Cendrillon | ナノ


▼ *夜明け前
ゼロティー2巻の『大物狙い』から。短いです。


 ある日の午後。自宅にいた菫の下に一本の電話が入る。

「菫。今日、ヒロと夜釣りに行くけど、一緒に来るか?」
「釣り! 行く!!」

 間髪入れない菫の肯定の返事に零は笑った。菫が参加する事は予想出来ていたのか、零は景光が迎えに行く事を告げる。

「やっぱりな。僕は一仕事終えてから合流する。ヒロがあとで迎えに行くから、風邪をひかないように厚着するんだぞ?」
「はーい! 釣りなんて久しぶりだね! 楽しみ!」
「帰るのは朝になるぞ? 菫は仮眠した方が良いかもな」
「うん。ヒロくんと打ち合わせしたら、少し休むね!」
「菫……今からその調子で眠れるのか?」

 果たして今から大人しく眠れるのだろうか……と、微妙に不安になる。現時点ですでにかなり盛り上がっている幼馴染を宥めて零は電話を切った。



 * * *



 薄暗くなったある埠頭の一角で一足早く釣り場に着いていた景光と菫は、先客の年配の男性に声を掛けると少し離れた所で準備を始める。

「菫ちゃん、釣りはしないのに夜通しここにいるの、キツクないか? 無理して付き合わなくてもいいんだぞ?」

 機嫌が良さそうに荷物を広げている菫に景光は少し不思議そうに声を掛ける。子供の頃から零と景光は釣りに来ていたが、ほぼ毎回菫も参加している。だが菫本人は釣り自体はせずに、ニコニコと自分達の様子を見ていた。それでも菫は何故かいつも楽しそうだったため、それまで口に出して問う事はなかったが景光は思わず今回、つまらなくないか? と問い掛ける。しかし菫は景光の方を見ると首を振った。

「見てるだけでも楽しいよ! 待ってる間に零くんとヒロくんとおしゃべり出来るし、ぼーっと海を見てるのも気持ちがなんだか落ち着くしね」
「そうか? 菫ちゃんが楽しいならいいんだ」
「それに二人とも最後は必ず何かしら釣り上げてくれるから、いつもワクワクしてるよ? 今日も大きいのをお願いします!」
「菫ちゃんの期待が重い! ま……ゼロもいるし、頑張るよ」

 景光は苦笑しつつも、今日もしっかり釣果を上げねば……と幼馴染の期待に応えるべく、念入りに下準備をするのだった。


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 しばらくすると、零がハロを連れて現れる。まず零は菫達が先ほど声を掛けた、本日釣り場を共にする釣り人に犬連れでも良いかと話し掛けていたが、快諾されるとゆっくり幼馴染たちの下へと歩み寄ってきた。

「少し遅くなったな。悪い」
「そんな事ないぞ。俺達も話しながら待ってたからな」
「そうだよ。待ってるのも楽しかった。あ、ハロ!」

 菫は零の足元で大人しくつき従っている仔犬に相好を崩す。

「今日は私と一緒に、ご主人様たちが大きな得物を獲ってくれるのを待とうねぇ!」
「アン!」

 しゃがみ込んでその身体を優しく撫でると、ハロも主が心を許す一人に尻尾を振り、また返答でもするかのように愛らしく吠える。

「良いお返事! ハロは今日もイイコ! 可愛い! モフモフ!」
「可愛いはともかく、最後のは褒めてるのか?」
「最上級の褒め言葉らしいぞ?」

 幼馴染と仔犬のやり取りを笑いながら眺め、零も荷を降ろすと遅れを取り戻すように釣り道具を広げ始めた。



 * * *



 程なくして零と景光は慣れたように海へ釣り竿の針を投げ入れる。あとは獲物が掛かるのを待つだけだ。
 菫は零と景光の間のさらに少し後ろの岸壁から離れた場所を定位置に、ハロと共にその様子を見守る。三人で雑談を交えながらの夜釣りのため充分に楽しめているのだが、成果は芳しくなかった。たまに掛かるのは小さな魚だけだ。零と景光はサイズを確認すると素早く海へと帰してしまっている。
 何匹めかの魚を海に戻したところで菫が声を掛けた。

「零くん、ヒロくん。喉渇かない? コーヒーあるよ?」

 菫が地面に置いていたカバンからタンブラーを取り出し尋ねると、二人は共に頷く。竿をその場に固定し一度休憩をとるようだ。岸壁から少し離れ菫のそばで腰を掛けた零と景光に、ペットボトルほどのサイズのタンブラーを菫はそれぞれに手渡す。さらに菫は零にお伺いを立てた。

