまた菫の今までの発言内容から、ぼんやりとではあるが安室透という人物の役割を推測できていなくもない。

「でも……菫さんがそこまで言う彼となら、手を取り合う事もできそうな雰囲気よね? 腹を割って話をする機会、設ける?」
「そ、それは……」

 零の理解者が増えるかもしれない。

 哀からのとても心惹かれる提案に菫は揺れ動く。だが、哀のこの申し出では哀が幼児化してしまった事を零に伝えないという訳にはいかないだろう。そして零ならばコナンも幼児化しているときっと突き止めてしまう。果たしてその情報を零に共有していいのかと菫は迷ってしまった。自分の知る未来から逸脱し過ぎている事だけは確かだ。

「――ごめんね。それは私には判断できないよ……」

 結局、必ず上手くいくという確信も持てず、また自分が何かの引き金を引くという決断も出来ずに、菫は泣く泣くそのお誘いを断るのだった。



冷たいのは哀ちゃんの塩対応。でも哀ちゃんは基本的にデレ多め。ちなみに菫さんはこのあと幼馴染に回収されました。

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