「ね、零くん。犬用クッキーを作ってみたの。ハロにあげても良い?」
「犬用?」

 景光が首を傾げたため、菫はカバンからタッパーを取り出しながら簡単に説明する。

「うん。人間用だと味が濃いでしょ? これは砂糖もバターも入ってないの。小麦粉、お野菜が主成分で何種類か作ったんだよ」

 そう言いながら菫はタッパーのふたを開ける。そこに入っているのは様々な形をしていた。

「骨型がおから、星型はカボチャ、ハートはサツマイモを入れたの。あと丸いのは、バナナだね」

 それぞれうっすらと素材の色に染まっているクッキーだ。匂いでもしたのか座っている菫の周りをハロが落ち着きなげにウロウロし始めた。

「多めに作ったから余ったのはハロのおやつに持ってってほしいな? あ、同じ味で、人間用のバターとか入れたのも作ってるけど、二人とも食べる?」
「人間用はもちろんだけど、こっちも……ちょっと味見しても良いか?」

 零がハロ用のタッパーを指差して聞いてくる事に、菫は目を瞬かせる。

「え、こっち? 私も味見したし人も食べれるけど、こっちは私達には味気ないと思うよ?」
「無添加で素材の味だけって事だろ? シンプルなやつが食べてみたい」
「お? 俺も気になるな。菫ちゃん、俺にもちょうだい」
「いいけど、あんまり味は期待しないでね?」

 好奇心からなのか幼馴染たちがハロにと作ったクッキーに興味を示した。菫は恐る恐るタッパーの中身を手を拭いてもらった零と景光に献上する。二人はコーヒーを片手に四種類すべてを口にするとおもむろに感想を述べた。

「確かに味は薄めだけど、悪くないぞ菫ちゃん。ザクザクした歯ごたえも好きだな。小腹が空いた時に摘まみたい感じ」
「噛みごたえがあるな。うん、確かにあっさりしたものが食べたい時の間食に良さそうだ」
「間食というか、ハロのおやつだもんね。固めに焼きあげました」
「人間用にちょっと塩気を足して、また作ってよ菫ちゃん」
「これでいいの? でも、じゃあそのうち作って持っていくね? だけど取りあえず今日のこれはハロに……」

 先程から小さな存在が忙しなく動きながら、まだか、まだかと菫を見上げているのだ。

「はい、ハロ、お待たせ〜。まずは骨型ね?」
「アンッ!」

 菫が手ずからクッキーを与えると、ハグハグと嬉しそうにハロは食べ始める。ハロはどの種類も好き嫌いはなさそうであった。これならばタッパーは持って帰ってもらってもよさそうだと安心していると、菫は視線を感じる。

「「……」」
「……人間の私達はこっちのお砂糖とか添加物が入ったので我慢してください」

 小分けにして用意していた人間用のクッキーの入った小さな紙袋を菫は二人に手渡すと、零と景光はタッパーを見つめながらもそちらに手を付けた。

「……こっちも美味いよ。でも、そっちのやつもお願いね」
「僕の分も頼む。固めに焼いてくれ」
「う〜ん……」

 紙袋の中身の感想もそこそこに、菫はハロ用にと作った分の追加要請をされる。意外な程にそちらの方が好評で、菫はハロにクッキーを与えながら、解せぬ……という表情で首を捻るしかなかった。


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 その後、休憩を切り上げて釣りを再開するも、やはりこれといった魚を二人は釣り上げられなかった。三人の会話も少しずつ途絶えがちになる。だが悪くない沈黙だ。波音の中に心地よい静寂が広がっている。

 ザザ……ザザァ……という不規則な音に耳を傾け、傍らでウトウトしているハロを撫でながら菫は幸せを噛み締める。零がいて、景光がいる。こんな未来が来る事をいつも夢見ていた。

 東の空が徐々に明らんでいた。紺色から薄紫に。そしてオレンジがかった桃色に変化していく。その様をその場にいた三人は静かに共有する。
 曙色の空がとても綺麗で、何かが込み上げて来て、菫の目は滲んだ。眩い光だけが原因ではないそれを菫はさりげなく拭い、もう一度その光景を見つめる。水平線上にその姿を見せ始めた煌めく天体に菫は目を細め、脳裏に刻む。可能ならば全てが終わったあと、誰も欠ける事無く全員でこの光景を見たいと思った。菫はぽつりと呟く。

「日の出が綺麗だね。また……来たいな。こんな風にのんびりしたい。出来れば皆で……」
「何だ菫ちゃん。今から次の話か? 気が早いな?」
「皆でって、あいつらの事か? あいつらがいたら、うるさくて魚が逃げそうだ」

 菫の言葉に二人は笑うが、満更でもなさそうだった。零と景光の張りつめていないゆったりとした声に菫は嬉しくなる。この願いはきっと叶う筈だとそう思えた。

「――しかし今日は小ぶりなのしか来ないなぁ。リリースばかりだ。ボウズは嫌だぞ……」
「ポアロでの試作品用に一匹は確保したいね……」

 ぼやく景光に、菫も傍から眺めているだけではあるが相づちを打つ。だが、いざという時に頼りになる零がこの状況に歯止めを掛けた。

「……大丈夫だ。当たりが来たぞ!」

 岸壁に座っていた零は突如立ち上がる。零の竿は大きくしなっていた。

「ヒロ、ちょっと手伝ってくれ。少し重い」
「お、分かった。菫ちゃん、俺の釣り竿、持っててくれる?」
「あ、はい!」

 菫が慌ただしく竿を受け取ると、景光は網を片手に零のそばへと移動する。海面でビチビチと抵抗している魚と二人の作業を菫が隣で見ていると、自分の持つ竿にビクビクッと振動が伝わって来た。

「?! わわっ!」

 今度は景光の竿に魚が掛かったようだ。かなり強い引きがある。

「あ、あ、ヒロくん! ヒロくんのも魚が!」
「えぇ〜?! よりによって今か! ちょっと待って……ゼロの魚、もう少しで引き上げられるから!」
「来る時は続けて来るんだよな。こういうのは……」

 零がリールを巻き、魚から目を離さないながらも冷静な指摘をすると、菫も混乱しつつそれに返事とさらに景光に助けを求めた。

「そうだね零くん! でもヒロくん早く〜! すごい引っ張ってるよぉ〜!!」
「あ〜! 菫ちゃん、もうちょっと頑張って!」

 竿が持ってかれちゃう〜!! という菫の焦った声に、零の魚が釣り上がった喜びも束の間、景光は慌てて菫の方へと駆け寄るのだった。


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「大きなチヌが2匹! 大漁だね!」
「アン!」

 立派なクロダイを前に菫とハロが喜びの声を上げる。零は釣り針に掛かったままの魚を目の前に掲げて片手を顎にやった。

「さて、どう料理するかな? ポアロで出すとするなら……グラタンか?」
「俺、プラス菫ちゃんが釣ったこいつはどうする?」

 そして景光ももう一匹の魚を掲げながら首を傾げている。菫は頬に手を当て定番の料理名を挙げていった。

「ポアロで出すお料理と被らないようにするとなると、煮付け、揚げ物、活け造り?」
「あとは……鍋か?」

 景光の鍋という一言で菫が喜色を浮かべた。もれなく皆で集まれる口実になるからだ。

「お鍋! いいね! うちでやらない? 二人とも今日は時間、空いてないかな?」
「一人だと鍋なんて食べないよなー。俺はいつも通りセーフハウスに缶詰だから、問題ないぞ」
「いいんじゃないか? それじゃ、今日の夜にでも鍋にするか……あ、ただ、僕は仕事で手伝えないかもしれない」
「大丈夫! 私が下拵えしとくから! ね、他の人も呼ぼうよ? 陣平さんと研二さん。あと伊達さんとナタリーさん――と思ったけど、ナタリーさんは魚の匂いが駄目かも……。チヌってちょっと磯の匂いがきついから……」

 妊娠中のナタリーは現在、匂いがある食品を受け付けない状態である。高確率で魚は食べられないだろうと思われた。そして身重なナタリーが不参加ならば伊達の参加も見送られそうであった。

「伊達夫婦は別の機会に呼ぶか……。それじゃ松田と萩原に一応声を掛けるか? ゼロ?」
「……あいつらを呼ぶのか? うるさくなるぞ――って、分かったよ。呼んでいいよ」

 二人の同期の名前が再度上がり零は難色を示すも、幼馴染の――特に菫の期待の眼差しに負けて、二名の参加を了承する。

「わーい、やったー! ハロ、ご主人様たちのお友達がきっと来てくれるよー! 会えるの楽しみだね?」
「アン! アン、アンッ!!」
「ははっ。菫ちゃんもハロも元気だな? ゼロは……仮眠するんだろ?」
「そうだな。ポアロのシフトは昼からだから、少し休んでから出勤するよ……」

 ほんの少し眠たげな零に気付いた景光がそう声を掛けると、零も欠伸をかみ殺して頷いた。
 その後菫達は手早く片付けを済ませると速やかにその場をあとにする。三人が引き上げた海辺には朝日がすっかり顔を見せ、辺りを燦々と照らしていた。まるで幸先の良いさわやかな一日の始まりを告げているかのようであった。



ゼロティーの在りし日の回想&夜明けのシーンがすごく好きです。降谷さんはヒロくんと日の出を迎えてほしいと切実に思ってしまった。日の出=元旦の短絡的連想で2020年の最初の更新はこのお話。

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